紅葉-くれは-

菊池まりな

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第144話 鏡の廊下で会う子(二)

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扉の向こうは、ふつうの部屋だった。

 ──いや、“ふつうに見える”部屋だった。

 古い木製の机、壁にかけられた時計、揺れるレースのカーテン。

 けれど空気には湿り気がなく、家具の影には温度がない。

 「誰かが生活していた痕跡」だけが、貼りつけたように残されている。

 春香と美奈が踏み込むと、扉が背後で閉じた。

 鍵の降りる気配はないのに、開かない。

 閉じ込められた。

「……音、止んだ?」

 美奈が囁く。耳を澄ませる。廊下から聞こえていた“幼い足音”も“ひきずる音”も、消えていた。

 静寂──その奥で、時計の針だけが動いている。

 カチ、カチ、カチ……

 だが時計は、止まっていた。

 針は動いているのに、時刻は変わらない。

「おかしい……」

 春香は部屋を見回す。

 机の上には、一枚の写真立てが置かれていた。

 写真には三人の子どもが写っている。紅葉と美桜、そして──

「……春香?」

 美奈が目を凝らし、震える声で呼んだ。

 写真の中の三人目は、幼い春香にしか見えない。

 だが春香は記憶にない。

 こんな写真、知らない。

「これ……どういう、こと……?」

 喉がひりつく。背中が冷える。

 写真の中の“幼い春香”だけが、こちらを見て微笑んでいる。

 他の二人は前を向いているのに、その子だけが、確かに春香を見ている。

 ──カチリ。

 写真立てのガラスがひとりでにひび割れた。

 ひびが広がり、幼い春香の笑顔だけを中心に歪めていく。

 その瞬間。

「ねぇ、はるか」

 声がした。

 部屋の隅、カーテンの影から、誰かが顔を覗かせていた。

 少女だった。

 肩までの黒い髪、白いワンピース。紅葉にも美桜にも似ているのに、どちらでもない。

 春香と同じ歳に見えるのに、目だけが冷たい。深い井戸みたいに。

「やっと来てくれた。ずっと待ってたのに」

 少女は笑うでも泣くでもなく、ただ表情を貼りつけたまま、首だけを傾けた。

「はるかは忘れたの?
 わたしたち、三人で遊んでたよ。
 ちゃんと“選ばれた”三人で」

 春香の心臓が跳ねる。

「……私、あなたを知らない」

「知ってるよ。ねぇ、だって──」

 少女の影が床に落ちる。

 影が、二つに増えた。

 少女の後ろに、もう一つ、歪な形が立ち上がる。

 あの廊下で見た“影”。足を引きずる何か。

「名前を、貰ったでしょ?」

 少女が囁く。

「春香って名前はね、“わたしの代わり”に与えられた名前なんだよ」

 影が近づく。美奈が後ずさる。

「来ないで……!」

 美奈が叫ぶが、影は止まらない。

 少女は一歩踏み出し、春香の目の前に立った。

 距離は触れられるほど近いのに、空気が触れない。温度がない。

「返して」

 少女が囁く。

「“はるか”って名前、返して。
 本当は、それ……わたしのものだから」

 その瞬間、扉が叩き破られた。

「春香さん!!」

 祐真の声。

 振り返った春香の肩越し、一瞬だけ見えた。
 
 手に警棒を構え、駆け込んでくる祐真の姿。

 だが少女は微笑んだ。初めて、感情を宿して。

「間に合うといいね。
 だってこの家は、記憶を食べるから」

 影が一斉に動いた。
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