ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ウェイン・アラントの思惑

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 俺の言葉を聞いた伯はビアデットに視線を向けた。ビアデットの闇色の瞳は険しく俺を見て、小さく口を開いた。 

「なぜ」 

「…アラント邸には男の使用人が極端に少ない…伯がロシェルの母と結婚した頃からだ…ビアデット公爵家がセレーナ・アラントの治療をしていた…違うか?」 

 ビアデットは眉間にしわを寄せたまま答えなかった。 

「媚薬成分でも与えたのか?異国のおかしな薬を混ぜたのか?その副作用か?だから娘であるロシェルもわずかな媚薬に股を濡らし男を誘う香りを発するのか?そこでどんな狂乱が起こるか…楽しみが増える…俺は貴様らに感謝すべきか?」 

 俺が口の端を上げて笑えば、伯が怒りを見せた。人は苛立つと本音が出る…ときもある。 

「ブリアール公爵!!ロシェルに媚薬を!?妻だからなんでもしていいと!?伯爵家出だからとロシェルに無体を!?娘を返してください!」 

 ソファから立ち上がり、俺に向かって声を荒げる伯を見る。 

「伯は俺に説明をしなかった。ロシェルが放つ香りに俺の従者が股間を張らして襲うと想像できなかったわけではあるまい。なぜ言わなかった?」 

「…ロシェル夫人が…セレーナと同じ体質…とは確定できなかった…催淫さいいん香を放つなど…誰が…信じる?」 

 ビアデットの呟きに伯は乱暴にソファに腰を下ろした。 

「…貴殿の言う通り…彼女に与えた複数の薬による…副作用……性的接触…性的興奮…によって彼女が放つ香りは…男の脳と…股間に…刺激を与えてしまう…」 

「だから…私から離したくなかった…娘が貴方を慕ってしまっても…貴方が媚薬を使うような…下劣なことをしないとも限らなかった…あの匂いをなにかに利用することもあり得る…男の醜い欲望を娘は知らない…卑怯で凄惨な欲望を…」 

 伯は呪詛を吐くように俺を睨みながら呟いた。 

「貴方が娘に飽きたらどんなことをするのか…誰かに話せば…娘は慰み者にされる…違いますか?男たちに…」 

 伯の懸念も理解できる。ロシェルのあの匂いは危険だ。うまく使えば陛下でさえ我を失い襲うかもしれん。慰み者…か…トラヴィス・トールボットならば最大限に利用するな。 

「…性的接触と興奮…なぜそこに感情が乗ると匂いを放つと言える?セレーナ・アラントは伯しか相手にしていないだろう?」 

 貴族令嬢の、ましてや相思相愛の婚約者がいるなら他の男と接触する機会が少ない。性的接触ならば皆無に等しい。 

 俺の言葉に伯は気まずそうにビアデットを見た。ビアデットはため息をつき、ゆっくりと足を組んだ。 

「…アラント伯から…セレーナの匂いのことを相談され…私は…精査したく…協力してもらった」 

 セレーナ・アラントが好意を持たない相手と性的接触か… 

「もちろん…セレーナには…説明し…理解してもらった」 

 多大な恩があるビアデット公爵家に無理だとは言えんだろ。俺が伯なら断るがな。 

「…ふん…」 

 俺は頬が緩みそうなのを堪えている。ロシェルが俺に好意を持っていると確信できた。匂いについて知りたいことは知れたが、俺はこれから知っておくべきことを尋ねなければならない。 

「…セレーナ・アラントは結局…体を治せなかった…ビアデット…そうなのか?」 

 ロシェルを出産したあと起き上がることも困難になったと聞いた。もともと出産に耐えられる体ではなかったんだ。匂いが遺伝したように…ロシェルは… 

「セレーナ…彼女は子供の頃から少し…寝込みがちではあった…だが思春期…学園に通う時期…から…心臓が弱り始めた…数多の薬の投与で…危機は脱したが…彼女は……出産を望んだ…出産は女性の体を変える…ほど負荷をかける…回復できなかった」 

 伯のすすり泣く音が聞こえた。 

 ロシェルの記録に寝込みがちだったとは書かれていなかったが、回復できなかったと言うビアデットの言葉が何度も頭のなかを木霊する。 

「ロシェルを…医師に診せたことはあるのか?」 

「アラント邸…の執事が…我が家門の者」 

 ビアデットの言葉にロシェルが以前、口にした名が浮かんだ。 

「フォアマンは医師なのか」 

 ロシェルに伯の手紙を渡していたという老執事が医師… 

「彼の…報告では…ロシェル夫人に異変はなく…だが…夫人は…外へ出かける機会が…少なかった…流行り病になることもなかった…確かなことは…言えない」 

 どうしてこの男は声が小さく、話すのが遅いんだ… 

「老執事がロシェルの体をよく理解している。そうなのか?」 

「…はい…フォアマンは定期的に娘の診察をしていました」 

 ファミナ・アラントの目を欺くために執事として雇ったのか。

「…ロシェルを孕ませないほうがいいのか?」 

 俺はビアデットを見つめる。健常者でさえ十分の一が出産により死ぬ。確率が高すぎるだろ。体が弱いかもしれないロシェルが耐えられるか? 

「…出産は…誰でも危険と言える…医師が手を尽くしても…助けられない…ことは多々ある」 

 俺はビアデットの青白い顔を見ながら決意した。ロシェルを孕ませない。ロシェルが子を欲してもそれは叶えない。 

「ビアデット」 

「…はい」 

「男用の避妊薬はあるか?」 

 ビアデットの顔に驚きを見たのははじめてだった。 

「…なぜ…貴殿…まさか…」 

 ロシェルを孕ませたくなければ女用の避妊薬を飲ませればいい。伯とビアデットは俺がロシェルの匂いを利用し、他の男と共有する可能性を想像したろう。だが、俺は男用の避妊薬を求めた。その意味をビアデットは正しく理解したが、伯は理解しきれないと顔が言っていた。 

「…避妊薬には副作用はあるだろ?そんなものをロシェルに飲ませられん…俺はロシェルを弱らせたくはない」 

「…男性用の避妊薬とて同じことが言える。貴殿の年齢をかんがみても副作用の影響は受ける」 

 ビアデットが息継ぎなしで話すのは珍しい。 

「勃起力が衰える」 

「ロシェルの匂いが効かなくなるか?」 

「それは…検証していない…わからない」 

 俺の年齢を鑑みて…勃たんだと…?そんなことがあり得るのか?俺がロシェル相手に…?微笑まれただけで漲るのにか?十代の騎士のように毎夜……などとビアデットに言えんが… 

「俺の体で検証してやる。あるだけ寄越せ。服用の説明書もな」 

「男性用避妊薬は需要がない…数は少ない」 

 売る相手は高級男娼くらいだろうな。 

「あるだけ寄越せ。そして生産をしろ。すべて俺が買う」 

「ブリアール公爵閣下」 

 伯が真剣な顔で俺の名を呼んだ。 

「なぜ…」 

「ロシェルを慰み者にすることはない。他の男に触れさせるつもりもない。伯、俺はロシェルを大切にしたいのだ。安心しろ。媚薬の話は嘘だ。ロシェルはブリアールでなにも恐れず誰にも傷つけられず好きなことをして生きていく。貴様のそばでは安心できなかったろうが、今は違う。ロシェルはここで笑う」 

 ロシェルの悲しみは父上の死だけで十分だろ。 

「…ロシェルを妊娠…させない…」 

 俺は伯の呟きに体が力んだ。伯の表情が安堵のものではなかったからだ。 

「孕んでほしいのか?」 

 はっとしたような顔をした伯を睨む。俺はあらゆる情報から伯の思惑を導き出す。 

「…ロシェルの子にアラントを継がせたかったのか」 

 伯は視線をそらし口を閉ざしたが、それが答えだった。 

「チュリナ・アラントを石女にした理由はそれか?」 

 ビアデットが驚いたように伯を見た。 

「ウェイン…あれは…ファミナ夫人に使う…と」 

 カマをかけてみたが…そうだったか。エリック・ロイターとチュリナ・アラントがいくら勤しんでも後継ぎが生まれなければ、ロシェルの子供が継げる。伯は醜聞が落ち着き人々の関心が消えた頃、誰かと結婚させるつもりだったか。 

「…すまない…ギルバート…私は…どうしてもファミナの血筋を残したくなかった…アラントを継ぐのはセレーナの血筋…ロシェルの子を」 

 俺は沸き上がる怒りにテーブルに拳を打ち込んだ。かなり大きな音に部屋の外にいたガガが扉の握りを動かした。 

「開けるな!」 

 動かぬ扉を背後に俺は伯を睨む。当主は娘の未来の決定権を持つ。そんなことは理解している。家門のため金のため権力のため、娘の意思など関係なく命じることができる。だが、ロシェルが望まぬ未来を伯が決めていたと考えるだけで気分が悪い。 

「ロシェルは月の物が止まるほど追いつめられていたぞ…伯…身勝手が過ぎる考えだな…貴様の望みをロシェルに押し付けるな…俺は…俺は…貴様の弱さが嫌いだ」 

「シモンズを敵に回せなかった!ロシェルがいつ!…ロシェルが…いつ…セレーナのように弱り始めたらと…また必要になる…金が…」 

「ビアデット…俺は貴様にも反吐が出る」 

「ビアデット家に助けを求めなかったのは私です…私は娘と離れたくなかった…」 

 俺は誰かのことを嫌いだと思ったことはなかった。この二人を見ていると吐き気がする。腹が立つ。腹の奥底から不快なものが沸き上がる…これが嫌悪か。 

「ロシェルは身籠らん…伯…愚かで馬鹿げた思惑は忘れろ…アラントなど途絶えてしまえ…ロイターの次男が誓約を守り、慎ましく生きる男であるといいな」






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