会長にコーヒーを☕

シナモン

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2話 恋の神様

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 何、この人出。やっぱ東京ってすごい。
 もう何度目かな、東京で花見のシーズンを迎えるの。
 来年私は日本にいるのだろうか、それとも……。
 なんて思いながらもう1人の自分は品定め中。
 カウンター後ろの棚にずらっと並ぶ日本各地の焼酎のボトル。
 濃いウッドと黒い石造りの調和するモダンな店内。花見の人出か満席だ。
 奇跡的にカウンターの一番よい席が取れたの。私にしては上出来だ。
 広い広い黒い御影石でできたと思わせる天板の向こうでシェフが調理してる。

「いつも思うが君は酒に強いね」

 隣の人に言われ、「あはは、そうですか?」と毎度同じ返事をしてみる。
 相変わらずキメキメ。今日はダーク&ダーク&ダーク。
 スーツシャツネクタイとどれも濃い色で揃えて。
 しかし色味は微妙に異なる。さすが! マジで誰かいるんじゃないの?
 そのダークグレーのスーツの袖から覗く本日の時計はオーソドックスなオールドランゲ?
 いちいちチェックするな? こんな近距離に座ってるんだもの、つい目に入るというもの。
 あんまり見つめていちゃドキドキするからあちこち視線を飛ばして紛らして。
 会社の近くのお店で、しかもカウンター席でお食事してるなんて誰かに見られたら……。
 なんてつい思っちゃう。
 ええ、ここは会社近くの穴場的新店。
 そうです、私が来させて頂きましたとも! 新宿駅を通り抜けて。
 うろうろしてる間に気付いたの、あのビルが目に入って。
 S物産のでかい社屋。
 会長が来るわけないって!
 秘書室の皆から目の敵されていたあの会社がある新宿反対側に。
 あーー、失敗。
 歌舞伎町近くのお店はキャンセルし、リストに入れてたお店で真っ先に電話して席取れたここに直行した。
 待ち合わせて来てみるとことの他いい感じ、ほっと胸をなでおろした。

「いい飲みっぷりだ」

 既に3杯目。うち1杯はロック。公認されてるとはいえそろそろ控えとかないとね。と、また棚の陳列を眺める。ウホッ、宝の山だ。いいわぁ~。見てるだけで幸せになる。
 串かつ、会長流に言うと串揚げ。関西のお店の支店だそうで。
 その昔友達とバスで初めて大阪に行ったとき、ミナミのお店で串揚げに感動したものですわ。懐石料理に出てきそうな、そのまま食べてもよさそうな一品をネタとして揚げるんだもの。凝ってる~。
 会長はさすが、それを串から外してお食べになる。
 串かつの串を外して食べる男の人初めて見た。女の子は3人に1人くらいか。
 お坊ちゃん育ちって違うんだなあ。しみじみとまた観察してしまう。

「人多いですね、花見客ですね」

 御苑帰りか。東京には名所が一杯あるから。もちろん夜桜も。もう少しすればあちこちで一気に花開く。

「どうかな。食後に花見をするのかな?」

 かなって。興味なさそう。
 そうそう。もうひとつのメイン、プレゼントを渡さなくちゃ。
 バッグから包みを取り出した。

「会長、遅くなりましたけどお誕生日プレゼントです」

 ちょっと驚いた顔をされて、「ありがとう」

 ドキドキ。男の人に物渡すの久しぶりだ。
 引越しする時、例の隣人に助けてもらったお礼もこめて自作クッキー渡して以来?
 PRADAのネクタイ。いつもエルメスやグッチっぽいのしてるけど、それとはちょっと系統の違う、控え目ながら前衛的というかその柄が売り場に行くなり目に入って。
 これ会長に似合う! と。
 包装を解いて、ネクタイをあてがう真似して。やっぱピッタリ。
 堂々と人前でこんなことして。はたから見るとどんな風に映るのかな。
 おじさんと言っても男盛りの妙齢だし。イケメンだし。

「今日もハイアットにお泊りですか?」
「ん? ああ」
「……普段はどちらに住まれてるんですか? マンションとか?」
「ハ、しがない社宅暮らしだ」
「どこの?」
「赤坂だ。役員専用だが」

 近っ。どうしてホテル暮らししてるの? 仕事人間だから? 私なんか赤坂に住んだ日にはあちこち歩きまくるけどな~。

「御所の桜見えたりするんですか?」
「最近帰ってないからわからん。家から見えるのは議事堂だがね」

 これだよ。めげずに話題を続ける私。

「その昔友達と新宿御苑にお花見に行って、5時前に閉園っての知らなくて殆ど見れなかったことありますよ! あれは頭にきた。早すぎませんか?」
「ああ、なるほど。そういえばそうだったな」
「ま、他にも一杯あるからいいけど。その日は千鳥ヶ淵まで歩きましたよ。あそこ素敵ですよね~」

 ホント素敵。大好き。

「そうだね。新宿御苑か。入れないかな? 今日は月も綺麗だ」
「え?」
「行ってみるかい?」

 すっと立ち上がる。食事は済んでいたけど焦る。「あ、会計。今日は私が……」と慌てて財布を出すも、さらっと片手で制されて。「私に恥をかかせないでくれ」って。
 こんな風に言われてうまく返すことのできない小娘な私。結局いつもと同じパターン。

「もう十分して貰ったよ。ひとまず預かっててくれ」

 と私の籠バッグにネクタイを入れて。そこから先は思わぬ展開だ。



 タクシーでどこに連れて行かれるのかと思えば。
 代々木方面からぐるっと回って新宿側とは反対の入り口辺りで降り、雑木林と民家の隙間というか何だかよくわからない道をずんずん進んで。「ここかな」汚い塀のようにしか見えないそこをどうやったのか知らないが動きそうにないその塀が魔法のようにずずっと開いた。

「ええーー?」

 思わず声出るって。驚いた。
 ドキドキ胸が鳴り始める。これって不法侵入?……そのドキドキか。
 今晩は満月。月の明かりを頼りに。
 桜の木でも何でもない木立を抜けるとそこは雪国……ではなくおとぎの国だった。

「わあ」

 別世界だ。広い新宿御苑の池に月が映ってる。

「すごい、すごい」

 無意識に駆け出していた。ハイジのように。
 素敵……。
 その昔来た夕方の景色とは全然違う。
 ライトアップされた他の名所のそれとも。
 月に照らされた芝生とうっすら白い桜と、その周りを囲むビルの灯り。

「綺麗……。会長、よくご存知ですね」

 いや、不法侵入では? それはまあおいといて。

「毎年10月。ここで能の舞台があるんだが知ってるかい?」
「いいえ。能……ですか」

 恥ずかしながら縁がない。そういえば近くに国立能楽堂があったっけ。その程度のレベルだ。

「新宿の企業が協賛している。そこで会った警備員が教えてくれたのさ。以前うちの会社にいた。私の顔を覚えていたらしい」
「ガードマンさんが?」

 会長……。意外な人と話したりするから。
 秘書室の人にはつっけんどんですよね。

「ふ、うまい具合に満月だ。今日が満月だということは今月2度目かな? 縁起がいいね」
「はあ」
「ブルームーンとも言うな。本来青く見える月のことだがね。滅多にないから転じたのだろうな」
「そうなんですか」
「それを見ると幸せになれると」

 視線が合わさる。
 胸がとくとく鳴る。
 会長の顔が月光に照らされてこれまでになく麗しい。
 この高貴なオーラ。ちょっとない。上様!

「昔ここに忍び込んだことがあった。弟がどうしても月が見たいといって聞かなくて、何かの帰り、偶然見つけた穴から入った。その晩も満月だった。弟はその頃天体に夢中で、陰暦で暮らしていたんだよ」
「えっ」

 いきなり弟の話になって、あの人の顔を思い浮かべる。

「とにかくやんちゃで知識欲が半端じゃなく旺盛だった。私が弟に鍛えられたようなものだ」

 天文オタクだったのかな? 緑川さん『変わってる』って言ってたわ。

「結局ひと晩明かした。芝生に寝転がって寝てしまったんだ。父に大目玉食らったよ。『お前がついていて何をしていたんだ。捜索願を出す所だったぞ』とね」

 下に弟や妹がいる子からよく聞くが上の兄弟って損。うちにも兄がいるけど。滅多に思い出さないもっさい兄。あいつは例外だー。

「毎日毎日弟の問いに答えるのにひと苦労さ。文明滅亡論が時折話題になるが、歳差運動の周期だね。ある時期高広はそんな計算ばかりしてた。私が元素の周期表を見せてやると今度はそっちに夢中だ。PCも覚えて周期表を3Dで描いたりしてた。挙句の果てに天然原子炉に行きたいと言い出して。知らないかな? アフリカにある。全く父と私は呆れるばかりだ。かなわんから家庭教師をつけたんだ。それで少し落ち着いたんだが」

 ぶっ飛び! とんでもないオタだね。

「ところが、その彼がアメリカの大学院に行くことになってしまった。困ったことについていくといって聞かないんだ。家庭持ちで家に余裕があるから預かってやると言われはしたんだが心配しないわけがない。結局言葉に甘えてステイさせて、最初は家の者をつけていたが、まだ初等科だったからね、私も向こうの学校に行けという話になった。私は弟のお守りのためにアメリカの学校へ行かされたんだよ」

 そこまで世話を焼いた弟と喧嘩別れみたいになっちゃって。気の毒すぎる。
 髪結ってるので夜風がより冷たい。
 こんなムード満点な月夜に弟の話……。会長らしいわ。
 初等科って。どこのお坊ちゃん学校だ。

「会長……。弟さんも今この月を見て同じこと思い出してるかもしれませんよ」

 我ながらうまいこと思いついたわ。会長はふっと笑った。

「日本にいればね」

 いたりして。すぐ近くに。なんて思いながら歩く。桜並木に近づくと、何やら人の気配がした。
 宴会……? 目を凝らしてみるとポツポツそれらしい群れが。
 わさわさ声らしき音も。
 ここって夜閉まっちゃうんじゃないの~?
 まだ満開じゃないのに。満月におびき寄せられて?

 会長に寄り添ってどきっとした。
 手を握られたのだ。
 いつもと反対側の手。
 人前じゃはじめてだ。人前ってほどじゃないけど。

「人、いるんですね」

 ドキドキ。帝の表情は穏やかだ。

「フ、これだけの場所に誰もいない方が不自然だ。小説にもあったね。夜の御苑に忍び込び寝転がって夜を明かすんだ」
「そうなんだ」

 それも知らないな。この差………涙。
 ふっと目がそれた。
 月明かりに浮かび上がる広大な芝生。大きな木のシルエット。その向こうにビル群が。ひときわ目立つのがドコモタワーだ。

「セントラルパークってこんな感じなのかな」私は呟いた。
「どうかな。夜に行こうと思わんからな」

 もう……。仕事人間。

「NYにも桜ってあるんですか?」
「あちこち見かけるよ。東京ほどじゃないがね。中々立派な枝垂桜もある」

 へえ。そうなんだ。

「ボストンの桜が有名ですよね(それしか知らね)。見に行かれたりするものなんですか?」
「いや。わざわざ行かなくても郊外に同じくらいの並木がある。シーズン中は賑やかだよ。店も出てたな」
「桜並木、素敵ですね……」

 桜の木の群生の奥に足を踏み入れる。そこにも先客が。
 別の意味でぎょっとした。茂みの向こうから何やら猫のような声色が。ええ、そうです、発情期の猫の鳴き声にも似た。ーーやだ。何やってるの!?

「ちょっ」

 ぎゅっと手を握った。ぐっと腕が寄って、体の側面と側面がぴったりくっついた。

「きゃ」

 ドキーン。胸が鳴るが早くこの場も離れたい。ああ、忙しい。

「ハハ、金で女を買って相手をさせるよりよほど健全だ」

 おじさん通り越しておじいちゃんの境地みたいなことを。

「行こうか。桜の咲く時期の夜は案外冷える」

 酔っ払いのおじさんが聞いてもないのに別の出入り口を教えてくれた。
 塀の真ん中に穴が開いてる。

「ふむ、ここから出れるな」

 手をつないだまま、このままホテルまで歩いてもいい……。密かな願いはすぐに夜の彼方へ吹っ飛んだ。いつものようにタクシーに乗せられて。先に座らされるのは私。いつもと違うのは体の距離がより近かったこと。いつも私の手を握るその手が私の髪に触れる。
 頬にスーツの生地が擦れる。途端に、脳髄に染み込んでくようだ、大人の人の香り。

「髪が解けかかってるよ。解いてもいいか?」

 答える間もなくするっと髪の間を指が抜ける。ばさっと落ちて頬や首に当たる。

「どうだい君、病状は治りそうか?」

 私は何も答えなかった。それどころじゃないっていうか。体を支えるのに精一杯だ。力入れてないと会長の膝の上に倒れちゃいそう。猫のように。

「一度精神科に行ってみてはどうだ? 専門の治療法があるらしいが」

 精神科ーー? そんな大げさな。
 のだめか! 私は千秋様並みなの?
 ……近いかもしれない。どうしよう。

「治りますかね?」

 何とか支えきれる体勢を見つけて私は言った。ドキドキを悟られないよう胸を離して。

「……治しなさいと言っている。アトランタだけじゃない、あちこち飛び回ることになる。もちろんNYもだ」
「NY……。セントラルパークも?」
「もちろん。君次第だ」

 ハア……。指が。自分のとは全然違う感触だ。
 そわそわする……。男の人に髪を撫でられるのがこんなに気持ちいいとは。
 髪撫でられーの、すぐ目の前には組んだ足が迫りーの。
 私は何? 猫ー?
 国王陛下の膝の上に丸まって撫で撫でされる猫。
 ある日舞い込んできた雑種の猫。
 陛下の気まぐれで宮殿に住まうことになった、世にも珍しい料理する猫……。
 人を見下すことしか知らない陛下。
 母君亡き後先王に厳しく育てられ、やんちゃな王弟殿下に翻弄され、色々不幸が重なり婚期を逃して今に至る……。

「きれいな髪だね……」

 ああ、甘い。何このわざと遅く進んでるんじゃないのかってくらいスロウな時の流れ。
 さっきまで弟の話ばっかりしてたのに。
 このまま……車が止まらなきゃいい。
 どうかこのまま……会長のモテ期が再来しませんように。
 女の人の視線感じる。さっきのお店でもそうだった。

「キミとならどこででもやっていけそうな気がする。キミは不思議なパワーに満ちている。どこにも行くな。ずっとそばにいてほしい」

 行くわけないわ。これ以上厚待遇の仕事どこにあるの。カッコいいご主人様。きれいなキッチン、昼間から買い出しと称してルミネTakashimaya行き放題……。

「いい匂いだね」

 至福…。

 どこかに落ちてしまいそうな瞬間、ドアが開いた。
 ぱっと我に返る。パークタワーの前だ。

「あ、私も降ります」

 とっさに口から出た言葉。
 既に外に出ていた会長と目が合って、どきっとした。
 やだーー。変な風にとられちゃった? 慣れてないってこれだから。

「そ、その、桜を見ながら歩きたいなって。ここからうちまで20分かかるかかからないかなんで」
「歩く?」

 ドアの近くまで寄っていた体を制される。

「何時だと思ってるんだ、冗談だろう」
「い、いえ。しょっちゅう歩いて帰ってますよ。平気です。地元より東京の方が歩きやすいかも(城の周りは武家屋敷だからな。別の意味で不気味)。自慢じゃないけど私痴漢に遭ったことないんで。遭わない自信あります」
「ダメだ。いいからこのまま帰りなさい」

 とっても歩きたい気分。桜の下音楽でも聴きながら浸りたい。

「でも」
「もっと自分を大切にしないと」

 その言葉に遮られた。

「あの~、どうされますか」
「行ってくれ」

 ドアは閉まり、私だけ乗せて発進。いつものように。姿が遠ざかっていく。手にはしっかりネクタイの箱持ってた。いつの間に。

「お嬢さん、桜見たいのなら寄ってみましょうか。お家どこ? 京王沿いって言われてましたが」

 タクシーの運転手さんは変に気を利かせるし。
 きっと出来上がった上司と部下、て思っただろうな。乗った場所が場所だし。
 それがホテル前で別れて。少しはオヤと思っただろうか。

「この時期はねえ。わざわざのろのろ運転してくれってお客さんもいてねえ。外は寒いからねえ」
「はあ」

 外はカップルとか歩いてる。それを横目に見ながらのろのろ迂回路を進む車。
 桜に沿って進むのか。
 タクシー小遣い稼ぎにはなるわ。会長はいつも万札渡してるから。

 さくら、さくら……。
 車窓越しに流れてく。
 NYでも咲いてるって。
 NYと言えばセントラルパークだよね。世界一有名な公園。
 あそこを会長と歩けたらどんなに素敵だろう。
 でも。
 新宿だって捨てたもんじゃない。もしかして勝るとも劣らず素敵かもよ?
 会長はこのまま会長でいることはないんだろうか。このまま新宿に。
 新宿だって悪かない。

 自分を大切にって。そっくりそのままお返ししますよ、会長!
 皆、嫌ってなんかないですよ、会長のこと。
 心配している人がいる。感謝している人が。
 そのことに……気付いてよ?
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