タイムリミット

シナモン

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タイムリミット

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 仕事に一生を捧げる…とは言わないけど、結婚なんて考えられないわ。どんなに素敵な人であっても…、そもそも身分が違いすぎるのよ。


 抱えてる物件の一つ、完成間近のカフェにて、楠原くんと現場のスタッフと図面見ながらスマホで写メってると、オーナーの奥様がそうっと顔を寄せ、

「あの、すみません、トイレの取っ手、これに変えたいんですけど、大丈夫ですか」

 すまなさそうに、木の枝を差し出した。

「ああ、そういえばまだ届いてなかったんだっけ」楠原くんが言った。

 奥様ご希望のフランスビンテージ品が予算の都合で没となり、よくある工務店仕入れの取っ手に変更したものの、まだ現物は届いてなかった。

「へえ、サイズ丁度いいっすね」

 手にとってかざしてみる。
 流木ねえ。
 まあ乾燥の足りない生木よりはトラブルになりにくいかな。

「わかりました、じゃ、こちらを使いましょう」私は即答した。
「きゃーー、よかったーー」

 奥様歓喜。
 練りに練った自宅カフェだもん、妥協したくないよね。


『…また施主支給』

 って所長に言われそうだけど……。
 お客様の用意されたもの使うのはいいんだけど、発注かけたものが無駄にならないようにしないとね。
 幸い、すぐに発注先に連絡してキャンセルできたので今回は見逃されそうだ。




「先輩、お疲れ様っす」

 夕方、大工工事のおじさんも帰り、楠原くんと図面の照合しながら奥さんのいれたコーヒーを頂いていた。
 暗めの照明のいい感じのカフェスペース。
 カウンターと什器はビンテージ風オリジナル。
 そのテーブルに腰掛けてコーヒーを飲む。ああ、感慨深いわ~。
 大きな棚にこれからたっぷりグリーンが入る。奥様セレクトの本もね。

 あとはトイレの手すりを流木にするだけだ。
 ドアもオリジナル。奥様自作イラストから図面起こしたっけ。
 どんな物件も完成すると気持ちよかーー。

「ゆっくりされてくださいね。ちょっと本を仕入れに行ってきます」
「はい、どうも」

 奥さんは外に出て行った。

「先輩、先輩、ちょっと、ちょっと」

 辺りを見回して誰もいなくなったのを確かめて、楠原くんは急に身をかがめた。

「ーー楽チンなのはわかりますが、その格好やめた方がいいっすよ」
「え? どうして」

 私はきょとんと彼を見た。
 言いにくそうな複雑な表情で彼は続ける。

「先輩、そのシャツのボタンの間隔微妙にあいてるんですよ」
「え?」
「そのーー、下着チラ見えしちゃってますよ。気をつけたほうがいいです。男は俺だけじゃないすから。あとスキニーはやめて」
「ええ、気をつけなきゃ。ーーは? スキニー? どうして?」

 ストレッチスキニー。これほど楽な作業着はないのに。

「んーー、えと、言いにくいなあ、大事なとこ、ていうんですか? 角度によっては危険な見え方するんです。言っちゃうと、タイツ!タイツでダンスしてるのを想像してみてください! 現場、中年のオヤジだらけですからね。ーー先輩~、もっと男目線意識しましょうよ」

 そ、そんな。

「シャツじゃなくてTシャツの上にジャケット羽織るとか。ちょっとだけ気合い入れ直しましょうよ」

 まさかの楠原くんのアドバイスに、私は返す言葉も、考える力も失った。

 ーーえーそれじゃなにかい、今まで下半身タイツ姿でおっさんの間を走り回ってた?

 やば。

 私は自分の考えなさに愕然とした。

 いつかの岡地の言葉が頭をよぎる。

『女の子が女子力保つためにどれだけ努力してると思ってるのーー』

 そっか…。
 

 ふと目を落とすと、いつものシャツのボタン、確かに、間隔が広い。
 素肌がチラ見えしてるわ……。
 これに気がつかなかったなんて。
 いかに毎朝全身鏡チェックしてないかってことだ。

「男は見てるんですよ、女子と違う視点で」

 男目線、考えたことなかった。

 みんな気づいてたかな? 楠原くんが気付くくらいだから…やば!

 いや、もちろん、毎日この格好ってわけじゃないですけど。打合せ時には普通にスーツで行ってるし。


「先輩~、頑張ってくださいよ、応援してるんですからね」


 固まってしまった。
 後輩に指摘されるまでちーっとも気づかなかった。
 やばいわ……。



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