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第四幕*伸ばした手に、触れた光

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「っ……ぅぐッ」

 体験したのことのある、覚えのある息苦しさだった。
 ぐちゅり、ぐちゅり、と口の中から奇妙な音が聞こえる。
 舌や歯列をなぞられる感覚に、ぞわりと体の奥から震えが沸き起こった。口の中に何かが入り込み、動いているようだ。縦横無尽にエランの口の中で這いまわり、前触れもなく喉奥にまで侵入してくる。
 息苦しさの原因はそれだった。

「ぅ……は、ぁン……っ」

 目を開くと視界に飛び込んできたのは、金色だった。
 横向きにうずくまるエランの顔の前に、金色の細長い触手が群がっている。触手たちは撫でまわすようにエランの顔に触れ、そのうち何本かは口に侵入していた。
 先ほどの行為を繰り返しているのはそれだった。
 エランはそれを振り払おうと小さく頭を振る。しかし体は重く、あまり激しくは動かせない。軽く動かそうとしただけなのに、何故だか驚くほどに息が切れた。酷い疲労感が付きまとう。
 エランが目を覚ましたことに気づいた触手が、いったん距離を取るように離れていく。口に入っていた触手も抜け出ていった。
 だが、触手は完全には離れず、エランをじっと観察するかのように目の前で蠢いている。

 ―――これ、ルチアの?

 触手は見覚えのある金色だった。その形状も……それはエランの記憶にある、ルチアのものと同じに見えた。
 一瞬、ルチアが目を覚ましたのかと思ったが、すぐに違うと気づく。エランに群がる触手の根元にいたのは、触手と同じ色の塊だったからだ。
 それにも見覚えがあった。

 ―――俺から出てきたやつか。

 気を失う直前、自分の中から出てきたものを一瞬だけ見た。強すぎる衝撃にすぐに気を失ってしまったが、エランはその形と色をきちんと覚えていた。
 ぬめりを帯びた金色の塊。それは記憶のものと一致している。
 塊自体も小さく蠢いていた。くにゅ、と生き物のように動くそれは、その得体の知れなさが少しだけ不気味に映る。
 それをしばらく観察していたエランは、明らかに記憶と違う箇所に気づき首を傾げた。

 ―――あんな、大きさだったか?

 塊はエランの足元に転がっている。その距離のせいですぐには気づかなかったが、それは記憶のものと明らかに大きさが違っていた。
 出てきたものは拳より少し大きい程度だったはず……でなければ、エランの孔を傷つけずに出てこられるはずがない。
 だが、目の前にいる塊は、少なくともその倍以上の大きさがあった。
 エランから出てきた後、成長したのだろうか。そういう生き物なのだろうか。

 ―――しかし、生まれてきたのがあんな形のものだなんて。

 イロナが「ルチアの子」と言っていたから、生まれてくるのは人型の何かなのだと勝手に思っていた。しかし実際に生まれてきたのはただの金色の塊で、それはただの魔物のようにしか見えない。
 体の表面から十本以上の触手を生やしたその塊は、今もエランの様子を窺っているようだった。自我はあるのだろうか。意思の疎通は取れるのだろうか。
 気にはなるが、何かをする気にはなれない。

 ―――体が、重い。

 その原因は体の重さだった。体が鉛のように重いせいで、何かをする気がまるで起きない。
 目が覚めて暫く経つが、それが軽快する様子がない。ずしりと重いまま、腕を動かすのも億劫に感じる。
 声を出すのも辛かった。呼吸が浅いせいか、頭も少し朦朧とする。
 
「……ぅ…………く」

 息苦しさに小さく呻いた。
 これは……良くなるどころか、悪くなっているような気さえする。
 視線を動かすのさえ、何だか緩慢になる。
 
「……っ」

 ずっと様子を窺っていただけの触手が、再びエランに触れてきた。
 一本が頬に触れ、さわりと撫でるように動く。いきなりのことにエランは驚いたが、それでも自分では身動き一つ取れない。
 触手が何をしようとしているのかわからない。エランはただ、その動向を見守ることしかできない。
 抵抗しないとわかって、他の触手もエランに向かって伸びてきた。
 その中の数本がエランの腰に絡みつく。ぐるりと一周巻き付いたそれは、どうやったのかエランの体を横向きから仰向けへと器用に転がした。
 随分と細い触手なのに、その力は驚くほどに強い。
 何をする気なのだろう。触手の動きは予想ができない。
 上を向くと、余計に息苦しく感じた。息を吸い込むにも力が必要だ。喘ぐように口を開け、何とか体に酸素を取り込もうとするが、その苦しさはどうにもならなかった。
 そんなエランの口に、頬を撫でていた触手が滑り込む。

「……ん、ぅ」

 入ってきた触手は、エランの口の中に何かを吐き出した。甘くとろりとした液体だ。
 ケラスィナの蜜の甘さとも違う。爽やかな甘さの液体を流し込まれ、エランは無意識にそれを飲み込んでいた。
 一口飲むと喉が渇いていたことを思い出す。体が激しく水分を求めていた。エランは触手から与えられるまま、こくりこくりと喉を動かす。
 触手が口元から離れる頃には、不思議と少しだけ息苦しさがマシになっていた。
 代わりにどくりと心臓が鼓動を早める。体の奥からふつりと熱が込み上げてくる。

 ―――ああ、これは。

 身に覚えのある熱だった。熱いのに、体がぞくりと震える―――欲情の熱だ。
 先ほど口にしてしまったあの液体は媚薬の類だったのだろう。体の奥からぞくぞくと込み上げる震えに、刺激が欲しくて堪らなくなる。
 だが、体は重いままだ。自分で動くことは難しい。
 エランはねだるような視線を金の塊に向けていた。今、自分の願いを叶えてくれそうなのはそれしかいない。
 まるでその願いが届いたかのように、金の塊から生える触手が動いた。
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