『黄金の砂漠 ―貯金残高一億円の孤独―』

かおるこ

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第5話 ヨモギの天ぷらと過去の味

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第5話 ヨモギの天ぷらと過去の味

午後の空は薄く曇っていた。
志乃は川沿いの道をゆっくり歩いていた。

土の匂いがした。
昨日の雨がまだ少し残っているのか、足元の草が湿っている。

志乃はふと立ち止まった。

「……あら」

道端に、**ヨモギ**が生えていた。
柔らかい若葉が、春の光を受けて銀色に光っている。

志乃はしゃがみ込んだ。

指でそっと触れる。
葉の表面は細かい毛で覆われていて、少しだけざらついている。

「まだ柔らかいわね」

一枚ちぎる。

指先に、青い匂いが広がった。
少し苦くて、でもどこか甘い。

志乃は思わず笑った。

「懐かしい匂い」

子どもの頃、母と一緒に摘んだ記憶がある。
春になると、川の土手でヨモギを探した。

母が言った。

「これ、天ぷらにするとおいしいのよ」

志乃はもう一枚摘んだ。
そして、もう一枚。

「少しくらい……いいわよね」

ポケットに入れていた小さなビニール袋を出す。
そこにヨモギを入れていく。

葉が触れ合って、かさかさと音を立てた。

部屋に戻ると、空気は少し冷たかった。

志乃はコートを脱ぎ、台所へ向かった。

袋の中のヨモギを流しに出す。

緑の葉が、流しの白い陶器の上に散らばった。

「こんなに採ったのね」

志乃は蛇口をひねる。

水が流れる。
ヨモギの葉を洗うと、土の匂いがふわっと立ち上がった。

春の匂いだった。

志乃は小さく息を吸う。

「……いい匂い」

コンロに鍋を置く。
油を注ぐ。

ぽたり、ぽたり。

油がゆっくり広がる。

「久しぶりね」

志乃は小麦粉と水を混ぜた。
箸でかき混ぜると、白い衣がとろりと動く。

ヨモギをそこにくぐらせる。

油が温まる。

志乃は箸でそっと落とした。

**ジュワッ**

油が弾けた。

小さな音が、台所に広がる。

ヨモギがふわっと開く。
衣が膨らみ、薄い金色に変わっていく。

香りが立ちのぼる。

青い香りと、油の甘い匂い。

志乃は思わず言った。

「……おいしそう」

次々と揚げる。

油の音が、
静かな部屋を満たす。

**ジュワジュワ**

志乃はふと、笑った。

「あなた、覚えてる?」

誰もいないのに言った。

「ヨモギの天ぷら」

少し間を置いて、また言う。

「好きだったでしょう」

答えはない。

志乃は皿に天ぷらを並べた。

そして、ご飯をよそう。

白い湯気が立ち上がる。

その上に、**天かす**をぱらぱらと落とす。

さらに、卵を割る。

**ぱかっ**

黄身が、ご飯の上でとろりと広がる。

志乃は箸で少し混ぜた。

天かすがさくさくと音を立てる。

「……贅沢ね」

小さく笑った。

本当は、ただの残り物なのに。

それでも今日は、少しだけ豪華な気がした。

志乃はその丼を持って、仏壇の前に座った。

小さな仏壇だった。

中には、夫の写真。

志乃はそっと料理を置く。

「はい」

静かに言った。

「今日はね」

ヨモギの天ぷらを指した。

「春の味よ」

部屋は静かだった。

窓の外から、雨の音が聞こえ始めた。

**春時雨。**

細かい雨が、
屋根を叩く。

志乃は写真を見た。

夫は、昔と同じ顔で笑っている。

少し照れたような笑い方。

志乃はぽつりと言った。

「ねえ」

声は柔らかかった。

「私たち……」

言葉が止まった。

雨の音が強くなる。

しとしと、と続く音。

志乃はもう一度言った。

「何のために」

写真を見つめる。

「何のために、あんなに切り詰めたのかしら」

声が少し震えた。

「覚えてる?」

もちろん、返事はない。

志乃は笑った。

「……そうよね」

雨の匂いが、窓から流れ込んでくる。

台所では、まだ油の香りが残っている。

ヨモギの匂い。

春の匂い。

志乃は箸を取った。

天ぷらをひとつ食べる。

**サクッ**

音がした。

衣の中から、ヨモギの香りが広がる。

少し苦い。
でも、どこか甘い。

志乃は目を閉じた。

「……おいしい」

涙が、ひと粒落ちた。

仏壇の前で、志乃は静かに食べた。

雨の音だけが、
部屋の奥まで響いていた。

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