5 / 53
5
しおりを挟むヴァーガリア領の街、ヤハラ。人々が行き交うその街は、暖かみのある淡い光が昼間でもポツポツと灯っていた。
誰もが厚手のコートや毛皮に身を包み、時折空からは雪もちらつく。楽しげに談笑する人たちの後ろには、ホットワインが売られていたり、その屋台の周りでは串肉に舌鼓を打つ人々もいた。
そして空を見上げると、いたるところに伸びている煙突から白い煙も上がっている。
だが、その薄く漂う煙の向こうに対照的な赤い光が見えていた。
地獄の陥没地──活火山で常にマグマが表層に出ており、上部の陥没地に溜まっているような状況だった。いつ大規模な噴火が起きてもおかしくない。
だが、ヤハラは心配ないとバルトネルが言う。
「この地は代々、領主様がお守りくださいます。年に一度の祭事で加護能力である氷華をお使いになるのです」
にこりと笑って、ソラティスを見る。今日は街歩き用に刺繍の入った厚手のコートに身を包んでいる。その彼は引き継ぐように言った。
「氷華は、舞いによって街を護る加護を得る力だ。家を受け継ぐときにその力も委譲される。幼いときは体を動かしたくなくて苦労した」
そう笑うソラティスに、ラシーヌも「少しわかる気がします」と柔らかく笑い返した。「これだけ寒いと身体が動きませんもの」と続け、応えるように彼は頷いた。
「そうだな。君の服ももう何着か仕立てなければ」
「えっ?! いえ! 私はこちらをいただけただけで十分ですから!」
慌てて首を振る彼女は今、用意された白いコートに身を包んでいる。それが編み込んだ若草色の髪に似合っていた。まだやせ細った体に、そのコートは大きく見えるが、それでも「お気持ちだけで嬉しいです」と、ほころぶ笑みには血色の良さが戻っているようだ。
そんなラシーヌの後ろで、カナンが静かにそっと瞼を伏せた。
先日、婚姻したばかりの二人だが、花嫁は替え玉だった。通常であれば追い返されてもおかしくはない。しかし、ラシーヌたちの意に反して、その事実が領主邸の人々に知らされることはなかった。
当人たちと、ラシーヌの侍女カナン。そしてソラティスの側近であるバルトネルだけの秘密。
だがそうなると、当然邸の中では祝いの言葉で溢れることになる。結婚適齢期を過ぎた領主の明るい話に、何の疑いもなく喜ぶ邸の者たち。ラシーヌは声をかけられるたび、身を縮ませ恐縮する。それを見かねたバルトネルが今回、領地を案内することを提案した。
そうして領主邸を出て街を巡り、市場を抜ける。大きな橋に差し掛かるころ、彼らを先導していたバルトネルが、目的の店を見つけて振り返った。
「そろそろどうでしょう。皆さんお疲れではありませんか? おやおや~?! あんなところに食事処が!」
どこか芝居がかった言い方に、ソラティスがフッと笑みを作り「先に行くぞ」と横をすり抜ける。ラシーヌもクスクス笑いながら「楽しみです」と返し、カナンは眉一つ動かさないまま二人についていった。
一拍遅れてバルトネルは焦りながら、「置いてかないでくださいっ!」と追いかけた。
橋の先に建つ二階建ての食事処。白鳥の看板が目立ち、スワンと書かれている。
ウエルカムベルを鳴らして中に入ると、庶民的な食事処であるエールハウスと同じような造りをしていた。比較的広さがあり、二階は個室になっている。
バルトネルが店員に話を通して、四人は二階へと案内される。
壁で区切られた個室がいくつかあるが、全て扉はない。店員が行き来しやすくされているようだった。
廊下を進んでいくと賑やかな部屋の前を通る。まだ昼間だというのにずいぶん飲んでいるらしい。部屋の男たちの顔は赤らんでいる。
通りがかったラシーヌとカナンを見て、男の一人がヒュウッと口笛を鳴らした。
「いい女連れてるなあ。一人貸してくれやしないかい?」
「お前に必要なのは水だろう。後悔したくなければ、さっさと飲んでおけ」
そう返して、ソラティスがさりげなくラシーヌの腰を抱き寄せた。「なんだとっ!」と騒ぎ立てる男に、バルトネルが苦笑しながら、人差し指を立てると「今すぐ黙って水でも飲んでくださいね」と続ける。そして、通りがかった店員になにやら耳打ちした。
すぐさま慌てた様子で店員がその部屋に入っていく。バルトネルは「行きましょう」とまた歩き出す。だがその間際、他の男性からカナンが見えないように隣へ移動し進むことを促した。
少しして、突き当りの部屋が見えてくる。確かめるようにバルトネルへソラティスが声をかけた。
「この部屋でいいのか?」
その問いに「ええ」と返ってくる。そのまま彼は中に入っていった。
「この部屋で間違いありませんね。どこも問題なさそうです。では皆さまどうぞ」
ざっと確認した後、その場で軽く片手を動かし近くのソファを示す。ソラティスが、ラシーヌをエスコートしながら中に行く。
部屋の中はそれなりに広く、厚めのガラスがはまった大きな窓と、間接照明のランプがいくつか置いてある。中央にはソファとローテーブル。窓際にも椅子とテーブルがある。反対の廊下側にも一対の椅子とテーブルがあった。
景色の見える方にラシーヌを連れてソラティスが向かう。バルトネルに声をかけられ、立ったまま控えていたカナンは一度渋ったものの廊下側の椅子へと座った。
その後、頃合いを見計らって店員が注文を聞きに来る。
バルトネルが簡単にメニューを決めて伝えた。
店員がいなくなると、窓から景色を見ていたラシーヌが「屋根が……」と呟いた。同じように窓の外を覗き込んだソラティスが首を傾けて口を開く。緩く一つに結んだ髪が肩口に流れた。
「普段は積もるほど雪は降らないんだ。だからあまり見られない景色なんだが……今日は精霊の加護が強いようだ」
「それでうっすら白くなってるんですね。皇都では雪が降ること自体少なかったので驚きました」
再び窓に指先をつけて、外へ視線を向ける。煙突からのぼる煙の隙間を、わずかに差し込んだ日差しが屋根の雪に反射して輝いている。
ソラティスは「そうか」と表情を和らげた。
「加護を得た翌日は最も雪が降る。今日の比ではないさ」
「それは一度見てみたいですね」
ふふっと笑って、間を置いてハッとした。ラシーヌは小さく「ごめんなさい」と続ける。
「軽率なことを……失礼しました」
ソラティスの『レイア嬢を妻に』という言葉を思い出して謝罪した。自分はあくまで偽りの妻だ。その加護を見る日に共にいるとは限らない。俯きがちになるラシーヌへ、ソラティスも「いや、俺も悪かった」と短く返した。
ほどなくして料理が運ばれる。様子を窺っていたバルトネルが「とりあえず食事にしましょう」と話に入った。
42
あなたにおすすめの小説
政略結婚のはずでしたが、黒の公爵に「君を愛するつもりしかない」と言われました。
ちよこ
恋愛
没落寸前のエーデル伯爵家の令嬢ルイーズは、この国最大の権勢を誇る黒の公爵エルハルトと政略婚を結ぶことになった。
釣り合わない縁談に社交界はざわめいたが、ルイーズは「家同士の利害が一致した取引に過ぎない」と割り切っていた。
ところが初夜、公爵は開口一番こう言った。
「私は君を愛するつもりしかない」
政略婚のつもりでいた令嬢と、最初から決めていた公爵の、少し不器用な初夜の話。
【完結】付き合ってもいないのに、幼なじみの佐藤がプロポーズしてきた
ぽぽよ
恋愛
「俺らさ、結婚しない?」
三十二歳、独身同士。
幼なじみの佐藤が、たこ焼きパーティの最中に突然言い出した。
付き合ってもないのに。
夢見てた甘いプロポーズじゃないけれど、佐藤となら居心地いいし、給料もあるし、嫁姑問題もないし、性格も知ってる。
断る理由が、ない。
こうして、交際0日で結婚することが決まった。
「とりあえず同棲すっか」
軽いノリで決まってゆく未来。
ゆるっとだらっと流れていく物語。
※本編は全7話。
※スパダリは一人もいません笑
婚活をがんばる枯葉令嬢は薔薇狼の執着にきづかない~なんで溺愛されてるの!?~
白井
恋愛
「我が伯爵家に貴様は相応しくない! 婚約は解消させてもらう」
枯葉のような地味な容姿が原因で家族から疎まれ、婚約者を姉に奪われたステラ。
土下座を強要され自分が悪いと納得しようとしたその時、謎の美形が跪いて手に口づけをする。
「美しき我が光……。やっと、お会いできましたね」
あなた誰!?
やたら綺麗な怪しい男から逃げようとするが、彼の執着は枯葉令嬢ステラの想像以上だった!
虐げられていた令嬢が男の正体を知り、幸せになる話。
【完結】モブ令嬢としてひっそり生きたいのに、腹黒公爵に気に入られました
22時完結
恋愛
貴族の家に生まれたものの、特別な才能もなく、家の中でも空気のような存在だったセシリア。
華やかな社交界には興味もないし、政略結婚の道具にされるのも嫌。だからこそ、目立たず、慎ましく生きるのが一番——。
そう思っていたのに、なぜか冷酷無比と名高いディートハルト公爵に目をつけられてしまった!?
「……なぜ私なんですか?」
「君は実に興味深い。そんなふうにおとなしくしていると、余計に手を伸ばしたくなる」
ーーそんなこと言われても困ります!
目立たずモブとして生きたいのに、公爵様はなぜか私を執拗に追いかけてくる。
しかも、いつの間にか甘やかされ、独占欲丸出しで迫られる日々……!?
「君は俺のものだ。他の誰にも渡すつもりはない」
逃げても逃げても追いかけてくる腹黒公爵様から、私は無事にモブ人生を送れるのでしょうか……!?
五周目の王女様
輝
恋愛
「私、今度はどうやって殺されるの?」
バザロス国へ嫁ぐことになった王女ジゼルは、数度の死に戻りの記憶を持っていた。 1度目は毒殺、2度目は即死、3度目は逃亡先での裏切り。どう足掻いても結婚初夜を越えられず死に戻る運命に私の心はクタクタだった。
今世の夫も「冷酷皇帝」と恐れられる皇帝レオポルド。
実は彼もまた孤独に戦い、ループする人生から脱出を図ろうする一人。
夫婦がようやく絡まりだす4度目の死に戻り。
どうやら今世は他に女がいる皇帝は全く私に見向きもしない……と思っていたら、誰にも見つからずに私に会いに来るんですが?
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。
雨宮羽那
恋愛
侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。
(私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。
しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。
絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。
彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――?
◇◇◇◇
※全5話
※AI不使用です。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。
突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。
橘ハルシ
恋愛
ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!
リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。
怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。
しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。
全21話(本編20話+番外編1話)です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる