75 / 155
第74話 呼ばれた者の名
しおりを挟む
朝霧が立ちこめる村の外れ。
杉木立の影に隠れるようにして、古びた祠がひっそりと佇んでいた。
苔むした石段は崩れかけ、屋根には蔦が絡まり、長いあいだ誰にも触れられていないことがわかる。
春香は足を止め、息を呑んだ。
「……こんなところ、昔はなかったはずなのに」
隣の美奈が、小さく首を傾げた。
「私も知らなかった。だけど……紅葉が、ここに行こうって言ってたの。祭りの前の日、“声がする”って」
春香の手が震える。
あの夜の紅葉の笑顔が、脳裏に蘇る。
浴衣姿で手を振っていた娘。その姿が最後だった。
二人は恐る恐る、祠の扉を押し開けた。
中は思ったより広く、冷たい湿気と土の匂いが満ちている。
灯りをつけると、奥の壁に“何か”が浮かび上がった。
それは、古びた石板だった。
厚い土に埋もれ、半分は苔で覆われている。
だが、指でなぞると──文字が刻まれているのがわかった。
「……名前、ですか?」
美奈が息をのむ。
春香はライトを近づけた。
そこには、震えるような筆跡でこう刻まれていた。
> 呼ばれし者たちの名
その下に、いくつもの名前が並んでいる。
どれも見覚えのある村の名字ばかりだった。
「……氷川……橘……一ノ瀬……?」
美奈が囁く。
春香の指が震えながら、最後の行へと滑っていく。
> 橘 紅葉
その名の下に、浅く新しい傷跡が刻まれていた。
──まだ、乾いていない。
「最近……刻まれた?」
美奈の声がかすれる。
春香は背筋を凍らせた。
「紅葉が失踪したのは数日前……じゃあ、これはいったい誰が……」
そのときだった。
祠の奥から、風が吹いた。
いや、風ではない。何かが“通った”──目には見えない何かが、二人の間をすり抜けていった。
蝋燭の炎が揺れ、壁の影が踊る。
春香の耳に、微かな声が届いた。
──おかあさん。どうして、見つけたの。
「紅葉……?」
春香は思わず呼びかける。
その瞬間、祠の奥の闇の中に、小さな白い手が見えた。
泥にまみれたその手が、石板をなぞるように動く。
新しい文字が、音もなく刻まれていく。
春香と美奈の目の前で──。
> 氷川 美奈
美奈の顔が真っ青になった。
足元の土がずぶりと沈む。
祠の床の下から、低いうなり声のような音が響きはじめた。
春香が美奈の腕を掴む。
「逃げるわよ!」
二人は祠から飛び出し、石段を駆け下りた。
背後では、祠の扉が軋みをあげて閉まり、
風のような声が、遠くで笑った。
──また、ひとり、呼ばれた。
春香は走りながら、美奈の手を離さなかった。
その掌に、冷たい何かが握られているのに気づく。
それは、紅葉のペンダント。
だが、裏面の文字が、変わっていた。
> 次は、あなたを迎えに行く
風が吹き荒れ、紅い枯葉が二人の周囲に舞った。
それはまるで、森そのものが“喜んでいる”かのようだった。
杉木立の影に隠れるようにして、古びた祠がひっそりと佇んでいた。
苔むした石段は崩れかけ、屋根には蔦が絡まり、長いあいだ誰にも触れられていないことがわかる。
春香は足を止め、息を呑んだ。
「……こんなところ、昔はなかったはずなのに」
隣の美奈が、小さく首を傾げた。
「私も知らなかった。だけど……紅葉が、ここに行こうって言ってたの。祭りの前の日、“声がする”って」
春香の手が震える。
あの夜の紅葉の笑顔が、脳裏に蘇る。
浴衣姿で手を振っていた娘。その姿が最後だった。
二人は恐る恐る、祠の扉を押し開けた。
中は思ったより広く、冷たい湿気と土の匂いが満ちている。
灯りをつけると、奥の壁に“何か”が浮かび上がった。
それは、古びた石板だった。
厚い土に埋もれ、半分は苔で覆われている。
だが、指でなぞると──文字が刻まれているのがわかった。
「……名前、ですか?」
美奈が息をのむ。
春香はライトを近づけた。
そこには、震えるような筆跡でこう刻まれていた。
> 呼ばれし者たちの名
その下に、いくつもの名前が並んでいる。
どれも見覚えのある村の名字ばかりだった。
「……氷川……橘……一ノ瀬……?」
美奈が囁く。
春香の指が震えながら、最後の行へと滑っていく。
> 橘 紅葉
その名の下に、浅く新しい傷跡が刻まれていた。
──まだ、乾いていない。
「最近……刻まれた?」
美奈の声がかすれる。
春香は背筋を凍らせた。
「紅葉が失踪したのは数日前……じゃあ、これはいったい誰が……」
そのときだった。
祠の奥から、風が吹いた。
いや、風ではない。何かが“通った”──目には見えない何かが、二人の間をすり抜けていった。
蝋燭の炎が揺れ、壁の影が踊る。
春香の耳に、微かな声が届いた。
──おかあさん。どうして、見つけたの。
「紅葉……?」
春香は思わず呼びかける。
その瞬間、祠の奥の闇の中に、小さな白い手が見えた。
泥にまみれたその手が、石板をなぞるように動く。
新しい文字が、音もなく刻まれていく。
春香と美奈の目の前で──。
> 氷川 美奈
美奈の顔が真っ青になった。
足元の土がずぶりと沈む。
祠の床の下から、低いうなり声のような音が響きはじめた。
春香が美奈の腕を掴む。
「逃げるわよ!」
二人は祠から飛び出し、石段を駆け下りた。
背後では、祠の扉が軋みをあげて閉まり、
風のような声が、遠くで笑った。
──また、ひとり、呼ばれた。
春香は走りながら、美奈の手を離さなかった。
その掌に、冷たい何かが握られているのに気づく。
それは、紅葉のペンダント。
だが、裏面の文字が、変わっていた。
> 次は、あなたを迎えに行く
風が吹き荒れ、紅い枯葉が二人の周囲に舞った。
それはまるで、森そのものが“喜んでいる”かのようだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる