その手に、すべてが堕ちるまで 孤独な半魔は愛を求める

コオリ

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1巻

1-2

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 先ほどまでは全く楽しみに思えなかったが、ただ一方的に犯されるのではなく、魔物を倒していいというなら話は別だ。冒険者の血が騒ぐ。相手がどんな魔物であれ、全力で戦うつもりだ。

「そうだ。エランは初めてだから、これを渡しておこうと思ったんだった」

 ルチアが幕の手前で足を止める。差し出されたものを見て、エランは首を傾げた。

「……これは?」
「通信具だよ。耳に入れて使うんだ。こういう見世物は初めてでしょ? ボクからエランに指示を出せたほうがいいんじゃないかと思って」

 ルチアの言うとおり、エランは見世物に対する知識をほとんど持たなかった。決まりごともわからない。もし、舞台で何かしでかしてしまった場合、その対処に困ることは目に見えていた。
 ――これは必要だろうな。
 エランは通信具を受け取ると、手のひらに転がしたそれをまじまじと見つめた。
 通信具は小指の先ほどの大きさで、きのこに似た形をしている。同じものが二つあるということは、両耳に入れて使うのだろう。しかし――

「こんなものを耳に入れたら、周りの音が聞こえなくなるんじゃないのか?」
「その心配はないよ。それも魔術具だからね。周りの音は変わらず聞こえるから安心して」

 ――これも魔術具なのか。
 この見世物小屋にいると、普通の感覚が麻痺しそうだ。魔術具なんてそうそう見かけるものではないのに、この場所ではただの道具と同じように扱われている。ここに来るときに使った転移扉もそうだ。あれは本来、国が管理するような代物なのに、この見世物小屋では普通の扉のように扱われていた。明らかに異常なことだった。
 しかし、あんな破格の報酬をたった一晩働くだけでもらえる場所だ。それを可能にするだけの大金をもたらす上客がいるのだろう。そう考えれば、納得できないことではない。

「ほら、エラン。早くそれをつけて」
「ああ」

 短く答えて、耳に通信具を挿入する。
 耳に異物感と閉塞感を覚えた瞬間、エランの身体に異変が起きた。

「ぁ…………ふぁッ」

 ずるり、と耳の奥に向かって何かが滑り込むような感覚。
 首筋にぞくりと甘いしびれが走り、声が勝手に漏れた。危うく膝から崩れ落ちそうになったが、壁に手をつき、なんとか耐える。

「な、なんだ……今のは?」

 唐突に襲った異変にエランは困惑していた。自分の身体を見下ろし、何度も目を瞬かせる。

「っふ、あははは。そんなに驚かなくても大丈夫だよ。耳に入れた魔術具が作動しただけだから。もしかして、エランって耳が弱かったりする?」
「別に、そんなことは!」
「声を荒らげないでよ、冗談だって。ほら、音もちゃんと聞こえるし、平気でしょ?」
「あ……そうだな、確かに」

 耳に触れてみる。通信具はぴったりと耳の穴を塞ぐように装着されていたが、そんな状態でも周囲の音は通信具をつける前と変わらず、はっきり聞こえていた。さすがは魔術具だ。

『こっちも聞こえる?』
「っ、ふ……あ」

 突然、頭の中にルチアの声が響いた。初めての感覚に、またおかしな声が出てしまう。エランは動揺を誤魔化すように、慌てて口元を手で覆った。
 ――これが、通信の魔術具の効果か。
 ルチアの唇は動いていなかった。
 この通信具を介せば、声を出さなくとも離れたところに音を届けられるようだ。
 ――便利だが、少し気持ち悪いな。
 頭に直接、声が響くというのは奇妙な感覚だった。
 音が止んだ後も耳の後ろにざわめくような感覚が残っていて、なんだか落ち着かない。

「ちゃんと聞こえたみたいだね。さ、始まるよ。早く行って」
「……わかった」

 背後に立ったルチアが、トンッとエランの背中を押した。
 入り口の両側に立つ男たちが太縄を引き、分厚い舞台幕を一気に持ち上げる。目を開けていられないほどのまばゆい照明が、エランに向かって当てられた。


 舞台は闘技場によく似ていた。
 一番低い位置にある円形の舞台を囲むように、客席が階段状に配置されている。
 エランは客席を見回した。見上げる高さまである客席は、満員の観客で埋め尽くされている。こんな悪趣味な見世物を好む人間の顔を一目見てやろうと思ったが、それは叶わなかった。
 一人ひとりの姿はきちんと見えているはずなのに、その顔がうまく認識できない。
 ――原因は、この壁か?
 エランは目の前にある壁に指先を滑らせた。客席と舞台を隔てる透明な壁だ。
 この壁も魔術具なのだろう。認識を阻害する魔術が使われているのは間違いなかった。
 音を遮断する魔術も施されているのか、観客の声は一切こちらに届いてこない。何か叫んでいる様子の観客もいるのに、わずかな音すら聞こえてこなかった。
 ――俺の声は向こうに届くようになっているんだろうな。
 でなければ見世物の意味がない。彼らが楽しみにしているのは、魔物に無理やり蹂躙され、犯される冒険者の無様な姿だ。その悲鳴すら、彼らの求める見世物の一つに違いない。
 ――本当に、悪趣味な見世物だ。
 エランは観客から視線をらすように、そのまま壁の上部を見た。透明な壁は舞台の天井まで繋がっている。入ってきた場所以外、他に出入り口はないようだ。

『その壁、戦うときに衝撃を加えても問題ないよ。簡単には壊れたりしないから安心して』

 エランが壁をじっと見つめて観察していることに気づいたのか、ルチアが通信具を使って話しかけてきた。簡単には壊れない――それは、ここから逃げ出すのは容易ではないという忠告でもあるのだろう。

『それと座席の上にあるもの。エランはあれが何かわかる?』
「魔導画面だろ……ギルドで見たことがある」

 楽しそうなルチアの問いに、エランは素っ気なく答えた。
 魔導画面とは、魔術を用いて離れた場所の景色を映す魔術具のことだ。こちらもかなり高価なもののはずなのに、この舞台にはその魔導画面が計六台も設置されている。
 ギルドでは遠方の討伐風景を映し出す目的で使用されていたが、ここでの用途は違うのだろう。
 ――嫌な予感しかしない。
 エランは不快感に眉をひそめる。こちらのことをどこからか見ているのか、ふふっとルチアが漏らした笑い声が頭の中で響いた。

『あれは必要なときに動くようになってるんだ。そのときを楽しみにね』

 そんな風に思えるはずがない。あの画面は間違いなく、冒険者の痴態を映すためのものだ。必要なとき――それはエランが魔物に犯されるときという意味となる。
 そうなるつもりはない。自分はここで魔物を倒し、報酬を得るのだから。
 舞台のことは粗方把握することができた。
 エランはこの舞台に立ってからずっと、一番注意を払い続けていた正面の檻へと視線を向ける。
 見世物小屋らしい仰々しい装飾の檻の中には、エランの相手となる魔物が収められていた。
 ぬるりとした半液状の皮膚を持つ、太ったカエルのような見た目の魔物――エランはこの魔物のことをよく知っている。これまでに何度も討伐したことのある魔物だった。
 魔物の名はバトラコス。だが、その正式名称でこの魔物を呼ぶ冒険者は少ない。
 多くの冒険者はこの魔物のことを、その見た目から〈化けガエル〉と呼んでいた。化けガエルは大きな口で家畜を呑み込んでしまうため、農場主たちから特に嫌われている魔物だ。
 しかし、冒険者からみれば、それほど脅威のある魔物ではない。雑魚に分類される魔物だった。
 ――それにしても、この化けガエル……でかいな。
 これまでエランが討伐してきた化けガエルは牛ほどの大きさしかなかったが、目の前の化けガエルはその十倍近くの体積があった。見世物にするため、特別に育てられた魔物なのだろうか。
 ――丸呑み系というのは、こいつのことか。
 エランは、ルチアが話していた魔物の特徴を思い出していた。丸呑み系と言われたときは想像もつかなかったが、この化けガエルのことだというならば納得がいく。
 その呼び名からして、標的を丸呑みにするのがこの魔物のやり方だろう。
 丸呑みにして犯されるというのがどういうものかはわからないが、とにかくあのでかい口の動きに注意しておけば問題ないはずだ。

「――やるか」

 エランが太腿ふともものホルスターから短剣を抜いたのと同時に、化けガエルの檻の扉が上げられた。
 数瞬置いて、化けガエルがのそりと巨体を動かす。大きすぎる体のせいか、通常の化けガエルより動きは愚鈍だ。エランは余裕すら感じていた。
 体勢を低く構え、地面を強く蹴る。エランは素早く化けガエルとの距離を詰め、身を翻しながら斬りかかった。一回の跳躍で与える斬撃は一度だけではない。周囲の壁を足場にして、化けガエルの周りを跳び回りながら、何度もその巨体を斬りつけていく。
 だが、おかしなことに全く手ごたえが感じられなかった。
 刃が当たっている感覚はあるのに、化けガエルの巨体を傷つけられている気がしないのだ。
 ――こいつの皮膚、異常に硬いのか? それとも分厚い?
 これまで討伐してきた化けガエルであれば、既に戦闘不能におちいっていてもおかしくないほどの手数を打ち込んでいるのに、目の前の化けガエルは怯む様子すらなかった。
 巨大な体に成長した結果、皮膚の厚みが増し、防御が著しく上昇している可能性が高い。肌を覆うぬめりが短剣の威力を削いでしまっているとも考えられた。

「……このまま斬りつけても、倒すのは難しそうだな」

 エランはそう判断し、化けガエルから一旦距離を取ろうとしたが、その行動は化けガエルに読まれていた。化けガエルは自分と反対側に跳躍し始めたエランのほうに顔を向けると、かぱりと大きく口を開く。エランの着地地点を狙って、長い舌の攻撃を繰り出した。

「く――ッ」

 これにはエランも驚いたが、慌てることなく着地後すぐに地面を蹴って移動する。
 経験がものをいう、咄嗟の判断だった。
 愚鈍な本体とは真逆の素早い舌での攻撃。それは一瞬遅れて、エランが立っていた場所をえぐり、土煙を上げる。反応が少しでも遅れていれば、間違いなく舌の餌食えじきとなっていただろう。

「――っ!」

 跳んで避けはしたものの、エランは着地で体勢を崩してしまった。
 そこを狙って再度、鞭のようにしなる舌の攻撃が加えられる。

「痛……ッ」

 高く跳躍して避けたが、今度は少しかすってしまった。
 舌に傷つけられたエランの腕から、ぱっと血が飛び散る。痛みに顔を歪めながらも、エランはなんとか体勢を立て直し、三撃目は危なげなく避けた。

「くそ……っ。射程距離が広すぎる」

 その後も、化けガエルの攻撃は続く。見た目以上の威力を持つ舌は縦横無尽に動き回り、エランは息つく暇もない。それどころか化けガエルの攻撃は、じりじりとエランを壁際へ追い詰める。
 避けてばかりでは、体力を削られるだけだ。
 だが、化けガエルの硬い皮膚を傷つける方法はまだ見つかっていない。
 ――舌を狙ってみるか。
 舌の硬度もどれほどのものかわからなかったが、今はとにかくやってみるしかなかった。

「ハッ――!」

 エランは低い姿勢で短剣を構え直して地面を蹴る。舌の動きに合わせて、短剣を振り抜いた。
 今度は手ごたえがあった。短剣の短い刃で舌を斬り落とすことは叶わなかったが、痛みを与えることはできたらしく、化けガエルがひるんだ様子を見せる。
 ――今だ!!
 エランは機を逃さなかった。
 この隙に死角に回り込むべく、化けガエルの背を蹴った――つもりだった。

「う、わ……ッ!」

 蹴った勢いのまま、ずぷりとエランの足先が化けガエルの背中に沈み込む。慌てて引き抜こうとしたが、一瞬で両脚とも膝まで呑み込まれてしまい、うまく踏ん張れなかった。

「クソ……っ!」

 悪態をついても、状況は変わらない。エランの脚はなおも、ずぶずぶと沈み込んでいく。
 気づけば太腿ふとももの中ほどあたりまで、化けガエルの背中に呑み込まれてしまっていた。
 引き締まった化けガエルの肉はエランの両脚を捕らえて離さず、取り込まれた部分を動かすことはできない。このままでは、全身が呑み込まれてしまうのも時間の問題だ。
 エランは最悪を想像したが、幸か不幸か、身体が沈み込む速度は次第に緩やかになり、エランのへその辺りまでを呑み込んだところで、その動きはぴたりと止まった。

「止まった……?」

 全身は呑み込まれなかったが、まずい状況であることに変わりはない。
 エランは諦めずに脱出を試みたが、呑み込まれた部分はやはり微動だにしなかった。

「なんだよ、これ……」

 化けガエルにこんな特殊能力があったなんて聞いたことがない。
 珍しくない魔物なのだから、変わったことがあれば耳に入ってくるはずなのに……従来の化けガエルにはない能力を、こいつは付与されていたというのだろうか。
 この化けガエルの大きさが尋常ではない段階で、その可能性も考えて動くべきだった。

『あーあ、意外と呆気なかったね』
「……っ、お前」
『君ならもうちょっと粘れると思って期待してたんだけど……拍子抜けだよ、エラン』

 通信具からルチアの声が聞こえた。落胆したような台詞だが、口調はどこか明るい。この状況に焦りと苛立ちを覚えるエランとは、まるで正反対だ。
 エランの負けを確定するかのようなルチアの台詞に、エランはさらに焦る。

「まだ戦える」
『無理でしょ。そんなとこまで呑み込まれちゃったらさ。まあ、捕まったのなら仕方ないよね。せいぜい可愛い声で鳴いて、観客を楽しませてよ』
「待て……ッ!」

 ルチアの言葉が終わるのと同時に、化けガエルの体に変化が起こった。ぐにょり、と体内が不気味にうごめいたかと思えば、にごった沼のような色だった化けガエルの体が少しずつ透け始める。

「なんで、これ……透けて」

 体内に取り込まれたエランの身体も外から見えるようになる。化けガエルの背に直立状態で閉じ込められたエランの身体は自力で動かせない以外、特に変化はない様子だった。
 だが、これから何かが始まるのだろう。こんな大勢の観客の前で見世物として魔物に蹂躙されるなんて、想像するだけで生きた心地がしない。

「ん……っ」

 真っ先に変化が起こったのは、取り込まれた下半身だった。
 エランの下半身を何かが撫でている。ぞろりぞろりと、ぬめりのある物体を押しつけられるかのような奇妙な感覚だ。その表面は小刻みにうごめいている。

「く、そ……」

 気持ちが悪い。その気持ち悪さから逃れたいが、身体はどうやっても動かせない。
 エランの下半身を襲う異常はそれだけではなかった。撫でるような気持ち悪さの合間に、ピリピリとした刺激を感じる。熱いような、むずがゆいような、なんともいえない感覚だ。
 エランはおそるおそる自分の身体を見下ろし、目を疑った。

「服が、溶けて……?」

 化けガエルの体内に呑み込まれた部分の衣服が溶かされ始めていた。繊維がじゅわじゅわと分解され、太腿ふとももの辺りが露出している。時折、皮膚に刺激が走るのは、魔物の体液が肌に直接触れているせいだった。幸い皮膚は溶かされていないようだが、安心できる状況ではない。

「ぃ、……っ」

 耐えられない痛みではないが、針が突き刺さるような痛みを断続的に与えられるのは不快でしかない。苦痛に耐えるエランをさらに異変が襲った。

「っぁ……っ、はぁ……」

 なんだか熱っぽい。身体の内側に熱がこもり、視界がくらくらと揺れた。
 ――おかしい。
 それに、下半身を襲うチクチクとした痛みが、先ほどまでとは違う感覚を伝え始める。痛みを与えられるたび、ぞくりぞくりと背筋に何かが走るのだ。

「んぁ……っ」

 一際大きなしびれが駆け抜ける。
 勝手に口から漏れた自分の声の甘さに、エランは驚いて目を大きく見開いた。

『効いてきたみたいだね。いい声だよ』
「……効いてきた、って?」
『わからない? 媚薬だよ。よくなってきたんでしょ?』
「ぁ……あ……っ」

 熱の正体は化けガエルの体液に含まれる媚薬だった。慣れない感覚がエランの思考を邪魔する。

『まだ始まったところなのに、そんなに簡単に蕩けちゃっていいの? 君って快楽に弱いんだね』
「だ、って……こんな……」

 こんなのは、今まで味わったことがない。ずくずくと腹の奥がうずいてたまらない。
 このままでは、まずい。エランは必死に自我を保とうと、手のひらに爪を食い込ませた。完全に呑み込まれてしまう前に、なんとか抜け出す方法を見つけなくては。

「…………?」

 強く歯を食いしばり快楽を堪えていたエランの鼻に、かすかに異臭が届いた。
 先ほどまでは一切感じなかった、何かが焦げるようなにおいだ。

「……なん、だ?」

 辺りを見回し、鼻腔を刺激する不快なにおいの元を探る。においの発生源はすぐに見つかった。
 化けガエルの体表にいくつか変色している箇所がある。焦げたように黒ずんだ皮膚は細かく泡立ち、ぶすぶすと小さな音を立てていた。異臭はそこから漂ってきている。
 ――もしかして、あれは俺の血がかかった場所か?
 化けガエルについた焦げ跡の形状には覚えがあった。
 エランが化けガエルの舌に腕を斬りつけられたときに、飛び散った血の跡と全く同じだ。
 ――人間の血が、こいつの弱点なのか?
 化けガエルにそんな弱点があるなんて聞いたことがない。だが、目の前にいるのはこの見世物のために作り出された魔物。本来は持たない性質を持っていたとしてもおかしくはない。
 ――賭けてみるしかない。
 これが正解だという保証はどこにもなかったが、迷っている暇はなかった。
 エランは手の中の短剣をくるりと回して逆手に持つと、一瞬も躊躇ためらわずに己の上腕を切り裂く。流れた血が化けガエルにかかるように腕を大きく薙ぎ払った。
 血が広範囲に飛び散ったのと同時に、化けガエルが反応を見せる。短剣で斬りつけたときとは明らかに違う反応だった。血の付着した場所が急激に黒ずみ、鼻につく不快なにおいがさらに増したかと思えば、化けガエルが『ングオォ』と低い唸り声を上げる。
 痛みを感じているのか、巨体が大きく揺れ始めた。その瞬間、エランの拘束が緩む。

「今だ……っ」

 下半身に力を込めると、先ほどまでは微動だにしなかった脚が動かせるようになっていた。
 エランは爪先を化けガエルの肉壁に引っ掛けながら、すっと大きく息を吸い込む。

「ふん――ッ」

 手と脚、両方の力を使って身体を持ち上げた。背中を限界まで反らして、腰までまり込んでいた身体を一気に引き抜く。そのまま後方に一回転しながら飛び降りると、すぐさま転がるように化けガエルと距離を取った。

『へえ、やるじゃないか』

 エランの健闘を称えるルチアの声が聞こえたが、今はそんなものにかまっている場合ではない。
 体勢を立て直し、短剣を構える。
 ――まだ戦闘は終わっていない。ここからが本番だ。
 エランは短剣に付着した黒い物体を見つめる。どろりとしたそれは、背中から飛び降りる前にエランが斬りつけて削いだ化けガエルの皮膚だった。
 ――黒ずんだ部分は、脆くなるみたいだな。
 化けガエルの弱点を見つけた。これなら、エランの短剣でも化けガエルを傷つけられる。

「だが……時間との勝負だろうな」

 化けガエルを傷つける手段が見つかったとはいえ、現状を楽観視することはできない。
 自分の血を武器にせねばならないというのは、かなり厳しい状況だ。倒しきる前に血を失い過ぎてしまわないよう、注意を払う必要がでてくる。
 それに今は、失血以外にエランをむしばむものがあった。

「……ン、く」

 化けガエルの体液――媚薬だ。大量に塗り込まれた媚薬でエランの身体はうずき続けている。
 この身体でどこまで戦えるのか。それはエランにとっても未知の領域だった。


   †


「へえ……意外と粘るじゃないか」

 エランを舞台に送り出した後、ルチアは舞台袖からエランの戦いぶりを眺めていた。
 早い段階でバトラコスに呑み込まれてしまったときは、その呆気なさに落胆したが――意外にも耐えたエランの健闘を褒め称えるように手を鳴らす。
 そんなルチアに駆け寄る人物がいた。

「ルチアさまっ」

 弾んだ声でルチアの名を呼んだのは、派手な道化服に身を包んだ小柄な少年だった。
 柔らかな淡茶色の癖毛を揺らしながら、ぱたぱたとルチアのすぐ傍まで来る。立ち止まって一度頭を下げた後、鮮やかな緑色の瞳を輝かせながら、ルチアの顔を見上げた。

「舞台、観にいらしてたんですね!」

 こんないかがわしい場所には似つかわしくない幼い見た目をしているが、この少年も見世物小屋の従業員だ。もう十何年とここで魔物使いとして働くイロナは見た目どおりの年齢ではない。
 だが、その表情も仕草も本物の少年にしか見えなかった。声変わりしていない可愛らしい声には隠し切れない喜びが混ざっている。イロナがルチアを慕っていることは誰が見ても明らかだ。
 しかし、ルチアはそんなイロナを一瞥しただけで、すぐに視線を舞台へと戻した。
 イロナも、ルチアが見ているほうへ視線を向ける。

「すごいですねっ、あの冒険者。トラコの弱点に気づいて反撃するなんて。今まで誰もそんなことできなかったのに」

 トラコというのは、舞台でエランと戦っている化けガエル――バトラコスのことだ。
 魔物使いであるイロナは、自分が世話する魔物すべてに愛称をつけて可愛がっていた。その一方で、見世物用として魔物をあんな風に改造したのもイロナだ。

「トラコの媚薬はかなり強力なのに、よくあそこから抜け出せましたよね」
「快楽にちかけてはいたけどね。今も気力だけで戦っているんじゃないかな」

 紅潮した肌、乱れた呼吸。エランは誤魔化しているつもりのようだが、時々込み上げてくる快感に耐える仕草に気づかないわけがない。だが、ぎりぎりのところでちずにいる。
 強い光を宿すエランの瞳から諦めは感じられなかった。

「あのバトラコス、お前の自信作だったんだろう? 悔しくはないのかい?」

 ルチアの問いに、イロナは少し考えるように顔を上に向ける。

「んー、悔しいといえば悔しいですけど……正直なところ、あれぐらいやってくれないと面白くないって気持ちもありますよね」
「それはボクも同感だな。彼はとてもいい――久しぶりに興奮するよ」

 ルチアの興奮は声や仕草にも表れていた。たのしげに口元を歪めながら、ぺろりと舌なめずりをする。藍色の瞳に浮かぶ金の砂粒があやしく光った。
 二人が話しているあいだも、エランとバトラコスの戦いは続いている。
 熱のこもった視線で舞台を見つめていたイロナが、「そういえば」と口を開いた。

「あの冒険者はルチアさまが連れてきたんですか? 珍しいですよね。ルチアさまがこんな風に舞台を直接観にこられるなんて」
「言われてみれば、そうだね」

 イロナの指摘どおり、ルチアがこうして直接、舞台に足を運ぶことは珍しかった。
 この見世物小屋はルチアにとって〈餌場〉でしかない。見世物となる冒険者と直接関わる必要はどこにもないからだ。

「何か理由でも? 知ってる冒険者とか?」
「いや、特に理由はないよ。ちょうどボクの手が空いてただけさ」

 本当に理由はなかった。エランには気まぐれで関わっただけだ。それなのに、なぜか不思議と目が離せない。エランを見ていると、本能がざわついて仕方ないのだ。

「あー……トラコ、負けちゃいそうですね」

 イロナが残念そうに呟く。そろそろ決着がつきそうだった。
 急激な失血と媚薬のせいでエランは立っているのもやっとの様子だが、バトラコスのほうは既に瀕死状態だ。次がとどめの一撃になるのは間違いない。

「もう終わりかぁ」
「いや――このまま終わるんじゃ、つまらないね」
「え? ルチアさま?」
「彼には、もっとたのしませてもらわないと」

 ルチアの瞳孔に赤い光がともった。ぞろり、と二人の足元に不穏な気配が広がる。ルチアのローブの裾を持ち上げるように現れたのは、何本もの金色の触手だった。
 突然のことに驚いて後ずさるイロナにかまうことなく、ルチアは舞台に向かって手を伸ばす。
 その瞬間、ルチアの足元にうごめいているのと同じ金色の触手が、舞台で横たわるバトラコスの体にも生え始めた。

「……あれって、ルチアさまがやってるんですか?」
「悪いようにはしないから、黙って観ておいで」

 あやしげに笑うルチアの言葉に、イロナは頷くことしかできなかった。


   †


「……っ、何が起こったんだ?」

 次の一撃で倒せる――エランは勝利を確信していた。
 かなりぎりぎりの戦いだったが、ついに動かなくなった化けガエルにエランがとどめを刺そうとした瞬間、状況は一変した。瀕死だった化けガエルの体表から、いきなり複数の触手が生え始めたのだ。様々な太さと長さの金色の触手は、明らかにエランのことを狙っている。
 これは間違いなく強敵だと、エランの冒険者としての勘が告げていた。

「くそ……ッ」

 戦闘中に大量の血を失ったエランは、既に気力だけで立っているような状態だった。足元はふらつき、視界の端も歪んでいる。それでも勝利を諦めるつもりはなかった。
 短剣を構え直し、化けガエルの反撃に備える。

『もう、そんなに頑張る必要はないよ。エラン』


 頭にルチアの声が響いた。

「……ッ、お前」
『君が強いのは充分わかったから、次は可愛いところを見せてごらん』
「ふざけるな」

 誘惑しようとしてくるルチアの声を振り払うように首を横に振る。

「邪魔をするな」
『わかったよ。それじゃあ、正々堂々と戦うことにしようか。手加減はしないからね』
「こちらは最初からそのつもりだ」
『じゃあ、行くよ』

 ルチアが言い終わったのと同時に、複数の触手が鋭い動きでエランに襲い掛かった。後方に跳ぶように攻撃を避けたが、あまりに数の多い触手の攻撃を完全には避けきれない。
 両足首に絡みついた触手がエランの動きを封じた。
 斬りつけようと振りかぶった腕も、いとも簡単に搦めとられてしまう。

「ぐ……っ」

 腰に巻きついた腕の太さほどある触手が、エランの身体を宙に浮かせた。
 両腕を頭上で束ねられてしまっては、どうすることもできない。両脚にもそれぞれ大量の触手が巻きつき、エランの動きは完全に封じられてしまった。

『なんだ。あっけないものだね』
「……くそッ、離せ!」

 エランは叫びながら必死に上半身をよじったが、締め上げる触手の力が増すだけだ。関節が軋んだ音を立て、エランは全身を襲う鈍い痛みに顔を歪める。

『素直になりなよ。そうしたら優しくしてあげるよ。媚薬、抜けてないんでしょ? ちゃんと君が満足できるように気持ちよくしてあげるからさ。ああ、その前に体力を回復してあげないとね』
「何を……んぁッ」

 反論しかけたエランの唇の隙間から、触手が滑り込んできた。何事かと驚いているあいだに、喉にどろりとした液体が流し込まれる。カッと身体が熱くなる感覚は嫌な予感しかしなかった。

『これで存分に楽しめるね。さあ、ボクを満足させて』

 甘く囁くルチアの声に導かれるように、服の隙間に細い触手が入り込んでくる。何本もの触手がぬるぬるとエランの素肌を撫で回した。
 たまらない感触にエランは、ぎゅっと眉根を寄せる。拒絶するよう首を横に振るが、触手の動きは止まらない。媚薬に侵された身体で快楽に抗える時間は、そう長くなかった。

「ん、ん……っ、ぁ」
『あはは。そんなにすぐに気持ちよくなっちゃったの? 腰が揺れてるよ』

 あまりの気持ちよさに声が抑えられない。脱力した手から短剣が滑り落ちてしまったが、エランは恍惚の表情のまま、それを気に留める様子すらなかった。
 だが、すぐに正気に戻らざるを得ない事態が起こる。

「あ、あぁ、っ……何」

 太腿ふとももまでぎっちり巻きついた触手が、エランの脚を左右に大きく開かせる。
 化けガエルの体液によって溶かされた装備は、まだ辛うじて服の形状を保っていたが、それでも大勢の前で無理やりこんな格好をさせられて恥ずかしくないわけがない。

「やめろ……やめてくれ」

 エランの懇願は聞こえているはずなのに、ルチアは何もこたえなかった。
 内腿に力を込め、必死で脚を閉じようとするがうまくいかない。抵抗するあいだも全身を触手に撫で回され、エランは与えられる快楽にびくびくと身体を震わせた。
 そんなエランの股間に一本の触手が近づく。他より太さのあるその触手は、先端を口のように開いたかと思えば、そこからとろみのある透明な液体をエランの股に向かって吐きかけた。

「……ひ、ッ」

 液体が触れたところから、残っていた服が溶け出していく。脚を大きく開かされているせいで、エランの恥ずかしい部分はすべて観客に丸見えとなる。

「嫌だ……こんな」

 こんなことが現実だなんて、思いたくはなかった。

『ほら、皆が君のことを観ているよ』

 観客の興奮が伝わってくる。これが観たかったのだと、熱を帯びた何百もの視線が自分に注がれているのを感じる。
 ――今から、この大勢の前で犯される。
 どんなことになるのかは、まるで想像もつかない。だが、あれだけの報酬――大金を積んででも観たいと思う観客がいる見世物だ。普通のものではないことぐらい、容易に想像がつく。

「も……やめろ……見るな」

 そんな言葉が無駄なのはわかっている。わかっていても、口に出さずにはいられなかった。
 この行為を了承してここにいるのに――金のために自ら選んで、この場所に来たはずなのに。大量の媚薬に浮かされていても、この恥ずかしい行為を受け入れることは難しい。

『そんな声で「見るな」なんて、観客をあおってるの?』

 ルチアの声は笑いを含んでいた。しかし、その反応は恐ろしいほど冷ややかだ。あの優男の口から発せられたものとは思えない冷たい声に、ぞくりと背筋に震えが走る。

『でも、そうやって甘い声で抵抗するのもすごくそそるよ。ここにいる全員を誘ってるみたいだ。さあ、もっと可愛い声を聞かせてもらおうか――エラン。ここからが本番だよ』

 その不吉な宣言どおり、触手の容赦ない蹂躙が始まりを告げた。
 ずるり。

「ひ、ぁ……っ」

 ぬめりをまとった触手に露出した股間を撫でられ、エランは引きった声を上げた。
 どれだけ身構えていても、慣れない刺激に声が我慢できない。
 犯される自分を直視できず、ぎゅっと目をつむったエランだったが、それがむしろ感覚を鋭敏にしてしまっていることに全く気づいていなかった。

「く、ぁ……」

 ゆるく立ち上がった陰茎をもてあそぶ触手は、ちあがったエランのそれより一回り以上も太い。触手は長さをいくらでも変えられるらしく、ずるずると縦横無尽にエランの下半身を這い回った。
 しばらくして狙いをエランの尻に定めた触手は、尻の谷間を辿るように、表面にまとったぬめりを塗りつけ始める。

「ッ……う、あっ、ん……」

 ぐちゅぐちゅと粘液を擦りつけられ、エランは尻肉を小刻みに震わせた。
 化けガエルの媚薬に冒された身体は敏感で、そんな緩やかな刺激ですら蕩けた声がこぼれてしまう。特に後孔をかすめるときの声は媚びるように甘かった。


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