紅葉-くれは-

菊池まりな

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第143話 鏡の廊下で会う子

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鏡の向こう側は、光のない廊下だった。

足を踏み入れた瞬間、背後の鏡が音もなく閉じる。

戻り道が、ふさがれた。

春香は息を整え、辺りを見渡す。

見覚えがあるようで、ない。

家の廊下と似ているのに、壁の色も床の軋みも、どこか“型”のように作られていて、生きた家の気配がしない。

美奈が指で壁を触れ、顔をしかめる。 

「……木の匂いがしない。
 これ、木材に見えるけど……冷たい。石みたい」

祐真も周囲を警戒するように歩く。 

「ここは家を模した“抜け殻”だ。
 森が記憶から形を作ったんだろう。
 時間を閉じ込めるために」

春香は、前を向いたまま呟いた。

「思い出じゃなくて、罠みたいね……」

そのとき──

廊下の奥から、小さな足音が響いた。

とん……とん……とん……

規則正しいリズム。

走っているのではなく、歩いている足音。

幼い子どもが前を向いて進んでいくような……

そんな軽い音。

春香は目を見開く。

 「美桜……?」

呼びかける声が震える。

返事はない。

けれど足音は止まらず、ゆっくり奥へ遠ざかる。

祐真が前に出ようとした時、 別の音が重なった。

ず、り……ず、り……

何かをひきずる音。

何かが追いかけている音。

足音とは違う、重く、不揃いな重心。

美奈が青ざめた。

 「……また“あれ”が来る……」

廊下の影が揺れた。

さっき春香たちの家に現れた、あの人影。

右足と左足の重さが違う、不自然な歩幅。

それが徐々に輪郭を持って近づいてくる。

祐真が声を低くして言う。 

「二手に分かれるぞ。
 俺が影を引きつける。春香さんと美奈さんは先に進んでくれ」

美奈が即座に首を振る。 

「無理よ! そんなことしたら祐真くんが──」

「大丈夫だ。俺は警察官だ。守るためにいるんだ」

祐真の目に、怯えも迷いもない。

春香は短く息を吸い、彼を見つめた。

祐真が誰よりも強く恐れているのは、「誰も守れなかった夜」だ。

その記憶が、いまの決意に繋がっている。

春香は、彼の肩にそっと手を置いた。 

「無茶はしないで。
 誰も犠牲にしないって、あなたが言ったんだから。
 ……あなたも含めてよ」

わずかに祐真の表情が和らいだ。

 「……必ず、追いつく。約束する」

次の瞬間、影が姿をあらわした。

廊下の奥に“人の形をしたもの”が立っていた。

輪郭は歪み、顔は影に溶け、表情はない。

ただ、こちらを向いている。

ず、り……
 ず、り……

春香は一歩、前に進む。

「あなたが……美桜と紅葉を連れて行ったの……?」

影は答えない。

けれど動いた。

音もなく、滑るように距離を縮める。

祐真が叫ぶ。

 「行け!今だ!」

春香は美奈の手を掴み、足音のする奥へ走り出した。

追うように幼い足音が先へと響く。

とん……とん……とん……

美桜か。

紅葉か。

あるいは、二人ともか。

春香は胸の奥で、ひとつだけ願った。

「もう誰も、置いていかない……
 “選ばれた名前”なんて……壊してみせる……!」

廊下の先に、うっすらと扉が見えた。

光が漏れている。

暖かそうで、懐かしくて──でも、危険な呼び声。

美奈が息を呑む。

 「あの扉の向こうに……誰かがいる」

春香は頷いた。

美桜かもしれない。

紅葉かもしれない。

別の何かかもしれない。

それでも、進むしかない。

手を伸ばし、扉に触れた。

扉は、音もなく開いた。
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