紅葉-くれは-

菊池まりな

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第112話 秋祭りの影と残された約束

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 紅葉が失踪した秋祭りの夜。春香の胸の奥には、あの晩のざわついた空気と、風が運んできたわずかな金木犀の匂いが、今でも鉛のように沈んでいる。

 その夜、紅葉は境内の灯籠の列のそばで美奈と別れ、ひとりで家へ向かった。
 ──はずだった。

 「紅葉はね、最後に振り返って言ったんだよ。『また明日、話すね』って」

 美奈はそう言ったあと、決まって視線を落とす。まるで、その言葉そのものが呪いのように、今も耳の奥にこびりついて離れないというように。

 そして現在。
 春香、美奈、祐真の三人は、紅葉の部屋に残されたわずかな“違和感”を頼りに、手がかりを探していた。

 部屋の窓は内側から施錠され、荒らされた痕跡もない。
 だが、美奈が指差した机の引き出しだけは、異様だった。

 「ここ……少しだけ、ずれてるんです」

 祐真が警官らしく慎重に引き出しを開くと、内部の布底に、ごく薄い擦れ跡が幾重にも走っていた。
 ──誰かが、何度もここを触ったような跡。

 「紅葉が? こんなの……知らなかった」

 春香の声は震えている。
 美奈は言葉を飲み込み、祐真は眉間に深い皺を寄せた。

 「……これ、隠し底がありますね」

 指先で押し込むと、コトリと乾いた音がして、板の一部が沈む。小さな空洞が現れ、そこには折り畳まれた紙片が一枚だけ残されていた。

 祐真が慎重に開く。
 書かれていたのは、震えるような細い文字。

 ──やっぱり、呼ばれてる。

 春香は息を呑んだ。
 美奈の顔色が見る見る青ざめていく。

 「……呼ばれてる、って……こんな……」

 春香の喉から漏れた声は、もはや言葉になっていなかった。
 あの夜、紅葉が祭りの灯籠を見つめていたときの表情が、脳裏に蘇る。
 揺れ続ける火と、舞い落ちる葉の色に、不自然なほど見入っていた娘の横顔。

 ──誰かに、見つめ返されていたような。

 「春香さん、一度深呼吸を……」

 祐真が声を掛けるが、春香は首を振った。

 「祐真さん……あなた、昔……“呼ばれた”子どもたちの話、聞いたことがあるんでしょう?」

 その瞬間、祐真の表情が凍りついた。

 美奈も息をのみ、ゆっくりと祐真のほうへ顔を向ける。

 「ねえ……祐真さん。お願い。知っていることを教えて」

 部屋の空気が急に冷えたように感じた。
 窓は閉まっているのに、カーテンだけが微かに揺れている。

 祐真は拳を握りしめ、視線を床に落とした。
 沈黙ののち、苦しげに口を開く。

 「……俺は、この村をいったん出た。忘れたかったからだ。
 でも──思い出したんだ。紅葉さんが消えてから」

 「思い出したって……なにを?」美奈が震える声で問う。

 祐真の声は掠れていた。

 「二十年前……美桜ちゃんが森で“呼ばれて”消えた日。俺は、すぐそばにいたんだ」

 春香は顔を覆った。
 美奈が胸を押さえ、大きく息を呑む。

 祐真は続けた。

 「そして……あのときと同じ匂いが、秋祭りの夜、この部屋の外にも漂っていた。
 あれは……金木犀の匂いなんかじゃない。もっと、生々しくて……冷たい匂いだ」

 春香の目から涙が零れ落ちる。

 美奈はゆっくりと紙片を拾い上げる。
 “呼ばれてる”という文字が、まるで新しい傷みたいに胸を刺した。

 「紅葉……何に呼ばれたの……?」

 答えはまだ、闇の中だ。
 だが三人とも感じ取っていた。
 この部屋に残された違和感は、ただの手がかりではない。

 ──“誰か”が、ここへ入り、そして紅葉を連れて行った。

 その影は、まだこの村のどこかに潜んでいる。

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