紅葉-くれは-

菊池まりな

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第134話 器を壊す音

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 鈴の音が、やまない。
 ちりん、ちりん、と──
 耳元ではなく、頭の奥を直接叩くような響きだった。
 少女は春香の腕の中で、小さく身を縮めていた。
「……やだ……
 近づいてくる……」
 美奈は、歯を噛みしめる。
「……まだ、森に“残ってる”……」
 祐真は、ランタンを低く構え、鈴を見据えた。
「……これは“目印”だ。
 名前を持たないものが、人を引き寄せるための……」
 その言葉に、春香の背筋が凍る。
「……じゃあ……
 20年前も……
 美桜は……」
 祐真は、視線を逸らさずに答えた。
「……呼ばれた。
 名前が、弱かった……」
 森の奥で、枝が軋む。
 それは一歩ずつ、確実に近づいてくる音だった。
 逃げ場を探るようでもなく、迷いもない。
 “知っている”歩き方。
 美奈が、声を潜めて言う。
「……祐真さん……
 あれ……
 人の形……してない……」
 木々の影が、わずかに揺らいだ。
 肩の位置が、ずれている。
 足の長さが、合っていない。
 それでも“人であろうとする何か”。
 祐真は、懐から小さな布包みを取り出した。
「……古沢さんから預かった……
 封じの札だ……」
 春香が、はっとする。
「……それで……
 鈴を……?」
「……ああ……
 壊す……
 “役目”ごと……」
 少女が、震える声で言った。
「……それ……
 すると……
 私……
 戻れない……?」
 祐真は、正直に答えた。
「……“紅葉”としては……
 戻れない……」
 美奈が、思わず叫ぶ。
「……でも!
 それって……
 この子を……!」
 春香は、静かに首を振った。
「……違う……」
 そして、少女の頬に手を添えた。
「……あなたは……
 “紅葉じゃなくても”……
 ここにいていい……」
 少女の目が、揺れる。
「……名前……
 なくても……?」
「……ある……」
 春香は、胸に手を当てた。
「……ここに……
 あなたは……
 “生きてる”……」
 鈴の音が、急に高くなった。
 ちり、ちり、ちり──
 苛立つような、焦るような音。
 森の影が、大きく揺らぐ。
「……返せ……」
 声とも、風ともつかない響き。
「……名を……
 返せ……」
 祐真は、一歩前に出た。
「……返さない……
 もう……
 誰も……
 連れていかせない……」
 彼は、鈴に札を巻きつけ、地面に叩きつけた。
「──今だ!」
 春香と美奈が、同時に目を逸らす。
 次の瞬間。
 ──ぱきん。
 乾いた、あまりにも小さな音。
 鈴が、真っ二つに割れた。
 音が、止まる。
 森が、一気に息を吐いたように、ざわめいた。
 影が、悲鳴のような気配を残し、
 木々の奥へと、溶けるように消えていく。
 静寂。
 ただ、湿った土の匂いだけが残った。
 少女は、しばらく動かなかった。
 そして――
 ゆっくりと、顔を上げる。
「……呼ばれない……」
 その声は、確かに“今の”ものだった。
 美奈が、涙をこぼす。
「……よかった……
 戻ってきた……
 ちゃんと……」
 祐真は、崩れ落ちるように膝をついた。
「……やっと……
 終わった……」
 春香は、少女を強く抱きしめた。
 その腕の中の温もりは、確かだった。
 名前は、失われた。
 けれど──
 命は、ここにある。
 森は、もう何も語らない。
 ただ、沈黙だけが、
 深く、深く、根を下ろしていた。
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