ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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チュリナの結婚式




「綺麗だ」 

「ありがとうございます」 

「美しい」 

「ふふ、ありがとうございます」 

「胸が開きすぎじゃないか?…俺の吸った痕が消えてるぞ…弱かったか?かなり吸ったと思っていたが…昨夜は吸わなかったからな…いや…一晩では消えんと実証したが…」 

 あなたの吸った痕は白粉で隠した、と恥ずかしくて言えなかった。 

 ディオルド様は閨を始めてから毎晩私を抱いた。夜着を脱がせながら誘惑するなと言い、体中に触れた。

「ふん…白粉で隠したか…なるほどな…朝はあったんだ…あれがそう簡単に消えるわけないよな。あれは俺がお前に触れた証のようでな、楽しいんだ」 

 私の胸に顔を近づけ、くんくんと嗅いでいる臙脂の瞳が意地悪そうに見ている。 豊かな黒髪は整えられて額が露になっている。邸にいるときは大きく開いている襟もとも、今はすべてのボタンをとめて、クラバットもつけている。 

「…素敵です」 

 私が見つめながら呟けば、臙脂の瞳は見開き、固まった。 

「衣装が似合っていて…とても素敵です」 

 夜のディオルド様はとても野性味が溢れている。この衣装の下はとてもたくましくて、硬くて古傷まである。私が古傷に触れれば、女でそれを知るのはお前だけだと言ってくれた。

「…ロシェル…夜を思い出すんじゃない…誘うな」 

 褒めただけなのに… 

「私がなにか言えば誘っていると…ディオルド様…私…なにも言えなくなります」 

「ぐ……お前の唇が動けば…俺には妖艶に映る…俺はお前が与える快楽に狂わされてる…肉欲に溺れているんだ」 

 にくよく…? 

「それを言うなら私も同じです。ディオルド様に触れられれば気持ち良くて声を上げてしまいます。局部と繋がるともっと変に」 

「ロシェル!」 

 ディオルド様の声に体が跳ねた。 

「…いいのか?ここで剥くぞ…馬車のなかで声を上げたいか?偽りではない真実として新たな噂が広まるぞ…」 

「ふふ、険しいお顔…睨んでいますの?その顔は怖くありません」 

 間近で睨んでいるけどちっとも怖くないの。 

「口づけしたくてもできませんね…紅が着いてしまう…」 

「ロシェル…俺を翻弄するとは…なんて女だ…帰りの馬車で剥いてやる…くそ…匂うぞ…」 

 ディオルド様の冗談に頬が緩む。 

「窓を開けるぞ」 

「そんなに?ディオルド様が好まないから香水はあまりつけていないのですが」 

「…お前の体はいい匂いがする」 

 ディオルド様は馬車窓を開けながら呟いた。 


 チュリナとエリックの結婚式は王立教会を埋めるほど、参列者が集まった。 

 ブリアール公爵家、シモンズ子爵家というベルザイオ王国有力貴族家と縁のあるアラント伯爵家は注目の的となっていた。良くも悪くもアラント伯爵家に纏わる噂が多々あることも人々の関心を集めることとなり、教会の外にはたくさんの馬車と招待を受けられなかった令息令嬢、平民の姿もある。 

 馬車を降りて目に飛び込んだのは、人たちより大きな教会だった。

 ブリアール領地で訪れた教会よりも大きい建物は細かな彫刻と高い尖塔、そして圧倒するような雰囲気を持っていた。 

「はじめてだったな…どうだ?」 

 ディオルド様が私の耳の近くで囁いた。 

「…とても…大きい…素晴らしい建物ですね」 

「古いがな」 

「歴史を感じます」 

 自邸内に礼拝堂を持たない家は王立教会で式をあげる。 

「閣下」 

「ああ」 

 ガガ様の声に視線を向けると、ブリアールの騎士が道を作っていた。 

「行くか、ロシェル…敵陣だぞ」 

「ディオルド様が隣にいてくれますから、不安はないです」 

「そうか」 

 人の視線は馬車を降りたときから感じていた。彼らの声も私に届いていた。 

 公爵夫人は賎しい男たちに汚された。ブリアール公爵がその男たちを皆殺しにして事実を隠蔽した。夫人が生む子供は誰の子か。ロシェル夫人が…ロシェル夫人は…ロシェル夫人を… そんな声が教会に入るまで聞こえていた。 

「ロシェル!」 

 お父様が足早に近づく様子に微笑む。 

「お父様」 

「…ブリアール公爵閣下…参列…感謝いたします」 

「妻の妹の祝い事だ、伯」 

「お父様、窶れたように見えます。式の準備が大変でしたの?」 

 私がアラントを離れてから半年と少しでお父様は痩せてしまったわ。 

「ロシェル…私は」 

「まあ!ロシェル!ブリアール公爵閣下!」 

 ファミナは叫ぶように声を上げ、参列者から離れ近づく。ファミナが話していた人たちのなかにバロン・シモンズを見つけたけれど私たちに背を向けるように視線をそらした。 

「まあ!まあ!まあ!やっと会えたわ!ロシェル!あなた、無事なの!?賊に襲われたと聞いたわ…わたくしは心配で心配で…チュリナの結婚式を延期させるかと」 

「夫人、相変わらず声が大きいな。私は耳がいいのだ。抑えてくれるか?私を不快にしてくれるな」 

「な!?」 

 ファミナは一瞬、怒りを表したけれどすぐに微笑みに戻し、憐れむように私を見つめた。 

「大変な思いをしたわね…ロシェル…怖かったでしょう?痛かったでしょう?辛い思いをしたのね…わたくしにもひどい話が聞こえてきたわ…男たちに…ああ…かわいそうに…公爵夫人であっても無体な仕打ちに合うなんて…身分を知らないなんて…愚かな…ああ…なんてことなの…話なら聞くわ……ロシェル…」 

 私は笑いそうになっていた。ファミナの演技が、彼女の心の中を知る私には滑稽に見えた。 なにも応えない私にファミナは苛ついたように頬を震わせた。

「…賊に襲われて…馬車を燃やされたなんて聞いたわ…男たちに乱暴に掴まれて痣が…あぁ…怖かったわねぇ…襲撃を目撃した人が話しているのだもの…嘘ではないのね…嘘であってほしいと何度も願ったわ」 

 ファミナは憐れみと嘲笑を顔に表していて、器用だと少し感心してしまった。

 ファミナの言葉を聞いた人たちは、否定しない私を見て肯定していると思うかもしれない。それでもファミナと会話することを私は避けた。私を恨み苛み、暴力と暴言で抑え込まれた過去は今の幸せが強烈すぎて、染み込んだ恐怖は薄くなっていた。けれど忘れたことはない。私はあなたが嫌い。 

「夫人は何を考えている?格下の者が話しかけるな…ロシェルの言葉を待て」 

 ディオルド様の低い声にファミナの顔色が悪くなる。 

「伯、貴様の妻は常識を知らんのか?小娘でもあるまいし…夫が嗜めねばならんだろ」 

「申し訳ございません」 

 お父様はディオルド様に頭を下げた。それは自身に非があると証明している。けれどファミナに声をかけることはなかった。諌めもしない夫婦関係を外に見せている。 

「ウェイン…あなた…」 

「ごきげんよう、ファミナ夫人」 

 私が声をかけるとファミナは険しく睨み、それから頬を震わせ笑んだ。 

「ごきげんよう、ロシェル夫人……こんな他人行儀な挨拶が必要かしら…?あなたはわたくしの娘のようなものじゃない」 

「…美しい教会ですのね。ディオルド様、見に行っても?」 

 私はファミナの存在をないものとしてディオルド様を見つめる。 

「ああ…神と呼ばれる彫刻があるぞ…誰が神の姿を見たのか知らんがな」 

「ふふ、見たいですわ」 

「ではな、伯」 

 私がちらとお父様を見ると頷いた。 

「ロシェル!私を無視するんじゃない!」 

 ファミナの大声に教会内はしんと静まる。 

「ロシェル…ずいぶんと傲慢になって…思い上がって…公爵家に嫁いだからと…いって…その脆弱な血は失くならないわ…あなたは…」 

「はっ!ははっ!」 

 隣から聞こえた大きな笑いに見上げる。笑ったのに険しい顔をするディオルド様がお父様を睨んでいる。 

「伯、夫人は頭がおかしいようだな…最近は伯に相手にされず下人を殴り殺したと聞くぞ。それは本当か?本当ならば恐ろしいな。襲撃の目撃者?それは潰された仲間の死体に恐れおののき逃げた賊だ。夫人は賊の一人と知り合いか?騎士隊は詳しく話を聞きたいだろうな」 

 ディオルド様の笑いに教会にいるすべての人の視線を集めている。 

「なんですって!?わたくしが…わたくしが賊と知り合い!?」 

「嘘だと言うか?私がこんな大胆なことを衆人環視の前で話す意味を悟れんか?前にも話したろ…夫人の信は皆無だ…使用人の口は軽いぞ…それに私に対してその口の聞き方はなんだ…」 

「ブリアール公爵閣下、ロシェル…夫人…妻のおかしな言動…お許しください」 

 お父様がまた頭を下げた。 

「お父様」 

 頭を上げた懐かしい瞳と視線が合う。泣き出しそうな瞳に微笑む。 

「ロシェル…と…夫人なんてお父様に呼ばれると少し恥ずかしいです」 

「…ロシェル」 

「お父様、結婚式が終わったらゆっくり休んでください。体を大切にしてください」 

「ああ…ああ…ロシェル…」 

「あなた!わたくしにそんな」 

「アラント伯爵、ファミナ夫人」 

 集まる人の間を通り、エリックが姿を見せた。白い衣装は見たことがあるもので懐かしさすら沸き上がった。 

「ブリアール公爵閣下、ロシェル夫人」 

 ディオルド様はエリックに声をかけられたのに、彼に背を向けた。 

「ロシェル、見に行くか」 

 腰に手を回され、ディオルド様の腕が導くほうへ体が向かう。 

 ブリアールの騎士が見物していた人たちを移動させていく。私は振り返らず、頼れる人に身を任す。 

 ディオルド様は慣れない笑い声を上げてまでファミナの言葉を遮った。脆弱な血、すぐに死んでしまう、短命な娘とファミナはよく罵っていた。彼女の甲高い声が怖かった…けれどもう怖くないわ。





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