38 / 53
33
しおりを挟む「それにしてもカナンがあれほど怒るなんて、初めて見たわね。ソレーユ家でもなかったもの」
ヴァーガリア邸をひっそりと出て、ソレーユ家に戻る馬車に乗り込む二人。帰路に就く準備をしているうちに外は、すっかり闇色に染まっていた。
その中で、ラシーヌがどこか嬉しそうにフフッと笑う。カナンは、少し表情をやわらげて「そうですね」と返した。
「あの家ではまだ、雇われたばかりでしたからね。我慢せざるを得なかったことは多くありました」
「だとしたら貴女もここで、少なからず良い影響を受けたのかしらね」
ラシーヌの言葉にカナンは目を瞬かせる。彼女はわずかに視線を下げた。
「そうかもしれません。居心地がよかったことは、確かですから」
少し前のことを思い返せば、ふと笑みが浮かんでしまう。そんなカナンを見てラシーヌは微笑んだ。
カナンは気恥ずかしくなったのか、コホンッと咳払いする。
「それよりも姫様。家までお時間かかりますから、少しお休みになってはいかがです? 昨夜もずっと領主様の看病をしていらしたではありませんか」
「私のことはいいのよ。……カナン?」
最後まで言い終わらないうちに隣へカナンが座る。彼女はラシーヌの肩を優しく引き、横になるように促した。
「カナン……これでは幼子みたいじゃない」
「たまにはいいじゃないですか。あと、そうですね。よく眠れるように一つ、寝物語でも話しましょうか」
「寝物語?」
「ええ。姫様にとっても大切な……話になるでしょうから」
「私?」
疑問に思うラシーヌの目元にそっとカナンが手を置く。彼女は窓から差し込む月明かりに目を向け、流れる景色を見ながら話し始めた。
「とある国の春の神のことです…」
そんな始まりだった。
その神は草木に吹き込む命の力が強すぎて、あろうことか、土に還ったはずの死者にまで新しい命を与えてしまう。
それを咎めたのが、世界の調律を司る全知全能の神だったらしい。
『命の巡りを乱してはならぬ』
怒った神は春の力を取り上げ、封印しようとした。
「けれど、運命というのは時として神の手さえすり抜けるらしいです。零れ落ちたその強大な力が、偶然通り掛かった旅人の男の体に宿ってしまったのですから」
「ふふっ、面白いこともあるのね。それからどうなったの?」
カナンは続ける。神は男に告げた、と。
『その力を抜き取れば、お前の命はない。今すぐ死ぬか、あるいはその力をその身に封じ、この地で一生を終えるか。選ぶがいい』
男は、生きることを選んだ。神に命じられた通り、国をつくり一生を終える。
そして力は男の血の中に深く、深く沈み……いつしか歴史の闇に忘れ去られていったはずだった。
ところが、長い年月が過ぎたある日。
何故かその『禁忌の力』の存在が隣国に知られてしまった。
「……隣国?」
「……」
頭をもたげようとしたラシーヌを、カナンは撫でるように留める。そして続けた。
「力を欲した強欲な王が軍を率いて国を焼き尽くしました。王族たちは捕らえられたけれど、不思議なことに、誰一人として春の気配を思わせる力など持っていなかったのです」
ただ一人、忠臣の手によって戦火を逃れたお妃だけが、お腹にその宿命を宿していたとは知らずに。
彼女は隠れ家で無事に娘を産み落とした。けれど……命と引き換えにするように、そのまま静かに息を引き取った。
残されたのは、何も知らない赤ん坊の姫。
彼女が笑えば空に鮮やかな虹が架かり、彼女が歩けば枯れ木に柔らかな芽が吹く。
その光景を見た忠臣は、震える手で決意した。
『この力を、決して誰にも知られてはならない』
彼は姫を世間から隠し、本当の両親のことも、滅ぼされた故郷のことも、決して語らなかった。
その姫を、ただ一人の少女として育てようとした。
けれど、彼は知っていた。
自分がいなくなった後、彼女が一人きりになってしまうことを。
だから彼は、古い魔法が込められた一体の刻ノ人形を彼女のそばに残した。
それは言葉を解し、心を持つように創られた器。
『どうかこの子の友となり、家族となって、その孤独を分かち合ってくれ』
そう祈りを込めて。
「まるで……」
祖父のようだ、と言いかけて、ふと動きを止める。そうなると、誰がクロノドールなのだろうか。
ただの寝物語に過ぎない。わかっているのに、どこか真実味を帯びている気もして、それ以上何も言えなくなる。
ラシーヌとカナンの間に静寂が訪れた。
彼女はゆっくりと身を起こして、カナンを見る。相変わらず丸メガネの向こうの瞳は、淡々としている。
恐る恐るラシーヌは問いかけた。
「これは物語であって現実ではないのよね……? 何かの比喩が込められていたりするのかしら」
「さて、どうでしょう」
確たる答えは言わず、彼女は緩やかに口角を上げて、柔らかく微笑む。そして静かに目を伏せた。
「ただ、思うのです。もし本当に人形へ特別な力があれば、その姫はずっと幸せに暮らせたのでは、と」
どこか悲しげな雰囲気を纏うカナンの手を、ラシーヌは思わず握りしめた。
「違うわ。その人形が傍にいることが、姫にとって何よりの幸せだったのよ」
「傍にいるだけですか……?」
「ええ」
ニコリと笑いかけるラシーヌ。カナンの表情もやわらいで、二人は互いに微笑みあった。
13
あなたにおすすめの小説
【完結】モブ令嬢としてひっそり生きたいのに、腹黒公爵に気に入られました
22時完結
恋愛
貴族の家に生まれたものの、特別な才能もなく、家の中でも空気のような存在だったセシリア。
華やかな社交界には興味もないし、政略結婚の道具にされるのも嫌。だからこそ、目立たず、慎ましく生きるのが一番——。
そう思っていたのに、なぜか冷酷無比と名高いディートハルト公爵に目をつけられてしまった!?
「……なぜ私なんですか?」
「君は実に興味深い。そんなふうにおとなしくしていると、余計に手を伸ばしたくなる」
ーーそんなこと言われても困ります!
目立たずモブとして生きたいのに、公爵様はなぜか私を執拗に追いかけてくる。
しかも、いつの間にか甘やかされ、独占欲丸出しで迫られる日々……!?
「君は俺のものだ。他の誰にも渡すつもりはない」
逃げても逃げても追いかけてくる腹黒公爵様から、私は無事にモブ人生を送れるのでしょうか……!?
婚活をがんばる枯葉令嬢は薔薇狼の執着にきづかない~なんで溺愛されてるの!?~
白井
恋愛
「我が伯爵家に貴様は相応しくない! 婚約は解消させてもらう」
枯葉のような地味な容姿が原因で家族から疎まれ、婚約者を姉に奪われたステラ。
土下座を強要され自分が悪いと納得しようとしたその時、謎の美形が跪いて手に口づけをする。
「美しき我が光……。やっと、お会いできましたね」
あなた誰!?
やたら綺麗な怪しい男から逃げようとするが、彼の執着は枯葉令嬢ステラの想像以上だった!
虐げられていた令嬢が男の正体を知り、幸せになる話。
【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
阿里
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
政略結婚のはずでしたが、黒の公爵に「君を愛するつもりしかない」と言われました。
ちよこ
恋愛
没落寸前のエーデル伯爵家の令嬢ルイーズは、この国最大の権勢を誇る黒の公爵エルハルトと政略婚を結ぶことになった。
釣り合わない縁談に社交界はざわめいたが、ルイーズは「家同士の利害が一致した取引に過ぎない」と割り切っていた。
ところが初夜、公爵は開口一番こう言った。
「私は君を愛するつもりしかない」
政略婚のつもりでいた令嬢と、最初から決めていた公爵の、少し不器用な初夜の話。
突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。
橘ハルシ
恋愛
ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!
リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。
怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。
しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。
全21話(本編20話+番外編1話)です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる