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トントンと叩く扉。中から返事がする。ラシーヌは「失礼します」と入った。
再びソラティスがラシーヌを呼んだのはヤハラを訪れてから、数日経った夜のことだった。
執務室で話がしたいと、バルトネルを通じて伝える。そのときは一人で来て欲しいと付け加えて。
そして言われたまま就寝前のラフな格好で彼女は現れる。
部屋の入り口まで近づいてきていたソラティスも、同様に軽装だった。首もとのボタンを外したシャツに黒いズボン。直前まで仕事をしていたようだ。
彼がラシーヌの代わりに扉を閉め、軽く頭を傾ける。すると、その黒髪が肩口にさらりと落ちる。ソラティスは緋色の瞳をわずかに細めた。
「待っていた」
「遅くなってすみません」
「突然呼んだのはこちらだ。気にしなくていい。それより早く中に」
促されるまま、ラシーヌが進む。「ここに」と手近なソファを勧められて腰を下ろした。
「早速で悪いが、この婚姻について改めて話したい」
「はい……」
どんな話になるかは想像がついている。ラシーヌは座って早々、声をかけられたことに緊張していた。そのまま離れていくソラティスの姿を目で追うと、彼は執務机から書類の束を取り、ラシーヌの前に座る。そして、それをテーブルに置いた。
「君たちの言い分を信じてなかったわけじゃないが、一応調べさせてもらった」
「これは……?」
「見てくれて構わない」
「……」
短く返されて、彼女はわずかに喉を鳴らして手を伸ばした。紙の束を捲りながらざっと目を通す。それは報告書とおぼしき内容だった。
皇都でのとある令嬢の様子が簡単にまとめられている。見目麗しいソレーユ子爵令嬢、ラシーヌの義理の姉であるレイア。
彼女は、ラシーヌを替え玉とした後も派手な遊びを繰り返していたようだ。夜な夜な呼ばれた舞踏会で踊る姿や、昼間にも複数の異性と街を巡っているとの内容が事細かに記されていた。
「……義姉様」
あまりの内容に段々とラシーヌの顔から表情がなくなる。いつの間にか唇を引き結び、眉根を寄せた。
義母に強いられていたとはいえ、実際に嘘を伝えたのはラシーヌだ。その嘘によって、彼女の立場が悪くなるのは簡単にわかること。だがそれを一番理解しているはずの義母が、娘の勝手をこれほどまでに許していることに深い悲しみを覚える。そして同時に、ソラティスへの申し訳なさも胸を締め付けた。
心苦しい思いを抱え、彼女は「ごめんなさい」と頭を下げる。
「ここに書かれていることは……恐らく事実だと思います」
「心当たりが?」
小さく頷くラシーヌに、「そうか」と返す。彼は続けた。
「ではレイア嬢の体調に問題はないのだな」
「はい」
「ならば改めて聞く。何故あなたはここに?」
「義姉の代わりに私がヴァーガリアへ来たのは……」
問われて言葉を濁す。ラシーヌにはもう一つ義母より指示されたことがあった。こうしてバレてしまった時のために、また重ねる嘘を。それがあるから、ソレーユ家でレイアの素行を隠そうともしなかったのだろう。
しかしラシーヌは、なかなか口を開くことができない。数日過ごすうちにソラティスの善良さに触れてしまい、言い出すことを躊躇っていた。
これを言えば、確実に自分への悪印象となるのがわかっていたから。
知らずに嫌われたくないと思い、けれど義母への恐怖も消えてはいない。ラシーヌは逡巡して、やがて口を開いた。
「私がヴァーガリアに来たのは、縁談の来ない私を哀れんで義姉が譲ってくださったのです」
意を決して告げた言葉。だが、反応は思ったものと違っていた。
「あなたに縁談が来ない?」
「え? ええ。もちろん」
てっきり、姉の縁談を奪うなど浅ましい。とでも責められると思っていたラシーヌは、拍子抜けしてしまう。
そしてそうやって目を瞬かせるラシーヌを、ソラティスは漠然とした疑いの目で見た。
艶やかな若草色の髪に、すみれ色の儚げな瞳。肌も整っており、話していても話題は尽きない。聡明でいて、けれど時折あどけない笑顔ものぞかせる。
どこか人を惹き付ける彼女に、縁談が来ないなど俄には信じがたい。ソラティスは不思議に思いながらも「ひとまず理解した」と、話を続けた。
再びソラティスがラシーヌを呼んだのはヤハラを訪れてから、数日経った夜のことだった。
執務室で話がしたいと、バルトネルを通じて伝える。そのときは一人で来て欲しいと付け加えて。
そして言われたまま就寝前のラフな格好で彼女は現れる。
部屋の入り口まで近づいてきていたソラティスも、同様に軽装だった。首もとのボタンを外したシャツに黒いズボン。直前まで仕事をしていたようだ。
彼がラシーヌの代わりに扉を閉め、軽く頭を傾ける。すると、その黒髪が肩口にさらりと落ちる。ソラティスは緋色の瞳をわずかに細めた。
「待っていた」
「遅くなってすみません」
「突然呼んだのはこちらだ。気にしなくていい。それより早く中に」
促されるまま、ラシーヌが進む。「ここに」と手近なソファを勧められて腰を下ろした。
「早速で悪いが、この婚姻について改めて話したい」
「はい……」
どんな話になるかは想像がついている。ラシーヌは座って早々、声をかけられたことに緊張していた。そのまま離れていくソラティスの姿を目で追うと、彼は執務机から書類の束を取り、ラシーヌの前に座る。そして、それをテーブルに置いた。
「君たちの言い分を信じてなかったわけじゃないが、一応調べさせてもらった」
「これは……?」
「見てくれて構わない」
「……」
短く返されて、彼女はわずかに喉を鳴らして手を伸ばした。紙の束を捲りながらざっと目を通す。それは報告書とおぼしき内容だった。
皇都でのとある令嬢の様子が簡単にまとめられている。見目麗しいソレーユ子爵令嬢、ラシーヌの義理の姉であるレイア。
彼女は、ラシーヌを替え玉とした後も派手な遊びを繰り返していたようだ。夜な夜な呼ばれた舞踏会で踊る姿や、昼間にも複数の異性と街を巡っているとの内容が事細かに記されていた。
「……義姉様」
あまりの内容に段々とラシーヌの顔から表情がなくなる。いつの間にか唇を引き結び、眉根を寄せた。
義母に強いられていたとはいえ、実際に嘘を伝えたのはラシーヌだ。その嘘によって、彼女の立場が悪くなるのは簡単にわかること。だがそれを一番理解しているはずの義母が、娘の勝手をこれほどまでに許していることに深い悲しみを覚える。そして同時に、ソラティスへの申し訳なさも胸を締め付けた。
心苦しい思いを抱え、彼女は「ごめんなさい」と頭を下げる。
「ここに書かれていることは……恐らく事実だと思います」
「心当たりが?」
小さく頷くラシーヌに、「そうか」と返す。彼は続けた。
「ではレイア嬢の体調に問題はないのだな」
「はい」
「ならば改めて聞く。何故あなたはここに?」
「義姉の代わりに私がヴァーガリアへ来たのは……」
問われて言葉を濁す。ラシーヌにはもう一つ義母より指示されたことがあった。こうしてバレてしまった時のために、また重ねる嘘を。それがあるから、ソレーユ家でレイアの素行を隠そうともしなかったのだろう。
しかしラシーヌは、なかなか口を開くことができない。数日過ごすうちにソラティスの善良さに触れてしまい、言い出すことを躊躇っていた。
これを言えば、確実に自分への悪印象となるのがわかっていたから。
知らずに嫌われたくないと思い、けれど義母への恐怖も消えてはいない。ラシーヌは逡巡して、やがて口を開いた。
「私がヴァーガリアに来たのは、縁談の来ない私を哀れんで義姉が譲ってくださったのです」
意を決して告げた言葉。だが、反応は思ったものと違っていた。
「あなたに縁談が来ない?」
「え? ええ。もちろん」
てっきり、姉の縁談を奪うなど浅ましい。とでも責められると思っていたラシーヌは、拍子抜けしてしまう。
そしてそうやって目を瞬かせるラシーヌを、ソラティスは漠然とした疑いの目で見た。
艶やかな若草色の髪に、すみれ色の儚げな瞳。肌も整っており、話していても話題は尽きない。聡明でいて、けれど時折あどけない笑顔ものぞかせる。
どこか人を惹き付ける彼女に、縁談が来ないなど俄には信じがたい。ソラティスは不思議に思いながらも「ひとまず理解した」と、話を続けた。
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