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バークレイ夫人はマリエルとデイビッドの結婚に反対だった。
バークレイ夫人は元は伯爵家のお嬢様で、騎士である夫が戦場に行くのが心配で堪らなかった。
バークレイ家は当主が騎士などしなくても領主経営で十分に生活していける。夫の生き様は変えられなくても、頭が良くて出来の良い息子は文官や領主として身を立てて欲しい。
そのためにはマリエルのようなおてんばな女の子より、楚々とした貴族の娘がいいのではと思った。
夫の親友の娘だし、別段マリエルを嫌っているわけではないが、それはそれだ。
今後はせめてバークレイ家の嫁らしく躾けるつもりだった。
なので、マリエルが騎士学校志望と聞いてバークレイ夫人は面白くない。
マリエルをバークレイ家に呼び、彼女は言った。
「こんなことではデイビッドと結婚させてはあげられませんよ」
バークレイ夫人の言葉にマリエルは目を輝かした。
「はい。婚約破棄ですか?」
隣で聞いていたデイビッドがあわてて叫んだ。
「婚約破棄なんてしない!」
「ええ?そう?」
『絶好のチャンスなのに』
でも、確か、二人の結婚はそれぞれの風よけの意味もある。
『今はデイビッドも婚約破棄はしたくても出来ないんだわ』
「分かった、そのうちね」
バークレイ夫人の心証はきっと最悪だ。
バークレイ家の嫁になるためにと、刺繍だの詩文だのをやらされたが、それも今後は騎士の勉強で忙しいと全部断った。
母親想いのデイビッドはバークレイ夫人のお眼鏡にかなった女の子と結婚するだろう。
『次のデイビッドの婚約者が決まるまでの辛抱よ。もう少しね、デイビッド』
しかしマリエルの予想を裏切り、一向にバークレイ家からは婚約破棄の打診はやって来なかった。
***
デイビッドの様子はその後も変わらない。
いや、王子様らしさに拍車が掛かった。
いついかなる時もマリエルが馬車から降りるとすっ飛んできて手を差し伸べてくれたり、荷物を持とうとしたり、ランチも一緒に食べたがる。
休日の誘いは父親経由でやって来た。
急に騎士になるなどと言い出したマリエルの分までフォローし、両家の親を心配掛けまいとするデイビッドの底なしの優しさには驚かされる。
マリエルはありがたくそれには乗ることにした。
学校ではこれまで通りに接した。
婚約解消まではマリエルもデイビッドの優しさの分、風よけとして役に立たねばならない。
月に一度だけはデイビッドに付き合ってデートもする。
デートの時のデイビッドはこの上なく優しい。
完璧にエスコートしてくれて、必ず花やリボンや良い匂いのするコロンなんかをプレゼントしてくれる。
だが、指先に口付けしたりするのは、反則だ。
「そこまでしなくてもいいわよ」
「僕らは婚約者じゃないか」
とデイビッドは言う。
こんなに紳士的なデイビッドは元々モテたが、最近は大モテにモテる。
「あなたみたいながさつな婚約者でデイビッド様が可哀想よ」
女子から呼び出されて因縁付けられることもしばしばだ。
『私もそう思うわ!』
内心思わず同意するマリエルだが、口では「そうですか。ですが私が彼の婚約者ですわ」なんてツンと言い返す。
立派な風よけぶりである。
「マリエル!」
どっから聞きつけるのか、あわててデイビッドがやって来て、マリエルを抱きしめ、
「君達、いい加減にしてくれないか、彼女を煩わすのは止めてくれ」
と女子生徒に言い放つ。
このビシッと婚約者に一途なところがデイビッドの人気の秘訣だ。
『まあ、そういう演技なんだけどね』
こんな生活もそろそろ終わりである。
マリエルはついに騎士学校に合格した。
バークレイ夫人は、騎士をデイビッドの嫁には認めまい。
三年も経ったのだから新しい婚約者も決まっただろう。
バークレイ家は一人息子のため、早く後継者が欲しいらしい。
「けじめだから、婚約解消の打診は我が家からしよう」
と父が言い、父と二人、マリエルは婚約解消をするためバークレイ家に向かった。
だが。
「我が家としてはこのまま婚約を続けて貰いたい」
とバークレイ卿は言った。
バークレイ夫人は複雑な顔だが、何も言わない。夫の意向に添うつもりらしい。
「しかし騎士になれば最短でも結婚は二十歳過ぎだ」
とマリエルの父が言う。
騎士学校の卒業は十八歳だが、騎士叙任を受けるのはそれから二年後。二十歳の時なのだ。
別段その前に妻を娶っていけない訳ではないが、大抵の騎士見習いは騎士叙任後にプロポーズする。
騎士になれば男としては一人前。給金も出るようになり、ささやかながら妻を養っていけるからだ。
バークレイ卿は頷いた。
「ああ、それで構わない。デイビッドも騎士学校に行く。デイビッドも騎士になる前に妻を娶る気はないから丁度いい」
マリエルは驚いて目を見張る。
「デイビッドも騎士学校に行くの?」
「うん」
とデイビッドは嬉しそうに頷いた。
「知らなかった」
「受かるかどうか分からなかったから恥ずかしくて言えなかったんだ」
とデイビッドは言った。
「剣の腕は正直まあまあってところだが、座学で合格した」
目を細めてそう言うバークレイ卿は息子が騎士の道を選んだことを喜んでいるようだ。
「ところでマリエルちゃんは、好きな子はいるのかい?」
とバークレイ卿が尋ねてくる。
「えっ、いませんよ」
マリエルは急に問われて驚いた。あわてて否定する。
バークレイ卿はにっこり微笑んだ。
「ああ、それは良かった。じゃあマリエルちゃん、婚約解消はしなくていいね」
「は、はあ……」
『しまった』
マリエルは後悔した。
驚きすぎて本当のことを言ってしまったが、ここで好きな男の子がいるって言えば、すんなり婚約解消出来たはずだ。
しかし、『嘘は良くないわね』と思い直す。
それに、マリエル本人は別に婚約解消したいわけではない。
婚約したままの方がマリエルにとっては都合がいい。
騎士学校では女子学生は少ない。婚約者がいない女子生徒を巡って様々なトラブルになるらしい。
今こそ風よけの婚約者が必要だった。
「デイビッドが婚約を続けてくれるなら安心だよ」
とマリエルの父もこれは悩みの種だったらしく、厳つい顔に笑みを浮かべる。
デイビッドは頭はいいし、騎士学校に入学出来る位は鍛えている。
くわえて性格も良く、誠実で温厚な人柄とクラスメイトからの評判もいい。
マリエルのことも婚約者として十分すぎる程尊重してくれている。
貴族学校では熱々カップル扱いだった。
だからこそ、マリエルは分からないのだ。
デイビッドとはずっと仲が良かった。
なのに本心では違った。
「親同士が勝手に決めた婚約さ。僕があいつのことを好きってわけじゃない」
十二歳で言われたあの言葉が今も小さなとげとなって心に刺さって抜けない。
「デイビッドはそれでいいの?」
マリエルはデイビッドに聞いた。
デイビッドは今日はずっと緊張していた様子だったが、マリエルに好きな人がいないと聞いてからは嬉しそうにニコニコしている。
「いいよ。僕はマリエルと結婚したい」
キッパリとデイビッドは言い切った。
その姿は嘘を言っているようには見えない。
だからますますマリエルは分からなくなる。
『デイビッドは本当はどう思っているんだろう?』
マリエルはデイビッドから一度も好きとは言われたことはない。
もし、「好き」と言われたら、「嘘つき」な彼は嫌いになれただろう。
だけどデイビッドはただ優しいマリエルの婚約者なので、二人は宙ぶらりんのまま仲の良い婚約者を演じ続けていた。
バークレイ夫人は元は伯爵家のお嬢様で、騎士である夫が戦場に行くのが心配で堪らなかった。
バークレイ家は当主が騎士などしなくても領主経営で十分に生活していける。夫の生き様は変えられなくても、頭が良くて出来の良い息子は文官や領主として身を立てて欲しい。
そのためにはマリエルのようなおてんばな女の子より、楚々とした貴族の娘がいいのではと思った。
夫の親友の娘だし、別段マリエルを嫌っているわけではないが、それはそれだ。
今後はせめてバークレイ家の嫁らしく躾けるつもりだった。
なので、マリエルが騎士学校志望と聞いてバークレイ夫人は面白くない。
マリエルをバークレイ家に呼び、彼女は言った。
「こんなことではデイビッドと結婚させてはあげられませんよ」
バークレイ夫人の言葉にマリエルは目を輝かした。
「はい。婚約破棄ですか?」
隣で聞いていたデイビッドがあわてて叫んだ。
「婚約破棄なんてしない!」
「ええ?そう?」
『絶好のチャンスなのに』
でも、確か、二人の結婚はそれぞれの風よけの意味もある。
『今はデイビッドも婚約破棄はしたくても出来ないんだわ』
「分かった、そのうちね」
バークレイ夫人の心証はきっと最悪だ。
バークレイ家の嫁になるためにと、刺繍だの詩文だのをやらされたが、それも今後は騎士の勉強で忙しいと全部断った。
母親想いのデイビッドはバークレイ夫人のお眼鏡にかなった女の子と結婚するだろう。
『次のデイビッドの婚約者が決まるまでの辛抱よ。もう少しね、デイビッド』
しかしマリエルの予想を裏切り、一向にバークレイ家からは婚約破棄の打診はやって来なかった。
***
デイビッドの様子はその後も変わらない。
いや、王子様らしさに拍車が掛かった。
いついかなる時もマリエルが馬車から降りるとすっ飛んできて手を差し伸べてくれたり、荷物を持とうとしたり、ランチも一緒に食べたがる。
休日の誘いは父親経由でやって来た。
急に騎士になるなどと言い出したマリエルの分までフォローし、両家の親を心配掛けまいとするデイビッドの底なしの優しさには驚かされる。
マリエルはありがたくそれには乗ることにした。
学校ではこれまで通りに接した。
婚約解消まではマリエルもデイビッドの優しさの分、風よけとして役に立たねばならない。
月に一度だけはデイビッドに付き合ってデートもする。
デートの時のデイビッドはこの上なく優しい。
完璧にエスコートしてくれて、必ず花やリボンや良い匂いのするコロンなんかをプレゼントしてくれる。
だが、指先に口付けしたりするのは、反則だ。
「そこまでしなくてもいいわよ」
「僕らは婚約者じゃないか」
とデイビッドは言う。
こんなに紳士的なデイビッドは元々モテたが、最近は大モテにモテる。
「あなたみたいながさつな婚約者でデイビッド様が可哀想よ」
女子から呼び出されて因縁付けられることもしばしばだ。
『私もそう思うわ!』
内心思わず同意するマリエルだが、口では「そうですか。ですが私が彼の婚約者ですわ」なんてツンと言い返す。
立派な風よけぶりである。
「マリエル!」
どっから聞きつけるのか、あわててデイビッドがやって来て、マリエルを抱きしめ、
「君達、いい加減にしてくれないか、彼女を煩わすのは止めてくれ」
と女子生徒に言い放つ。
このビシッと婚約者に一途なところがデイビッドの人気の秘訣だ。
『まあ、そういう演技なんだけどね』
こんな生活もそろそろ終わりである。
マリエルはついに騎士学校に合格した。
バークレイ夫人は、騎士をデイビッドの嫁には認めまい。
三年も経ったのだから新しい婚約者も決まっただろう。
バークレイ家は一人息子のため、早く後継者が欲しいらしい。
「けじめだから、婚約解消の打診は我が家からしよう」
と父が言い、父と二人、マリエルは婚約解消をするためバークレイ家に向かった。
だが。
「我が家としてはこのまま婚約を続けて貰いたい」
とバークレイ卿は言った。
バークレイ夫人は複雑な顔だが、何も言わない。夫の意向に添うつもりらしい。
「しかし騎士になれば最短でも結婚は二十歳過ぎだ」
とマリエルの父が言う。
騎士学校の卒業は十八歳だが、騎士叙任を受けるのはそれから二年後。二十歳の時なのだ。
別段その前に妻を娶っていけない訳ではないが、大抵の騎士見習いは騎士叙任後にプロポーズする。
騎士になれば男としては一人前。給金も出るようになり、ささやかながら妻を養っていけるからだ。
バークレイ卿は頷いた。
「ああ、それで構わない。デイビッドも騎士学校に行く。デイビッドも騎士になる前に妻を娶る気はないから丁度いい」
マリエルは驚いて目を見張る。
「デイビッドも騎士学校に行くの?」
「うん」
とデイビッドは嬉しそうに頷いた。
「知らなかった」
「受かるかどうか分からなかったから恥ずかしくて言えなかったんだ」
とデイビッドは言った。
「剣の腕は正直まあまあってところだが、座学で合格した」
目を細めてそう言うバークレイ卿は息子が騎士の道を選んだことを喜んでいるようだ。
「ところでマリエルちゃんは、好きな子はいるのかい?」
とバークレイ卿が尋ねてくる。
「えっ、いませんよ」
マリエルは急に問われて驚いた。あわてて否定する。
バークレイ卿はにっこり微笑んだ。
「ああ、それは良かった。じゃあマリエルちゃん、婚約解消はしなくていいね」
「は、はあ……」
『しまった』
マリエルは後悔した。
驚きすぎて本当のことを言ってしまったが、ここで好きな男の子がいるって言えば、すんなり婚約解消出来たはずだ。
しかし、『嘘は良くないわね』と思い直す。
それに、マリエル本人は別に婚約解消したいわけではない。
婚約したままの方がマリエルにとっては都合がいい。
騎士学校では女子学生は少ない。婚約者がいない女子生徒を巡って様々なトラブルになるらしい。
今こそ風よけの婚約者が必要だった。
「デイビッドが婚約を続けてくれるなら安心だよ」
とマリエルの父もこれは悩みの種だったらしく、厳つい顔に笑みを浮かべる。
デイビッドは頭はいいし、騎士学校に入学出来る位は鍛えている。
くわえて性格も良く、誠実で温厚な人柄とクラスメイトからの評判もいい。
マリエルのことも婚約者として十分すぎる程尊重してくれている。
貴族学校では熱々カップル扱いだった。
だからこそ、マリエルは分からないのだ。
デイビッドとはずっと仲が良かった。
なのに本心では違った。
「親同士が勝手に決めた婚約さ。僕があいつのことを好きってわけじゃない」
十二歳で言われたあの言葉が今も小さなとげとなって心に刺さって抜けない。
「デイビッドはそれでいいの?」
マリエルはデイビッドに聞いた。
デイビッドは今日はずっと緊張していた様子だったが、マリエルに好きな人がいないと聞いてからは嬉しそうにニコニコしている。
「いいよ。僕はマリエルと結婚したい」
キッパリとデイビッドは言い切った。
その姿は嘘を言っているようには見えない。
だからますますマリエルは分からなくなる。
『デイビッドは本当はどう思っているんだろう?』
マリエルはデイビッドから一度も好きとは言われたことはない。
もし、「好き」と言われたら、「嘘つき」な彼は嫌いになれただろう。
だけどデイビッドはただ優しいマリエルの婚約者なので、二人は宙ぶらりんのまま仲の良い婚約者を演じ続けていた。
応援ありがとうございます!
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