その手に、すべてが堕ちるまで 孤独な半魔は愛を求める

コオリ

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1巻

1-3

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 よろこぶエランの声に反応するように、触手が後孔の周囲を集中的にいじり始める。
 太い触手の表面からごく細い触手が何本も生え、エランの孔の皺をちろちろとくすぐる。

「あ、いや……それっ、ぁ、やめ」

 ともすれば後孔に入ってしまいそうな細い触手のくすぐりに、エランは腰を跳ねさせた。後孔の皺を一本一本、丁寧に撫でる触手の愛撫はたまらない感覚を生み出す。
 そんなところをいじられるなんて嫌なはずなのに、強い快楽がまともな思考を邪魔する。それでも口をついて出るのは否定の言葉だ――それだけが、エランが必死に抵抗している証拠だった。

「や……っ、やめろ」
『言葉だけじゃなくて、ちゃんと抵抗しなきゃ……太いのがそこに入っちゃうよ?』

 ルチアが揶揄からかうように告げる。その無情な宣言に、媚薬でとろとろに蕩けていたエランの頭は少しだけ正気に戻った。

「や、無理……入れ、んなぁ……っ」

 正気に戻ったからといって、エランにできる抵抗といえばルチアにこうして懇願することと、今にも触手に入られてしまいそうな後孔に、ぎゅっと力を込めるぐらいだ。

『入れんな、か。もっと可愛くお願いできたら、少しは考えてあげたのに……残念だね。ほら、見なくていいの? 処女喪失の瞬間だよ』
「言うな! そんな……聞きたくな、ッぁああ!」

 全部言い終わる前に、触手が容赦ない動きでエランの後孔を貫いた。
 慣らすことなく入ってきた触手が与える衝撃に、エランは首を反らせて悲鳴を上げる。

「や、ぁッ……んぁあっ」

 だが、痛くはなかった――痛いほうがよかった。
 無理やり捻じ込まれたというのに、エランが感じているのはよろこびだ。ぐちゅぐちゅと細かく前後運動をしながら入ってくる触手の動きに操られるように、身体が勝手に跳ねる。
 触手がくじる場所から、電流のような快楽が送り込まれてくる。

「ぁ、ぅあ……ッ、ああンッ」

 奥へ奥へと入ってくる触手に、甘い声が勝手に押し出される。
 ――気持ちいい、気持ちいい。
 ――嫌だ、こんなことで気持ちよくなんかなりたくない。
 ――もっと、奥に欲しい。
 ――やめろ! もうこれ以上は入れないでくれ。
 歓喜と拒絶。矛盾した心の叫びが駆け巡った。内壁を強く擦られ、敏感な部分を押し潰される。エランは息絶え絶えに喘ぎながら、必死に首を横に振ったが、触手は動きを緩めてくれない。

『あははは、本当に初めて? そのがりよう、エランは元から淫乱だったのかもね』
「や、ぁあっ、そんな……ひぁッ、無理、もう、やめ――ッ」
『本当に快楽に弱いんだね……ねえ、冒険者の顔はどうしたの? れられただけで、すっかり雌になっちゃった?』
「そん、なぁ……ぁあ! んっ、ぁ……」

 身体は触手に、心はルチアに容赦なく蹂躙される。
 拒絶しようとすればなぶられ、否定の言葉は甘い悲鳴に置き換えられた。

『ほら、奥まで入っちゃうよ。抵抗しなくていいの? そんなにいいなら、中に卵でも植えつけてあげようか? はらんでお腹が膨らんだエランもとても可愛いだろうね』
「ひッ……たまご、……嫌だ! も、入って、くんなァ!」

 触手にはらまされる――本能的な恐怖にエランは叫んだ。
 得体の知れないものを受け入れているだけでも恐怖なのに、さらに中に卵なんて産みつけられてしまったら、正気でいられる自信がない。だが、うずいてたまらない中を擦られれば、るほどの快楽に襲われる。そんな恐怖すら簡単に霞んでしまいそうになる。
 ――おかしく、なりそうだ。

「あ、ぁ……んっ、……ぁあ!」

 入り込んだ触手が大きく前後に動き始めた。ゆっくりと捲りながら引き抜かれたと思えば、奥を潰すように強く押し込まれる。何度も何度もエランは甘く鳴かされた。
 その反応はルチアの言葉どおり、完全に雌のそれだった。こんなのが自分の声だなんて信じられない。否定する自分の心もまだ残っている。それなのに、心と身体が別物になったみたいだった。
 拒絶したいのにできない。こんなことはやめてほしいのに……やめてほしくない。
 ――怖い。なんだ、これ。

「も、ぅ……ぁああッ! きもちいい……こわい」

 その戸惑いが、口からも漏れ出ていた。
 快楽の歓喜に身体を震わせながら、心では必死に快楽を拒絶する。
 ――こわい。こわい。
 自分はどうなってしまうのか。魔物に犯されて、がって――それを観客に余すところなく観られている。心がバラバラになってしまいそうだ。

「も……やめ、ぁっ……あ、ぁあ!」

 気持ちよさが怖い。どうすればいいのかわからない。
 容赦ない責めに怯えつつも翻弄されていると、突然、恐ろしいほど優しい声が頭に響いた。 

『怖いのは、そうやって目を閉じているからだよ、エラン』
「っ…………?」
『ほら、上を見てごらん。自分が何をされて、どんな顔をしているのか……それがわかれば、きっと怖くなくなるよ』

 穏やかな声色だった。快楽に浮かされた頭では、内容は半分ほどしか理解できない。
 ――上を、見る?
 その言葉だけは、はっきり聞き取れた。
 エランはずっとつむっていた目をおそるおそる開くと、ルチアに命じられるまま、上を――自分が映し出されている魔導画面に視線を向ける。今の自分の状況を直視した。
 エランの後孔を貫く触手は、驚くほどの太さがあった。
 その触手はエランを拘束する他の触手と違い、うっすら透けている。太いそれを飲み込むエランの後孔は限界までひろげられ、赤い痴肉を、透ける触手越しにさらしていた。
 孔の中は触手を誘うようにうごめいていた。あれだけ太いものをくわえさせられているのに、間違いなくよろこんでいる動きだ。めいっぱい口を広げて、もっともっとと言っているようにも見える。
 触手が前後に動くたび、張り詰めたエランの陰茎はとぷとぷと蜜のような雫をあふれさせていた。そこはほとんど刺激されていないのに、歓喜に揺れているようにしか思えない。
 ――あれが……自分が今されていること。
 見つめる画面の触手と、全く同じ動きをエランは自分の中から感じていた。触手がずぷずぷと前後に動けば、摩擦による悦楽が送り込まれてくる。奥を突かれれば、恍惚に頭が真っ白になる。
 そして――そんなあり得ない行為に対して、ひどく緩んだ顔をさらしているのも、紛れもなく自分だった。
 紅潮した頬。媚びるような潤んだ瞳。
 口元をよだれでべとべとにしながら、高い声を上げている。その表情は……どう見たって――

『怖いなんて言いながら、君はこんなにもよろこんだ顔をしているんだよ。「嫌だ」なんて言葉、誰が信じると思うんだい?』

 ルチアの言うとおりだった。画面に映し出されたエランの顔に浮かんでいるのは歓喜だ。
 はしたない表情で、媚びるような雌の声で鳴いている。

『素直に欲しがればいい。ボクなら、エランの望みを叶えてあげられるよ』

 ルチアの誘導によって、頭の芯が少しずつ溶かされていくようだった。直接響いてくる声にどうやっても逆らえない。
 そのあいだにも、ナカには絶え間なく律動を与えられ、快楽に追い詰められていく。

『ほら、望みを口に出してごらん?』
「ん……っ、ぁ……も、っと」

 勝手に声が出た。自分が何を言おうとしているのか、エランもわかっていなかった。

『もっと、何?』
「もっと……欲しい……いっぱい、こすって」
『いい子だ、エラン。君の望む通りに』
「ぃああァッ!!」

 身体の奥に強い衝撃が走った。今までとは比べ物にならない深い突きがエランの最奥へと与えられる。それすら今のエランの身体には快感だった。
 エランは歓喜に涙を流す。容赦ない責めを与えられているのに、自分を捕らえる触手に媚びるように頬を擦り寄せる。

「もっと、つよく――ッぁあ!」

 自分から腰を動かせないのがもどかしい。エランは必死に懇願した。
 ――もっと欲しい。もっと奥まできてほしい。
 触手が突く場所より、さらに奥。行き止まりのはずの向こう側がひどくうずいている。欲しくてたまらないと思うのと同時に、本能が警鐘を鳴らしていることにも気づいていた。
 ――でも……今はそこに欲しい。
 自分の中に起こる数々の矛盾に、頭がおかしくなりそうだった。
 もしかしたら、もうおかしくなってしまっているのかもしれない。

「っ、ひぃ……あ、ッく、ぁ……ッ」

 そんなエランに与えられるのは断続的な享楽。本能が欲しながらも拒絶する場所を無理に犯すことはせず、その手前を小刻みに突く動きにもどかしさすら覚える。
 ――いっそ、一気に貫いてほしい。
 しかし、触手はそうしない。そんな知性がこの触手にあるとは思えないのに、まるでエランが懇願するのを待っているかのようだ。観念したエランが、その禁断の扉を自ら開くのを。
 ――望むしかないのか……望めば、叶えてくれるのか?
 もうここまで陥落しているのだ。これ以上、何を失うものがある。求めてしまえばいい。今の自分はどうせ見世物だ。ちるところまでちてしまったとしても、それはこの一時いっときのこと。

『エラン。もっと欲しいものがあるなら、素直に言ってごらん』

 そして、頭に響く声が……ルチアの声がエランの心を誘導する。

「ぁあ、あ……おく、もっと……おく」
『奥が、何?』
「入って、きて……入れて、俺を、こわして」

 エランの懇願と同時に、ぐぷんと触手が最後の壁を越えた。

「い、ぁああ――――っ!!」

 一瞬、意識が飛んだ。触手にかなりの力で拘束されているはずなのに、それ以上の力で全身が強く跳ねた。開いた唇はわなわなと震え、息をうまく吸うことができない。
 限界まで張り詰めていたエランの陰茎からは、白濁があふれていた。それに群がるように複数の触手がエランの陰茎に絡みつく。
 絶頂を繰り返すエランの顔はひどい有様だった。涙や鼻水で顔中を濡らし、だらしなく開いた口からはよだれも糸を引いている。瞳はうつろに何も捉えていないようでいて、それともどこか違っていた。
 とろりと蕩けた目には、紛れもなく恍惚の色が宿っている。
 最奥に入り込んだ触手がうごめくたび、電撃を食らわされたかのようにエランの身体が激しく跳ねる。先ほどまでとは、比べ物にならない快感を直接流し込まれ続けているせいだった。
 獣のうめきのような喘ぎを止められない。
 奥をえぐられるたびに、陰茎は壊れたように白濁をだらだらとこぼれさせた。

『あーあ、だらしないな。お漏らしみたいになってるよ? そこにも栓をしてあげようか?』
「え……やっ、ひぁああ――ッ!」

 蕩けた頭で言葉を瞬時に理解できるはずもなく、制止する間もなかった。壊れたように白濁をあふれさせていた陰茎に細い触手が容赦なく穿うがたれる。こちらも後ろを貫かれたときと同じで痛みはなく、エランが覚えたのはぞわぞわと這い上がるような恐ろしいまでの快感だった。

「ぁあ! そんなとこ、入るな、ぁあ……ッ」

 エランの懇願にルチアはやはり何も応えない。触手も止まるわけがない。
 後ろだけでなく、前の孔まで犯される。細かな凹凸のある触手は少し進むだけで、なんとも表現しがたい感覚がエランを苛む。

「待てッ! イッ……あッ――っ!!」

 声が枯れるほど叫んでも、責め苦は止まなかった。
 陰茎に入り込んだ触手は簡単に奥まで辿り着き、最奥をくじり始める。
 前と後ろの両方から弱い場所を刺激され、エランはその凄まじい快楽をただただ受け止めるしかなかった。逃す場所を塞がれた今の状態では精を解放することも許されず、おかしくなったように叫びながら髪を振り乱すことしかできない。

「ぁああっ! ん、……んぐっ!!」

 容赦なく触手に蹂躙される。息継ぎすら許されない。
 このままでは死んでしまうのではないか――そんな恐怖すら覚える。

「もっ、おかしく、なる……!」

 解放してほしい。イきたいのに……イけないのがつらい。

「はッ、ん……っ! イか、せて…………ルチアっ」

 無意識に、その名を口にしていた。

『っはは、そんな声でボクの名前を呼ぶなんて。君は本当にたまらないね』

 忌々しかったはずのその声に、すがりつきたくなる。

「ルチアっ、ルチア――っ」

 今まで決して自分から呼ばなかった名前を、せきを切ったように呼び続けた。そうやって叫ぶ最中も責め苦は止まらず、エランの身体をむしばみ続ける。快楽が恐ろしいまでに蓄積していく。

『なぁに? ちゃんと聞こえてるよ?』

 早く助けてほしいのに、ルチアの声は苛立つほどに穏やかでゆったりとしていた。
 この状況を心底楽しんでいる声だ。

「もう! むり、だからッ……おかしく、な、ぐぁッ!!」
『っあはは、もう人間の言葉とは思えないね――いい鳴き声だよ、エラン』

 エランのひどい叫び声を聞いて、ルチアは本当にたのしげに笑う。

「もう……嫌だッ、たすけっ……!」
『助けてほしい? もう終わりにしてほしいの?』
「して……おね、がい……だから、ぁあッ」

 叫ぶように喘ぎながら、ルチアの問いに大きく頷く。身体が勝手に跳ね回るせいで、自分の意思がルチアにきちんと伝わっているかはわからなかったが、エランはただただ必死だった。

『いいよ。じゃあ、終わりにしようか』

 その言葉に安堵した。ようやく終わる。この責め苦から解放される。

『あ、でもイきたいんだったよね。最後に一番気持ちよくイかせてあげようか』
「んっ! あっ……? もぅっ、そんな、いらなっ……なんっ、やぁッ!!」

 もうそんなのいらない。終わらせてくれるだけでいい。
 そう懇願しようとしたのに、残酷にもエランの身体に異変が起こるほうが早かった。

「ん、あ……ッ」

 あれだけ叫び暴れていたエランの動きが急に止まる。瞼が小刻みに痙攣していた。

『少し頭をいじらせてもらうよ。さあ、ボクの食欲を満たして、エラン。最後のショーだよ』

 パチン、と意識が覚醒した。

「あ、あ……」

 溜まり続けていた快楽が、渦巻くように身体の中心に集まっていく。自分の身体の変化に気づいたエランは、怯えたように顔を歪めた。

「あっ、ひ……何が、起きて……ひッ、くる……なんか、くるッ」

 中心に集まった熱が、今度は一気に出口を定めたように動き始める。暴れる熱の量はエランに到底対処できうるものではなかった。
 息ができない。頭が真っ白になる――何か、すごいのがくる。

「――――ッ!」

 声にならない悲鳴を上げ、エランは身体を硬直させた。
 少し遅れて、エランの陰茎を刺し貫いていた触手がずるりと抜け落ちる。

『イけ』
「やぁぁッ、ぐぁ、ああああぁ――――ッ」

 ルチアの命令とともに、白い光が爆発を起こした。突如として与えられた解放感に、眩しすぎる光が頭の中で何度も弾ける。エランは壊れたように全身を激しく痙攣させた。
 先ほども充分な量を吐き出したはずなのに、エランの陰茎から驚くほどの量の白濁が噴き出す。

「あ、ああ……止まって、なんで、これ、止まんなッ! ……ひ、ぁあああ!」

 限界を超えた射精が与える過ぎた快楽に、エランは意味のない言葉を叫び続ける。
 いくら出しても終わりがこない。精を吐き出すほど、人としての理性や人格も一緒に溶けて流れ出てしまうかのような錯覚すら覚える。
 ――頭の芯が、蕩けていく。
 苦痛を与えられながらも恍惚の表情を浮かべていることに、エランは気づいていなかった。

「っ、ぁああ…………」

 射精が勢いを衰えるのと同時に、意識が遠のいていく。世界が急激に色を失い、深い沼に引き込まれるかのように全身が重く、感覚も遠くなっていく。

『――ふふ、とても美味おいしかったよ。エラン、いい夢を』

 暗闇に完全に落ちる瞬間――そんな声が聞こえた気がした。


   †


 意識を失ったエランを腕に抱え、ルチアは控え室を訪れた。
 裸のまま無防備な姿をさらすエランをベッドに下ろし、しばらくその顔を眺める。そっと手を伸ばし、エランの頬を指を滑らせた。顔にかかる黒髪を払うと、固く閉ざされたままの瞼が覗く。
 あれだけ体力を消耗させた後なので、少し触れたぐらいでは目を覚ましそうになかった。
 ルチアはベッドの端に腰を下ろすと、より近くからエランの顔を見つめる。すやすやと寝息を立てて眠る姿は健やかそのものだ。

「あんなに乱れていたのにね」

 人間はひどく脆く、簡単に壊れるものだが、エランはどうなのだろう。
 舞台で付着した汚れは、既に洗い流してある。魔物の体液を全身に浴び、卑猥なにおいをさせるエランはとても煽情的だったが、それは人間にとってあまりいい状態とは言えないからだ。
 魔のものはなんであれ、人間にとって毒となる。それをルチアは身近な例で知っていた。
 ルチアを産んだ人間を死に至らしめたのは、ルチアが持つ魔の因子だ。魔を取り込むことで、人間は簡単に病み、死に至る。

「……君は、ボクに変なことを思い出させるな」

 魔族に犯され、はらまされ、半魔であるルチアを産み死んだ女。母親と呼ぶべきその人間に対し、ルチアはなんの感情も持っていなかったはずなのに――今、そんな人間のことを思い出すなんて。
 ルチアは浄化魔術を使い、エランの体内に残っていた魔の因子を完全に浄化した。念のために飲ませておいた特級万能薬のおかげで、見た目にも傷は一つも残っていない。先刻の淫靡いんびな光景がまるで嘘だったかのように、目の前で眠るエランは穢れのない清らかなものに映った。
 だが、あの舞台での出来事は確かに起きたことだ。
 エランは触手に犯される姿を万人の前にさらした。慎ましく閉じていた孔を自分で閉じられなくなるほどひろげられ、それをよろこびと感じ、甘く高い声で鳴いていた。
 媚薬に侵された身体と頭で喘ぎ悶えるエランは美しかった。その声は人間性を失っていたが、それすら甘美な蜜のように思えたほどだ。どんなに泣き叫んでも、許しを乞うても、責めの手を緩めるつもりはなかったのに――名前を呼ばれた瞬間、ルチアは手を止めていた。
 あのときのエランの顔と声を思い出し、ルチアは目を細めて笑う。
 あらゆる体液でどろどろになった顔。過ぎた快楽は苦痛だったのだろう。よだれを垂らしながら、ひどく苦しそうに顔を歪めていた。
 やめろ、怖い……そんなことを口にしながらも、合間に蕩けた顔を見せて。
 ――イか、せて…………ルチアっ。
 その声に、ぞくりと震えた。
 ルチアの名を呼んだのは、おそらく無意識だったのだろう。それでも珍しく気持ちが高ぶった。
 人間のふりをして生き、似せたように振る舞うことには慣れていたが、あんなに心の底から笑ったのは初めてだった。

「君は本当に面白い子だね。エラン」

 吐息ほどの声で囁く。ルチアは改めて、エランの身体を眺めた。
 冒険者にしては小柄な身体。こうして裸にしてみれば、鍛えられた身体をしているのは一目瞭然だが、服をまとっていればそうは見えない。その上、この童顔だ。
 全く似合わないぶっきらぼうな話し方と残念に思えるほどの愛想のなさは、面倒事を避けるためにエランが身に着けた処世術なのだろう。そのくせ、どこか危機感が足りていない。
 元来の性格なのだろうが、気を許してはいけない場面ですぐに油断をする。信用していないと口で言いつつも、簡単に人を信じてしまうきらいがある。あんな依頼書に釣られてこの見世物小屋に来たことも、依頼の中身を知ってなお、この仕事を受けたことも――その耳につけたものだって。
 エランの耳にあるそれは通信具などではない。特殊な加工を施した〈洗脳具〉だ。
 それなのにエランは何も疑わずにそれを耳につけた。いや、音が聞こえなくなるのではないかなどと、見当違いな心配ならしていたが。
 洗脳具は元々、捕虜や奴隷を主人が都合よく扱うために使われる魔術具だ。表向きには禁じられているが、その存在自体がなくなることはない。金さえ積めば誰だって簡単に手に入れられる。
 だが、エランの洗脳具はそんな通常のものとも異なっていた。エランのつけるそれは、ルチアが己の触手で改造した特別製だ。一度つけてしまえば、ルチアにしか外せない。無理に外そうとすれば、脳に根を張った触手により人格が破壊されるか――最悪は死に至る。

「そんなものを、あんな簡単につけてしまうんだから」

 触手が中に入った瞬間の表情はたまらなかった。自分の命をも脅かすものなのに、それに頭をいじられて一瞬浮かべた恍惚の表情。自分が浮かべてしまっていた表情に、エランは気づいていたのだろうか。全身を駆け抜けただろう快楽に身体を震わせ、くずおれそうなのを必死で耐える姿もいじらしかった。エランが快楽に弱いのだろうと察したのも、そのときだ。
 一見、欲のない人間に見えたがそうではなかった。エランは自分の持つ本性を知らないだけだ。
 実際は快楽に弱く、それに抗えない人間であることを、ルチアはその一瞬で見抜いた。
 こんな本性の人間であればとすのは簡単だ――だが、そうするつもりはない。

「……簡単にはとしてあげない」

 人間は抗う姿がいいのだ。狭間で葛藤する姿――ちそうになったときに見せる苦悩の表情が、ルチアを何よりも興奮させた。
 触手としての本能を持ち合わせるルチアにとって、性行為とは食事でしかない。食欲も欲求には違いないが、人間の持つ性欲のように快楽を得られる行為ではなかった。ただ――心が躍る行為であることには違いない。その高揚感をさらに高めるのが、獲物の抗う姿なのだ。
 ――もっと見たい。もっと感じたい。
 洗脳具はそのために使うつもりだった。ぎりぎりのところで無理やり理性を戻し、心をじわじわと追い詰め、何度も繰り返し、踏みにじる。
 エランをとすよろこびを想像しながら、ルチアは唇を歪めた。


 ふと廊下に気配を感じて、ルチアは顔を上げた。少し遅れて扉が開く。
 部屋に入ってきたのは褐色の肌をした老年の男性、シュカリだ。
 シュカリの頭には特徴的な二本の巻き角が生えている。この老人は人間ではなく、人間と関わりながら暮らす奇特な魔族だった。
 シュカリはルチアの姿を確認して微笑むと、ゆったりとした動作で頭を下げる。

「彼の着替えを持ってまいりました」

 ルチアの傍らで眠るエランを起こしてしまわないよう、小さな声で告げた。
 手に提げていた籠をルチアに手渡すと、再び穏やかな笑みを浮かべる。

「手伝いが必要ですか?」
「必要ないよ。お前も休むといい」
「それでは、お言葉に甘えまして。おやすみなさいませ、ルチア様」
「ああ、おやすみ」

 シュカリはもう一度頭を下げると、足音も立てずに部屋を出ていった。
 閉まった扉を見つめながら、あれも変わった魔族だとルチアは思う。
 魔族は本能的に、ルチアのような半魔を嫌う――にもかかわらず、シュカリは一度もそんな素振りを見せたことがなかった。それどころか、魔族である父に捨てられ消滅しかけていたルチアを拾い、ここまで育て上げたのはシュカリだ。
 いまだに、なぜあの老人がルチアにそこまでしたのか、その理由を聞いたことはない。
 それだけでもずいぶんな変わり者なのに、シュカリはルチアを主人とし、この見世物小屋で従業員として働いている。ルチアに頭を下げることもいとわない、本当に変わり者の魔族だった。

『エラン。そのまま眠っていて』

 ルチアは洗脳具を通してエランに命じた。
 こうすれば、何をされてもエランが起きることはない。たとえ、心臓に剣を突き立てられたとしても、一瞬も目を覚ますことはないだろう。この洗脳具にはそれほどの効果がある。
 エランを見つめるルチアの瞳の中心に赤い光がともった。ローブの裾が不自然にうごめく。
 現れたのは、淡い金色の細長い触手だ。それは舞台でエランをさいなんでいたものとは少し異なり、表面に粘液などは付着していなかった。つるりとした、植物の蔓のような見た目の触手だ。
 ルチアは十本ほど生やした触手を器用に使ってエランの身体を持ち上げ、服をまとわせていく。
 まさか、自分の触手をこんな風に使うことになるとは思わなかった。
 ルチアの触手は魔力の続く限り、いくらでも自由に生やすことが可能だ。
 こうして手足の代わりに使うこともあれば、舞台でやったように、他の生物の体に寄生させるなんてこともできる。だが、こんな風に触手を使って他人の世話をすることになるなんて、今までの自分から想像できただろうか。

「まったく……君はボクに面白い変化を与えてくれるね」

 ルチアはエランを再びベッドに下ろした。
 顔を覗き込んで、そっとエランの額に唇を落とす。誰かにそんなことをしたのも初めてだった。

「また朝になったら迎えにくるね」

 そう言ってエランの髪を撫でながら、施した〈眠り〉の暗示を解く。これで朝にはすっきりと目を覚ますはずだ。
 明日は何をしようか――珍しく浮かれた気分で、ルチアはエランの部屋を後にする。
 パタンと扉が閉まり、部屋に夜の静寂が訪れた。




  第二幕 花にわれた冒険者


 目を覚ますと、そこはエランのために用意された控え室だった。
 エランはぼんやりとしたまま上半身を起こすと、部屋の中をぐるりと見回す。特に変わった様子はなかった。文机の上にはエランが昨日置いた荷物が、そのままの状態で置かれている。
 必要最低限のものしか入っていない小ぶりな鞄と愛用の短剣。その隣には昨日、舞台に出るときに支給された短剣も一緒に並べられていた。
 ――舞台に出たのは……夢じゃないんだな。
 現実味はなかったが、あの短剣がここにあるということは、昨日の出来事は現実に起きたことなのだ。追い詰めたはずの化けガエルに反撃を食らい、触手に囚われ、ひどく犯された記憶は確かにある。しかし、なぜかその記憶と現実がうまく結びつかなかった。
 誰かがそうされているのを、ずっと見ていたような……『悪い夢を見ていた』と表現するのが一番しっくりくるかもしれない。

「身体におかしなところはない、か」

 エランはベッドの端に座り、自分の身体を見下ろしたが、どこにも昨日の痕跡を見つけることはできなかった。傷や痛み、だるさといった異常もない。あれだけ執拗に犯された後孔でさえ、かすかな違和感も残っていなかった。
 服も着替えさせられていた。全身黒色で飾り気のない質素な服だが、肌触りからして上質な素材で作られたもののようだ。締めつけが少なく、動きやすい。
 エランはベッドを降りると、大きく背伸びをしてから身体の調子を確認した。
 こんなときでも、きちんと身体が動くのか確認してしまうのは、冒険者のさがなのだろう。

「あれは、鏡か」

 部屋の隅に鏡を見つけ、おもむろに近づく。そこには、昨日ここに来る前となんら変わりない自分が映っていた。やはり昨日のことは、ただの悪夢だったのではないかと思えてくる。

「あ、これ……通信の魔術具か」

 そんな中で一つだけ、あの出来事が現実であったと示すものを見つけた。
 通信の魔術具――舞台に出る前にルチアから渡されたものだ。通信具は今もエランの両耳にしっかり埋まっていた。指先でつつくように触れてみたが、外し方がわからない。
 ――どういう仕組みなんだ、これは。
 眉をひそめながら鏡を覗き込んでいると、コンコンと部屋の扉を叩く音がする。

「起きてたんだね。おはよう」

 現れたのは、ルチアだった。エランを見つけて、笑顔で話しかけてくる。

「部屋に入っても?」
「……あ、ああ」

 そう答えたものの、エランは居心地の悪さを隠せなかった。
 ルチアには、昨日の痴態を余すところなく見られた。それだけではない。通信具越しにエランを責め、さいなんだのは間違いなくこの男だ。だというのに、ルチアは表情一つ変えないどころか、エランに対してにこやかに接してくる。
 エランは自分の感情にも小さな違和感を覚えていた。自分をあんな目に遭わせた相手だというのに、ルチアに対して負の感情が浮かんでこなかったからだ。これは、どういうことだろう。

「どう? よく眠れた?」
「……問題ない」
「それならよかった」

 質問には答えたものの、エランはルチアの顔を直視できなかった。鏡の前に突っ立ったまま、視線を床に彷徨さまよわせる。そんなエランの前に影が落ちた。視線の先にルチアの足先が見える。
 しばらくうつむいたままでいると、伸びてきたルチアの手がエランの顎先に触れた。

「…………っ」

 驚きに身をすくめたエランに、ルチアは何も言わなかった。
 無言のまま、指の背でエランの顎の縁を撫でる。これまで誰にもされたことのない触れ方に、エランは戸惑いを隠せなかった。

「どこか痛いところはない?」
「普通だ…………んッ」

 ルチアの指先が唇をかすめる。ぞくりと甘いしびれが走り、喉を鳴らしてしまった。
 ――どうして。
 自分の反応が信じられない。困惑するエランの頬に、ルチアが手の甲を滑らせる。そのまま顎下まで撫で下ろすと、掬うようにエランの顔を持ち上げた。ルチアの藍色の瞳と視線が絡む。

「ん……っ」

 目が合った瞬間、腹の奥が重く脈動した。そこから熱が全身へと広がり、呼吸が荒くなる。

「すっかり、発情することを覚えたみたいだね」

 そう言って楽しそうに笑いながら、ルチアはエランの首元をくすぐった。
 与えられた刺激に肩をひくひくと震わせながら、エランは混乱を隠せない。
 ――今、何を言われたんだ?
 言葉の意味がわからなかった。ルチアの声ははっきり聞こえているのに、まるで知らない外国語を聞いているかのように言葉が理解できない。あまりに不可思議な現象にエランは首を傾けた。

「……なんだ? 何を言ったんだ?」
「いいんだよ。エラン。気にする必要はない」
「でも……っ」

 何かがおかしい――そう言おうとしたのに、続きは言葉にならなかった。
 ルチアの手がエランの胸に触れたせいだ。指先で胸の突起を弾かれ、ひくりと身体が揺れる。腹の奥のうずきがさらに強くなった。自分の身体のことなのに、変化についていけない。

「ん……ふ、ぁ」

 混乱しているのに、口からは勝手に甘い声が漏れる。ルチアにこんな風に触れられることをおかしいと思っているのに、なぜか抵抗できなかった。それどころか『もっと触れてほしい』と思ってしまっている。無意識にルチアの手に身体を擦り寄せてしまうほどに。
 表情を蕩けさせたエランを見て、ルチアは目を細めて笑う。

『そんなに簡単にちないでよ……面白くない』

 笑顔とは裏腹に、落胆した冷ややかな声が頭に響いた。一瞬にして体温が下がる。まるで心臓に氷の杭が突き刺さったかのように、胸の中心から鋭い冷たさが全身に広がった。

「ぁ……あ……」

 それは怯えの感情となって、エランをむしばむ。
 ――恐ろしい。この男に興味を失われることが、恐ろしくてたまらない。
 自分のことなのに、どうしてそう思うのかまではわからなかった。
 震えるエランを見て、ルチアは満足そうに唇の端を上げる。

「可愛いね、エラン。怯えてるの?」
「ッ……そんなことは、ない」

 どれだけ口で否定しても誤魔化せないほどに、エランの声は震えていた。それでも必死に表情を取り繕い、平静を装う。

「やっぱり、そうやって強がってるエランのほうが、ボクは好きだよ」


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