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しおりを挟む「ラシー、行こうか」
「ええ。行きましょう、ティス」
ソラティスにエスコートされ、ラシーヌが会場に入る。瞬間、煌びやかな照明に目を細めた。
……少し前、ベルン皇国の辺境にあるヴァーガリア領で結婚した二人。だがそれは、思いがけない事態を生むことになる。
花嫁のラシーヌは本来、妻となるはずだった義理の姉レイアの替え玉として送られていたからだ。
婚姻を結んだものの、領主であるソラティスは「それでは困る」と言う。
レイア嬢を妻に、と望む彼の願いを叶えるため『溺愛契約』を交わすことになった。
そして今夜、その作戦を実行するために夜会へと参加した。
二人が会場に入り、中央に進む。周囲はもう歓談していた。
「ご無沙汰してます」
「あの話聞きました……?」
「そういえば皇都でも流行ってるとか」
たくさんの人々が談笑し、穏やかな音楽が流れる広間。知り合いに引き留められると二人も、その輪に入っていった。
広い屋敷のハーバレッジ邸の大広間で開かれた夜会。ここは皇都とヴァーガリア辺境伯領のちょうど真ん中あたりに位置していた。
レイアのために流した噂が影響して、その日の会場には多くの参加者が集まっていた。
『生真面目で近寄りがたい辺境伯が溺愛する花嫁』、『指示書で結ばれていながら、本当の愛に目覚めた二人』。そんな話を聞き付けた人々は、興味本位の視線をさりげなく向ける。
そのせいもあってソラティスの隣にいるラシーヌは、終始表情が固いままだった。ぎこちない笑みが、さらにおぼつかない。
見られている、と気負えば気負うほどに。
ソラティスは少しでも負担を軽減するように、その腕に彼女を抱き寄せる。それがまた周囲には愛ゆえの行動と囁かれた。
「少し外に出ないか?」
「……よろしいのでしょうか。まだお会いしていない方もいますが」
「構わない。主要な相手にはすでに会っている。それより行こう」
そう返して、挨拶を一通り終えたラシーヌを、息抜きにとそっとバルコニーに連れ出す。
外に出て、わずかに身を震わせたラシーヌの肩へソラティスは、自身が着ていた上着をかけた。
「休憩がてらと考えたんだが、この辺りも日が沈めば冷えるな」
そして彼女から離れて手すりへ、寄りかかる。ラシーヌに微笑みかけて続けた。
「あまり気を張らなくていい。今日は軽い様子見に過ぎないんだ。レイア嬢もいないしな」
今日参加するのか、その可否がわからなかったが直前になって回答があったらしい。『否』と。
その回答に残念そうにしていたのは意外にもラシーヌだった。
だがそれを思い出しても問うことはなく、ソラティスは「そういえば」と続けた。
「母と出かける約束をしたらしいな」
その言葉にラシーヌは頷く。
「ええ。面白い観劇があるとかで……ただ、パトロネスについてはまだ、正式に教えていただけることが少なくて……」
本当は受け入れられていなかったのかもしれない、と浮かんだ不安を飲み込む。ラシーヌは、久しく社交界に出ていなかった。
ソラティスの母であるベルモラ夫人は辺境伯領で一目置かれるような社交界の花だ。彼女に指摘されることもあるだろう。それに応えられるかが不安だった。
だが彼は「問題ない」と返す。
「すでに母は君を気に入っている。それに普段の所作からも…」
人が近づく気配に気づいて、言葉を止める。ソラティスはさっと動いてラシーヌのそばにいくと、そっと腰に手を回し体を引き寄せる。ほどなくして、バルコニーの入口のガラス扉に人影が映った。
だが、その人物は迷った様子でなかなか入ってこない。間を置いて、控えめにノックされた。
参加者であれば自由に出入りできる。不思議に思いながらもソラティスが返事をした。すると、入ってきたのはバルトネルだった。髪が乱れている様子から、急いでいたのが分かる。彼はラシーヌを一瞥して言った。
「レイア様が……いらっしゃいました」
「彼女が?」
「急遽参加されたようです。主催も驚いていて、今は別部屋で準備しているみたいですけど、行きますか?」
「そうだな…」
一瞬承諾しかけて、彼はラシーヌを見るとバルトネルへ軽く首を振った。
「いや、後にする。ただあの件だけは確認しておいてくれ」
「承知いたしました」
そう言ってバルトネルが頭を下げて離れていく。その背を見送ってラシーヌが口を開いた。
「本当に行かなくていいのでしょうか?」
「ああ、折を見て会いに行くから安心してくれ。それより君の方は大丈夫か?」
以前、父親に話を通すのが難しいと話したことを覚えていたようだ。家族に会うのに思うところがあるかもしれない、と気遣った結果だった。
だがラシーヌは小さく頷いて、彼を見上げる。その瞳はどこか凛としていた。
「大丈夫です。会いに行くのなら、私も一緒に」
「……そう、だな」
二の足を踏んでいたのは俺の方か、と呟いて、ソラティスは歩き出す。そしてガラスのドアのノブに手をかけた。
「では早速行くとしよう。ラシー」
「はい」
そうして二人は会場に戻っていった。
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