紅葉-くれは-

菊池まりな

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第121話 戻れぬ証

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 森を出たとき、夜の冷気が妙に現実味を帯びて春香の頬を打った。
 ついさっきまで、土の匂いと白い骨と、声にならない声に囲まれていたはずなのに、鳥居の外はあまりにも静かで、何もなかったかのように平穏だった。

 それが、かえって不気味だった。

 祐真は無言で無線を入れ、簡潔に状況を報告した。
 すべてを話しているわけではない。――“影”のことも、“声”のことも。
 ただ、「不審な埋設物を発見」「人骨と思しきものあり」という、現実の言葉に置き換えただけだった。

 春香は、神社の石段に腰を下ろしたまま、動けずにいた。
 墓標も名も持たず、森の底に二十年も眠っていた“何か”。
 それが美桜かもしれないという事実が、胸の奥で鈍く脈打っている。

「……連れて帰れないの……?」

 嗄れた声で、春香が問う。

 祐真は少しの沈黙のあと、首を横に振った。

「今は……正式な鑑識が来るまで、手をつけられません」 
「じゃあ……あの子は……また……あの森に……」

 言葉が、ふっと途切れた。
 春香は唇を震わせ、両手で顔を覆った。

 美奈はその背中に、そっと手を置いた。

「……春香さん……」

 だが、どんな言葉も慰めにならないと分かっていた。

 祐真は、森の方を振り返る。
 闇の奥は、何事もなかったかのように静まり返っている。
 だが、あそこに“何かが残っている”ことだけは、もう疑いようがなかった。

「……二十年前も、こんなふうに……」    祐真がぽつりと呟く。

「声も、証拠も、何も残らなかった。ただ……消えた」 
「……美桜ちゃんも、やっぱり……」   
 美奈の言葉に、祐真は視線を伏せた。

「まだ……鑑定するまでは、決められない」 
「でも……骨があった……」 
「それが“誰のものか”が分からない限り、断定はできない」

 しかしその理屈が、春香の心を守る盾にはならなかった。

 しばらくして、遠くからサイレンの音が近づいてきた。
 赤色灯が木々の間に滲み、森の輪郭を揺らす。

 その光を見つめながら、美奈は、小さく唇を噛みしめた。

「……紅葉……」

 あの影が“祭り”と呟いたとき、
 鈴の音が聞こえたとき、
 胸の奥で、嫌な確信が芽生えていた。

 ──紅葉は、まだ終わっていない。
 そして、この森は、“ひとり返しただけでは満足しない”。

 警察車両が到着し、森は一気に現実の場所へと引き戻された。
 だが、誰の心にも、さきほどの“異界”の気配は色濃く残っていた。

 鑑識を呼ぶ準備を整えながら、祐真は春香に向き直る。

「……これから、もっと辛いことがあるかもしれません」 
「……ええ……分かってる……」

 春香は、弱々しくも、確かに答えた。

「……でも……逃げない……。もう……どこにも……」

 その言葉に、祐真は小さく頷いた。
 美奈は胸の奥で、別の不安を押し込める。

 ──紅葉は、あの森で“何を見た”のか。
 ──“誰に呼ばれた”のか。

 そして──
 私に、言い残そうとした“あの言葉”は、何だったのか。

 サイレンの音が、夜の森に長く尾を引いた。

 それはまるで、
 還れなかった者たちへの、遅すぎる呼び声のようでもあった。

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