6 / 11
第5話 ヨモギの天ぷらと過去の味
しおりを挟む
第5話 ヨモギの天ぷらと過去の味
午後の空は薄く曇っていた。
志乃は川沿いの道をゆっくり歩いていた。
土の匂いがした。
昨日の雨がまだ少し残っているのか、足元の草が湿っている。
志乃はふと立ち止まった。
「……あら」
道端に、**ヨモギ**が生えていた。
柔らかい若葉が、春の光を受けて銀色に光っている。
志乃はしゃがみ込んだ。
指でそっと触れる。
葉の表面は細かい毛で覆われていて、少しだけざらついている。
「まだ柔らかいわね」
一枚ちぎる。
指先に、青い匂いが広がった。
少し苦くて、でもどこか甘い。
志乃は思わず笑った。
「懐かしい匂い」
子どもの頃、母と一緒に摘んだ記憶がある。
春になると、川の土手でヨモギを探した。
母が言った。
「これ、天ぷらにするとおいしいのよ」
志乃はもう一枚摘んだ。
そして、もう一枚。
「少しくらい……いいわよね」
ポケットに入れていた小さなビニール袋を出す。
そこにヨモギを入れていく。
葉が触れ合って、かさかさと音を立てた。
部屋に戻ると、空気は少し冷たかった。
志乃はコートを脱ぎ、台所へ向かった。
袋の中のヨモギを流しに出す。
緑の葉が、流しの白い陶器の上に散らばった。
「こんなに採ったのね」
志乃は蛇口をひねる。
水が流れる。
ヨモギの葉を洗うと、土の匂いがふわっと立ち上がった。
春の匂いだった。
志乃は小さく息を吸う。
「……いい匂い」
コンロに鍋を置く。
油を注ぐ。
ぽたり、ぽたり。
油がゆっくり広がる。
「久しぶりね」
志乃は小麦粉と水を混ぜた。
箸でかき混ぜると、白い衣がとろりと動く。
ヨモギをそこにくぐらせる。
油が温まる。
志乃は箸でそっと落とした。
**ジュワッ**
油が弾けた。
小さな音が、台所に広がる。
ヨモギがふわっと開く。
衣が膨らみ、薄い金色に変わっていく。
香りが立ちのぼる。
青い香りと、油の甘い匂い。
志乃は思わず言った。
「……おいしそう」
次々と揚げる。
油の音が、
静かな部屋を満たす。
**ジュワジュワ**
志乃はふと、笑った。
「あなた、覚えてる?」
誰もいないのに言った。
「ヨモギの天ぷら」
少し間を置いて、また言う。
「好きだったでしょう」
答えはない。
志乃は皿に天ぷらを並べた。
そして、ご飯をよそう。
白い湯気が立ち上がる。
その上に、**天かす**をぱらぱらと落とす。
さらに、卵を割る。
**ぱかっ**
黄身が、ご飯の上でとろりと広がる。
志乃は箸で少し混ぜた。
天かすがさくさくと音を立てる。
「……贅沢ね」
小さく笑った。
本当は、ただの残り物なのに。
それでも今日は、少しだけ豪華な気がした。
志乃はその丼を持って、仏壇の前に座った。
小さな仏壇だった。
中には、夫の写真。
志乃はそっと料理を置く。
「はい」
静かに言った。
「今日はね」
ヨモギの天ぷらを指した。
「春の味よ」
部屋は静かだった。
窓の外から、雨の音が聞こえ始めた。
**春時雨。**
細かい雨が、
屋根を叩く。
志乃は写真を見た。
夫は、昔と同じ顔で笑っている。
少し照れたような笑い方。
志乃はぽつりと言った。
「ねえ」
声は柔らかかった。
「私たち……」
言葉が止まった。
雨の音が強くなる。
しとしと、と続く音。
志乃はもう一度言った。
「何のために」
写真を見つめる。
「何のために、あんなに切り詰めたのかしら」
声が少し震えた。
「覚えてる?」
もちろん、返事はない。
志乃は笑った。
「……そうよね」
雨の匂いが、窓から流れ込んでくる。
台所では、まだ油の香りが残っている。
ヨモギの匂い。
春の匂い。
志乃は箸を取った。
天ぷらをひとつ食べる。
**サクッ**
音がした。
衣の中から、ヨモギの香りが広がる。
少し苦い。
でも、どこか甘い。
志乃は目を閉じた。
「……おいしい」
涙が、ひと粒落ちた。
仏壇の前で、志乃は静かに食べた。
雨の音だけが、
部屋の奥まで響いていた。
午後の空は薄く曇っていた。
志乃は川沿いの道をゆっくり歩いていた。
土の匂いがした。
昨日の雨がまだ少し残っているのか、足元の草が湿っている。
志乃はふと立ち止まった。
「……あら」
道端に、**ヨモギ**が生えていた。
柔らかい若葉が、春の光を受けて銀色に光っている。
志乃はしゃがみ込んだ。
指でそっと触れる。
葉の表面は細かい毛で覆われていて、少しだけざらついている。
「まだ柔らかいわね」
一枚ちぎる。
指先に、青い匂いが広がった。
少し苦くて、でもどこか甘い。
志乃は思わず笑った。
「懐かしい匂い」
子どもの頃、母と一緒に摘んだ記憶がある。
春になると、川の土手でヨモギを探した。
母が言った。
「これ、天ぷらにするとおいしいのよ」
志乃はもう一枚摘んだ。
そして、もう一枚。
「少しくらい……いいわよね」
ポケットに入れていた小さなビニール袋を出す。
そこにヨモギを入れていく。
葉が触れ合って、かさかさと音を立てた。
部屋に戻ると、空気は少し冷たかった。
志乃はコートを脱ぎ、台所へ向かった。
袋の中のヨモギを流しに出す。
緑の葉が、流しの白い陶器の上に散らばった。
「こんなに採ったのね」
志乃は蛇口をひねる。
水が流れる。
ヨモギの葉を洗うと、土の匂いがふわっと立ち上がった。
春の匂いだった。
志乃は小さく息を吸う。
「……いい匂い」
コンロに鍋を置く。
油を注ぐ。
ぽたり、ぽたり。
油がゆっくり広がる。
「久しぶりね」
志乃は小麦粉と水を混ぜた。
箸でかき混ぜると、白い衣がとろりと動く。
ヨモギをそこにくぐらせる。
油が温まる。
志乃は箸でそっと落とした。
**ジュワッ**
油が弾けた。
小さな音が、台所に広がる。
ヨモギがふわっと開く。
衣が膨らみ、薄い金色に変わっていく。
香りが立ちのぼる。
青い香りと、油の甘い匂い。
志乃は思わず言った。
「……おいしそう」
次々と揚げる。
油の音が、
静かな部屋を満たす。
**ジュワジュワ**
志乃はふと、笑った。
「あなた、覚えてる?」
誰もいないのに言った。
「ヨモギの天ぷら」
少し間を置いて、また言う。
「好きだったでしょう」
答えはない。
志乃は皿に天ぷらを並べた。
そして、ご飯をよそう。
白い湯気が立ち上がる。
その上に、**天かす**をぱらぱらと落とす。
さらに、卵を割る。
**ぱかっ**
黄身が、ご飯の上でとろりと広がる。
志乃は箸で少し混ぜた。
天かすがさくさくと音を立てる。
「……贅沢ね」
小さく笑った。
本当は、ただの残り物なのに。
それでも今日は、少しだけ豪華な気がした。
志乃はその丼を持って、仏壇の前に座った。
小さな仏壇だった。
中には、夫の写真。
志乃はそっと料理を置く。
「はい」
静かに言った。
「今日はね」
ヨモギの天ぷらを指した。
「春の味よ」
部屋は静かだった。
窓の外から、雨の音が聞こえ始めた。
**春時雨。**
細かい雨が、
屋根を叩く。
志乃は写真を見た。
夫は、昔と同じ顔で笑っている。
少し照れたような笑い方。
志乃はぽつりと言った。
「ねえ」
声は柔らかかった。
「私たち……」
言葉が止まった。
雨の音が強くなる。
しとしと、と続く音。
志乃はもう一度言った。
「何のために」
写真を見つめる。
「何のために、あんなに切り詰めたのかしら」
声が少し震えた。
「覚えてる?」
もちろん、返事はない。
志乃は笑った。
「……そうよね」
雨の匂いが、窓から流れ込んでくる。
台所では、まだ油の香りが残っている。
ヨモギの匂い。
春の匂い。
志乃は箸を取った。
天ぷらをひとつ食べる。
**サクッ**
音がした。
衣の中から、ヨモギの香りが広がる。
少し苦い。
でも、どこか甘い。
志乃は目を閉じた。
「……おいしい」
涙が、ひと粒落ちた。
仏壇の前で、志乃は静かに食べた。
雨の音だけが、
部屋の奥まで響いていた。
0
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました
由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。
ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。
遠い存在になったはずの彼。
けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。
冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
仮面王の花嫁
松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。
しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる