替え玉の私に、その愛を注がないで…。~義姉の代わりに嫁いだ辺境伯へ、身を引くはずが……持ちかけられたのは溺愛契約。

翠月 瑠々奈

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 人前での愛情表現と銘打って、再び訪れた白煙漂うヤハラの街。

 だがそこを歩くラシーヌは、どこかぎこちなかった。ソラティスの腕に手を添えているものの、緊張した面持ちで、ヒールを履いた足はピンとなり歩き方がずいぶん危うい。

 それに気付いたソラティスは苦笑しつつ、歩く速度を落とした。

 こんなにもラシーヌが緊張しているのは少し前のこと。街の外れに馬車で到着して、すぐの出来事だった。

「「「おめでとうございます!」」」

 唐突に響く声。馬車を降りてすぐ、その声に驚いた二人は目を丸くする。街の人たちが、風に花びらを散らしながら歓迎し、二人に祝福の声をかけたからだ。

 ゆっくり水面下で広まっていた『ヴァーガリア領主が妻を溺愛している』という噂。それを聞いて喜んだのは街の人たちだった。

 良い歳なのに真面目すぎる性格のせいか、なかなか明るい話題がなかった領主。このまま結婚適齢期が過ぎてしまうのでは、とお節介ながら心配していた。そんな中、今回の嬉しい話に彼らは心踊らせた。

 そして、くだんの二人が街を訪れると聞いてしまえば、浮足立った彼らが行動するのは早かった。迎える準備をした上で、人々を集めて華やかに出迎えた。それがラシーヌを驚かせ、緊張させたようだ。

 祝いの言葉を受けて二人は、一通り返事をする。そして最後に、不意打ちでソラティスは彼女の頬に口づけた。

 ここ数日、溺愛の練習と称して距離を縮めた。その上でもっとも効率的なタイミングだろう、と彼が考えて行動した結果だった。

 けれどそれは、さらにラシーヌを驚かせることになる。

 突然のことに彼女は固まり、そこから移動する時も変わらず不自然な動きのままだった。人混みから離れてさらに歩く速度をゆるめ、少しして立ち止まるソラティスが「ラシーヌ」と呼ぶ。

「少し休憩しよう。慣れないことをすると疲れるからな」
「は、はい……!」

 声をかけられて、弾かれたように顔を上げたラシーヌは、反射的に頬に手を当てまた視線を下げた。

 若草色の髪がさらりと揺れて、その隙間から見える耳は赤くなっている。ラシーヌが冷えてしまったのだと思い、その耳を包むように片手を添えた。

「っ!」
「冷たいな。早く店に入ろう。近くにいい場所があるんだ」

 そう言ってソラティスはそっと彼女の手を取って、再び歩き出す。半歩後ろでその横顔を見上げたラシーヌは、赤い顔のままそっと視線を外した。


*  *  *


「落ち着いたようだな」

 ソラティスがそう柔らかく笑って、カップをソーサーに置く。カチャと軽い音がした。

 ヤハラを訪れて、最初に入ったティーハウス。シンプルな内装に漂う紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。店の中は、昼間とあって、席にはそれなりに客がいた。

 ラシーヌも同じように口をつけたカップを置いて「失礼しました」と返す。

「いきなりのことで取り乱してしまいました……」

 どこかまだ、頬の赤みが取れない彼女は、恥ずかしそうに視線を逸らした。ソラティスが「気にしなくていい」と言う。

「あれは想定外だった。だが、私たちの作戦が上手くいっているとみていいだろう」
「そうですね。ソラティス様のあの行動も……」
「うん?」
「いえ、なんでもありません」

 小さくフルフルと首を横に振る。だが一拍置いて気づいたソラティスが、「ああ」と返事をする。

「突然すまなかった。勝手に触れるのは憚られたが、効果的だと思ったんだ」
「気になさらないでください。私も同じように思いましたから。ただその……慣れてなくて」

 うつむきがちになるラシーヌ。その若草色の髪が肩口に落ちる。気持ちを落ち着かせるためか、ティーカップに再び手を伸ばそうとした。

 けれどその手をソラティスが、軽く捕まえるようにして掴む。驚くラシーヌに「そうだな」と柔らかい笑みを見せて彼は、キュッと握った。

「俺も同じだ。だから互いに距離を縮めていこう。あなたも……いや、君もいつでも俺を頼ってくれて構わない」

 眩しげな視線を受けて、彼女は一拍置いて一つうなずく。そして、おずおずと指先を動かしソラティスの指に絡めた。

 一瞬、ピクリと彼が反応する。だがすぐに応えるようにギュッと力を込めた。

「ソラティス様……」

 手を引こうにも出来なくなってしまい、ラシーヌは戸惑いのままに名を呼ぶ。そのか細い声に、フッと表情を崩した。

「それもどうにかしたいな」
「それ、ですか?」
「親しい間柄なら愛称を呼ぶものだろう?」
「愛称……確かにそうですね」
「俺のことはティスでいい。昔呼ばれていた名だ。君はどうだ?」
「私は……」

 ソレーユ家では幼い頃から疎まれて、愛称など呼ばれた記憶がない。唯一世話をしてくれる侍女のカナンは、先代が連れてきた時からラシーヌを『姫』と呼んでいたし、先代も何故かずっと姫様と呼んでいた。

 困惑が顔に出ていたのだろう。ソラティスがそっと声をかける。

「もしよければ俺に任せてくれないか?」
「ソラティス様が……あの! お願いします」
「そうだな。音からしてレイシー……いや、それでは良くないな。ラジー、では活発な少女になってしまうか」
「それでも構いませんが」
「ラシー」
「はいっ! あ」
「これがしっくりくるようだな」

 穏やかな笑みを浮かべるソラティスに、思わず呼吸すら忘れてしまうラシーヌ。

 だがすぐに彼女も顔を綻ばせた。

「ラシー……ソラティス様だけが呼べる名ですね」

 昔から義理の両親が義姉のレイアをレリーやレイニーと呼ぶのを聞いていた。そんな呼ばれ方をしたことがないラシーヌは、密かに羨んでいたことを思い出す。

 ラシーヌは「嬉しいです」と喜んだ。

 そんな彼女へ優しい眼差しを向けたソラティスは、「では」と返す。

「ラシー、俺の名も呼んでみないか」
「ソラティス様の……」

 頷かれて、ラシーヌは恥ずかしがりながらも、小さな声で「ティス」と応えた。
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