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しおりを挟む直前の出来事などすっかり忘れて、レイアが可愛らしくソラティスへ声をかけた。
「そういえば貴方が辺境伯なのね。初めまして、ラシーヌの姉のレイアですわ」
キラキラとした目を向けて、さも当然のように片手を出す。ソラティスはその手を見ながら淡々と返した。
「初めてではないが……あなたの記憶にも残れなかったことを残念に思うよ。改めて、辺境伯領を治める領主だ。ここで会えるとは思わなかった」
胸元に手を置き、軽く頭を下げる。その黒髪が肩口に流れた。婚姻を望むほど、レイアを焦がれていたのだと思い込んでいたラシーヌは、あまりにあっさりとした挨拶に拍子抜けしてしまう。
彼はそのまま、ラシーヌの腰を抱いて夫人に告げる。
「ハーバレッジ夫人、悪いが私たちは会場に戻るよ。卿に話を通して、すぐ来てもらえるように手配しておく」
夫人が眉尻を下げて、「そうしてもらえると助かるわ」と言う。そうして二人が歩き出そうとしたが、レイアが慌てて止めた。
「ちょっとちょっと! 待ってよ!」
「何か?」
「貴方、ヴァ―ガリア辺境伯なのよね? 私に求婚してた」
「ああ。だが今はラシーの……ラシーヌの夫となった。そちらの事情は十分理解しているのでは?」
「はあ? ラシーヌから話聞いてないの? その子は私の縁談に勝手に行くような図々しい子なのよ? それに隣に置くなら私の方がいいじゃない。そもそも私が望んであげてるんだから、私のそばにいるのが当然でしょ!」
心底わからないといった風に、捲し立てる。ラシーヌはためらいがちにソラティスを見上げて、どうすべきか、と悩んだ。
当初ならば、この場所を譲るべきと考えていた。だが彼の様子がおかしい。レイアの言う通り、求婚していたはずの相手なのに睨み付けるような視線と冷たい空気を纏っている。それは、どこか敵意にさえ感じる。
ラシーヌが考え込んでいる間に、ソラティスが低い声で返した。
「先ほどから聞いていれば、ずいぶんラシーに厳しく接するものだ。……悪いが、私はもうこの婚姻を覆したりはしない。当然、あなたのそばにいるべき理由も消える。理解できたのなら、大人しくそこの男性陣から一人を選ぶのだな」
行こう、とラシーヌに声をかけ、レイアを避けて歩き出す。彼女は唖然としていたが、一拍遅れて両頬を思い切り膨らませると負け惜しみのように「この役立たず! 父様に言いつけるからね! 覚えてなさいよ!」と叫ぶ。
ソラティスはラシーヌの肩を強く抱き、その場を後にした。
廊下を進み、会場前を通り過ぎたところでラシーヌが不思議そうに聞く。
「あの、会場に戻るのでは?」
このまま真っ直ぐ行けば外に出てしまう。彼女の疑問に、険しい顔をしていたソラティスがハッとした様子で返した。
「あ、ああ。いや、今日はもう邸に戻ろうと思う。構わないか?」
「それは構いませんが」
「よかった。では行こう」
短く返す声は未だ固い。そのまま二人は玄関ホールを目指して、途中で不在にしていたバルトネルと合流する。ソラティスは彼に指示を出し、すぐさま馬車が到着した。
先に馬車へ乗るラシーヌが、腰をおろす間際だった。ふいに彼女の腕を引いて後から乗ってきたソラティスは、そのまま自身の膝の上に乗せる。そして思い切り抱き締めた。
「っ!? ティ、ティス!?」
「あれほどの……」
低い声で抑えきれないように、吐き捨てるように言う。
「あれほどの侮辱は初めてだ。いったいなんなんだ彼女は……あまりに失礼じゃないか! 俺の妻を小間使いのように……」
そう怒りを露わにする。そして微かに震える手でラシーヌの頬に触れ、眉根を寄せる。
「君もなぜ怒らない? まさか前からあれほどの扱いを……?」
その疑問にラシーヌは視線を泳がせて、少ししてから小さく頷いた。
ソラティスはそれを見て、ゆっくりと彼女の後頭部を肩口に押し付ける。
「……なんてことだ……」
「っ、……」
ラシーヌは絞り出すような声にビクリと肩を震わせる。まるで呆れられてしまったのかのような雰囲気に、思わず掴んだソラティスの服を握り締めた。
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