『黄金の砂漠 ―貯金残高一億円の孤独―』

黄金の砂漠

板橋の空は 今日も低く
北窓(きたまど)を叩く風は まだ冷たい
記帳を終えた 通帳の重み
一、〇〇、〇〇〇、〇〇〇
並んだ「〇」は 私を囲む 高い城壁

かつて 空腹は敵だった
節約は 明日を生きるための武器だった
すり減った靴底 薄い茶封筒
一円を惜しみ 十円を愛した
あの頃の私は 確かに戦っていた

けれど いつの間にだろう
武器だったはずの「我慢」が 私を縛る鎖になり
積み上げた「数字」が 心から潤いを奪っていった
夕食の わかめとジャガイモの味噌汁
湯気の向こうに 夫の影を探しても
返ってくるのは 古い換気扇の回る音だけ

窓の外 **白木蓮(はくもくれん)**が誇らしく咲く
あの花は 散りゆくことを恐れない
私は この「一億」という砂の上に座り込み
何を守ろうとしていたのか
死ぬまで この数字を眺め続けるのが
私の選んだ 「幸福」だったのか

道端の**三味線草(しゃみせんぐさ)**が 風に揺れる
名もなき草さえ 今を使い切って生きている
もったいないのは お金じゃない
使わずに朽ちていく 私の「今日」という時間だ

引き出しの奥 眠っていた新品の皿を出そう
**紅梅(こうばい)**色の着物を この身に纏おう
一億円の砂漠に 一滴の水を撒くように
私は 私のために この命を使い始めよう

春光(しゅんこう)が 指先に触れる
通帳を閉じれば そこにはただの紙の束
窓を開ければ そこには
使い切れないほどの 春が満ちていた

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