紅葉-くれは-

菊池まりな

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第63話 記憶の境界

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森の奥に、ぽっかりと口を開けた空間があった。
 春香たちはそこに立っていた。

 昼間だというのに、木々の間は薄暗く、光が揺らめくたびに影が人の形を成して消える。
 どこかで風鈴のような音がする──だが、風はない。

 「ここ……だよね」
 美奈の声が小さく震えた。

 春香は頷き、手にした懐中電灯をゆっくりと照らす。
 光の先に現れたのは、古びた鳥居。
 そこには、かすれた白い札が無数に貼られていた。どれも古文で書かれていて、読むことはできない。
 ただ、朱の色がまだ新しい。誰かが、最近貼り直したのだ。

 「……誰が?」
 祐真がつぶやく。

 彼の声には、微かな怯えが滲んでいた。
 無理もない。この森で彼は“失った”のだ。
 二十年前、幼い橘美桜を。

 「おかしいな……この道、前に来たときはこんな札、なかった」
 彼が言った瞬間、背後でガサリと音がした。

 三人は同時に振り返る。
 だが、そこには何もいない。風も、動物の気配も。

 ただ、土の上に──小さな裸足の足跡が、ぽつんと残っていた。

 「……子どもの足?」
 美奈が青ざめた顔で呟いた。
 春香は、息を呑んだ。

 その足跡は、まるで“奥へ誘う”ように並んでいた。

 「行こう」
 春香が言うと、祐真が慌てて制した。
 「待ってください。中には入らないほうがいい。ここは……“あの場所”と繋がってる」

 「“あの場所”?」
 美奈が聞き返すと、祐真の表情が凍りつく。

 「昔、村の外れに“研究小屋”があった。住職の古沢さんが言ってたんだ。
  あそこは、祈祷と実験の両方をしていた場所だって。……失踪した子どもたちは、全員、あの小屋の近くで最後に目撃されてる」

 「じゃあ紅葉も?」
 春香の声が掠れた。

 祐真は無言で頷いた。

 その瞬間、春香の脳裏に──紅葉がいなくなる前夜のことがよぎった。
 神社の裏手で、紅葉が何かを拾っていた。
 それは、小さな白い布片。血のような赤い模様が滲んでいた。

 『おばさん、この模様……見覚えない?』

 あのとき紅葉が見せてきたその布──まさに今、鳥居に貼られた札と、同じものだった。

 「……紅葉、ここに来てたんだ」
 春香の声が震える。

 そのとき、足元の落ち葉がひとりでにざわめき、闇の奥から声がした。

 『──みお……』

 美奈が息を呑む。
 祐真の顔から血の気が引く。
 春香は凍りついたまま、その声の方向を見つめた。

 風が止み、森が息を潜める。
 そして、次の瞬間──

 誰もいないはずの空間に、小さな影が立っていた。
 白いワンピース、長い髪。顔は、光の向こうで見えない。

 だが春香は、確かにその名を知っていた。

 「……美桜」

 美奈の手が震え、祐真の懐中電灯が床に落ちる。
 光が揺れ、鳥居の札が一斉に音を立てて剥がれた。

 その瞬間、あたりの空気がひっくり返ったように冷たくなり、
 森全体が“何か”に気づいた。

 春香の背筋を冷たいものが走る。

 ここは、まだ終わっていない。
 紅葉も、美桜も、呼ばれて消えた“何か”が、
 いま、この場所で──目を覚まそうとしている。
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