【完結】ステージ上の《Attract》

コオリ

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第8章 決断のとき

39 監禁

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 この一ヶ月近く、毎朝走ってきたランニングコースだったが、この時間帯にここに来るのは今日が初めてだ。
 天頂から太陽が照りつけている。
 標高六〇〇メートルほどの山腹に作られたこのコースは、ランニング用に整備された道以外、緑の木々と草が生い茂っていた。
 この辺りの地理に明るい人間でなければ、少し道を外れただけでも簡単に迷ってしまいそうな、かなり入り組んだ山道ばかりが広がっている。
 そんな周囲の様子に気を配りながら、純嶺は走り慣れたランニングコースを進んだ。
 少しの違和感も見逃さないよう、いつもよりゆっくりめのペースだ。
 風が木々を揺らす音に振り返っては、何もないことを確認して短く息をつく。先ほどからずっと、その繰り返しだった。

「……変なことに、巻き込まれてないといいが」

 ぽつり、と呟く。
 そんな風に思ったのは、前にあんな会話を聞いてしまったからだ。

『……クッソうぜえよな、蘭紗らんしゃって』
『あいつ、Subのくせに生意気なんだよ。SubならSubらしく、地面に這いつくばっときゃいいのに』

 彼らが話していた内容だけでなく、声や口調まで、はっきりと思い出せた。
 蘭紗も純嶺と同じSub。本人から直接そう聞いたわけではないが、少なくとも蘭紗のことをそう認識し、さらにはその二次性を蔑んでいる者が、この合宿所の中にいるのは間違いない。
 そんな中で起こった、失踪騒ぎ。
 関係のない出来事だなんて思えるはずがなかった。

 ――思い過ごしならいい。

 むしろ、そうであってほしい。
 この捜索が無駄足になったとしても、事件など何も起こっていないほうがいいに決まっている。
 そう願っているのに、胸騒ぎが収まらない。
 そんな純嶺の心情を表したかのように、急に空まで曇り始めてきた。さっきまであんなに晴れていたのに、天候が崩れる前触れだろうか。

 ――少し、急ぐか。

 こんな場所で雨に降られては困る。
 それでも注意深く周りを確認しながら、純嶺は蘭紗の捜索を続けた。




「ん……あれは?」

 ランニングコースの半分ほどまで来たところで、純嶺は前方に人影を見つけて足を止めた。
 濃いグレーのつなぎと同色のキャップを被った男性が二人、道沿いに並ぶ木々を見上げるようにして立っている。

 ――ここを管理している人間か?

 純嶺の目には、そう映った。
 こちらからは背中側しか見えないので、男たちの顔を確認することはできない。背格好からして、そこまで年配ではなさそうだが、そのぐらいのことしかわからなかった。
 なんとか正体を見極めようと目を凝らしてみたが、男たちが何者かわかるようなものは何もない。すぐ傍に停められた白いバンにも社名など、男たちの所属を示すものは何も書かれていなかった。

 ――怪しくは、ないよな?

 こんなときだからこそ、何もかもが怪しく見えてしまうが、別におかしなところはない。
 このランニングコースは合宿所に付属する専用のコースというわけではなく、近くにある別荘地の人間も利用する共用のランニングコースだった。
 かなりの広さがあるのに、いつもきちんと手入れされているのは、彼らのような人間が管理に関わっているからだろう。

 ――彼らなら、どこかで蘭紗を見てるかもしれない。

 蘭紗は目立つ見た目だ。
 あの鮮やかな青のロングヘアは、初めて見たものなら特に記憶に残るだろう。聞いてみれば何か知っているかもしれない。
 思い立って、男たちに近づいてみる。
 こちらが声を掛けるより早く、純嶺の足音に気づいた一人がこちらを振り返った。

 ――意外と若いな。

 真っ先にそんな印象を持った。
 だが、怪しいところはない。
 青年に笑顔で会釈されたので、純嶺もぺこりと頭を下げる。三歩ほどの距離まで近づいた。

「どうかされましたか?」
「人を探してるんだが……見てないかと思って」

 手短に要件を告げ、蘭紗の見た目を簡単に説明する。純嶺の話を最後まで聞いた青年は、何かを思い出そうとするように視線を宙に動かした。
 腕を組んで首を傾げた後、いまだにこちらに対して背中を向けて立つ隣の男のほうに視線を向けて、トントンと肩を叩く。

「オレは気がつかなかったけど、先輩は見ました?」

 どうやら彼の先輩にあたる人物らしい。
 青年に話しかけられて、先輩と呼ばれた男性が面倒くさそうな表情でこちらをちらりと見た。
 その視線に晒された瞬間、背中に冷たいものが走る。熱を出したときの悪寒によく似た不快感を――その原因を、純嶺はよく知っていた。

 ――この男、Domか。

 久しぶりの感覚だった。
 薬を飲み始めてからは、ほとんど感じることのなかったせん以外のDomのグレアの気配に一瞬怯んだが、別に慌てることはない。
 こうしてDomに会うことなんて、珍しくもないことだ。
 それに今の純嶺は薬のおかげで、前ほどグレアに対して敏感に反応しない身体になっている。過剰に怯える必要はなかった。

「……見てないな」
「だそうです。すみません、全然お役に立てなくて」
「こちらこそ、仕事の邪魔をして悪かった」

 純嶺はそう言って頭を下げると、男たちに背を向ける。
 傍に停められた白いバンの横を通り抜けようとした瞬間、大きな音を立てて、勢いよくバンの後部座席の扉が開いた。
 誰かが車に乗っていることを全く想定していなかった純嶺は、その音に驚いて振り返る。

「……うッ」

 だがその瞳が車に乗る何者かを映す前に、強い衝撃が純嶺を襲った。
 ぐらり、と世界が大きく揺れる。
 抵抗する間もなく、純嶺の意識は暗転していた。


   ◇


「…………ッ!」

 突き刺すような鋭い痛みに、意識を引き戻される。
 痛む頭に手を伸ばそうとして、純嶺は自分の身体が自由に動かせないことに気がついた。

「目が覚めた?」

 間近から聞こえた知らない声に、まだ閉じたままだった瞼を慌てて抉じ開ける。
 寝転がった体勢のまま、周囲に視線を巡らせた。

 ――どこだ、ここは。

 薄暗い室内、狭い物置きのような場所だった。
 長く使われていない場所なのか、やけに埃っぽく、物が散らかっている。
 天井に近い位置にある小さな窓から差し込む光だけが唯一の光源だったが、充分に光がなくとも、目の前にいるのが誰なのかはすぐにわかった。

「……蘭紗」
「キミ、芦谷あしやだよね。全然動かないから、死んでるのかと思った」

 青に染めた特徴的な長い髪は見間違いようがない。
 中間発表のときに一度言葉を交わしたきりだが、その飄々とした態度も相変わらずだった。
 ただ、この状況だけは異質だ。
 目の前に座る蘭紗は、室内にある柱に身体を縛りつけられていた。首から上しか自由に動かせないらしく、ときおり不満げに顔を歪めている。
 純嶺の身体も拘束されていた。
 蘭紗のように柱にこそ縛りつけられていなかったが、後ろ手に縛られているせいで腕はほとんど動かせない。足首にもきつめに縄が巻かれていて、すぐに身体を起こすことはできなかった。

「……どういう状況なんだ、これは」
「さーね。ボクにわかるのは、閉じ込められてるってことだけ」
「こんなことをした犯人は? ここにはいないのか?」
「キミがなかなか起きないから、つまんないって言ってどこかに行ったよ」

 なんとも緊張感のない受け答えだった。
 しかし、犯人も犯人だが、蘭紗も蘭紗だ。監視の目のない今のうちに、逃げ出そうとは思わなかったのだろうか。
 出入り口は一つ。扉は特に頑丈そうには見えない。
 手足を拘束されているとはいえ、逃げようと思えば逃げられそうなのに。

「お前は犯人が誰なのか……そいつの目的がなんなのか、わかってるのか?」
「それ、わかったところでなんか意味ある?」

 相変わらず、人をくったような態度だ。
 こんな状況だというのに、飄々とした様子も変わらない。
 蘭紗はくだらない質問だとでも言いたいのか「あーあ」とわざとらしく溜め息を吐きながら、純嶺から視線を逸らした。
 純嶺もそれ以上の会話を諦める。
 今はここからの脱出に専念することにした。

「……よ、っと」

 そんな掛け声とともに、ごろりと仰向けに寝返りを打つ。
 下敷きになった縛られた腕の力と、腹筋と背筋を同時にうまく使い、身体を起こした。

「痛……ッ」

 急に動いたせいか、また頭が鋭く痛んだ。
 目の奥まで響くような痛みに、純嶺は思わず顔を歪ませる。

「キミさ、あいつらに殴られたんだろ。動いて平気なわけ?」

 近くの壁に背中を預けるように座り直した純嶺に、蘭紗が話しかけてきた。
 口調は変わらず突き放すような言い方だったが、内容は純嶺を心配するものだ。

「ああ……これ、殴られたのか」

 どうしてこんなに痛むのだろうと不思議に思っていたところだった。どこかでぶつけたのかと考えていたが、どうやら何者かに殴られたせいで、こんなにも痛むらしい。

 ――どうして、こうなったんだっけ。

 ここに連れてこられる前の記憶がひどく曖昧だった。
 そのせいか、現実感もどこか薄い。
 なんだか他人事のようで、恐怖もあまり感じていなかった。

「……まあ、いい。とにかくここを出るか」
「出るって……いや、待って。なんで腕の縄が解けてるの?」
「もう、足の縄も解けるが」
「そういう話じゃないでしょ? え? 何? 全然意味がわかんないんだけど」

 蘭紗はひどく驚いている様子だったが、純嶺にはその理由がわからなかった。
 首を傾げる純嶺に向かって、蘭紗は「マジで意味わかんない」と繰り返している。

「いったい、何したの」
「何って、これぐらいの縄なら普通に抜けられるだろ」
「できないよ、何言ってんの。キミって頭おかしいんじゃない?」
「…………」

 ――できないものなのか?

 当然できることだと思っていた。
 そんなに特殊な結び方をされていなかったおかげもあるが、コツさえわかっていれば縄抜けはそんなに難しいものではない。
 身体の柔らかさを競うついでに、コウやアキラとよくこういうことをして遊んでいた。
 ダンサーの身体能力を持ってすれば、これぐらいはできて当然! というのがコウの持論だったので、純嶺もそれを信じ、みんなできることなのだと思い込んでいた。

「……いや。そんなの当たり前じゃないし。ダンスと縄抜け、関係なさすぎでしょ」
「でも……コウが」
「そいつも頭おかしいんじゃない?」

 キャンキャンとうるさい蘭紗を拘束していた縄もすべて解き終える。
 ぼろい木の扉を蹴破って、二人は小屋の外へと出た。
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