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襲撃
しおりを挟む「ガガ、数時間後、雨の中に入るぞ。騎士に伝えろ」
鼻が雨の匂いを拾った。
ジャーマン子爵領地は悪路が多い。それは領地の大部分を森が占めるせいだ。
森が続く道は危険が多いが、先に発ったステイシーの馬車が問題なく無事に着いているのだから余計な心配もなく進めた。
ガガが御者台側にある小窓を開けて伝える姿をぼぉーと見る。
馬車が出立してから、なにも考えたくはなく、寝ることもできず、ただぼぉーとしている。
「閣下…」
「…ああ」
「閣下…俺…女の子の脇が好きです。閣下と同じで」
「…ああ」
「あの匂い…いいっすよね…突っ込みながら舐めるんっす…そんなとこ!舐めないで!って言いながら締めるっすよね…ロシェル様もきっと好きですよ」
「…ああ」
「閣下…俺、むんむん切ります!もう女は抱きません!閣下が俺を抱いてください!閣下のむんむんで俺を埋めて!」
「…ああ」
「…はあ~まったく…おっさん…これだから早漏童貞は…童貞じゃないか…でもそんなもんだよなぁ…俺に比べれば…はは!俺は十二で処女も童貞も捨てたもんね!女も男もどれだけ抱いたかって?星の数だい!ははは!」
ガガがなにか言っているが、俺に今見えているのはロシェルが手を避けた瞬間だ。聞こえるのは馬車の音だけだ。避けられた。これまで触れると体を強ばらせていたことはあった。だが避けられたことはなかった。俺の手が汚れていたのか?違うだろ…ロシェルは俺の手だから避けたんだ。
感じたことのない寂しさに、馬車の天井をめがけて拳を振り上げていた。
「閣下~馬車にあたらないでくださーい…落ち込んじゃって…」
俺の拳をガガが受け止めていた。
「触るな…阿呆」
落ち込むだと?…俺は落ち込んでいるのか…
「ロシェル様は閣下を嫌っていませんよ」
ガガの言葉に視界が鮮明になる。苔のように生えた短い鮮やかな赤がいる。
「俺を避けたぞ」
「…閣下の気持ちに気づいたんっすね」
「俺が…言ったんだ…大切にすると…離したくないと」
ロシェルを抱いていたいと言った。夕陽を見つめるロシェルが美しかったんだ。水色の瞳が黄金になって垂れていたんだ。
「言うべきではなかった」
そうだ。言わなければよかった。起きているロシェルを抱きしめなければよかった。あんなことをしていなければ避けられることもなかった。
「いや、ロシェル様は閣下の変化に気づいてたっすよ。ってか、見てる俺らが誰?って思うほどロシェル様といる閣下はデレデレですからね。そりゃ、ロシェル様も気づきますよ。大旦那様を亡くされた悲しみのせいで俺らより気づくのが遅かったっすけどね」
デレデレとはなんだ…阿呆…
「閣下に意識が向き始めたってことっすよ」
「意識…」
「ああ!鈍感!!ロシェル様が閣下にされるがままだったのは大旦那様を想い、そして悲しみで心に余裕がなかったから!閣下のすることなんて特に気にしていられなかったのが」
「俺を…意識…」
「…閣下がしつこくまとわりついて…エコーに任せりゃいいじゃんってことまで世話して…今までの閣下を…噂を聞いていたなら別人のように甲斐甲斐しくて……あら?ディオルド様ってこんな人だったかしら?私のことなんてエコーに任せればいいのに…むしろ気を遣わないからエコーでいいのに…」
「ロシェルの真似は下手くそだな」
そんな声ではない。もっと柔らかくて優しい声だぞ。
「ロシェル様の心を占めている大旦那様の割合にちょっとだけ閣下が侵入したんです。いや!って言われるまでは今まで通りでいいっすよ。本気の嫌なら、ロシェル様は表情を隠すのが下手なのでわかりますって」
本気の嫌な顔をされたら泣くかもしれん。泣く…俺は泣いたことがあるか?ないぞ。だが、ロシェルなら俺が泣いたらどんな顔をするか…
「…あ…悪い顔してる…閣下…駄目っすよ…ロシェル様のような女性に無理矢理は」
「無理矢理などしない」
嫌われたくはない。
「頬や頭くらいなら触れてもいいか聞いてみる」
ガガは手のひらで口を覆って泣きそうな顔をした。
「…誰?あなた…誰?」
ガガの足を蹴り、腕を組んで目蓋を下ろす。
浅い眠りに落ちたあと、雨の中に入り数時間が経った。湿った空気がまとわりつく感覚に首もとを緩める。
「激しく降らないといいっすね」
走行音の合間にガガの呟きが聞こえた。
「ああ」
ぬかるんだ地面に車輪を取られると馬車を停めなくてはならない。被害を抑えるために馬車の速度も落としている。着くのが遅くなるだろう。
「旦那様!!後方!!襲撃!!」
ゼノの声に馬車窓に飛び付き開ける。
「ゼノォ!!」
走る馬上で身をひねり、後方を睨んでいたゼノが俺を見る。
「ロシェル様の馬車です!」
狙われているのはロシェルの馬車だと言われ、俺はガガに天井を指差す。
「ゼノ!!ジェレマイアを最優先!!いいか!?ジャーマン子爵領邸まで騎士で囲め!!お前に任せるぞ!!」
頷いたゼノが馬の速度を落とし、ジェレマイアの馬車へ向かった。
「ガガ!武器を持て!!」
俺は座面の下に手を入れ、剣帯に腕を通し身につける。留め具を嵌めている間にガガが俺の背に長剣を二本差し込み、腰に中剣を差し込んだ。
開いた天井から雨が降り注ぎ、髪も服も濡れているが寒さは感じなかった。上を見るとどんよりと黒い雲が見えるだけで、俺が片足を上げるとガガは両手を合わせ、下から押し上げ、勢いのまま跳ねて馬車の屋根に降り立つ。
「ゼノ!!行け!!」
俺の馬車は道を逸れ、速度を落としながら端に向かう。
「閣下」
ガガが上がり、俺の背後についた。
雨に濡れた俺の視界にはロシェルの馬車を囲む男たちが見える。離れた場所ではあるが馬が射られ、馬車と切り離されていた。俺の横をジェレマイアとアリステリアの馬車が越していく。 ロシェルの護衛の騎士は俺が選んだ者だが精鋭の数が少ない。
「飛ぶぞ」
まだ停まらぬ馬車から飛び降りる。雨でぬかるんだ地面は柔らかく、着地後すぐさま回転し体勢を整え駆ける。
「閣下!生かしますか!?」
「殺せ」
皆殺しだ。雇われていたとしてもどうせなにも知らん連中だろ。
「了解~」
ガガは両手に武器を持ち、くるくると回している。
「エコー!!」
複数人に取り囲まれたエコーが見え、その奥で銀色が舞った。揺れる銀色は馬車から離れていく。
「女を遠くに!!公爵が来るぞ!!」
誰かが叫び、男たちの視線が俺に向かった。
「ロシェル!!」
俺の叫びにロシェルが振り向くが、マントを被った男が掴んでいるんだろう。腕を引かれているんだろう。俺から離されていく。
「退けぇええ!!」
ガガは叫びながら俺の前に進み、向かってくる賊らを右手の大金槌でなぎ払い、左手で持つ大斧で両断していく。
ロシェルの馬車の後ろを走っていた馬車が行き場を失くして森へ突っ込んでいる様子が見えたが、賊はそれに向かわずロシェルの馬車に集中していた。
「旦那様!」
「エコー!」
エコーは剣を持っていなかった。手に取る暇もなかったということだ。俺は背中から長剣を引き抜き、エコーに襲いかかっている男めがけて投げた。
「がぁ!!」
男の胴体を貫き通した剣をエコーが素早く引き抜き、囲む男たちを斬っていく。
「エコー!殺せるだけ殺せ!生かす必要はない!」
敵の数は数えきれないほどわいてくる。
「ロシェル!!」
離されていくロシェルに向かって全速力で駆ける。雨が眼球を濡らし視界を揺らしても瞬きする間になにか起こるかわからず目を離せなかった。
「ロシェル!!」
俺の声が届いたのかロシェルが身をひねり振り向いた。泣きそうな顔にうねった銀髪を濡らして、赤い唇が俺の名を呼んだ。
「閣下!後ろ!」
ガガの声に上体を屈めた瞬間、俺の真上で剣が横に振られた。標的を失くした剣を持つ腕を掴み、思い切り引いて地面に倒し、勢いのまま胸を踏み潰す。
「ガガ!俺の邪魔をさせるな!」
ロシェルが俺から離れていく! ガガの武器がブゥンブゥンと振られる度に悲鳴が上がるが、敵が多すぎる。
「団長!」
ロシェルの馬車の警護を任せた騎士が俺に向かう敵を斬りながら近づく。
「スモーク!」
「エコーは足を!使用人の馬車は」
「スモーク!ロシェルが森に入る!」
ロシェルを引っ張っている男は森へ向かっている。
「騎士に命じろ!守備より攻撃だ!」
馬車に誰が残っていようと守らなくていい。
「森に入れ!」
森のなかで待ち伏せをされていたら、森のなかに馬でも待たせていたらロシェルを失う。
「許さん…」
森の始まりにロシェルが入ろうとしていた。俺は厚みのある中剣を腰から引き抜き構えながら駆ける。
「ロシェル!」
屈め!と言うつもりだったがロシェルがぬかるみに足を取られ転び、マントの男がよく見えた。
俺はその瞬間を逃さず、中剣を投げた。 剣は吸い込まれるように男の顔面に刺さった。
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