紅葉-くれは-

菊池まりな

文字の大きさ
143 / 155

第142話 森に喰われた記憶

しおりを挟む
扉が開いた瞬間、空気が変わった。

暖かくも冷たくもない、どこにも属さない温度。

まるで「時そのもの」が息を潜めているような

空気が、三人の頬を撫でていく。

春香が最初に足を踏み入れた。

そこは“部屋”だった。

──けれど、現実のものではない。

木造の壁、見覚えのある家具、机の上に置かれたスクールバッグ。

すべてが 紅葉が失踪した日の部屋 と同じだった。

時計の針は17時26分で止まっている。

夏の終わりの日差しだけが、ゆっくりと差し込んだまま凍っていた。

美奈が囁く。 
「ここ……あの日のまま……時間が進んでない?」

「いや……進めないんだ」 
祐真が低く答える。

 「“進んだら困る誰か”がいる。
 だから閉じたんだ。森が──いや、この場所を作った何かが」

春香はベッドへ歩み寄る。

シーツのくぼみ。握りしめられた髪留め。

紅葉が、ついさっきまで座っていたような温度すら残っていた。

「……ここで、消えたのね」

声が震える。

涙がこぼれそうになっても、まだ落ちない。

そのとき。

机の上の鏡が、光を弾いた。

視線を向けると、鏡には姿が映っていない。

春香も、祐真も、美奈も。

けれど鏡の向こうには、紅葉だけが立っていた。

制服姿のまま。

表情は見えない。

ただ、こちらに手を伸ばしていた。

「紅葉……!」

春香が駆け寄ろうとした瞬間、祐真が腕を掴む。

「待って。まだ確かめないと」

鏡の向こうの紅葉は唇を動かした。

声はない。けれど、読めた。

──「ここにいる」

春香の手が震える。

次の瞬間、鏡の奥が波打った。

紅葉の姿が掻き消え、暗闇が広がる。

入れ替わるように、別の空間が映り込んだ。

そこは廊下だった。

見覚えがあった。

20年前の、春香の家。
小さなスリッパ。
壁に貼られた幼稚園の絵。
角に置かれたぬいぐるみ。

そして、鏡の奥を小さな影が横切った。

三歳の幼い子──美桜。

その背中を、黒い腕のような影が掴もうと迫っている。

美奈が息を呑む。 

「……美桜ちゃんの“消えた瞬間”が……まだ捕まってる……?」

祐真が鏡の縁を掴む。 

「つまり、二つの時間が閉じ込められてるってことだ。
 紅葉の時間と、美桜ちゃんの時間。
 戻れなかった“瞬間”ごと囚われてる」

春香は鏡にそっと触れた。 指先が冷たい水面に触れるように沈む。

「……迎えに行くわ。どちらも。
 どっちかなんて、選べない。
 犠牲で均衡を取るなら、均衡ごと壊す」

鏡が音もなく揺れる。

春香の足が一歩、鏡の中へ沈む。

祐真が続く。 

「俺も行く。危険なら止める。敵なら倒す。
 失うくらいなら、森ごと相手にする」

美奈も決意を宿した目で頷く。 

「春香さんをまた一人で背負わせない。
 “選ばれた名前”なんて言葉、私たちで終わらせる」

三人が鏡の向こう側へ踏み込んだ瞬間、部屋が

軋んだ。

廊下がゆっくりと閉じていく。

時計の針が動きを取り戻し、秒針が──
カチ、カチ、カチ……
時が再び動き始める。

その音に溶けるように、どこかで声がした。

──……まってる……
 はやくきて……
 おかあさん……

それは、紅葉の声でも、美桜の声でもあった。

どちらも、迎えに来てほしい子どもの声だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...