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帰邸
しおりを挟む「寝たか?」
「そのようですね。久しぶりの外と聞いています。疲れたのでしょう。夫ならば隣に座って肩を貸すものですよ」
「…俺は見せかけの夫だと知っているだろ。そこまでする必要はない」
人の目がないんだ。うつらうつらして自ら馬車窓に凭れたんだ、人の肩は必要ないだろ。
「この娘はお前のことを尋ねたか?」
「…私の出生のことですね。ジェイデン様がほのめかしたようですが、とくに聞かれませんでしたよ。気を遣ったのでしょう」
若い娘は下世話な話に興味が湧くと思ったがな。
「アイザック・シモンズはこちらの提案を受けましたか?」
「…ああ。奴にとって妹は価値のないものだからな」
「こちらの情報も大したものではないと思いますが」
「ガガの話が大したことないか。アプソ、人を探すなら、特に逃げている者を探すならその者の性格、知能、技術を知ることは必須だ」
「…はあ」
「アラント伯の言葉を聞いてどう感じた?」
俺の問いに横に座るアプソは間抜けな顔をした。
「アラント伯爵ですか? ただ嫁いだ娘を気にしている…と」
陛下の犬のくせに案外間抜けだな。
「伯は体調を尋ねた」
「愛した妻との子です。なんら不思議に思いませんが」
アプソの視線が娘に向かう。俺もそれを追い、閉ざされた瞳を見つめる。念のため手を伸ばして娘の首筋の脈に触れる。
眠りは深い。
「…この娘はアラント邸を離れて太った…健康的な意味だ。二月前より血色もよく肉付きもいい。体調がいいなど聞かずとも見ればわかるが尋ねた。そこに違和感を覚える」
「そうですか? 長く戦場にいたせいで細かいことまで勘ぐるくせがついたのでは?」
俺はアプソとの会話を終わらせるため、手を振る。 ガガならば俺の意見に一考するだろう。ふむ、アプソの言葉は一部正しいか…騎士時代のくせが出ている。
「…ですが…」
アプソは顎に触れ思考にふけり、なにか思いついたように話し出した。
「…犬仲間…陛下はジェイデン様の想いを知っていたので、近年アラント家に入れている犬の報告は他より熱心に読んでいて……」
言い淀むアプソに苛立つ。
「なんだ」
「…渡された情報を読みました…ロシェル様の洗濯物のなかに月の物の汚れがないと」
「なんだと?」
それは問題だ。だが、それだと謎が増えるぞ。
「犬は下級か上級の使用人です。洗濯は下女の仕事ですから、犬が深く探り彼らと交流がなければ知り得なかったことでした」
「…夫人はなぜそれを言わない…」
俺の呟きを聞いたアプソが答えた。
「チュリナ・アラントも同じだからです」
さすがに頬がひきつる。
「二人ともだと? 二人とも母親に問題はなかったろ」
アラント家の妊娠に時間がかかった感じはなかった。
「ロシェルの不具合を口にすれば、実の娘のほうも知られる…とは考えるな…伯は知っていて黙っていた…だから体調を気にしたか? 俺が責めると思ったか?」
ブリアール公爵家にはすでに後継がいる。子は必要ないから伝えなかったと言われてはそれまでだが。
「ディオルド様、ロシェル様は健康的になったと言いましたね」
「ああ。太ったぞ」
「……そうですか」
「言いたいことがあるなら言え」
「女性とは繊細です。精神的なことから月の物が止まることもあると聞きました。ロシェル様はアラント家を離れてジェイデン様に大切にされている。それはロシェル様にとってとても心地よく、さぞ安心して暮らしているでしょう。睡眠時間が増えたこともそれが理由と思います」
「夫人と異母妹から離れたなら月の物が正常に戻ると?」
「可能性は……アラント家の腹違いの姉妹が二人とも石女など確率的におかしいのです」
俺は暗闇に視線を向ける。俺が考えてもしょうがないことのように感じてきた。
「…伯の言葉の意味はそれかもしれんな。ブリアールはこの娘が石女だろうとなんの文句も言わん」
「…私は報告書を流し読みしただけですから…明日にでも細かなところまで読みます」
「暇なときにしろ。結局、この娘はブリアール公爵家から出さない。伯爵家との関係を断ち切る」
面倒事に巻き込まれることはごめんだ。伯が伝えるべきことを黙したことは解せんが、こちらにとっては些末なことだ。
「閣下が断ち切ると言っても、夫人たちにはそれなりの付き合いがありますよ。奥様の茶会に参加する日も来るでしょう」
「アプソ、そこはお前に任せる。目を光らせておけ」
「承知しました」
「ん…」
ロシェルが起きたかと思ったが、苦悶の寝顔に背もたれから身を離す。
「や…」
震えだした娘にアプソが手を伸ばし起こそうと肩に触れたと同時に馬車が大きく揺れ、水色の瞳が現れた。娘の怯えた表情をアプソも見たろう。
「…ロシェル様」
「あ…あ…私…寝ていましたのね…」
アプソは俺をちらと見るが、視線を馬車窓に向けて無視をする。
「ぐっすりでしたよ。もう着きますから起こしました。馬車が石でも踏んだのでしょう、驚かせましたね」
「いいえ。ジェイデン様が待っていますから…ありがとうございます」
俺は馬車窓に映る娘を見つめる。
髪の乱れを直しながらアプソなんぞに礼を言い、ドレスのしわを気にする娘は確かに悪夢を見ていた。 幼い頃から疎まれ、苛まれるとこうなるのかと思い、少し同情した。
『過去に囚われていたら前に進めない』
この娘に言ったことは俺自身にもあてはまる。悪夢はいつでも俺のとなりにいる。
「ロシェル」
真夜中に近い時間、体が冷えるはずだが父上が邸外で待っていた。
俺は父上の後ろに立つエコーを睨み、視線で責める。多くはないが、父上は血を吐いていた。誰かに見守られ安静にしているべきと思うがな。
「ジェイデン様!」
アプソの手を借りて馬車から下りた娘は足早に父上に向かった。
「おかえり…ロシェル。はは、待ちきれなくてね」
父上の視線はちらと俺に向かった。同じ臙脂の瞳は責めるなと言っているようだ。
「戻りました、ジェイデン様」
娘は父上の手を掴み両手で包んだ。
「楽しく過ごせたかい?」
「…はい」
特に楽しいとは思わなかったろう。今夜の夜会は仕事に近い。それに夫人らと交流したいという感じもなかった。俺の妻の立場になっても、その手の欲はでなかったらしい。
「ジェイデン様、邸に入りましょう」
娘の言葉に頷いた父上は、もう俺を見てはいない。二人は手を繋ぎ、邸へ向かった。
「アプソ」
「はい」
「今夜から離邸に入るのか?」
「はい」
「余計な動きはするなよ。ただ働け」
陛下になにを命じられているかわからん。
「ディオルド様、私どもの仕事は情報収集のみ」
「そうか」
お前ならフローレン侯爵家の危機に助言できたと思うがな。
「家を荒らさず手は貸さずがモットーです」
国を治めるならば情報はなにより大切なものだ。だが、全ての貴族家に犬を入れる必要はないと思うが。シモンズは無理だったと言っていたか。
「下手に動くなよ。エコーに殺されるぞ」
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