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1巻
1-1
しおりを挟む第一幕 冒険者は傀儡に堕ちる
――一晩でこんなに稼げる仕事が、まともな仕事なはずがない。
そんなことは、誰に言われるまでもなくわかっていた。
わかっていたが、背に腹は代えられない。こんな見るからに怪しい依頼書に飛びつかなければいけないほど、エランは窮地に立たされていた。
エーランド・シェルリング。通称エラン。冒険者ギルドに所属するBランクの冒険者だ。
冒険者といっても短剣使いなので、身体はそこまで大きくない。むしろ小柄なほうだった。
加えて童顔のせいで二十二という実年齢よりもずいぶん若く見られる。女顔ではないのに、臨時のパーティーに入れば「嬢ちゃん」などという不名誉なあだ名で呼ばれることもあった。
黒髪黒目という見た目も、大人しそうに見えるのだろう。全身黒ずくめで不機嫌そうに顔を顰めていても、身体が小さいというだけで周囲の冒険者からは舐めた態度ばかり取られる。
今回こんな窮地に立たされたのだって、この外見が原因の一つだった。
華奢で小柄というだけで、エランは冒険者ギルドの中でよく目立っていた。相手に舐められないようにと、わざと愛想悪く振る舞っても、エランにちょっかいをかける者は後を絶たない。
冷たくあしらえば、『お高く止まっている』などと難癖をつけられることも少なくなかった。
容姿だけでなく、この歳でBランクというのも、他の冒険者の自尊心を刺激するのだろう。
ランクに見合った実力は充分あるのに、周りはそんな風に見ない。エランを外見だけで判断し、実力にそぐわない評価だと勝手に決めつけるのだ。そんな馬鹿げた理由から、エランのことを「嬢ちゃん」どころか「姫さん」などといって揶揄ってくる輩もいた。
言葉で揶揄ってくるだけならまだマシだ。それだけでは済まされないこともある。
これまでも数えきれないほどの面倒事に巻き込まれてきたエランだったが、今回のいざこざはその中でも最悪の部類だった。
きっかけは、酒場で起こった小さな諍い。
目をつけられたのはエランではなく、酒場の一人娘だった。
いざこざの原因となった男たちは冒険者とも呼べないゴロツキどもで、酔っぱらいの扱いには慣れているはずの彼女も、うまくあしらえずに困っていた。
「やめてくださいっ!」
そう叫ぶ彼女を助ける人間は誰もいなかった。皆、騒ぎには気づいているのに、離れた場所から様子を窺うだけで、男たちとなるべく目を合わせないようにしているのがわかる。
そんな状況を見過ごせるエランではなかった。
「あまり騒ぐな。それぐらいにしておけ」
エランは食べかけの料理を置いて席を立つと、我が物顔で振る舞う男たちに近づいた。男たちは後ろから割って入ったエランを上から下まで舐めるように見た後、揃って下卑た嗤い声を上げる。
「なんだァ、嬢ちゃん。一緒に遊んでほしいのかぁ?」
エランの肩に手を置いて、ねっとりとした声で言ったのは、エランの真横に座っていた髭面の男だった。醜い巨体を揺らして、ギヒギヒと笑う姿が不愉快極まりない。
エランが何も応えずに眉を顰めていると、酒を一気に飲み干した男が気持ち悪い笑顔を張りつけたまま、エランの尻を鷲掴みにしてきた。
「ぐ、あ……ッ!」
しかし、無様な悲鳴を聞かせたのは男のほうだ。
エランに容赦なく手首を捻り上げられ、声を我慢できなかったらしい。
「てめえ! 何してくれてんだァ!!」
反撃に逆上した男は唾を撒き散らしながら叫ぶと、椅子を蹴って立ち上がった。
太い腕でエランの胸倉に掴みかかる。酒とドブを混ぜたような臭い息を吐きながら、血走った目でエランを睨みつけた。
「表へ出やがれ。相手になってやらァ」
その挑発にエランは無表情のまま頷いた。ゴロツキどもを全員連れて、酒場を後にする。
――酔っぱらいが四人か。
店のすぐ脇、路地の突き当たりに追い詰められたエランだが、内心は極めて冷静だった。
自分を取り囲む男たちの様子を観察する。男たちは皆それなりの装備を身に着けているが、大した相手には思えなかった。エランのことを舐めきっているからか、全員隙だらけだ。こんな相手はたとえ数が多くても、返り討ちにするのは難しくない。
その見立てどおり、エランは男たちをほぼ一撃で無力化した――が、それが逆効果となった。
男たちは人数でも体格でも勝っていた自分たちが負けたことが、相当気に食わなかったらしい。恥をかかせたエランにどうにかして復讐しようと考えた挙げ句、とんでもない手段に出た。
エランの名を騙り、多額の借金を重ねたのだ。
エランがそんな男たちの所業に気づいたのは、しばらく経ってからのことだった。住まいにしていた安宿に大量の督促状が届き、初めて事態に気づいたのだ。届いた書面に記載されていた額はエランがどうやったって支払えるものではなく、しかも返済期日はすぐそこまで迫っていた。
もちろん、エランもそんなことをされて、何も手を打たなかったわけではない。
届いた督促状を手にすぐにギルドへ行き被害を訴えたが、見せられた借用書は紛れもなく本物で、内容を覆すことは叶わなかった。こういうとき、孤児院育ちのエランの訴えは真剣に取り合ってもらえない。窓口の職員は親身に話を聞いてくれたが、さらに上の立場の人間となるとその扱いはひどかった。不在だったギルド長の代わりに対応した副ギルド長は、『どうせ本当は自分で借りたのだろう』と最初から決めつけ、話すらまともに聞いてくれなかったのだ。
エランはギルドに助けを求めることを早々に諦め、自力で犯人たちを捜そうとした。だが、男たちの居場所を突き止めることはおろか、手がかり一つ見つけられない。
気づけばこの借金を返済する以外、エランに残された道はなくなってしまっていた。
「……クソが」
督促状を握り締め、低く悪態をつく。外見にそぐわない言葉遣いだとよく言われるが、エランは魔物との戦闘を生業とする冒険者だ。荒くれ者というほどではないが、可愛らしいお嬢さんではない。可愛い自分なんて望んだことは一度だってなかった。
それがこんな面倒事を引き起こす一因なのだから、喜べるわけがない。
――でも、そうも言っていられない……今は、この容姿をうまく利用するしかない。
今回だけは、その覚悟を決めるしかなかった。
エランは裏通りを訪れていた。
馴染みの武器屋やギルドがある表通りからそこまで離れているわけではないのに、その雰囲気はかなり異質だ。空気は重く淀んでおり、無遠慮に向けられる視線も不快でしかない。
建物の中からは一人や二人ではない気配を感じるのに、やけに静かなのも不気味さを醸し出していた。夕暮れ時という時間帯もまた、この異様な雰囲気を助長しているのだろう。
入り組んだ路地に差し掛かり、エランは一度足を止めた。手の中にある依頼書に視線を向ける。
エランの持つそれは、正規の依頼書ではなかった。だというのに、その依頼書にはギルドが発行する正規の依頼書より上質な素材が使われている。さらには緻密な紋印まで押されていた。複製が難しいとされる紋印は、依頼主が誰であるかを示すものだが、ここまで緻密なものは珍しい。
この依頼書はエランが今まで手にした物の中でも、極めて怪しげな代物だった。
「……怪しいのは、中身もか」
依頼内容は、えらく遠回しな文脈で書かれていた。
要約してみれば『一晩、いかがわしい舞台で見世物になれば報酬を与える』という、いかにも下衆らしい内容だったが、それだけなら非正規の依頼で特に珍しくもない。
その依頼書が怪しい理由は、依頼の内容以外にもある。
――報酬額が破格すぎる。
そこに書かれた金額は、Aランク討伐依頼の一回分の報酬と同程度。そう言ってしまえば安く思えるが、決してそんなことはない。Aランク討伐依頼の九割以上はパーティーでその任を請け負うものだ。それにどれも一日で成し遂げられるものではなく、人数と日数をかけた上で達成し、支払われる額が討伐報酬となる――それも個人ではなく、パーティー単位で支払われる額だ。
そこから経費を差し引き、人数で割った額が個人の報酬となる。
五人パーティーならば、一人当たりの報酬は五分の一になるというわけだ。
しかし、この依頼はその額を〈一晩で一人に支払う〉というのだから、破格で間違いない。
「明らかに……怪しいよな」
誰が見たって怪しい。それでも、こんな怪しいものに縋るしか、もう手段がない。
それが、今のエランにつきつけられた現実だった。
「ここが、そうだな」
細い路地の先に、エランの目的地はあった。
壁の一部が剥がれ落ちている古びた石造りの建物だ。傷と汚れが目立つ木製の扉の上部に目を凝らせば、そこに依頼書に押されているものと似た、緻密な紋印が刻まれているのが確認できる。
「……同じだな」
二つが全く同じものかどうか、エランは手元の依頼書を近づけて見比べた。
場所は間違いないようだ。しかし、すぐに扉を開く気にはなれない。
何度もドアノブに手を伸ばすが、指先が触れるより前に手が止まってしまう。
――扉を開けば、戻れなくなるかもしれない。
迷わないわけがなかった。冒険者が消えるなんてことは珍しくない。
たった一人で消えれば、失踪の理由は誰にもわからない。依頼中であればギルドが行き先を把握しているが、それ以外は足取りを掴む方法すらなかった。
自分から消えたのかもしれないし、何者かに消されたのかもしれない。
行方知れずになった冒険者を、わざわざ金を出して捜索する者は少ないのだ。
――俺が消えたって、誰も気づかない。
この依頼書だって、どこで話を聞きつけたのかもわからない怪しげな男が無理やりエランに握らせてきたものだった。ギルドの前で途方に暮れていたエランに近づいてくるなり、『金に困っているんだろう』と囁きかけてきた男の正体を、エランは知らないままだ。
男は、エランとギルド職員の会話を偶然耳にしたと言っていたが、その話だって本当かどうかわからない。これがさらにエランを貶める罠だという可能性もある。そう疑うのが一番自然だろう。
――こんなものに釣られる俺は馬鹿なんだろうな。
エランはおもむろに扉を見上げ、溜め息をこぼした。
「でも……行くしかない、か」
呟いて、心を決める。勢い任せにドアノブを回し、建てつけの悪い扉を全身で強く押すと、扉は低く唸るような音を立てて開いた。
「…………」
入ってすぐは、狭く薄暗い廊下だった。人の気配は感じられない。立ち止まって廊下の奥に目を凝らすエランの後ろで、扉の閉まる音が響いた。
心臓は早鐘を打っているのに、指先から少しずつ冷えていくのがわかる。
まるで、初めての討伐任務で魔物と対峙したときのようだ。
――冒険者がこんなことで怖じ気づいてどうする。
拳を強く握り、なんとか気持ちを奮い立たせる。周囲に警戒しながら廊下を進むと、最奥に扉を見つけた。それ以外に扉はなかったので、この先に進むしかないのだろう。
今度は一瞬も躊躇わず、扉を開く。
「遅かったね」
「……っ」
いきなり声を掛けられ、エランは身を竦めた。
声の主はエランの正面、机を挟んだ向こう側に座っている。革張りの椅子の肘置きに寄りかかりながら、興味深げにエランのことを見上げていた。
――こいつが、依頼主か? ずいぶん若いな。
依頼主とおぼしき青年は、エランとそう変わらない歳に見えた。
魔術師のような格好だ。繊細な金糸の刺繍で縁取られた上質な黒地のローブは一見派手に思えたが、高貴な上品さもあり、青年にはよく似合っている。
優男と呼ぶのがふさわしい雅やかな顔には、柔和な笑みが浮かんでいた。
青みがかった淡い銀色の長い髪は、編み込むようにして一つに束ねられている。顔の横に垂れる毛先を指先でくるくると弄びながら、青年は金の砂粒が混ざったような不思議な煌めきを宿す藍色の瞳をエランに向けていた。
――この男、亜人族か。
青年の髪の隙間から、特徴的な尖った耳が覗いていることに気がついた。その特徴は青年がエランと同じ人族ではなく、亜人族であることを示している。
姿形は人族とよく似ているが、人族とは違う特徴や能力を持つ種族のことを亜人族と呼ぶ。
こうして街中で見かけるのは珍しかったが、討伐任務で森を訪れたときに何度か遭遇したことがあるので、エランは特に驚かなかった。耳の尖った種族は亜人族の中でも自然を好み、街の喧騒を特に嫌う種族だと聞いていたが、どうやらこの青年は違うらしい。
まさか、こんな裏通りで亜人族に出会うなんて。
――不思議な男だ。
エランがじっと観察しているあいだも、青年は笑みを崩すことはなかった。
どこにも奇妙なところはないはずなのに、エランは青年に小さな違和感と悪寒に似た感覚を覚える。慣れない状況にいつもより緊張してしまっているせいだろうか。
なんとか落ち着こうと、エランはゆっくり息を吐き出した。
「――どうぞ、座って」
観察はもう充分だろうと、遠回しに告げられた気分だった。青年は優雅な仕草で、正面にある椅子をエランに勧める。エランが腰を下ろしたのを確認して、にっこりと笑みを深めた。
「扉の前で立ったまま全然入ってこないから、帰っちゃうのかと思ったよ」
青年は馴れ馴れしい口調で話しかけてきた。その内容にエランは首を傾げる。この部屋の前で長く立ち止まった記憶がなかったからだ。
悩んでいた時間があったとすれば、この建物に入る前のあのときだけ。
――まさか、そこから見られていたのか?
エランは眉を顰めた。見知らぬ相手に監視されて、気分のいい人間などいない。
「そんな警戒しないでよ。この辺りは物騒だから、外の監視は必要なことなんだ。扉の前で立ち尽くしている人がいたら、気になって当然だと思わない?」
エランの心を読んだかのように、青年が付け加えた。笑顔で首を傾けながら、「ね?」と同意を求めてくる。
「それに、君はその依頼書を持ってるからね。ここに近づけばすぐにわかるんだよ。ボクに用があるのに入ってこないなんて、外を確認して当然でしょう?」
青年はそう言って、エランの手元にある依頼書を指差す。
「近づけば、すぐにわかる? なぜだ?」
青年の言葉に引っ掛かりを覚え、エランは疑問を口にした。
「ああ。その依頼書は魔術具だからね。ボクは魔術具の気配に敏感なんだ」
「これが、魔術具……?」
「そうだよ。気づいてなかったの?」
気づけるわけがない。青年はさも当たり前のことのように言ったが、エランでなくとも、この依頼書が魔術具だと一目で気づく者はいないだろう。
魔術具は極めて珍しく高価なものだ。庶民が簡単に手に入れられるものではない。
――これが、魔術具。
エランは手の中にある依頼書をまじまじと凝視した。視線に反応するように、依頼書に押された紋印がふわりと発光する。
「そんなことよりも、その依頼書を持ってここに来たってことは――いいんだよね?」
青年の問いに、エランはゆっくりと顔を上げた。
青年はわざと濁すように言ったが、その質問の意味は聞き返さなくともわかる。ここに書かれている依頼を本当に受ける気があるのかと、エランに確認しているのだ。
「…………ああ」
エランは躊躇いつつも、青年の問いに頷いた。
もう、これしか手段がないとわかっていても、不安な気持ちを押し殺すことは難しい。
青年はエランの躊躇いに気づいたはずなのに、ふっと息を漏らすように笑っただけだった。しばらくエランを見つめた後、ゆったりとした手つきで机の上に一枚の紙きれを置く。
「じゃあ、ここに署名してくれる?」
「これは?」
「契約の魔術具だよ。これがどんなものか、冒険者の君なら説明しなくてもわかるよね?」
まだこちらの身分は明かしていないはずなのに、どうして冒険者だとわかったのだろうか。
エランは訝しげに眉を顰めながら、青年の差し出した紙きれを見つめた。
――契約の魔術具か。厄介なものが出てきたな。
契約の魔術具とは、秘匿性の高い依頼を受けるときにギルドでも使われている魔術具だ。実際に使ったことはなくとも、冒険者なら誰もが知っている。これに署名した者は、契約書に記された内容に魔術によって縛られることになる。もし契約を破った場合、即時罰則が下される魔術が施された魔術具だった。その罰則は契約主が自由に決められるようになっている。その中で一番重い罰則は『死』――そんな恐ろしい契約も簡単に結べてしまう、とんでもない代物だった。
「そんなに険しい顔をしなくても大丈夫だよ。契約を破ったとしても殺しはしないから。詳しいことは読んでもらえればわかると思うけど」
「読むのは面倒だ。説明してくれるか?」
「うん? それはいいけど……ボクが嘘をつくとは思わないの?」
「……別に」
そう答えたが、別にこの青年を信用しているわけではない。ゴロツキどもに嵌められてここにいるエランは、既に自分以外の誰のことも信用できる状態ではなかった。
しかし、それはこの契約の魔術具にだっていえることだ。
この契約書は国やギルドを通して発行されたものではない。書かれた契約内容が偽装されていないと証明する方法が存在しないのだ。魔術によって見えない文字を刻み、書かれた内容とは違う契約を結ばせることだって容易にできてしまう。ならば、これをエランが読んで確認するのも、この胡散臭い青年に説明させるのも、結果は同じに思えた。
「まあ、君がいいって言うならいいよ。ボクから説明しよう」
「簡潔に頼む」
「わかった。説明の足りないところがあったら君から質問してくれる? じゃあ早速、君に頼みたい仕事の内容だけど――君には、見世物小屋で見世物になってもらう。期間については、君に選んでもらって構わない。一晩だけでも一か月でも、なんならずっとでも」
青年は慣れた様子だった。手元の契約書には一度も視線を向けず、エランをまっすぐ見つめたまま、淀みない口調で説明する。
――見世物の内容について、はっきり言わなかったのは……わざとか?
事前にエランが確認した依頼書には、これが『いかがわしい舞台』であるとはっきり記載されていたのに、青年はあえてその説明を避けたようだった。こちらを試しているのだろうか。
わかっていて誘いに乗るのは癪だったが、確認しないわけにはいかない。
「……その、見世物というのは?」
エランが緊張した声で問うと、青年は眉をわずかに持ち上げた。静かに笑って、口を開く。
「――魔物との性交だよ」
その答えにエランは目を瞬かせたが、瞬時に納得した。
ここに来るまでずっと謎だった、高額な報酬の理由がわかったからだ。
――人間と魔物を、性交させる見世物か。
魔物とは文字どおり、魔の生き物のことだ。魔力の澱から生まれ、人々に害をなす生物。
その討伐を請け負っているのが、エランたち冒険者だった。普段は倒すべき敵との性交……それも理性や意思を持たぬ魔物を相手に、大勢の前で行えと言っているのだ。
「……その魔物の種類は?」
「っはは。今のは驚いたり、怒ったりするところだと思ったのに。次の質問はそれでいいの?」
「俺だって、それなりの覚悟はしてきている」
「そっか。面白い子なんだね、君は」
青年は目を細め、たまらないといった表情を浮かべた。
「魔物の種類か。そうだね、うちにはいろんな子がいるよ。人型、獣、植物……他には丸呑み系もいたかな。君と相性のいい子を選んであげるから、楽しみにしておいて」
――楽しみなわけがないだろう。
青年は心底楽しんでいる様子だが、その気持ちを理解することは到底できそうになかった。
それでもエランはできるだけ冷静を装って、質問を続ける。
「そんな風に魔物を扱って、危険はないのか?」
「危険?」
「俺は冒険者だから普段の奴らのことをよく知っている。魔物は話の通じる相手ではないだろう。そんなことをして、こちらが危険に晒されることはないのか?」
「ないよ。きちんと調教してあるからね。君は気持ちよくなるだけだよ」
青年は笑顔を崩さずに答えたが、その言葉を素直に信じることはできなかった。
――魔物相手に気持ちよくなるなんて、そんなことがあり得るのか?
「……本当に?」
「そんなに心配? 何かあったとしても、回復する手段はきちんと用意しているから安心して。腕や足の欠損ぐらいならすぐに元に戻せるし、普段の君たちの仕事よりも安全だと思うけどな。それでも君が気になるって言うなら、先に特級万能薬を渡しておくこともできるけど」
――特級万能薬……そんなものまであるのか。
青年が口にしたのは、Sランクの冒険者でも簡単には手に入らない薬の名だった。
一つ購入するだけで、依頼一回分の報酬が吹き飛んでしまうほど高価な薬のはずなのに、それがこんな怪しげな場所に用意されているなんて。
「必要かな?」
「別に……きちんと治してもらえるなら問題ない」
「そう。じゃあ、他に質問は?」
「――報酬について確認しておきたい」
依頼を受ける前に、これだけは絶対に聞いておかなければならなかった。
エランの声の調子が変わったことに気づいたのだろう。青年が笑みを引っ込める。
「報酬について、か。具体的には何が聞きたいの?」
「何か理由をつけて、この依頼書の額より報酬を減らされたりすることは?」
「あり得ないよ。増えることはあっても減ることはない」
「……増える?」
通常こういった高額報酬の依頼にありがちなことといえば、何かと理由をつけて報酬を減らされることだ。失敗するたび減額され、最後に手に入る金額が依頼書に書かれた額の何分の一だけだったなんてことはギルドの依頼でもよくある。それなのに青年は報酬が増える可能性まで口にした。
「そんなに不思議なこと? うちは見世物小屋だよ。観客から投げ銭があって当然でしょ? その投げ銭の半分は見世物である君のものになる決まりなんだ。だからここに書いてあるのは、最低報酬額ってことだね」
――これが、最低報酬額?
エランの視線は、契約書に書かれた数字に釘づけだった。
Aランク討伐依頼の成功報酬と変わらない金額が本当に全額支払われる上、追加報酬の可能性まであるなんて想像もしていなかった。エランは小さく息を呑む。
「一度、魔物と性交すれば、最低でもこの金額がもらえるということで間違いないか?」
「間違いないよ」
おそるおそる尋ねたエランに、青年はまたしても断言した。
その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるが、嘘を言っている様子ではない。
「じゃあ、最後の確認だが……この契約書の縛りとはなんだ? ここから逃げ出すことか?」
契約の魔術具の役割とは、契約を破った者に罰を与えることだ。いったい何をすれば、この魔術具に罰せられるのか、きちんと確認しておく必要があった。
「ううん、違うよ。君に守ってほしいのは、たった一つ。『ここで起こったことを、決して口外しないこと』、それだけだよ」
「口外しない? 本当にそれだけか?」
「そう。逃げても口外しなきゃ、何も起きない」
「では……それを破った場合の罰則は?」
「ボクがいいと言うまで、見世物小屋でタダ働きしてもらう」
――なんだ、それは。
契約を破った場合の罰則が『死』ではないとは聞いていたが、まさかこんなおかしな条件だとは思わなかった。
「本当に、それだけなのか?」
「信じてよ。それだけで充分罰になるとだけ、君は知っていてくれたらいい」
ここで働くということは魔物と性交させられるということだ。それを無報酬でさせられるとなれば、確かに罰として相応しいのかもしれない。しかし、口外した相手が相手なら、青年自身が囚われの身になることだってあり得るのに、そういった可能性は考えないのだろうか。
――いや、深く考えるのはやめておこう。
今すべきなのは、この青年を摘発することではない。自分に必要なのは〈金〉だけだ。
「まだ質問はある?」
「……今は思いつかない」
「そっか。じゃあ、どうする?」
「受ける」
「即答だね。君には驚かされることばかりだよ」
口ではそう言ったが、青年に驚いた様子はなかった。エランの答えを最初から見越していたように、手に持っていた羽根ペンをエランに差し出す。
受け取ったエランも躊躇うことなく、ペン先を契約の魔術具へ滑らせた。
「エーランド・シェルリング、これで契約完了だね」
「……ああ」
「ここでは、なんと名乗る?」
「エランで構わない」
「エランだね。ボクもそう呼ばせてもらおう。ボクのことはルチアと――呼び捨てにしてもらって構わないよ。じゃあ、行こうか」
そう言って立ち上がったルチアを見て、エランは自分が一つ大きな勘違いをしていたことに気がついた。自分の洞察力不足を自覚せざるを得ない。
――この男、魔術師なんてそんな生易しいものじゃない。
座っていたときにはわからなかったが、ルチアは恐ろしく鍛えられた体躯をしていた。
一見、細身に見えるがそんなことはない。Bランク冒険者であるエランが本気でかかって勝てる相手かどうか――ルチアの動きには、全く隙がなかった。
魔力量だって目を見張るものがある。魔力に鈍感なエランがわかるほどのとてつもない量の魔力保有者。それなのになぜ今の今まで何も感じなかったのか、それが逆に信じられなかった。
――Aランクか、それ以上の強さだ。何者なんだ、この男。
「どうかした?」
「いや……」
こちらを振り返ったルチアの問いに、エランは何も答えずに首を横に振った。
ルチアがどれだけ強者であろうと、依頼を受けることに変わりはない。これは依頼と関係ないことだと自分に言い聞かせながら、エランは汗ばんだ手を握り込む。
「行くよ」
エランはルチアに導かれるまま、次の部屋へ続く黒い扉をくぐった。
扉の先にあったのは、エランたちが先ほどまでいた建物とは全く違う場所だった。
転移扉――その魔術具についての噂はエランも聞いたことがあったが、実物を見たのはこれが初めてだ。全く別の空間と空間を繋ぐ扉型の魔術具。エランがルチアと共にくぐった黒い扉は、どうやらその転移扉だったらしい。
辿り着いた先は、まさに見世物小屋と呼ぶのがふさわしい場所だった。
そこがそういう場所だとわかっているからか、内装や色合いのすべてが毒々しく感じられる。
廊下ですれ違う演者や従業員らしき者たちも奇妙な格好をした者ばかりだ。それらを横目で観察しながら、エランはルチアの後に続く。こちらに気づいた従業員たちは皆、ルチアを見かけると一度手を止め、無言で深く頭を下げていた。
どうやらルチアは、この見世物小屋でそれなりの地位の人物らしい。
「どうしたの? 何か気になる?」
「いや…………」
視線に気づいたルチアに笑顔で問われたが、エランは首を横に振った。聞きたいことがないわけではない。聞きたいことが多すぎて、頭の整理が追いつかなかったからだ。
結局、何も聞けないまま、エランたちは目的地へ到着した。
「ここが君の部屋だよ」
案内されたのは、ここで仕事をする間、エランの住まいとなる控え室だった。
質素な狭い部屋だが、数日であれば生活に困ることはなさそうだ。壁に備えつけられた収納に小さな文机、ベッドもゆったりと横になれる広さがある。
「さあ、これが君の舞台衣装だよ。着替えて準備してくれる?」
「……今すぐにか?」
「そう。今すぐにだよ」
いきなり手渡されたものに目を丸くしたエランだったが、逆らえる立場にはない。ルチアは衣装の入った袋をエランに手渡すと、「後でまた来る」とだけ告げて、部屋を出ていってしまった。
――いきなり見世物にされるのか。
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「だが、なぜ武器が……?」
ただ魔物に犯されるだけの見世物にこんなものは必要ない。なんなら服も渡されないのではないかと思っていたのに――実際に渡されたのは、動きやすい装備一式と短剣。
「……いったい、なんのために?」
「戦ってもらうためだよ。できるなら、魔物に勝ってもいいからね」
「――っ」
誰に聞かせるでもなく呟いた言葉に返答があった。ルチアだ。
いつの間に戻ってきていたのだろう。慌てて振り返ると、扉にもたれて立っているルチアと目が合った。ルチアは驚いているエランに「行くよ」とだけ告げて、先に部屋を出ていく。
すぐに舞台へと向かうようだった。
――これは、魔物と性交させられる見世物じゃないのか?
ルチアの後ろを歩きながら、エランは先ほどのルチアの言葉を反芻していた。
勝ってもいい、とルチアは言っていた。それは性交相手であるはずの魔物を倒してしまっても構わないという意味だろうか。この装備一式も、そのために渡されたということなら説明がつく。
「……魔物を、倒していいのか?」
エランの呟きに気づいたルチアが、歩調を緩めて振り返る。
「そうだよ。エランには本気で戦ってもらいたいんだ。無抵抗に犯されるだけなんて、刺激がなくてつまらないからね。ああ、そうだ。もし君が勝ったとしても報酬は同じだけ支払われるから、そこは安心していいよ」
「……本当か?」
「いい加減、ボクの言うことを信じてほしいんだけど? このことだって、あの契約書にきちんと書いてあったんだけどね。そういえば、説明し忘れてたかな」
わざとらしい口調だ。本当は気づいていて話さなかったのだとしか思えない。
だが、そんなふざけた口調の説明にすら、エランは少なからず驚いていた。
太腿のホルスターに視線を向ける。渡された短剣は見せかけだけでなく、きちんと威力の出せる代物だ。短剣使いのエランの目から見ても、この短剣が優れた得物であることは間違いない。
「魔物を倒しちゃった場合、観客からの投げ銭はあんまり期待できないけどね。それはそれで好きな客もいるけど、彼らが観たいものとは違うから」
「戦う相手は?」
「それは見てのお楽しみ。まあ、あの幕の向こうに行けば、すぐにわかるんだけど」
ルチアの指差した先、分厚い幕で仕切られた向こう側が舞台のようだった。
――お楽しみ、か。
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今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜
明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。
その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。
ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。
しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。
そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。
婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと?
シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。
※小説家になろうにも掲載しております。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
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