替え玉の私に、その愛を注がないで…。~義姉の代わりに嫁いだ辺境伯へ、身を引くはずが……持ちかけられたのは溺愛契約。

翠月 瑠々奈

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 ヴァーガリア領の街、ヤハラ。人々が行き交うその街は、暖かみのある淡い光が昼間でもポツポツと灯っていた。

 誰もが厚手のコートや毛皮に身を包み、時折空からは雪もちらつく。楽しげに談笑する人たちの後ろには、ホットワインが売られていたり、その屋台の周りでは串肉に舌鼓を打つ人々もいた。

 そして空を見上げると、いたるところに伸びている煙突から白い煙も上がっている。

 だが、その薄く漂う煙の向こうに対照的な赤い光が見えていた。

 地獄の陥没地エルプシオン──活火山で常にマグマが表層に出ており、上部の陥没地に溜まっているような状況だった。いつ大規模な噴火が起きてもおかしくない。

 だが、ヤハラは心配ないとバルトネルが言う。

「この地は代々、領主様がお守りくださいます。年に一度の祭事で加護能力である氷華ひょうかをお使いになるのです」

 にこりと笑って、ソラティスを見る。今日は街歩き用に刺繍の入った厚手のコートに身を包んでいる。その彼は引き継ぐように言った。

「氷華は、舞いによって街を護る加護を得る力だ。家を受け継ぐときにその力も委譲される。幼いときは体を動かしたくなくて苦労した」

 そう笑うソラティスに、ラシーヌも「少しわかる気がします」と柔らかく笑い返した。「これだけ寒いと身体が動きませんもの」と続け、応えるように彼は頷いた。

「そうだな。君の服ももう何着か仕立てなければ」
「えっ?! いえ! 私はこちらをいただけただけで十分ですから!」

 慌てて首を振る彼女は今、用意された白いコートに身を包んでいる。それが編み込んだ若草色の髪に似合っていた。まだやせ細った体に、そのコートは大きく見えるが、それでも「お気持ちだけで嬉しいです」と、ほころぶ笑みには血色の良さが戻っているようだ。

 そんなラシーヌの後ろで、カナンが静かにそっと瞼を伏せた。

 先日、婚姻したばかりの二人だが、花嫁は替え玉だった。通常であれば追い返されてもおかしくはない。しかし、ラシーヌたちの意に反して、その事実が領主邸の人々に知らされることはなかった。

 当人たちと、ラシーヌの侍女カナン。そしてソラティスの側近であるバルトネルだけの秘密。

 だがそうなると、当然やしきの中では祝いの言葉で溢れることになる。結婚適齢期を過ぎた領主の明るい話に、何の疑いもなく喜ぶ邸の者たち。ラシーヌは声をかけられるたび、身を縮ませ恐縮する。それを見かねたバルトネルが今回、領地を案内することを提案した。

 そうして領主邸を出て街を巡り、市場を抜ける。大きな橋に差し掛かるころ、彼らを先導していたバルトネルが、目的の店を見つけて振り返った。

「そろそろどうでしょう。皆さんお疲れではありませんか? おやおや~?! あんなところに食事処が!」

 どこか芝居がかった言い方に、ソラティスがフッと笑みを作り「先に行くぞ」と横をすり抜ける。ラシーヌもクスクス笑いながら「楽しみです」と返し、カナンは眉一つ動かさないまま二人についていった。

 一拍遅れてバルトネルは焦りながら、「置いてかないでくださいっ!」と追いかけた。

 橋の先に建つ二階建ての食事処。白鳥の看板が目立ち、スワンと書かれている。

 ウエルカムベルを鳴らして中に入ると、庶民的な食事処であるエールハウスと同じような造りをしていた。比較的広さがあり、二階は個室になっている。

 バルトネルが店員に話を通して、四人は二階へと案内される。

 壁で区切られた個室がいくつかあるが、全て扉はない。店員が行き来しやすくされているようだった。

 廊下を進んでいくと賑やかな部屋の前を通る。まだ昼間だというのにずいぶん飲んでいるらしい。部屋の男たちの顔は赤らんでいる。
 
 通りがかったラシーヌとカナンを見て、男の一人がヒュウッと口笛を鳴らした。

「いい女連れてるなあ。一人貸してくれやしないかい?」
「お前に必要なのは水だろう。後悔したくなければ、さっさと飲んでおけ」

 そう返して、ソラティスがさりげなくラシーヌの腰を抱き寄せた。「なんだとっ!」と騒ぎ立てる男に、バルトネルが苦笑しながら、人差し指を立てると「今すぐ黙って水でも飲んでくださいね」と続ける。そして、通りがかった店員になにやら耳打ちした。

 すぐさま慌てた様子で店員がその部屋に入っていく。バルトネルは「行きましょう」とまた歩き出す。だがその間際、他の男性からカナンが見えないように隣へ移動し進むことを促した。

 少しして、突き当りの部屋が見えてくる。確かめるようにバルトネルへソラティスが声をかけた。

「この部屋でいいのか?」

 その問いに「ええ」と返ってくる。そのまま彼は中に入っていった。

「この部屋で間違いありませんね。どこも問題なさそうです。では皆さまどうぞ」

 ざっと確認した後、その場で軽く片手を動かし近くのソファを示す。ソラティスが、ラシーヌをエスコートしながら中に行く。

 部屋の中はそれなりに広く、厚めのガラスがはまった大きな窓と、間接照明のランプがいくつか置いてある。中央にはソファとローテーブル。窓際にも椅子とテーブルがある。反対の廊下側にも一対の椅子とテーブルがあった。

 景色の見える方にラシーヌを連れてソラティスが向かう。バルトネルに声をかけられ、立ったまま控えていたカナンは一度渋ったものの廊下側の椅子へと座った。

 その後、頃合いを見計らって店員が注文を聞きに来る。

 バルトネルが簡単にメニューを決めて伝えた。

 店員がいなくなると、窓から景色を見ていたラシーヌが「屋根が……」と呟いた。同じように窓の外を覗き込んだソラティスが首を傾けて口を開く。緩く一つに結んだ髪が肩口に流れた。

「普段は積もるほど雪は降らないんだ。だからあまり見られない景色なんだが……今日は精霊の加護が強いようだ」
「それでうっすら白くなってるんですね。皇都では雪が降ること自体少なかったので驚きました」

 再び窓に指先をつけて、外へ視線を向ける。煙突からのぼる煙の隙間を、わずかに差し込んだ日差しが屋根の雪に反射して輝いている。

 ソラティスは「そうか」と表情を和らげた。

「加護を得た翌日は最も雪が降る。今日の比ではないさ」
「それは一度見てみたいですね」

 ふふっと笑って、間を置いてハッとした。ラシーヌは小さく「ごめんなさい」と続ける。

「軽率なことを……失礼しました」

 ソラティスの『レイア嬢を妻に』という言葉を思い出して謝罪した。自分はあくまで偽りの妻だ。その加護を見る日に共にいるとは限らない。俯きがちになるラシーヌへ、ソラティスも「いや、俺も悪かった」と短く返した。

 ほどなくして料理が運ばれる。様子を窺っていたバルトネルが「とりあえず食事にしましょう」と話に入った。
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