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第9話:壊して、塗り潰して(羽瀬 紬視点)
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陽一からの電話が切れた途端、世界から音が消えた。残ったのは、静まり返ったリビングに響く、私の浅くて荒い呼吸の音だけ。
「今夜は、帰れそうにない」
その言葉は、今の私にとって救いなどではなかった。むしろ、私を引き止める最後の鎖が、音を立てて千切れたような感覚。
バスルームで夜凪に施された、検品という名の熱い痺れ。初めての感触、ボディソープの香りと共に身体の奥まで刻まれたあの違和感と気分の高揚が引くどころか、さらに激しく私を突き動かしている。
このまま独りで夜を越すなんて、耐えられそうにない。頭も心も、そして身体の中に潜むもう一人の私が、「足りない」と叫んでいる。
(……もっと、知らなきゃ)
時計を見ると時刻は、20時。
夜の街、LUXEがオープンする時刻。
私は震える手でスマートフォンを握りしめ、逃げ出すためではなく、この気持ちをさらに満たすために、夜の街へと駆け出した。
外に出ると、夜の空気は驚くほど冷たかった。
けれど、タクシーの窓から眺めるネオンの群れは、今の私の目には色気を増したように見えた。
LUXEへ向かう道中、信号待ちで止まるたび、アイドリングの微かな振動がシートを通じて、太ももへ伝わる。その震えが、夜凪に検品されたばかりの身体の奥を刺激してくる。
裏の顔は、ただこの止まらない震えを、誰かに、いや、あの店LUXEに行けば、どうにかしてもらえるのではないかと、期待を抱いている。
そんなことを考えているうちに、LUXEに着いた。料金を払い、タクシーを降りる。
私の持っていたお金は、このタクシー代を払ったことで底をついた。
(1万円は手元に残したい)
その切実な願いさえ、夜の街に吸い込まれていく。
華やかなエントランスを抜け、店内に足を踏み入れる。開店直後の、まだ客のいない静まり返ったフロアに、ラフな格好で入店した私。
カウンターで開店の準備を整えていたママが、艶やかな笑みを向けてきた。
「あら?紬ちゃん、どうしてここへ」
「接客を学びたいです」
「あら~それは困りましたね。どうしましょうか」
ママの言葉には、どこか招かれざる客を遠ざけるような、奇妙な含みがあった。
「稼がせてください。高時給のVIP室は、私には無理ですか」
私は、必死だった。
夜凪に言われた「僕を満足させることができれば」という言葉が、頭の中で何度もリプレイしている。
父のこと、そして男という生き物が女を弱者として見下していることへの、反発心。
それと、あの快感は忘れられない。もっと奥まで突いてほしいと思った私。
私は、満足させる側を心の底から求めている。けれど、ただ流されるだけでは私のほしい物は手に入らない。
(男を、狂うほど満足させる)
陽一に守られているだけの、可哀想な女の子でおしまいなんておかしい。そのためには、綺麗事なんて言っていられない。
VIP室の、あの裏の接客。普通の女の子なら逃げ出すような場所こそが、今の私にとって唯一、父と、あの男たちを見返し、仕返しをする処刑台であり出世階段だ。
「そうねぇ……。あ、佐竹はいるかしら?」
ママは甲高い声で、事務所の奥に控えている佐竹を呼んだ。
「ママ、お呼び…、あっ、紬さん。どうなさいました」
「紬ちゃんが、接客を学びたいそうなの」
「身体を売る店、という認識でよろしいですか?」
「いいえ、身体を売るのではなく、話を売るVIP室で試したいです。私を、その場所へ立たせてください」
佐竹とママは、一瞬図々しい娘という表情をしているように見えた。初日でいきなりVIP室の担当をして、そのまま買い取られたのだから。そこからは出勤していない。そう思われても仕方のないことだ。
けれど、佐竹は、違った。すぐにこれはちょうどいいと言わんばかりの冷徹な笑みを浮かべてこう言った。
「ママ、今日VIP室に欠員が出たところでしたので」
「……そう。じゃあ紬ちゃん、VIP室へ向かってくださる?」
「ママ、ありがとうございます。満足していただけるように努めます」
私は深く頭を下げ、VIP室の扉の前へと向かった。
手にじっとりと汗が滲む。扉の向こうには、一体誰がいるのか。話を売るなんて大口を叩いたけれど、今の私の身体は、アイドリングの振動にさえ震えてしまうほどに、敏感な状態。扉の向こうにいる男性の手が私の身体を少しでも触っただけでも、襲い掛かってしまいそうなほど快楽を求めている。
私はゆっくりと、扉を押し開けた。
「失礼いたします」
震える声を押し殺し、いいえ、怖くって震えているのではない。どう調理しようかと想像した、下品さに震えた。
私は深々とお辞儀をしてから、ゆっくりと顔を上げた。豪華なシャンデリアの光が目に刺さる。その光に縁取られるようにして、広大なソファに、一人の少年が座っていた。
「……あ、やっと来た」
甘く、どこか退屈そうなその声。
顔を上げた私の視界に飛び込んできたのは、テレビで見ない日はない、国民的アイドルグループ『SOLARIS』の最年少、星名 昂だった。
(SOLARISと、どこまで縁があるっていうの……?)
「ねえ、お姉さん。僕のこと、そんなに怖い?」
星名が首を傾げると、彼の手元のテーブルにあるゴールドの呼び鈴がチリン、と高く鳴った。まるで見計らっていたかのように、背後のドアが開き、佐竹が私では無理だったかという表情で入ってきた。
「星名様。本日のパートナーは、いかがでしょうか」
星名は私の顔をじっと見つめ、ふい、と興味を失ったように視線を外した。
「うん……。なんだか、満足できそうにないかな。見た目通りの、ただのいい子でしょ?僕、そういうの、もう飽き飽きしてるんだ」
そう言えば、入室する前、佐竹に言われた言葉を思い出した。
それは、『このお客様は法外な額を動かす上客。求めるものも過激だ』
要するに、これまでのプロのキャストたちは、彼の執着に耐えきれず、皆逃げ出しているということ。店側は、彼を満足させる……いえ、彼を壊さない接客を私に求めているのだ。
つまり私は、誰も引き受けたがらない事故物件の処理役に選ばれたわけだ。陽一の不在、夜凪の検品……今日という日に私が抱いた衝動の代償が、この少年の歪んだ瞳だった。
「……だそうです。紬さん、残念ですがお引き取りを」
(嘘でしょ)
身体の奥の、あのボディソープの香りと共に刻まれた疼きをどうしたらいいの。このままお預けを食らうことは、もう一人の私も我慢できない。
「私が、満足したいんです」
「……は?今、なんて言ったの?」
「お客様を満足させる自信なんて、今の私にはありません。でも、私は今日、どうしても満足したいんです。……だから、私を満足させてみてください」
とんちんかんなことを言っている自覚はあった。接客業として、これ以上の失言はないだろう。けれど、星名の瞳と視線がぶつかった瞬間、私は直感した。この人は、ずっと待っていたんだ。自分を特別扱いして甘やかすいい子じゃなくて、自分を振り回し、本気でぶつかってくる何かを。
(私と同じだと思った)
「……あはは!面白い。お姉さん、バカなの?客に向かって私を満足させてなんて言う?そんな女、初めて見たよ」
星名は声を上げて笑った。
佐竹は、自分がスカウトした少女がこれほど常識外れなことを言うとは思ってもみなかったと、後悔した表情でうろたえている。
すると、星名はソファから立ち上がり、無邪気な表情をして私の傍へ近づいてきた。
私の腕を強く引き、佐竹に向けて言い放った。
「今日は、このお姉さんにするよ」
「星名様、かしこまりました」
「お姉さん、僕が満足させてあげたら、なんでもしてくれる?」
佐竹は絶句していた。
完璧なマニュアルを誇るLUXEの歴史の中で、こんな無礼を働いたキャスト、そして、一瞬で客の心を掴んだキャストは私だけだと、その目が大きく揺れている。
「では紬さん、星名様を別館の『アビス』へご案内してください」
それは、佐竹が星名の意図を察し、即座に最高級の別館へ私たちを誘導する言葉だった。アビスは、VIP室の客しか通さない、いわゆる身体を売る部屋。LUXEの入店料に加え、アビスの利用料、さらにキャストへの指名料。
星名は、そのすべてを惜しみなく支払うということだ。客側も店側も私にとっても高利益になる。
私は、通常の5倍の給料を手にすることになる。さらに佐竹は付け加えた。星名を満足させることができれば、さらに色を付けてくれると。
(……これ以上ない条件)
星名に腕を引かれ、佐竹の後に続いて専用のエレベーターに乗る。向かう先は、LUXEの常連でも一握りの者しか足を踏み入れられない、秘匿された遊戯場とも言えるアビス。
廊下を進む途中、いくつか開いたままのドアが視界に入った。そこは、通常の客が身体を買いにくる部屋。窓もなく、最低限の寝具と、女性の肌をなぞりたくなるような安っぽい暖色照明があるだけの、効率を重視した空間。そこから漏れ聞こえるのは、愛のない嬌声と、シーツの擦れる虚しい音。常連たちは、この漏れる音と漏らす音を肴に興奮するのだという。
そんな残酷な想像を振り払うように、佐竹が突き当たりの大きな扉を開いた。
「こちらが、星名様のお部屋です」
一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
足音が完全に消えるほど毛足の長い絨毯。
壁には贅を尽くした調度品が並び、暖かい間接照明が、男女の情愛をみだらな芸術へと変えるように室内を照らし出している。ここは、ただ処理をする場所じゃない。最高級の女を自分のものとして味わい尽くすための部屋だ。
この部屋の豪華さが、そのまま私の背負わされた商品価値の重さだと思い知らされる。
(『話を売る』なんて、本当にどの口が言ったのかしら……)
結局、身体を売ることに違いはない。けれど、VIP専用のキャストとして招かれた事実は、私のプライドを妙な形ですり替えていく。安っぽい部屋に押し込まれる惨めさを避けた代償は、給金5倍という、後戻りできない契約。
「お姉さん、何突っ立ってるの?こっちにおいでよ」
星名が、若き王のような優雅さで大きなベッドに腰を下ろした。
私は自分の矛盾に胸を突き刺されながらも、ふかふかの絨毯を安物のスニーカーで踏みしめ、彼のもとへ歩み寄る。
「……はい」
ベッドに腰掛けた星名の誘いに、私は深く、熱い呼吸を吐き出した。身体の奥には、まだ夜凪の指の感覚が、こびりついている。それを上書きできるのは、もう私自身しかいない。
私は星名の目の前で、震える指を安いブラウスのボタンにかけた。ひとつ、またひとつ。高級な絨毯の上に、私の日常が剥がれ落ちていく。
星名の瞳が、驚きと、獲物を見定めたような悦びに細められるのをはっきりと感じた。
「へえ……。自分から脱ぐの。熟女なの?」
その言葉に私は、心地よさを覚えた。
私は下着姿のままベッドに膝をつき、彼の胸元に手を伸ばした。アイドルの彼が着ている、高価なシャツのボタンを一つずつ外していく。指先が彼の白い肌に触れるたび、私の内側の疼きを引き出す。
(もっと、もっと壊して、塗り潰して……)
そして、最後に残しておいた彼のネクタイを引き寄せ、自分から唇を重ねた。
「……満足させてくれるんでしょ。お客様」
不気味な笑顔で、重なり合った唇の間から声を漏らした。自分でも驚くほど、みだらで熱かった。
星名の腕が、私の腰を砕けるような強さで抱き寄せた。
「これ、凄く僕好み。最高だよ」
星名は私の髪を一房強く掴み、そのままシーツへと押し倒した。
この狂ったような星名の笑顔を引き出した瞬間、私は確かに勝ったのだと思った。
私はこのアビスで、誰も制御できなかった怪物を、私の言葉と身体で私なしではいられない体質に変え始めていた。
「今夜は、帰れそうにない」
その言葉は、今の私にとって救いなどではなかった。むしろ、私を引き止める最後の鎖が、音を立てて千切れたような感覚。
バスルームで夜凪に施された、検品という名の熱い痺れ。初めての感触、ボディソープの香りと共に身体の奥まで刻まれたあの違和感と気分の高揚が引くどころか、さらに激しく私を突き動かしている。
このまま独りで夜を越すなんて、耐えられそうにない。頭も心も、そして身体の中に潜むもう一人の私が、「足りない」と叫んでいる。
(……もっと、知らなきゃ)
時計を見ると時刻は、20時。
夜の街、LUXEがオープンする時刻。
私は震える手でスマートフォンを握りしめ、逃げ出すためではなく、この気持ちをさらに満たすために、夜の街へと駆け出した。
外に出ると、夜の空気は驚くほど冷たかった。
けれど、タクシーの窓から眺めるネオンの群れは、今の私の目には色気を増したように見えた。
LUXEへ向かう道中、信号待ちで止まるたび、アイドリングの微かな振動がシートを通じて、太ももへ伝わる。その震えが、夜凪に検品されたばかりの身体の奥を刺激してくる。
裏の顔は、ただこの止まらない震えを、誰かに、いや、あの店LUXEに行けば、どうにかしてもらえるのではないかと、期待を抱いている。
そんなことを考えているうちに、LUXEに着いた。料金を払い、タクシーを降りる。
私の持っていたお金は、このタクシー代を払ったことで底をついた。
(1万円は手元に残したい)
その切実な願いさえ、夜の街に吸い込まれていく。
華やかなエントランスを抜け、店内に足を踏み入れる。開店直後の、まだ客のいない静まり返ったフロアに、ラフな格好で入店した私。
カウンターで開店の準備を整えていたママが、艶やかな笑みを向けてきた。
「あら?紬ちゃん、どうしてここへ」
「接客を学びたいです」
「あら~それは困りましたね。どうしましょうか」
ママの言葉には、どこか招かれざる客を遠ざけるような、奇妙な含みがあった。
「稼がせてください。高時給のVIP室は、私には無理ですか」
私は、必死だった。
夜凪に言われた「僕を満足させることができれば」という言葉が、頭の中で何度もリプレイしている。
父のこと、そして男という生き物が女を弱者として見下していることへの、反発心。
それと、あの快感は忘れられない。もっと奥まで突いてほしいと思った私。
私は、満足させる側を心の底から求めている。けれど、ただ流されるだけでは私のほしい物は手に入らない。
(男を、狂うほど満足させる)
陽一に守られているだけの、可哀想な女の子でおしまいなんておかしい。そのためには、綺麗事なんて言っていられない。
VIP室の、あの裏の接客。普通の女の子なら逃げ出すような場所こそが、今の私にとって唯一、父と、あの男たちを見返し、仕返しをする処刑台であり出世階段だ。
「そうねぇ……。あ、佐竹はいるかしら?」
ママは甲高い声で、事務所の奥に控えている佐竹を呼んだ。
「ママ、お呼び…、あっ、紬さん。どうなさいました」
「紬ちゃんが、接客を学びたいそうなの」
「身体を売る店、という認識でよろしいですか?」
「いいえ、身体を売るのではなく、話を売るVIP室で試したいです。私を、その場所へ立たせてください」
佐竹とママは、一瞬図々しい娘という表情をしているように見えた。初日でいきなりVIP室の担当をして、そのまま買い取られたのだから。そこからは出勤していない。そう思われても仕方のないことだ。
けれど、佐竹は、違った。すぐにこれはちょうどいいと言わんばかりの冷徹な笑みを浮かべてこう言った。
「ママ、今日VIP室に欠員が出たところでしたので」
「……そう。じゃあ紬ちゃん、VIP室へ向かってくださる?」
「ママ、ありがとうございます。満足していただけるように努めます」
私は深く頭を下げ、VIP室の扉の前へと向かった。
手にじっとりと汗が滲む。扉の向こうには、一体誰がいるのか。話を売るなんて大口を叩いたけれど、今の私の身体は、アイドリングの振動にさえ震えてしまうほどに、敏感な状態。扉の向こうにいる男性の手が私の身体を少しでも触っただけでも、襲い掛かってしまいそうなほど快楽を求めている。
私はゆっくりと、扉を押し開けた。
「失礼いたします」
震える声を押し殺し、いいえ、怖くって震えているのではない。どう調理しようかと想像した、下品さに震えた。
私は深々とお辞儀をしてから、ゆっくりと顔を上げた。豪華なシャンデリアの光が目に刺さる。その光に縁取られるようにして、広大なソファに、一人の少年が座っていた。
「……あ、やっと来た」
甘く、どこか退屈そうなその声。
顔を上げた私の視界に飛び込んできたのは、テレビで見ない日はない、国民的アイドルグループ『SOLARIS』の最年少、星名 昂だった。
(SOLARISと、どこまで縁があるっていうの……?)
「ねえ、お姉さん。僕のこと、そんなに怖い?」
星名が首を傾げると、彼の手元のテーブルにあるゴールドの呼び鈴がチリン、と高く鳴った。まるで見計らっていたかのように、背後のドアが開き、佐竹が私では無理だったかという表情で入ってきた。
「星名様。本日のパートナーは、いかがでしょうか」
星名は私の顔をじっと見つめ、ふい、と興味を失ったように視線を外した。
「うん……。なんだか、満足できそうにないかな。見た目通りの、ただのいい子でしょ?僕、そういうの、もう飽き飽きしてるんだ」
そう言えば、入室する前、佐竹に言われた言葉を思い出した。
それは、『このお客様は法外な額を動かす上客。求めるものも過激だ』
要するに、これまでのプロのキャストたちは、彼の執着に耐えきれず、皆逃げ出しているということ。店側は、彼を満足させる……いえ、彼を壊さない接客を私に求めているのだ。
つまり私は、誰も引き受けたがらない事故物件の処理役に選ばれたわけだ。陽一の不在、夜凪の検品……今日という日に私が抱いた衝動の代償が、この少年の歪んだ瞳だった。
「……だそうです。紬さん、残念ですがお引き取りを」
(嘘でしょ)
身体の奥の、あのボディソープの香りと共に刻まれた疼きをどうしたらいいの。このままお預けを食らうことは、もう一人の私も我慢できない。
「私が、満足したいんです」
「……は?今、なんて言ったの?」
「お客様を満足させる自信なんて、今の私にはありません。でも、私は今日、どうしても満足したいんです。……だから、私を満足させてみてください」
とんちんかんなことを言っている自覚はあった。接客業として、これ以上の失言はないだろう。けれど、星名の瞳と視線がぶつかった瞬間、私は直感した。この人は、ずっと待っていたんだ。自分を特別扱いして甘やかすいい子じゃなくて、自分を振り回し、本気でぶつかってくる何かを。
(私と同じだと思った)
「……あはは!面白い。お姉さん、バカなの?客に向かって私を満足させてなんて言う?そんな女、初めて見たよ」
星名は声を上げて笑った。
佐竹は、自分がスカウトした少女がこれほど常識外れなことを言うとは思ってもみなかったと、後悔した表情でうろたえている。
すると、星名はソファから立ち上がり、無邪気な表情をして私の傍へ近づいてきた。
私の腕を強く引き、佐竹に向けて言い放った。
「今日は、このお姉さんにするよ」
「星名様、かしこまりました」
「お姉さん、僕が満足させてあげたら、なんでもしてくれる?」
佐竹は絶句していた。
完璧なマニュアルを誇るLUXEの歴史の中で、こんな無礼を働いたキャスト、そして、一瞬で客の心を掴んだキャストは私だけだと、その目が大きく揺れている。
「では紬さん、星名様を別館の『アビス』へご案内してください」
それは、佐竹が星名の意図を察し、即座に最高級の別館へ私たちを誘導する言葉だった。アビスは、VIP室の客しか通さない、いわゆる身体を売る部屋。LUXEの入店料に加え、アビスの利用料、さらにキャストへの指名料。
星名は、そのすべてを惜しみなく支払うということだ。客側も店側も私にとっても高利益になる。
私は、通常の5倍の給料を手にすることになる。さらに佐竹は付け加えた。星名を満足させることができれば、さらに色を付けてくれると。
(……これ以上ない条件)
星名に腕を引かれ、佐竹の後に続いて専用のエレベーターに乗る。向かう先は、LUXEの常連でも一握りの者しか足を踏み入れられない、秘匿された遊戯場とも言えるアビス。
廊下を進む途中、いくつか開いたままのドアが視界に入った。そこは、通常の客が身体を買いにくる部屋。窓もなく、最低限の寝具と、女性の肌をなぞりたくなるような安っぽい暖色照明があるだけの、効率を重視した空間。そこから漏れ聞こえるのは、愛のない嬌声と、シーツの擦れる虚しい音。常連たちは、この漏れる音と漏らす音を肴に興奮するのだという。
そんな残酷な想像を振り払うように、佐竹が突き当たりの大きな扉を開いた。
「こちらが、星名様のお部屋です」
一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
足音が完全に消えるほど毛足の長い絨毯。
壁には贅を尽くした調度品が並び、暖かい間接照明が、男女の情愛をみだらな芸術へと変えるように室内を照らし出している。ここは、ただ処理をする場所じゃない。最高級の女を自分のものとして味わい尽くすための部屋だ。
この部屋の豪華さが、そのまま私の背負わされた商品価値の重さだと思い知らされる。
(『話を売る』なんて、本当にどの口が言ったのかしら……)
結局、身体を売ることに違いはない。けれど、VIP専用のキャストとして招かれた事実は、私のプライドを妙な形ですり替えていく。安っぽい部屋に押し込まれる惨めさを避けた代償は、給金5倍という、後戻りできない契約。
「お姉さん、何突っ立ってるの?こっちにおいでよ」
星名が、若き王のような優雅さで大きなベッドに腰を下ろした。
私は自分の矛盾に胸を突き刺されながらも、ふかふかの絨毯を安物のスニーカーで踏みしめ、彼のもとへ歩み寄る。
「……はい」
ベッドに腰掛けた星名の誘いに、私は深く、熱い呼吸を吐き出した。身体の奥には、まだ夜凪の指の感覚が、こびりついている。それを上書きできるのは、もう私自身しかいない。
私は星名の目の前で、震える指を安いブラウスのボタンにかけた。ひとつ、またひとつ。高級な絨毯の上に、私の日常が剥がれ落ちていく。
星名の瞳が、驚きと、獲物を見定めたような悦びに細められるのをはっきりと感じた。
「へえ……。自分から脱ぐの。熟女なの?」
その言葉に私は、心地よさを覚えた。
私は下着姿のままベッドに膝をつき、彼の胸元に手を伸ばした。アイドルの彼が着ている、高価なシャツのボタンを一つずつ外していく。指先が彼の白い肌に触れるたび、私の内側の疼きを引き出す。
(もっと、もっと壊して、塗り潰して……)
そして、最後に残しておいた彼のネクタイを引き寄せ、自分から唇を重ねた。
「……満足させてくれるんでしょ。お客様」
不気味な笑顔で、重なり合った唇の間から声を漏らした。自分でも驚くほど、みだらで熱かった。
星名の腕が、私の腰を砕けるような強さで抱き寄せた。
「これ、凄く僕好み。最高だよ」
星名は私の髪を一房強く掴み、そのままシーツへと押し倒した。
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