溺愛契約 ~替え玉でも愛されますか?~

翠月るるな

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 ヴァーガリア領の街、ヤハラ。人々が行き交うその街は、暖かみのある淡い光が昼間でもポツポツと灯っている。

 誰もが厚手のコートや毛皮に身を包み、時折空からは雪もちらつく。楽しげに談笑する人たちの後ろには、ホットワインが売られていたり、その屋台の周りでは串肉に舌鼓を打っていた。

 そこかしこの煙突からは白い煙も上がっている。

 だが、その薄く伸びる煙の向こうに対照的な赤い光が見える。

 地獄の陥没地エルプシオン──活火山で常にマグマが表層に出ており、上部の陥没地に溜まっているような状況だった。いつ大規模な噴火が起きてもおかしくない。

 だが、ヤハラは心配ないとバルトネルが言った。

「この地は代々、領主様がお守りくださいます。年に一度の祭事で加護能力である氷華ひょうかをお使いになります」

 にこりと笑って、ソラティスを見る。今日は街歩きように刺繍の入った厚手のコートに身を包んでいる。その彼は引き継ぐように言った。

「氷華は、舞いによって街を護る加護を得る力だ。家を受け継ぐときにその力も委譲される。幼いときは体を動かしたくなくて苦労した」

 そう笑うソラティスに、ラシーヌも「少しわかる気がします」と柔らかく笑い返した。用意された白いコートが編み込んだ若草色の髪に似合っていた。その後ろでカナンが静かに瞼を伏せる。

 昨日、婚姻したばかりの二人だが、花嫁が替え玉だったことは領主邸の誰にも知らされることはなかった。ただラシーヌの連れてきた侍女のカナンと、ソラティスの側近であるバルトネルだけが、その事実を知っている。

 そして何の疑いもなく祝いの言葉を投げかける邸の者たちに、身を縮ませ恐縮するラシーヌを見かねてバルトネルが領地を案内することを提案した。

 そうして領主邸を出て街を巡り、市場に差し掛かる。途中で馬車を降りた彼らは徒歩で橋を渡り、ある店にたどり着く。

 そこは庶民的な食事処であるエールハウスの一つで、白鳥の看板が目立つスワンという店だった。比較的広さがあり、二階は個室になっている。

 バルトネルが話を通して、四人は二階に上がった。

 壁で区切られた個室だが、扉はない。店員が行き来しやすくされているようだ。

 廊下を進んでいくと賑やかな部屋の前を通る。まだ昼間だというのにずいぶん飲んでいるらしい。部屋の男たちの顔は赤らんでいる。
 
 通りがかったラシーヌとカナンを見て、男の一人がヒュウッと声を鳴らした。

 直後、ソラティスが緋色の目をスッと細める。ラシーヌの腰を抱く姿を見て、バルトネルは苦笑しながら、さりげなくカナンが見えないように隣に移動した。

「この部屋でいいのか?」

 ソラティスが聞いて、バルトネルが「ええ」と答える。

「突き当たりのこの部屋で間違いありませんね。どこも問題なさそうです。では皆さまどうぞ」

 中に入りざっと確認した後、入り口近くに立ち、腰の辺りで腕を曲げて頭を下げる。バルトネルに促されたソラティスが、ラシーヌをエスコートしながら中に行く。

 中は厚めのガラスがはまった大きな窓と、間接照明のランプがいくつか置いてある。中央にはソファとローテーブル。窓際にも椅子とテーブルがある。反対の廊下側にも一対の椅子とテーブルがあった。

 景色の見える方にラシーヌを連れてソラティスが向かう。バルトネルに声をかけられ、カナンは一度渋ったものの廊下側の椅子へ座った。

 その後、頃合いを図って店員が注文を聞きに来る。

 バルトネルが簡単にメニューを決めて伝えた。

 窓から景色を見ていたラシーヌが「屋根が……」と呟いた。同じように窓の外を覗き込んだソラティスが言う。緩く一つに結んだ髪が肩口に流れる。

「普段は積もるほど雪は降らないんだ。だが今日は加護が強いようだ」
「だからうっすら白くなってるんですね。皇都では雪が降ること自体少なかったので」

 再び窓に指先をつけて、外へ瞳を向ける。わずかに差し込む日差しが反射して輝いて見えた。

 ソラティスは一拍置いて「そうか」と表情を和らげた。

「加護を得た翌日は最も雪が降る。今日の比ではないさ」
「それは一度見てみたいですね」

 ふふっと笑って、すぐにハッとした。ラシーヌは「ごめんなさい」と続ける。

「軽率なことを……失礼しました」

 ソラティスの『レイア嬢を妻に』という言葉を思い出して謝罪した。ソラティスも「いや、俺も悪かった」と短く返した。

 ほどなくして料理が運ばれる。様子を伺っていたバルトネルが「とりあえず食事にしましょう」と話に入った。
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