ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ブルーン

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 ロシェルの驚きと喜びは予想以上で私は満足だった。 

 トマに頭を下げて譲ってもらったピアノはやはり美しい。

 願わくばロシェルと私が暮らす上階に運びたかったが、大きさと繊細さのせいで一階に入れるのがせいぜいだった。 

 私は椅子に座ったロシェルの隣に立ち、ゆっくりと鍵盤に触れる指先を見つめる。 

 ロシェルは夜会の度にテラスへ逃げていたが庭を眺めるふりをしながら目蓋を下ろし、手すりを鍵盤代わりに叩いていた。 

 あの姿を見てから、より一層庇護欲が強くなった。 

 下手でも止まってもいい。ロシェルの思うように弾いてくれたら私は嬉しい。 

 銀色の髪が緩く波うち、左右の部分はレナが編み込んで後ろにまとめ、ガーネットの中でも赤みが濃いアルマディンを使った髪留めが映える。 

 そんな彼女に見惚れていると、聞いたことのある曲が流れ始めた。

 私はこの年になるまで、数多の経験をしてきた。驚くということが久しくなかったが、今、まさに驚いている。そのせいで鼓動が速まり、落ち着けと自身に伝えながら深呼吸をするほどだ。 

 ロシェルはあの夜、夜会会場で流れていた曲を弾いている。

 あの曲は今年の流行りで最新の曲だ。譜面を持っている? いや、あのアラント邸にいてロシェルが手に入れることなどできない。 

 あの夜聞いて覚えたのだとしたら、それを一度聞いただけで弾けるのならロシェルは… 

 私はブラウン夫人をちらと見る。

 夫人は私の視線に頷き、微笑んだ。まるでロシェルの才能を知っていたかのような表情だった。 

 視線をロシェルに戻し流れるように動く指先に鳥肌が立ち、それと同時にその旋律にも感動していた。 

 あの夜、ピアノだけではなく管楽器も加えた楽団だったが、ロシェルは管楽器が奏でた部分も器用に織り込み奏でている。 

 背筋を伸ばし腕だけが忙しなく左右に流れ、指先は鍵盤を弾く姿をピクリとも動けず眺めた。だが、ロシェルは鍵盤に指を置いたまま停止し、部屋は静寂になった。 

「ここでジェイデン様の杖の音がしました」 

 私に確認するように振り向く顔はとても無邪気だった。ここで暮らしはじめ、ロシェルはいろいろ表情を見せてくれたが、ここまで幼さを持つ顔は初めて見た。 

「…下手でした?」 

 ロシェルの顔が不安そうなものに変わり、私は我に返る。 

「そんなことない。上手すぎて驚いたんだ。聞き惚れていたんだよ」 

「本当ですの? ふふ、嬉しい」 

 嬉しい、ロシェルは私の言葉に何度もこう言う。自分の気持ちを伝えるように素直に口にする姿は高位貴族令嬢には珍しい。 

「音が…とても美しくて夢中で弾いてしまいました」 

「うん。綺麗に動いていたよ」 

 褒めれば口角を上げて微笑み、頬を染めた。 

「曲の名前は知っているかな?」 

 知らないとわかっているが、ロシェルの口から聞きたい。 

「不勉強で知りません。アラント邸の楽譜は全て捨てられてしまったので。ですが、夜会で流れる音楽は一度聞けば弾けるようになります。ふふ、頭のなかで」 

 これは特殊な才能だ。私は優秀な奏者を何人も知っているが、これほどの技巧と記憶力を持つ者はいなかった。 

 ロシェルはこの才能を開花させる前に道を閉ざされた。 

「これからは好きなときに弾くといい。もちろん、私は隣で聴いているよ」 

「はい。ジェイデン様、ありがとうございます」 

 伏し目がちだった瞳は、今はもうない。 

「今度、トマに聴かせよう」 

「緊張して手が震えてしまいます」 

「はは!いいさ。トマは音楽の素晴らしさがわからないから。ロシェルが間違えても気づかないさ」 

 私の言葉を信じて頷くロシェルの純真さに頬が緩む。

 トマは洗練された男だ。ピアノの製作者によって変わる音質に気づくほど… 

 アラント伯はロシェルの才能を知っていたろうか? ファミナ夫人は知らなかったろう。知っていたら見世物のように連れ回し弾かせただろう。
 夫人の醜悪な部分に私は何度、感謝するのか。 

 ロシェルが鍵盤蓋を閉じるとき、動きを止めた。 

 私はその理由を知っているが何も言わないでおく。なにか言うかと待ってみるが、ロシェルは静かに鍵盤蓋を落とした。 


 毎夕、ロシェルと二人で食事をする。堅苦しい場は嫌で、時間をかけて話をしながらとる食事はなんと美味しいものか。 

「ロシェル、今日は疲れたろう?」 

「いいえ。とても嬉しい一日でした」 

「だが、さっきから欠伸あくびを噛み殺しているだろう?」 

 私が指摘すればロシェルは困った顔をした。 

「私にもわからないのですが、最近すぐ目蓋が重くなってしまって」 

「私が君の生活を変えたからね。初めての場所に邸、そして出会ったばかりの年寄りと共寝までしている。精神的にも疲れるさ」 

「共寝は…慣れましたし、温かくて心地いいです。寝台に入るとすぐに眠ってしまいます。ジェイデン様とお話をしているのに」 

 ロシェルは申し訳なさそうな顔をして私を見る。 

「ロシェルが心地いいと思ってくれているならいいんだよ」 

 テーブルの上に置かれたロシェルの手を握る。

 その表情は嬉しい一日を過ごしたという割りには若干曇りがあった。

 私はその理由を察しているが、ロシェルから遠慮なく聞いてほしかった。だが、そこまで深い関係を作れていないと思う。言いたいことを言えるそんな関係になりたいものだ。 

「気になることがありそうな顔をしているね」 

 握っているロシェルの拳が少しだけ跳ねた。 

 聞いていいものか、忘れるべきか迷っているだろうロシェルの感情が伝わり頬が緩む。 

「君は案外わかりやすい、ロシェル。私はそれに喜びを感じている」 

 アラント邸ではいつも不機嫌そうに口を閉ざし、使用人に対しても話しかけず、微笑むのは婚約者だった青年が訪れたときか夜会の時だけ。

 使用人から見れば、無愛想に見えたかもしれないがロシェルは感情豊かに暮らせる状態ではなかった。ファミナ夫人という警戒すべき敵が同じ家にいたのだから。 

「私は君の問いになんでも答えるよ。たとえそれが国の秘密であってもね」 

 私がそう言えばロシェルは、ふふと笑った。 

「ブルーン」 

 ロシェルの口から出た名前に頷く。 

「よく知っていたね」 

「王宮に置いてあるグランドピアノの話は夜会に参加したとき夫人たちが何度も話していました」 

「そう。王宮の夜会で使われるピアノはブルーンが作ったものだね」 

 ブルーン、ピアノ製作者。彼は変わり者であったがピアノ作りの天才だった。ただし、一台のピアノの製作に十年の歳月をかける。弟子には触らせず一人で製作する。 

 ベルザイオ王国にブルーンの作品は二台だけだ。彼は二台目を作り終えたあと、病に伏し亡くなった。ピアノ職人として独り立ちしてから二十数年後の話だ。 

「ブルーンのピアノは二台だと何かの本で読みました」 

「そうだね」 

「二台目はトールボット公爵家にあることも皆が知る話です」 

「そうだ」 

 一台は王宮、二台目はトールボット…表向きは。 

「ブルーンのピアノは奏者が鍵盤蓋を落とす時、触れる場所に製作者の名が彫ってある。よく気づいたね。それはどこの文献にも載っていない事実だ」 

 頷くロシェルは未だに困惑顔だ。こんな顔も可愛らしい。 

贋作がんさく」 

 私の言葉にロシェルはなんとも言えない顔をした。 

 ベルザイオ王国、最有力の公爵家が贋作を持つなどあり得ない話だ。貴族家では贋作を持っているということに、かなり敏感だ。家の恥になる。 

「はは!今日はロシェルのいろいろな顔を見れて楽しいな」 

 ロシェルの拳から手を離し銀色に波打つ髪を一房、手で包む。柔らかく滑らかな感触は触れているだけで癒される。 

「トールボットにあるのが贋作。実はトマが二台持っていたんだよ」 

 あの悪戯いたずら者がブルーンの弟子に作らせた贋作。 

 トールボット前公爵がブルーンのピアノだと披露するかしないかでトマと賭けをした。

 私は負けてディオルドの相手としてトールボットからステイシーを娶ることになった。 

「国王陛下が二台…」 

 ロシェルが信じられないのも頷ける。

 ブルーンのピアノを手に入れるには、首都に伯爵家の邸を構えるのと同等の金貨を要する。 

「トールボットは披露してしまった。偽物と気づかずにね。間抜けだろう?」 

 だいたい王宮にあるブルーンのピアノに触れられない。王宮の抱えている奏者でさえ手袋を嵌めて弾く。

 ブルーンの名彫りに触れられないのだから、ピアノ自体を見て贋作だと断言できる者がこの世にいない。 

 ロシェルを見ると、なんて応えていいのか困るといった顔をしている。 間抜けなトールボットと言ったことを反省せねば。 

「ブルーンのピアノは数がない。証明書まで渡されては騙されてもおかしくはない。ロシェル、他家を間抜けと言った私は嫌かい?」 

 ロシェルは顔をゆるく振った。 

「ブルーンのピアノを近くで見たと聞いたことがあって…羨ましいと思いました」 

「夫人かい? それとも異母妹かい?」 

「二人から」 

「はは!二人か…君は本物の音を聴いたし、弾いた。きっと違いがわかるだろう」 

「自信はありません」 

 私は違いがわかると思うが。ロシェル、君がトールボット公爵家に行くことはない。トールボット公爵はステイシーを溺愛している。きっと君の存在が疎ましいはずだ。







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