ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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フランセー侯爵領邸

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「疲れていませんか?」 

「少し疲れました」 

 私は正直に答えた。 

 馬車の扉が開き、姿を見せたのは御者台にいたエコー様ではなくジェレマイア様だった。ジェレマイア様は微笑んで手を差し出した。それを断ることは不自然で受けるしかなかった。 

 私は首都を出たことがなかった。アラント領にも行ったことはなく、長い馬車移動ははじめてで少し酔っている。 

 踏み台に足を乗せた瞬間、少しふらついてしまいジェレマイア様の手に体重をかけてしまった。 

「申し訳ありません」 

「…いや。僕も久しぶりに長く馬車に乗りました。その上、葬儀に出席した家への礼状を書けと言われて…まだ子爵位の途中です」 

 私は地に下り立ちジェレマイア様を見上げる。 

「揺られながら書けますの?」 

「まあ、失敗もしますが」 

 私は確実に酔うわ。レナがくれたミント水がなければもっと辛かったはずだもの。 

 私はそう思いながら荷馬車に視線を向ける。 大きな箱のような荷馬車はゆっくりと動きだし方向を変え、フランセー領邸の奥へ向かっていく。 

「ロシェル夫人」 

 ジェレマイア様に腕を掴まれ振り返る。 

「棺は氷を足さなくてはならない。氷庫の近くに運ばれます」 

 私は無意識に荷馬車を追っていたようで、馬車から少し離れていた。 

「…そう…なのですね」 

 真剣な臙脂の瞳は私の腕を掴んだまま離してくれない。 

「領邸には棺を馬車ごと入れられる部屋があります。お祖父様はそこへ」 

「そんな部屋がありますのね。無知でした」 

 ならばこの先もジェイデン様はその部屋で一晩過ごすのね。 

「行きましょう」 

 ジェレマイア様の言葉に頷き、軽く腕を引くと手は離された。 

「ロシェル様」 

 アプソ様が私の背後にいた。いつもより固い雰囲気のアプソ様に頷く。 

「皆様、邸へ入ります」 

「はい」 

 アプソ様の言葉に体を傾けるとディオルド様とフランセー侯爵がこちらを見ていた。ディオルド様は来いと言うように顔を傾けた。私はそれに頷く。 

「フランセー侯爵家は第三夫人までいます。愛人はいません。子も六人と多い。賑やかな食事になるでしょう」 

 私の隣を歩くジェレマイア様が説明するように話し始めた。私が貴族家のことを知らないと思っているようだった。 

「嫡男のミカエル・フランセーは僕らより年が二つ上で来月結婚の予定です。もし僕らが早く到着していれば、その婚約者も出迎えたかもしれない」 

 私はジェレマイア様の言葉に頷く。 

「一番下の令息は十です。僕らを待つために食事を我慢していたでしょう」 

 十の令息…第三夫人の子セラフィム・フランセーね。 

 フランセー侯爵家は美形の一族で有名だわ。第一夫人には嫡男に近い年頃の美しいと認められた令嬢を早々に見つけ婚約者にする。第二夫人、第三夫人は美しくあれば下位貴族からでも娶る。そこに愛があるのかまでは知らないけれど、美が重要とされる家。 

 若草色の髪色が多いフランセー侯爵家のなかに青みのある金色を持つセラフィム・フランセー。侯爵から溺愛されていると読んだわ。 

 ジェイデン様が与えてくれた貴族家の情報。生きていくのに知っておいたほうがいいと… 

 ジェイデン様を想うと膝が崩れそうになる。体を丸めて泣きたい。 


 フランセー侯爵領邸の食堂は広く、テーブルも大きなものだった。 

 ディオルド様はフランセー侯爵の隣に並ぶように座り、左がブリアール公爵家、右にフランセー侯爵家が座っている。 

 セラフィム・フランセーは末っ子なのに嫡男の隣にいる。ブリアールに見せたいという雰囲気を感じた。 疲れと馬車酔いのせいで食欲はない。 

「お疲れでしょう?ロシェル夫人」 

「馬車の移動に慣れなくて」 

 フランセー侯爵の第二夫人、トリッシュ夫人が話しかけた。 

「とても長い葬儀だったと旦那様から聞きましたわ」 

「はい」 

「ロシェル夫人が鎮魂曲を弾いたと聞きました!牧師見習いとぜんぜん違うって、お父様が」 

 無邪気な声はセラフィム令息だった。 

「とても美しいって!」 

「そう言っていただけてよかったです」 

 あまり葬儀のときのことを覚えていないの。会場まで届くと考えていなかったわ。 

「僕も聴きたくて!食事のあと弾いてくれますか?」 

 私は上目使いで願う少年を見る。 

「友達や従兄弟に自慢できます!」 

「セラフィム、無理を言ってはいけない」 

 フランセー侯爵がセラフィム令息を嗜めた。 

「お父様ももう一度聴きたいと言ったじゃないか!」 

 困ったような顔をするミカエル令息と夫人らの視線は私にある。 

 領邸と食事の提供、そこに金銭の授受はない。ブリアール公爵家を客として迎えることが名誉。これから先の領邸でもこうして願われるかもしれない。 

「ロシェルは疲れている。断る」 

 ディオルド様の低い声に食堂は静まる。セラフィム令息はテーブルに乗り出していた体を元に戻し、肩と頭を下げてしまった。わざとらしい落胆ぶりに強ばっていた気持ちが少し綻んだ。 

「申し訳ない、ロシェル夫人。セラフィムは末っ子で甘やかして育ててしまった。話題のロシェル夫人に会えた喜びもあり…」 

 フランセー侯爵は眉尻を下げ、本当に申し訳ないという顔をした。 

 侯爵家令息としては少し幼稚さを持つセラフィム令息はまた上目使いで私を見ている。その大きな瞳から大粒の涙まで流して。 

「ピアノくらい弾けるでしょう?座っているのだし」 

 ステイシー様の言葉にディオルド様の顔が強張った。 

「ねぇ、ロシェル様。わたくしも聴きたいの。一日馬車で揺られて、飽き飽きしていたの。貴女の演奏を聴いてから休みたいわ」 

「おい」

「わかりました」 

「ロシェル」 

 ディオルド様を見つめる。 嫌なら断れると臙脂の瞳は言っている。 

「フランセー侯爵閣下」 

「ああ…ロシェル夫人」 

 フランセー侯爵は気まずそうな顔を私に向けた。 

「鎮魂曲でよければ」 

 私の言葉にフランセー侯爵は頷くしかないわ。 


 食事を終え、ピアノのある部屋へ移動した。その部屋にはすでに酒や紅茶が用意してあった。まるで予定されていたことのように。 

「窓を開けてください」 

 私はアプソ様に伝える。窓を開ければジェイデン様まで曲が届くと思った。 

 フランセー侯爵家にあるグランドピアノはブルーンのものより小さいピアノだった。 

 エコー様が椅子の高さを調整してくれて、それに座る。白い鍵盤に指を置いてジェイデン様を想う。

  『私のロシェル、美しいロシェル』 

 ジェイデン様の声が聞こえる。





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