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第111話 金曜の視線が、まだ追いついてくる
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歩道を並んで歩きながら、朱里はこっそり指先をぎゅっと握りしめていた。
嵩が「ゆっくり歩こうか」と言ったその穏やかさは、胸の奥をやわらかく揺らす。
でも同時に、《金曜日の“あの視線”》がどうしても消えてくれない。
(……望月さん、絶対に気づいてたよね)
あの日、コンビニの袋を手にした瑠奈は一瞬だけ固まり、
「おっ、平田先輩と中谷先輩!」
と目を丸くした。
その表情が、今日になって何度も脳裏をよみがえる。
その気配を感じ取ったのか、嵩がゆっくり朱里の歩幅に合わせながら口を開いた。
「……やっぱり、気にしてる?」
「えっ……な、なにをですか」
「金曜のこと。望月さんに見られたこと」
その一言で、胸の奥を触れられたように朱里は息をのんだ。
「少し……だけ、気になります。でも、あの日は偶然ですし」
「うん。偶然だよ。だから心配しなくていい」
嵩の声は、金曜よりも落ち着いている。
まるで朱里の不安を吸い取るように。
「……でも、望月さんって朱里さんの後輩だよね」
「はい。しかも仕事、すごくできて……ちょっと、ライバルです」
「なるほど。それなら余計に気を遣わせちゃったかな」
嵩は申し訳なさそうに眉を下げた。
その仕草が、逆に朱里の胸を締めつけた。
「ち、違います! 平田さんは悪くないです。本当に」
「そう言ってくれると助かるけど。……でもね」
嵩は少しだけ足を止め、朱里のほうを向く。
「金曜に見られたくらいで俺と歩きづらくなるなら──それも、嫌なんだ」
その言葉は想像よりずっとまっすぐで、朱里はうまく呼吸ができなくなった。
視線を上げられないまま、朱里は小さく呟く。
「……歩きづらいなんて、思ってません」
「そっか。それならよかった」
嵩がふっと笑った瞬間、
(ああ……ダメだ。平田さんの笑顔、ずるい)
と朱里は胸の奥でこっそり叫んだ。
そのとき、スマホが震えた。
金曜に瑠奈から来ていた、あのメッセージへの返信をまだしていない。
『朱里先輩、平田さんと仲良しなんですね♡』
あの軽い文面が、今になって胸に刺さる。
(……どう返せばいいの、これ)
ほんの少し立ち止まった朱里の気配に、嵩がすぐ気づく。
「返信しなくていいよ。無理に取り繕う必要もないし」
「……なんでそんな、全部分かってるみたいに言うんですか」
「朱里さんが、すごく分かりやすいから」
「わ、分かりやすくないです!」
「うん。分かりやすいよ」
くすっと笑う声が、雨上がりの空気にやさしく溶ける。
金曜に見られた“視線”は、もう追いかけてこない。
そう思えてしまうほど、嵩の隣は安心感で満たされていた。
嵩が「ゆっくり歩こうか」と言ったその穏やかさは、胸の奥をやわらかく揺らす。
でも同時に、《金曜日の“あの視線”》がどうしても消えてくれない。
(……望月さん、絶対に気づいてたよね)
あの日、コンビニの袋を手にした瑠奈は一瞬だけ固まり、
「おっ、平田先輩と中谷先輩!」
と目を丸くした。
その表情が、今日になって何度も脳裏をよみがえる。
その気配を感じ取ったのか、嵩がゆっくり朱里の歩幅に合わせながら口を開いた。
「……やっぱり、気にしてる?」
「えっ……な、なにをですか」
「金曜のこと。望月さんに見られたこと」
その一言で、胸の奥を触れられたように朱里は息をのんだ。
「少し……だけ、気になります。でも、あの日は偶然ですし」
「うん。偶然だよ。だから心配しなくていい」
嵩の声は、金曜よりも落ち着いている。
まるで朱里の不安を吸い取るように。
「……でも、望月さんって朱里さんの後輩だよね」
「はい。しかも仕事、すごくできて……ちょっと、ライバルです」
「なるほど。それなら余計に気を遣わせちゃったかな」
嵩は申し訳なさそうに眉を下げた。
その仕草が、逆に朱里の胸を締めつけた。
「ち、違います! 平田さんは悪くないです。本当に」
「そう言ってくれると助かるけど。……でもね」
嵩は少しだけ足を止め、朱里のほうを向く。
「金曜に見られたくらいで俺と歩きづらくなるなら──それも、嫌なんだ」
その言葉は想像よりずっとまっすぐで、朱里はうまく呼吸ができなくなった。
視線を上げられないまま、朱里は小さく呟く。
「……歩きづらいなんて、思ってません」
「そっか。それならよかった」
嵩がふっと笑った瞬間、
(ああ……ダメだ。平田さんの笑顔、ずるい)
と朱里は胸の奥でこっそり叫んだ。
そのとき、スマホが震えた。
金曜に瑠奈から来ていた、あのメッセージへの返信をまだしていない。
『朱里先輩、平田さんと仲良しなんですね♡』
あの軽い文面が、今になって胸に刺さる。
(……どう返せばいいの、これ)
ほんの少し立ち止まった朱里の気配に、嵩がすぐ気づく。
「返信しなくていいよ。無理に取り繕う必要もないし」
「……なんでそんな、全部分かってるみたいに言うんですか」
「朱里さんが、すごく分かりやすいから」
「わ、分かりやすくないです!」
「うん。分かりやすいよ」
くすっと笑う声が、雨上がりの空気にやさしく溶ける。
金曜に見られた“視線”は、もう追いかけてこない。
そう思えてしまうほど、嵩の隣は安心感で満たされていた。
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