紅葉-くれは-

菊池まりな

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第74話 呼ばれた者の名

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朝霧が立ちこめる村の外れ。
 杉木立の影に隠れるようにして、古びた祠がひっそりと佇んでいた。
 苔むした石段は崩れかけ、屋根には蔦が絡まり、長いあいだ誰にも触れられていないことがわかる。

 春香は足を止め、息を呑んだ。
「……こんなところ、昔はなかったはずなのに」
 隣の美奈が、小さく首を傾げた。
「私も知らなかった。だけど……紅葉が、ここに行こうって言ってたの。祭りの前の日、“声がする”って」

 春香の手が震える。
 あの夜の紅葉の笑顔が、脳裏に蘇る。
 浴衣姿で手を振っていた娘。その姿が最後だった。

 二人は恐る恐る、祠の扉を押し開けた。
 中は思ったより広く、冷たい湿気と土の匂いが満ちている。
 灯りをつけると、奥の壁に“何か”が浮かび上がった。

 それは、古びた石板だった。
 厚い土に埋もれ、半分は苔で覆われている。
 だが、指でなぞると──文字が刻まれているのがわかった。

「……名前、ですか?」
 美奈が息をのむ。
 春香はライトを近づけた。
 そこには、震えるような筆跡でこう刻まれていた。

> 呼ばれし者たちの名



 その下に、いくつもの名前が並んでいる。
 どれも見覚えのある村の名字ばかりだった。

「……氷川……橘……一ノ瀬……?」
 美奈が囁く。
 春香の指が震えながら、最後の行へと滑っていく。

> 橘 紅葉



 その名の下に、浅く新しい傷跡が刻まれていた。
 ──まだ、乾いていない。

「最近……刻まれた?」
 美奈の声がかすれる。
 春香は背筋を凍らせた。
「紅葉が失踪したのは数日前……じゃあ、これはいったい誰が……」

 そのときだった。
 祠の奥から、風が吹いた。
 いや、風ではない。何かが“通った”──目には見えない何かが、二人の間をすり抜けていった。

 蝋燭の炎が揺れ、壁の影が踊る。
 春香の耳に、微かな声が届いた。

 ──おかあさん。どうして、見つけたの。

「紅葉……?」
 春香は思わず呼びかける。
 その瞬間、祠の奥の闇の中に、小さな白い手が見えた。
 泥にまみれたその手が、石板をなぞるように動く。

 新しい文字が、音もなく刻まれていく。
 春香と美奈の目の前で──。

> 氷川 美奈



 美奈の顔が真っ青になった。
 足元の土がずぶりと沈む。
 祠の床の下から、低いうなり声のような音が響きはじめた。

 春香が美奈の腕を掴む。
「逃げるわよ!」
 二人は祠から飛び出し、石段を駆け下りた。
 背後では、祠の扉が軋みをあげて閉まり、
 風のような声が、遠くで笑った。

 ──また、ひとり、呼ばれた。

 春香は走りながら、美奈の手を離さなかった。
 その掌に、冷たい何かが握られているのに気づく。
 それは、紅葉のペンダント。
 だが、裏面の文字が、変わっていた。

> 次は、あなたを迎えに行く



 風が吹き荒れ、紅い枯葉が二人の周囲に舞った。
 それはまるで、森そのものが“喜んでいる”かのようだった。

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