二つの世界、六つの瞳

buri

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第一章

2話 死か、それとも地獄か

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 「選べ」

 びしり。
 地を震わせ、誰かが問う。

 「死か、それとも地獄か」

 薄く曇ったフィルターを脳みそに貼り付けられたような。
 そんなはっきりしない思考。

 朝か夜か。

 それすらも分からないくらい、もやもやと宙を漂っているかのような感覚。

 「選べ」

 繰り返し。
 淡々と。

 地の底から這い出てきたような、低く、それでいてはっきりと聞こえる声で問うてくる誰か。

 大型の肉食獣か?
 そう錯覚するほど、腹に響く音の波。

 「え……?」

 ぽろり。
 口から漏れた、小さな声。

 声の主に応えねば。
 理性はそう言う。

 でも、身体はそれに従わない。

 「赤?」

 口を衝いたのは返事ではなかった。
 目の記憶をなぞっただけ。

 赤と言っても、インクではない。

 あの酔うような、工業的な匂いではなく、鉄と生臭さの混ざった有機的な匂い。

 それでいて、暗闇に鈍く光る赤み。

 ぴちょん。

 どこかで雫が垂れる音が響いた。

 「え……?」

 ちっぽけな脳みそが、一瞬で真っ白になった。

 「え?え……!?」

 これは、夢だ。
 否定したいと、言葉は回る。

 しかし、俺の鼻は、目は感じている。
 これは“本物”だと。

 落ち着け。
 馬鹿になった脳みそがひたすらに同じ指令を出す。

 はぁ、はぁ、はぁ。
 荒い呼吸、渦を巻く思考。

 視線を彷徨わせてみても、広がる光景は水底のような闇でーーそれは、一切記憶に引っかかってこない未知の場所。

 どうやってこんなところに来たのか。
 それすらも心あたりがない。

 「なぜ……」

 渦の中で未だ回る俺は、老人のような掠れた声を垂れ流した。

 「でも、たしかに……」

 あそこを歩いていた。
 いつも通ったあの道を。
 忘れるわけがない。

 真夏の横断歩道の、アスファルトの熱さも。
 あの感触はまだ、蒸れた靴下の気持ち悪さと共に残っている。

 ーーって、あれ?そこから先は?

 『ない?』

 この場所に来た経緯を思い出すために必死に記憶を辿ってみる。
 が、なぜか無事に自分の家に帰ったという記憶が、すっぽりと抜け落ちたように残っていなかった。

 そんなはずは……

 否定しようとも、その否定すらも空白の記憶に否定される。

 『俺はどうなったんだよ!?』

 誰か説明してくれ。
 そう大声で叫びたいくらいだった。

 でも、本当にないのか?

 気持ち悪さはある。
 あまりに綺麗すぎる欠如だから。

 『じゃあ、もう一度だけ』

 答えが欲しい俺は、記憶の奥へと潜り込んでいくことにした。

 「ふぅ……」

 大きめに一息吐き出し、目を閉じる。

 すぅ……。

 集中して、内に意識を集める。

 すると。

 「いたっ!!」

 ブレーカーが作動したように、
 ばちりとアクセスを遮断される感覚。

 『知りたい』

 それでも、俺は進む。
 塗りつぶされた、空白の記憶の中を。

 ピカッ。

 そしてついにーー何もないと思っていたそこに、一条の光が差す。

 『やった……!』

 歓喜しようとしたのも束の間。

 ぱっ!っと画面が切り替わると、目の前には尋常でないスピードで迫る車のヘッドライト。

 『え?え!?やめろ!!くるな!!!』

 視界という画面いっぱいに、急に現れた鉄の塊。
 それを避けるほどの身体能力や、機転なんてない。

 ゴギリッ。

 首から響いた嫌な音。
 真っ赤に染まる視界と、痛みの中を転がる身体。

 それは強烈な光でフィルムに画像を焼き付けたようにーー俺の脳裏にこびり付いていた。

 「ゔゔおぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 最悪のシーンに、暴力的な吐き気。

 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 なんとか胃にあるものを吐かずに留めたが、気分は最悪だ。
 頭もズキズキと痛む。

 死んだのか、俺?

 「冗談だと言ってくれ!!!」

 声を張り上げた。

 当然そんなことをしても現状が変わるでもない。
 深海にいるかのような暗く冷たい空間に、虚しく反響するだけ。

 「聞こえているはずだ。選べ。死か地獄か」

 そんななか、男は繰り返す。

 目の前で血相を変えて急にえずき、叫び出した俺の様子を見ても、表情を全く変えはしない。

 地を震わせる声。

 それは、まるでこの広いホールのような暗い空間自体が、俺に語りかけているようだった。

 あの岩のような身体から出てるのか?

 膨大なエネルギーを人という箱に詰め込んだような、はち切れんばかりの筋肉の塊。  
 言葉は圧力となって、俺を殴る。

 「うっ……うくっ!なんで?急になんなんですか!?そ、それ以外は?それ以外は選べないんですか?」
 「ない」

 いまだに口の中に残る気持ち悪さと吐き気を抑え、なんとか腹に力を込めて発した言葉に、即座の否定。

 底かと思って振り返ったら、さらに暗い闇があった。

 「マジかよ……」

 相手が冗談を言っているようには聞こえない。
 それは彼の表情を見ればわかってしまった。

 ーー逃げるか?

 そうも思って身体を動かそうとするも、さっきから手足は磔にされたように、微塵も動かすことができない。

 動くのは首と、目と、口のみ。

 男が何かをしたのか?
 それが分かりもしないし、たとえ分かったとしても解決策もない。

 「あぁぁ……」

 どうしようもないこの状況に、胃から搾り出すようなーー喘ぐような声が口から漏れ、目を瞑る。

 なぜ、また死ななければならない?
 心の中に答えはない。

 未だここがどこかも分からなければ、なぜこんな状況かも分からない。
 でも、ただひとつ言えるとすれば。

 今俺が立っているのは、罪人を裁く台の上だということ。

 それも最悪級の罪人を。

 そして、今もすぐそばで俺を射抜くような視線で見据えている、目の前の岩男は死刑執行人だろう。

 彼の顔には、地面に広がる血の海と同じ色の返り血がべっとりと貼り付き、跡のまざまざと残るこの場を前にして、全く気にした様子もないのだから。

 「選べ。選ばぬ者は死あるのみ」

 まごつく俺に飛んでくる容赦のない男の声。

 選べるのは死。
 もう一つは地獄。
 逃げ道はない。

 急かす男に反論したかったが、そんな事をすれば、奴の背中に背負った大剣の錆にされる。
 直感がそう言っている。

 「じ、じご………」
 「ギャハハハハハハハハ!!!終わり、終わりなんだ!俺もお前もぉぉぉ!死ぬのは怖えぇぇ!!!が、だけは勘弁だ!ギャハ、ギャハハハハハ!!!」

 『地獄』

 死ぬよりかはいいか。

 そう思って言葉にしようとしたところで、後ろから狂ったような喚き声が背中に浴びせられた。

 彼の存在には今の今まで気づかなかったが、後ろを振り返れば、痩せぎすの人相の悪い男が屈強な兵士に抑えられながらこちらを指差していたのだ。

 血走ったその目はこちらを見ているようでありながら、忙しそうに宙を彷徨っている。
 およそ普通の精神状態ではなさそうだが、それでも彼は気になる事を口にしていた。

 ーーあの監獄?
 それが男の言う地獄のことなのか。

 どうやら俺の次に裁かれる予定の彼は、口ぶりからすれば死を選ぶらしい。

 「…………………」

 ーー死ぬより、辛い?
 でも、そうならば、目の前にできた先行者のものと思われる血溜まりにも説明がつく。

 地獄と呼ばれる監獄ではなく、死を。

 ……………………。

 ぶるっ。
 身体が震えた。

 「選べ」

 さらに低い声。

 ずしり。
 見えない圧は、身体を軋ませる。

 「しし、しし、ししししし……」
 「死か?」

 死を、と音にしようとした口が震え、やがて止まる。

 ーー待て。

 あの衝撃、あの痛み、あの苦しみ。
 死の暗闇。

 もう一回あれを味わうのか?

 そう自分に問うと、吐きそうになるほどの不快感がよみがえり、それを押し留めようとしてまた黙ってしまう。

 早く。
 早く応えなければ。

 答えを急かす脳みそ。
 でも、恐怖と言う言葉が深く刻まれた俺の魂は、決定的なニ音を紡ぐ事を拒否する。

 「答えねば、今切る」

 ジャギリ。
 背中に背負った大剣に手をやる。

 たったそれだけで、死神が横で囁いたような気がした。

 「ひぃぅぅぅっ!」

 岩男のその威圧に、反射的に引き攣った声が口から漏れてしまう。

 死にたくない!

 目を見開き、鼻息が荒れる。 

 脳みそはゆだり、揺れる視界の中で出した答え。

 理性的であろうとする脳は、否定の言葉もなげる。
 しかし、生きるには進まねばならなかった。

 「じ……」
 「……」

 俺の口に視線が注がれる。
 そしてーー

 「地獄!地獄でお願いします!!!」

 死でなければ地獄。
 自分でも何を言っているか分からない。

 地獄は怖い。
 死ぬのと同等の苦しみを味わう事になるのかも知れない。

 それでも、自分という命を繋ぐことができる僅かな可能性かも知れない。

 それでも、爪の先ほどでも希望を繋げられるならば。

 諦めるのは早い。
 それが俺の出した結論だった。

 「地獄、か」
 「は、はい……」

 俺の言葉に険しい表情のままの岩男。
 と思っていると、彼は不意に口角を上げ、笑みのようなものを浮かべた。

 にやり。

 ーーえ?

 無表情で無感情。
 そう映っていた男が、今のこのタイミングに急に感情を表したことに、急激に恐怖が沸き起こってきた。

 「決は下された。これは地獄へ」

 そう言った時にはもうさっきと同じ無表情で、人を物のように言いながら指示を出す岩男。

 「ちょっ……」

 思わずそちらに向けてすがるように手を伸ばすが、時すでに遅し。

 賽は投げられたのだ。

 もとから俺に興味は無かったのだろうが、処理済みとでも言うように痩せぎすの男に顔を向ける岩男。
 その瞳は冷たく、圧は役目を終えたように消えた。

 それを見て、俺は一度ぐっと瞼を閉じると、「来い」と感情もなく促す兵士に連れられていった。

 ぴちょん。

 溢れた雫が、静かに背後で鳴った。
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