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四
しおりを挟む森に入ってすぐの木陰で木内直子が一人、隠れるように座って読書をしていた。
「あ」
今日はまだ挨拶程度しかしていない龍は、昆虫採集の前に足取り軽く直子の元へ向かった。
昔はよく宏保と直子に遊んでもらったが、宏保も直子も中学高校と上がる度に遊ぶことも会話をすることも減ってしまった。宏保はまだ同性だから相談もしやすいが、直子は大人しいし物静かで多くを語らないから自然と会う機会も減っていった。
「直子お姉ちゃん」
いつもの調子で呼ぶと、直子はやや驚いた表情をして見上げてきた。
「龍君、どうしたの?」
直子の隣に座る。
「何読んでるの?」
「太宰治の人間失格よ」
直子は読書家だ。
必ず難しそうな本を持っている。
黒髪を肩の下まで伸ばし、細身の身体はそもすれば病的にも見える。が、本人は至って健康だ。
「俺、読書感想文まだなんだよね。お薦めの本ある?」
話す口実は基本的に本のこと。
そうでなければ多分直子から話し掛けてくることもないし、年齢もそこそこ離れているから共通の話題もない。
明美や悟志と話せなくても全く困らないが、直子は別だ。こちらから近付かないとどんどん離れて消えてしまいそうな雰囲気が直子にはある。
だから龍は、直子が消えないように話し掛けなければならない。
「去年は何を書いたの?」
「んとね、作者忘れちゃったけど、十五少年……漂流記ってやつだったかな。読んだけど、なんかよく分かんなくて内容も忘れちゃった」
「ふふふ、龍君らしいね。それじゃ――」
今手にしている本を閉じた。
閉じて龍に差し出す。
「え?」
「これ、あげる。ジュール・ヴェルヌより難しいかもしれないけど」
クスクスと笑いながら押し付けられた。
「ジ、ジュール? え?」
「十五少年漂流記の作者よ」
太宰治の『人間失格』は聞いたことがあるが、どんな内容かは知らない。確か同じ太宰治の作品で『走れメロス』が国語の教科書の後ろの方に載っているのを見たことがあるが、しっかりと読んだことはなかった。
龍は国語が苦手だ。
教科書を開くのも嫌な程。
ピンクのチェック柄のカバーがされた薄い本。見た目は薄いからすぐに読み終わりそうだが、受け取ってパラパラページを捲って驚いた。
ページの周囲は茶色く焼けていて、年代物のようだ。
文字も小さくて、学校で教わっていない難しい漢字に振り仮名もない。これは確実に読むのに時間掛かるし――場合によっては読了を諦めてしまう可能性もある。
「直子お姉ちゃんが読むの無くなっちゃうからいいよ」
臆した龍がページを閉じて返そうとしたが、直子は首を振って「あげる」と云った。
「もう何回も読んでるからあげる。それに、他にも本持って来てるしね」
「それじゃ、読み終わったらちゃんと返すね」
「ううん、いいよ。龍君にあげる。今は難しくて読めないかもしれないけど、もう少し大人になったらまた読んでみて」
はあ、と受け取るしかなかった。
「ありがと。感想文書けるように頑張るよ。そうだ、今日は俺今から昆虫捕りに行くから無理だけどさ、明日一緒に遊ぼうよ」
何年も遊んでいない。
それに折角北海道のキャンプ地まで来たのに読書だけで終わらすのは、龍から見て非常に勿体無い気がする。
「そうね。龍君とあやめちゃんと暫く遊んでないものね」
何が可笑しいのか、直子は口元に手を置いてクスクス控えめに笑った。
妹のあやめと幼馴染みの凛子は一緒にいる筈だ。二人の今日の予定がどうなっているのかは龍は知らないが、折角だから直子も二人に混ざれば良い――そう思った龍は凛子達はコテージにいることを告げた。
「龍君、ありがとう」
頭を撫でられてしまった。
「――……」
子供扱いされて複雑だ。
実際まだ小学生だけどさ――大人と対等にとは云わないが、直子にはもっと別の見方をして欲しい。小学生と高校生じゃ、簡単なことではないことを龍は分かっているけど。直子が小学生の時からのご近所さん同士で遊び仲間でもあったのだ。
「直子ちゃん、お待たせ」
宏保が来た。
「あ、龍もいたのか」
宏保は恥ずかしいのを隠すように頬を軽く掻いて苦笑した。
「龍君、今から昆虫採取なんですって」
「ああ、うん。知ってるよ。さっきまで一緒にいたからな」
「お、俺、もう行くね!」
慌てて龍は立ち上がって森に入った。
胸がドキドキする。
龍は知らない動悸に驚きながら胸を押さえ、チラリと今いた場所を振り返ると、宏保の他に弟の悟志と細川姉妹の明美と智子が直子を囲むように集まっていた。
「不思議な光景だな」素直に思った。
てっきりさっきので龍は直子と宏保が付き合っているのだと早合点してしまったが、真面目で大人しい二人の周りに満面の笑顔をしている悟志と明美と智子。
ここからでは会話はさすがに聞こえないが、様子から察するに話は弾んでいるようだ。
「そうだよな。今はあんな頭悪そうな格好してるけど、昔は俺もお世話になってたんだし」
よくよく見れば明美と智子はこんな山と森に囲まれた場所で、底の随分高いサンダルを履いている。
悟志とは宏保と共に龍は遊んでもらっていたし、あやめは明美と智子と一緒に女の子らしいお人形遊びや、時折龍達を巻き込んでおままごとで遊んだ記憶もある。
そんな数年で性格が変わるものではない。
「考え過ぎか」
変な勘繰りをしてしまった龍は自分に失笑して改めて森に入って行った。
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