紅葉-くれは-

菊池まりな

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第90話 供物の儀

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祠の前の空気が、ひと息に凍りついた。

 春香の指先はまだ紅葉に向かって伸ばされていたが、次の瞬間、彼女の身体が小刻みに震え始めた。

 祐真は慌てて春香を抱きとめ、背後の木陰へ引きずる。



 美奈は涙をこぼしながらも、祠の中を見つめていた。

 「……今の、紅葉ちゃん……あれ、本当に……」

 言葉が続かない。

 彼女の視線の先、祠の奥には、何かが“祀られていた”。



 古びた木の棚。

 そこには陶器の皿が並び、干からびた花や折れた人形の腕、そして土で覆われた古い帳面があった。



 祐真が息を整え、震える手で帳面を拾い上げる。

 表紙には、墨で書かれた文字。



 「供物の記録」



 湿気で紙が崩れかけていたが、ページの中には村の古い字でびっしりと文字が並んでいた。

 “森神ノ怒リヲ鎮ムル為、母ト子ヲ以テ贄トナス”

 “春彼岸、秋祭ノ折、選バレシ母ノ子ハ森ニ帰ル”



 美奈の顔から血の気が引く。

 「……秋祭り……紅葉が消えた日」



 春香は唇を震わせながら、次の行を読み上げた。

 “子失エシ母ハ、翌代ニテ呼バル”



 その意味を理解した瞬間、三人の背筋を冷たいものが這い上がった。



 「まさか……春香さん、あなたが……」

 祐真の言葉に、春香は首を横に振った。

 「違う……でも……美桜を失ったあの夜から、ずっと、夢の中で誰かに呼ばれていたの。

 “次はあなたが”って……」



 “次はあなたが”──その言葉が、まるで祠の奥から囁かれたように響いた。



 チリン。



 鈴の音がもう一度鳴る。

 春香が反射的に振り向くと、木々の間に紅葉の姿が見えた。

 白い影のように、静かに立っている。

 しかし、その瞳は紅葉のものではなかった。



 “母を呼ぶ”

 その唇が、確かにそう動いた。



 「紅葉っ!」

 春香は祐真の制止も振り切って駆け出した。

 美奈も泣きながら追う。

 だが紅葉の姿は、霧の奥へ、森の深層へと消えていった。



 祐真が荒い息を吐きながら、残された帳面を握りしめた。

 最後のページには、震えるような筆跡でこう記されていた。



 “贄トナレシ母ハ森ニ喰ラワレ、子ハ姿ヲ変エテ還ル”



 血のように赤黒いインクが、最後の一文を滲ませていた。



 そして──

 その文字の下に、誰かの名が掠《かす》れた筆で書かれていた。



 「橘 春香」



 祐真の手から帳面が滑り落ちる。

 森が、再びざわめいた。

 ──まるで、それを“読んだこと”さえ罰するかのように。

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