【R18】国民的アイドルの異常な執着愛:夜職初心者の私はカロンの舟に堕ちる

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第5話:名前のない飼い主と、壊れた理性(羽瀬 紬視点)

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翌朝、目が覚めると、部屋の中は昨夜の激しい雨が嘘のように静まり返っていた。

横に彼の姿はない。

(本当にここで寝ていたんだ)

指先で、シルクのように滑らかなシーツの感触を確かめる。ボロアパートのカビ臭い布団とは違う。高級な柔軟剤の匂い、そして隣の枕に残る彼の香りが、昨夜の出来事が夢ではないことを告げていた。

シーツを少しめくり、自分の身体に目を落とした。白い肌のあちこちに、昨夜まではなかった赤い印が刻まれている。痛々しい青痣を塗りつぶすように、その周辺には、彼が執拗に吸い上げたであろう名残が点在していた。

(……あの時の、ちくっとした感覚は、これだったんだ……)

暗闇の中、貪るような呼吸と共に、肌を強く噛み締められた時の痺れるような痛みが蘇る。

彼が、私の汚れた過去をすべて自分の色で上書きしようとしていたかのような、強引で一方的な跡。それを見つめているだけで、身体の奥がまた熱くなってくる。恥ずかしくて、情けなくて、私は逃げるようにシーツを頭から被った。

(……なんてことを)

初めてだった。いつか、本当に好きになった人と迎えるものだと、どこかで夢見ていたはずの大切な夜。それを、名前も聞いていない男の人に、たった一晩であっけなく差し出してしまった。

お金のためと思った自分もいた。それだけじゃないことを、私の身体が覚えている。

(そう、あの夜…)

一番鮮烈に覚えているのは、彼に唇を塞がれた時のことだ。苦しくて、熱くて、酸素を求めて口を開いた瞬間。彼の口内から、ひんやりと冷たくて、喉が焼けるほど甘い何かが流れ込んできた。すんなりと飲み下してしまった。胃の奥に落ちた瞬間に熱く弾け、私の理性を粉々に砕いた。あれは、お酒だったのか。それとも、もっと恐ろしい薬だったのか。分からない。けれど、飲み込んだ瞬間から身体の芯が痺れるように熱くなり、意識は急速に遠のいていった。

自分でも信じられないような声を漏らして彼に縋り付いていた私。今も、喉の奥にその甘い後味が残っている気がして、私は無意識に自分の唇を指でなぞった。

吸い込まれそうなほど深く、暗い瞳。見つめられた瞬間、思考は白く塗りつぶされ、差し出された大きな手に、私は自ら沈んでいった。

(……怖かったはずなのに)

抵抗できたはず。叫んで逃げ出すこともできたはず。

でも、彼の指先が私の肌に触れた瞬間、心が跳ね上がり、身体の中から力が抜けてしまった。

私を強引に、けれど奪うように温めてくれたあの熱、痛みを忘れるほどの甘い痺れ、脳が溶けるような快感、その熱に浮かされて、私は自分から彼にしがみついていた。

彼という存在が持つ、触れたものをすべて狂わせるような手つき。抗うことを諦めさせる魔法のような囁き。まるで極上のワインを試飲するかのような、優雅で、それでいて貪欲な舌使い……。

恐ろしいほどに良かったのだと、本能が理解してしまっている。

(……私、これからどうなってしまうのだろう)

身体の奥に、まだ彼の熱がこびりついている。もし、彼がこのまま私を捨ててしまったら。私は、この飢えをどうやってしのげばいい?他の誰かなら、この渇きを癒してくれるのだろうか。そんな、自分でも怖くなるような考えが頭をよぎっている。

彼が教えてくれた快楽が、私の中に眠っていた女を、取り返しのつかない形で呼び覚ましてしまったようだ。

昨夜のことを、振り返っていると、リビングからコーヒーの香りが漂ってきた。

窓の外に見えるのは、遮るもののない都会の絶景。こんな場所に、私のような羽瀬家の人間がいていいはずがない。身に余る贅沢への恐怖と、同時に湧き上がるのは、数年ぶりに味わう清潔で安全な場所への、抗いようのない安堵でもあった。

リビングへ向かうと、彼はすでに完璧な身なりで、コーヒーを片手にタブレットを眺めていた。逆光の中に立つその姿は、あまりにも絵になりすぎていて、昨夜確信した彼は、あの佐伯陽一だという事実が、非現実的な重みを持って私を押しつぶそうとする。

でも、彼はまだ名乗っていない。

私もあなたを知っていますとは言えていない。今の私はただ、彼に買い取られただけの存在と言うことにしておく方がいいのかもしれない。

「起きたか。テーブルの上のもの、確認しておけ」

促されるまま目を落とすと、そこには数枚の書類があった。一つは、私を苦しめていた闇金業者からの「完済証明書」だった。もう一つは、母親の転院先となる、都内でも有数の大学病院の特別室の入居契約書だった。

「……これ、は」
「さっき、一括で振り込んでおいた。紬の母親も、一時間後には迎えの車が病院へ着く。これからは、最高の医師と看護師が二十四時間体制で診てくれる」

私の手が、ガタガタと震え出す。

高校を卒業する時、学校が勧めてくれた就職先はすべて断った。正社員になれば社会保険も有給もある。でも、当時の私が必要としていたのは、数十年後の安定ではなく、今日と明日を生き延びるための、圧倒的な現金だった。

月給16万円弱の初任給では、母の入院費と、父がどこからか作ってくる借金の利息、そして日々の怒号を鎮めるための酒代には、到底足りなかった。

だから、私はあえて不安定な道を選んだ。

深夜のラブホテルの清掃は、数時間の仮眠付きで日当一万二千円。お座敷のコンパニオンは、二時間で一万円。

コンパニオン仲間の中には、チップを全員で公平に分けるグループもあったけれど、私がいた場所は、受け取った本人がそのまま懐に入れていいという実力主義だった。
酔客に身体を触られ、下品な言葉を投げかけられても、手渡される数千円のチップのために、私は張り付いた笑顔を絶やさなかった。

必死だった。誇りなんて捨てて、かき集めてきたお金。

それが、この人が指先一つで操作するタブレットの中で、一瞬にして、あっけなく解決してしまった。どうやって返したらいいかも考えずに、震える声で感謝の言葉が口をついて出る。

「あ、ありがとうございます。……必ず、お返しできるようにします」

今の私に差し出せる対価なんて、この身体一つしかない。

ラウンジのママが言っていた裏の稼ぎ方。
ママは、顔の広い人。お酒を出すLUXEリュクスの裏事業として、もっと直接的に身体を売るための店をいくつも持っている。

私のように行き詰まった女の子たちには、裏の店に籍を置くといいと、勧めていることも知っていた。

それでも、私は裏の店に籍を置くことだけはできなかった。

脂ぎった中年男や、権力を笠に着た酷い老人たち。彼らに組み伏せられ、死んだ魚のような目で天井を見つめる自分を想像しただけで、奥歯が軋むほどの不快感が走る。

(……そんなことになるくらいなら、いっそ)

そう思っていたはずなのに。身体を売らないLUXEで、私は人生ごと彼に買い取られた。
昨夜までなら、汚らわしいと軽蔑していた。だけども、あのひんやりと冷たくて、喉が焼けるほど甘い水分。

(脳も身体も溶かすような快感を忘れられない)

あんな風に、溶けるような快楽と共にお金が手に入るのであれば。母を救うために、もう一度あの場所へ戻り、自ら身体を売る道を選んでもいいのではないか。むしろ、あの痺れるような感覚を、もっと、何度も味わいたいとさえ思えてくる。救われた安堵の裏側で、私の中に眠っていた淫らな姿が、音を立てて芽吹いていく。

私は、彼の支配に怯えているフリをしながら、心のどこかで、彼にさらに汚されることを、いいえ、彼にだけ、もっと取り返しのつかないほどめちゃくちゃにされることを、激しく求め始めている。

「一生返せないだろう」

彼がゆっくりと立ち上がり、私の頬を指先でなぞった。そして、顎を指先でクイと持ち上げた。射抜くような視線が、私の内側の浅ましさをすべて暴いていく。

「……今夜はどうだ。昨日教えた続きを?」

(……今夜も。あの、すべてを忘れさせてくれる痺れを、もっと、もっと壊れるほどほしい)

怖い。自分がこんなにも汚らわしい女だったなんて。けれど、彼の指先が触れた場所から、昨夜の熱が勝手にぶり返して、立っているのもやっとだった。

頬に触れる彼の指先に、無意識に自分から寄り添ってしまいそうになるのを、必死に理性で抑え込みながら。

「……はい。……お願いします」

俯きながら、私は蚊の泣くような声で答えた。心ではこれ以上ないほどの嬉しい言葉だった。だけど、唇だけは、まだ必死に純粋な被害者のフリをして震わせた。

その返答に満足したのか、彼は私の顎を離すとこう告げた。

「日中は仕事だ。……夜には戻る。それまで、ここでおとなしく待っていろ」

パタン、と静かにドアが閉まる音がした。

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