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しおりを挟む秘密の契約を取り交わしてから数日。邸の中は平穏が戻っていた。だが、以前とは違う姿もあった。
静かなヴァ―ガリア領主邸に現れた、若草色の髪をした花嫁。そのラシーヌへ寄り添うソラティスの姿を使用人たちは、温かく見守っている。
そんな二人が朝、食堂へ向かっていく。席について早々、ソラティスの方が話を切り出した。
「ラシーヌ、今日は仕立て屋が来る。私も立ち会うから準備をしておいてくれ」
「わかりました」
軽く声をかけられ、そう答える。少し前に話し合った通り、辺境伯が嫁いだ妻を溺愛していると、皇都で噂を流すことにした。その手筈が整ったらしい。そして同時に、噂への信憑性を出すために夜会へ参加することに決めた。
事前に招待状を確認し、いくつかレイアが好きそうな内容のものへ参加の意思を伝えた。そして当日のためにも衣装を仕立てておこうと彼は言う。
そんな話をしながら過ごし、食事を終えて部屋を後にする。廊下の突き当りで別れ、自室に戻ろうとしたが「ラシーヌ」と再び引き留められ、振り返った。
ソラティスは一瞬迷うように視線を動かしたものの、すぐにそばに向かう。
「何度もすまない。仕立て屋が来るまで自由にしていてくれとは言ったが。やはり、この後時間をもらえないか?」
「構いませんが、どうしました?」
「その、庭を一緒に歩かないかと思ったんだ」
「庭? 何かご用事が?」
ゆっくりと窓の外を見る。とりたてて何かあるようには思えない。小首をかしげるラシーヌに、ソラティスはどこか躊躇いがちに口を開く。
「いや……」
そうして歯切れ悪く言ったあと、その口を固く閉じてしまった。
ラシーヌが不思議そうに目を瞬かせる。しばらく無言が続いたものの、少ししてからようやく彼が続けた。
「……溺愛、というものがまだ理解できていないんだ。練習といってはなんだが、手を貸してもらえないだろうか」
「溺愛の練習…?」
「ああ。どうだろうか」
ラシーヌの反応を確かめるようにして、そっと手を差し出してくる。彼女は、一拍置いてソラティスを見上げて、わずかに戸惑う様子を見せた。
一瞬、偽りの自分が触れてもいいのかと迷ってしまったから。
けれどすぐ、考えを固めたようにひとつうなずいて、ソラティスの手に自身の手を乗せる。キュッと握ると、すぐに同じように握り返される。知らずにラシーヌの頬がほころんだ。
パッと顔を上げた彼女は、花が咲いたように表情を明るくさせる。
「そうですね。私もそれほど知識はありませんが、頑張りましょう」
「助かるよ。では行こうか」
再びギュッと握りしめて、そっと自分の腕にラシーヌの手を絡めた。そうして、二人は並んで中庭に向かう。廊下には輝く道が続いているかのように、窓から陽射しが差し込んでいた。
* * *
「ソラティス様、こちらはどうでしょう?」
夜会の準備がおおむね整ってきたのと並行して溺愛の練習を進める。二人のタイミングを合わせて時間を作り、互いに調べたことを試していた。
初めは慣れないことも多く、気恥ずかしさが上回っていたものの最近になって、少しずつ解けてきたようだった。その証拠に、今日は執務室へ訪れたラシーヌの方が、積極的に本で得た知識を実践してみようと言う。
分厚い一冊を開いた状態で抱えて、嬉々とした様子でソラティスのそばに行き、一部分を指で示した。
「ここに良さそうな内容があって……えっと、読みますね。雨音が響く部屋で二人は互いに見つめ合い、指先を絡めたあとで、その男性は彼女の肩を強く抱いて耳元に唇を寄せ……っ!」
途中までを参考にしようと読み上げたものの、勢い余って余計な部分まで口にしたラシーヌは、ハッと顔を上げる。そしてすぐ、その顔が赤く染まる。
彼女は慌てて訂正を試みた。
「違います! 寄せてないです、違います。見せたかったのは、その前の部分で」
彼女の焦りに笑いかけたソラティスが「大丈夫だ」と返す。
「慌てなくていい。似た内容は私も見たことがある。確か、よくある愛情表現に加えて人前でも肩を抱く、というものだったかな」
「そうです! それならば私たちの関係を周囲へ強調できるかと思うのです」
伝えたいことを上手く汲み取ってくれるソラティスに、パッと笑顔になるラシーヌがそう続けた。彼は「なるほど」と返す。
「確かにそうだな。ではまず、そのよくある愛情表現というものから手をつけるか。希望はあるか?」
「希望、は……」
興奮や気恥ずかしさでまだ赤みの残る頬。そんな顔でうつむきがちになる。それはまるで幼子のように見えた。
隣にいるラシーヌへ、ほとんど無意識にソラティスが撫でるような位置まで手を上げたが、直後キュッと握りスッと下げた。
「……とにかく、いろいろと試してみよう。やってみて調整すれば改善できるさ」
ソラティスの言葉を聞いて、パッとラシーヌが顔を上げる。嬉しそうに笑みがこぼれる。
「はい! ぜひ」
ヴァーガリアに来てから、何か役に立てないかとずっと思っていたラシーヌ。少しでも力になれると自信がついてきた様子で、彼女は続けた。
「では、早速ですが……その人前の状況、街に出ることでいかがでしょう? 多くの人が行き交う中での愛情表現に慣れたら、きっと夜会でも堂々としていられると思いませんか?」
「そうだな。予定を確認して日時を決めよう」
頷いて歩き出した彼は、執務机の上に置いてある手帳を手に取る。ざっと視線を流してから、そばに置いてあったベルを鳴らした。ほどなくして、部屋にノック音が響いた。
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