替え玉の私に、その愛を注がないで…。~義姉の代わりに嫁いだ辺境伯へ、身を引くはずが……持ちかけられたのは溺愛契約。

翠月 瑠々奈

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「それにしてもカナンがあれほど怒るなんて、初めて見たわね。ソレーユ家でもなかったもの」

 ヴァーガリア邸をひっそりと出て、ソレーユ家に戻る馬車に乗り込む二人。帰路に就く準備をしているうちに外は、すっかり闇色に染まっていた。

 その中で、ラシーヌがどこか嬉しそうにフフッと笑う。カナンは、少し表情をやわらげて「そうですね」と返した。

「あの家ではまだ、雇われたばかりでしたからね。我慢せざるを得なかったことは多くありました」
「だとしたら貴女もここで、少なからず良い影響を受けたのかしらね」

 ラシーヌの言葉にカナンは目を瞬かせる。彼女はわずかに視線を下げた。

「そうかもしれません。居心地がよかったことは、確かですから」

 少し前のことを思い返せば、ふと笑みが浮かんでしまう。そんなカナンを見てラシーヌは微笑んだ。

 カナンは気恥ずかしくなったのか、コホンッと咳払いする。

「それよりも姫様。家までお時間かかりますから、少しお休みになってはいかがです? 昨夜もずっと領主様の看病をしていらしたではありませんか」
「私のことはいいのよ。……カナン?」

 最後まで言い終わらないうちに隣へカナンが座る。彼女はラシーヌの肩を優しく引き、横になるように促した。

「カナン……これでは幼子みたいじゃない」
「たまにはいいじゃないですか。あと、そうですね。よく眠れるように一つ、寝物語でも話しましょうか」
「寝物語?」
「ええ。姫様にとっても大切な……話になるでしょうから」
「私?」

 疑問に思うラシーヌの目元にそっとカナンが手を置く。彼女は窓から差し込む月明かりに目を向け、流れる景色を見ながら話し始めた。

「とある国の春の神のことです…」

 そんな始まりだった。

 その神は草木に吹き込む命の力が強すぎて、あろうことか、土に還ったはずの死者にまで新しい命を与えてしまう。
 ​ それを咎めたのが、世界の調律を司る全知全能の神だったらしい。

『命の巡りを乱してはならぬ』

 怒った神は春の力を取り上げ、封印しようとした。

「けれど、運命というのは時として神の手さえすり抜けるらしいです。零れ落ちたその強大な力が、偶然通り掛かった旅人の男の体に宿ってしまったのですから」
「ふふっ、面白いこともあるのね。それからどうなったの?」

 カナンは続ける。​神は男に告げた、と。

『その力を抜き取れば、お前の命はない。今すぐ死ぬか、あるいはその力をその身に封じ、この地で一生を終えるか。選ぶがいい』
 ​ 男は、生きることを選んだ。神に命じられた通り、国をつくり一生を終える。

 そして力は男の血の中に深く、深く沈み……いつしか歴史の闇に忘れ去られていったはずだった。

 ​ところが、長い年月が過ぎたある日。

 何故かその『禁忌の力』の存在が隣国に知られてしまった。

「……隣国?」
「……」

 頭をもたげようとしたラシーヌを、カナンは撫でるように留める。そして続けた。

「力を欲した強欲な王が軍を率いて国を焼き尽くしました。王族たちは捕らえられたけれど、不思議なことに、誰一人として春の気配を思わせる力など持っていなかったのです」

 ただ一人、忠臣の手によって戦火を逃れたお妃だけが、お腹にその宿命を宿していたとは知らずに。

 彼女は隠れ家で無事に娘を産み落とした。けれど……命と引き換えにするように、そのまま静かに息を引き取った。

 ​残されたのは、何も知らない赤ん坊の姫。

 彼女が笑えば空に鮮やかな虹が架かり、彼女が歩けば枯れ木に柔らかな芽が吹く。

 その光景を見た忠臣は、震える手で決意した。

​『この力を、決して誰にも知られてはならない』

 彼は姫を世間から隠し、本当の両親のことも、滅ぼされた故郷のことも、決して語らなかった。

 その姫を、ただ一人の少女として育てようとした。

 ​けれど、彼は知っていた。

 自分がいなくなった後、彼女が一人きりになってしまうことを。

 だから彼は、古い魔法が込められた一体の刻ノ人形クロノドールを彼女のそばに残した。

 それは言葉を解し、心を持つように創られた器。

『どうかこの子の友となり、家族となって、その孤独を分かち合ってくれ』

 そう祈りを込めて。

「まるで……」

 祖父のようだ、と言いかけて、ふと動きを止める。そうなると、誰がクロノドールなのだろうか。

 ただの寝物語に過ぎない。わかっているのに、どこか真実味を帯びている気もして、それ以上何も言えなくなる。

 ラシーヌとカナンの間に静寂が訪れた。

 彼女はゆっくりと身を起こして、カナンを見る。相変わらず丸メガネの向こうの瞳は、淡々としている。

 恐る恐るラシーヌは問いかけた。

「これは物語であって現実ではないのよね……? 何かの比喩が込められていたりするのかしら」
「さて、どうでしょう」

 確たる答えは言わず、彼女は緩やかに口角を上げて、柔らかく微笑む。そして静かに目を伏せた。

「ただ、思うのです。もし本当に人形へ特別な力があれば、その姫はずっと幸せに暮らせたのでは、と」

 どこか悲しげな雰囲気を纏うカナンの手を、ラシーヌは思わず握りしめた。

「違うわ。その人形が傍にいることが、姫にとって何よりの幸せだったのよ」
「傍にいるだけですか……?」
「ええ」

 ニコリと笑いかけるラシーヌ。カナンの表情もやわらいで、二人は互いに微笑みあった。
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