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コモンドール公爵家5
しおりを挟むガガの開けたガラス扉を通り、アイザック・シモンズは離れていった。
「閣下」
「なんだ」
「金貨一万に心が揺れましたか?」
即答しなかったからな。
「驚いただけだ。貴様に一万の価値があるかと考えた」
「私への信頼は金貨一万より…なにより代えがたい…大切な男だと言ってくださり恐悦至極」
「勝手に脚色するな、阿呆」
アイザック・シモンズが見えなくなり、俺たちはテラスを出る。
「ガガ」
「はい」
「奴は探し出すと思うか?」
「んー無理ですね」
ガガの即答に足が止まる。シモンズ子爵家の財源は無限と言えるほどある。それを以てしても無理と言うのか?
「ザザと共にダダという男も消えました」
「共にいるかはわからんだろ」
「…いますよ。二人が同じ貴族家に雇われたとき、ガダードは真実を話すか迷っていました…似ていませんが二人は同じ男の種…ダダは母親に似てしまい戦奴としては体格が不十分でした…私の弟妹は多いのです」
「兄弟か」
「知らずとも離れられない。そんな感じがしますね。二人が協力して逃げているなら…難しいっす」
あの様子ではアイザック・シモンズは諦めないだろう。
あの娘の待つ、休憩室へ向かっていると廊下の先にバートラムが立っていた。
珍しく真面目な表情で後ろには人を従えている。バートラムの体に隠れるようにしているが匂いで誰かはわかる。
「ディオルド」
「…バートラム」
アイザック・シモンズと会うことはバートラムしか知らないはず。それを話したのかと視線で問う。 バートラムの瞳に揺らぎがないなら話していないな。
「トールボット公爵、参加していたとはな」
俺の言葉にバートラムの後ろにいたトラヴィス・トールボットが現れる。
バートラムから今夜の参加者の名簿は受け取っていたが、トールボットの名はなかった。
「私の訪問を断れるのは王宮だけだ」
女の香水とこの男が愛用している香水が体に染み付いている。トールボットは気味の悪い微笑みを向けた。
「確かにな」
ブリアールでも門前払いはできんな。
「第二夫人はどうした? まさか一人か?」
「会場にいる。お前はなにをしている? 可愛い妻は放って…男と逢い引きか?向こうも噂通りに主の目を盗んで休憩室で逢い引きか?」
あの娘のいる休憩室が近い。まさか接触しようとしたか?
「俺は用も足せんか?」
「…新しい妻と踊っていたな」
「見ていたのか? 気づかなかったな」
トールボットは会場にはいなかったはずだ。
「会場はその話で盛り上がっている」
「話題を提供できたか」
俺は無表情を貫くが、トールボットは怒りを隠さず俺を睨み付けている。
「その年になって……名まで与えることはなかったろう。ステイシーの気持ちを考えろ…」
「ふ…」
俺は鼻で笑った。
「ディオルド・ブリアール…笑うか…?」
「妻の気持ちを考えろだと? どの口が言うかと思ってな。貴様の新しい愛人の年は十五だろ」
「私は名まで与えない。いつでも捨てられる愛人と一緒にするな」
俺はトールボットに近づき、見下ろす。
「私はロシェルを捨てはしない。ブリアールとして生かす。一生な。貴様の女たちには同情する。身を捧げ、媚び諂わなければ贅沢ができんとはな。まるで脅迫だな」
「価値のない女とはそうして生きるものだ」
「その女のなかにステイシーは入っているのか?」
「入っているわけがない。私の妹はトールボットの血筋だぞ!」
激昂した顔は赤みが増し、睨む瞳はつり上がっている。
「価値のない女のなかにロシェルは入らん。あれは心根がよくてな…共に過ごしていると癒される。多くの女を求める貴様の気持ちがやっと理解できたぞ」
「この…!」
トールボットは俺に掴みかかろうと手を上げるが、簡単に避けられる動きだった。 空を舞った腕が情けなく揺れる。ステイシーと同じ桃色の髪も乱れた。
「落ち着いてください、トールボット公爵。ディオルド、お前も年上は敬え」
「トールボット公爵は義兄だ。仲がいいからこの言葉遣いを許してくれる」
「許しておらんわ!ディオルド!小娘と共に本邸に戻れ。ステイシーがなにを言われているか知らんわけではないだろう!?」
突如現れた第二夫人に夫の心を奪われた。トールボット公爵家の弱みを握り、ステイシーに配慮をしなくてよくなった。若い画家にのめり込んだステイシーに俺が呆れて…云々…
「事実でなければ気にすることはない」
「お前はそうでも、ステイシーが気に病んでいる」
「ほう…貴様に泣きついたのか。だから娼婦のような女を用意したのか?貴様の入れ知恵だろう?」
「女を抱く楽しみを覚えたなら、手練手管にたけた女で遊べ!」
「トールボット公爵、私の夜の楽しみかたを貴様が選ぶか? ステイシーがロシェルのことを気に病んでいるとは知らなかった…ステイシーに直接尋ねよう」
俺がそう言えばトールボットは口を閉ざした。
ステイシーはプライドが高い女だ。唯一のブリアール夫人の名声は長くステイシーに優越感を与えたようだな。
「なぜロシェルの存在を気に病むか…ステイシーは第二夫人の子供だがな」
自身の母親が第二夫人。これはステイシーにとって瑕疵だ。公爵家夫人にその事を言える者は少ないが。
トールボットはわなわなと体を震わせ、憤怒の表情のまま、踵を返して離れていった。
「バートラム、行け。俺は帰る。トールボットがなにを話したか、相手と内容を詳しく送れ」
バートラムは困ったような顔をしたが、頷いた。
「ロシェル夫人によろしく伝えてくれ」
「ああ」
トールボットの後をついていくようにバートラムも離れた。
「…ステイシーの連れてきた女はやはり娼婦か」
「そうですね。そんな空気を纏っていましたね」
「知っていて住まわせているなら、ステイシーは阿呆だな」
「閣下、奥様の頭は花が詰まっています」
「意味がわからん」
「手練手管…とは…トールボット公爵閣下は閨の話をしているのかしら? アプソ様、意味が理解できまして?」
少し開けている扉のおかげで声が聞こえた。
「抱く楽しみ…楽しいことなのね」
ジェイデン様は抱けないと言っていたから、手練手管は私に関係ないかしら?
「えっと…ロシェル様…お耳が」
「よく聞こえるほうです」
「トールボット公爵のおっしゃったことは忘れましょう」
忘れ…私には必要ないことかしらね。
「ディオルド様の声も聞こえましたか?」
私は首を振る。ディオルド様の声は低くて聞こえにくい。トールボット公爵は声音が高くて聞き取りやすい。特に興奮した言葉はより高く大きくなる。
「…本来ならステイシー様と友好を深めるために関係を持つべきだとわかっています」
他家では全ての夫人たちがいがみ合っているわけではない。第二夫人は第一夫人よりも立場は弱く、常に敬わなければならない。夫を支える同じ目的を持つ者同士、家に混乱を招いてはならない。
ジェイデン様の言う通りに、流されるままにディオルド様の第二夫人になったけれど、やっぱりブリアール公爵家を巻き込んでしまった。ディオルド様には不要な迷惑をかけている。
「ジェイデン様と…」
レナとダフネ、エコー様…彼らと首都を離れて暮らした方がブリアール公爵家に平穏が戻るかしら?
「ロシェル様、ジェイデン様は首都を離れませんよ」
私の考えを読んだようにアプソ様が言った。
「…離邸でもお仕事をなさっていますもの…当主ではなくても忙しいのですね」
「いいえ、陛下の願いです。ジェイデン様のお年的には自領で穏やかに暮らすのが普通ですが、陛下は首都を離れられない。陛下にはジェイデン様が必要なのです」
真剣なアプソ様の様子に、ジェイデン様と陛下が頭を過る。 確かに陛下は離邸に度々訪れている。二人が話しているとき、私は会話の邪魔にならないような曲を選び、弾いている。
「仲がいいと…私にもわかります」
見かけることはあっても話すことなどないと思っていた国王が、同じ部屋でくつろぎ笑う姿は現実のようではなかった。でも現に私のピアノを褒めてくれて、ジェイデン様と冗談を言い合う…そんな姿は自然だった。
「陛下がジェイデン様を大切に思っていること、伝わります」
あれが友なんだと、二人を見て思った。陛下が部下を…アプソ様を送ったのも心配から。
いつか私にも友ができたらいいけれど、簡単そうで難しいのよね。
「アプソ」
少し空いた扉から声が聞こえた。
「ディオルド様、指示通り木を嵌めましたけど外せます?」
「ああ。下がっていろ」
食い込んでいる木をどうやって外すのかしら?思い切り引いたら手を挟んでしまう。
アプソ様は私の近くまで下がった。
「ガガ」
「はい、閣下」
ガキン!と音が鳴り扉が揺れ蝶番が一つ床に落ちた。
私とアプソ様は驚いて声も出せない。
もう一度、同じように音が鳴って下の蝶番が落ち、扉が傾いた。それを掴んだ手がガガ様のものだとわかったのは、ディオルド様が外された扉を通ったあとだった。
「帰るぞ」
「…怒られませんか?」
「バートラムか?気にするな」
ガガ様は扉を壁に立てかけ、服を叩いて埃を払った。
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