歩く15億の花嫁~契約婚約から始まるオフィス・シンデレラ~

YOR

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第2章:公の役割(オフィシャル・ロール)

第31話:宣戦布告のデザート

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「……本当に、信じられない。こんなことってあるのね」

ホテルの最上階、地上二百メートルからの絶景を望む円卓。
私の親友の葵、香山涼子、杏。

私たちは、運ばれてくる繊細な料理に歓声を上げ、昔話に花を咲かせていた。

志保も時折、慈しむような視線を私たちに向け、和気藹々とした時間が流れていく。

やがて、デザートが運ばれてきた。

その最後の一口を口に運んだ時。
葵が、カチャリと音を立ててデザートフォークを置いた。

「奈月、あんた本当にラッキーガールだったね。借金が、まさか神谷の副社長夫人だなんて」
「合理的に言えばただの身売りじゃない。肩書きに、実力が伴ってないし」

その後に、すぐ杏が、甘いムースを飲み込みながら、真顔で私を見つめ、こう言って鼻で笑った。

「単なる神谷家の備品だね」

香山涼子がたしなめるように「葵、杏、言い方が良くないよ」と言うけれど、その口元はかすかに笑っている。気のせいだと思いたいところだったが、三人とも言い方に棘があるように聞こえる。

葵が、重苦しく、それでいてどこか私を突き放すような長い溜息をついた。

(……え?)

つい数分前まで一緒に笑っていた。

かつての葵なら、子どものようにきゃぴきゃぴとはしゃぐ杏を母のように止めて、ツッコミ役であり友人思いの人だった。けれど、今の葵の口から漏れたのは、場を良い方向へ導くための舵取りではなく、あまりよくない情報を分析した結果を口にしているように聞こえた。

私が変わってしまったのだろうか。それとも、しばらく会っていなかった時間が、彼女たちを変えてしまったのだろうか。

混乱と恐怖で頭が真っ白になりながら、絞り出すように出た言葉は、自分でも驚くほど震えていた。

「……葵も、杏も。どうしちゃったの……?」

葵は私と目を合わせることなく、皿の上に残ったデザートのソースを無造作になぞった。

「別に。……ただ、思ったことを言っただけ」

杏は、ドリンクを一口飲み、静かにコップをテーブルに置いて言った。

「いいんじゃない。苦労知らずで」
「奈月は、いつも空回りするタイプだし」
「ずっと思っていたけど、かなりおつむ弱いし」
「そうそう。……正直、今まで友達でいてあげたのは、ただの同情」

「二人とも、何、言ってるの?」

混乱で頭が真っ白になる。
隣で杏が、クスクスと忍び笑いを漏らした。

「感謝してほしいくらい」
「本当、そうだよ。ただのお荷物」

再会の喜びを感じていたのは私だけだった。言葉を失い、震える指先を隠すように膝の上で拳を握りしめていた、その時だった。

――トントン。

規則正しい、けれどやけに耳に障る乾いた音が響く。

志保が、細長い指先で大理石のテーブルを軽く叩いていた。

「……あら。三人とも、奈月さんが困っていますわよ」
「黒瀬部長がセッティングしてくださった席で、申し訳ございませんでした」

すかさず、口にしたのは志保と同じ部署に配属となった葵だった。

「女子会の時間も終わりますわ。ここまでにしましょうね。葵さん、杏さん、香山さん」

志保は満足げに目を細めると、コップをゆっくりと口元へ運んだ。

数秒の沈黙。

私が今まで信じてきた友情という名の幻想が息絶えるのを、皆で見届けているような残酷な時間だった。

コップを置く、静かな音。

「さて。ここからは仕事のお話よ。……今週末の、チャリティー・ガラの招待状ですわ」

志保がバッグから取り出したのは、重厚な箔押しが施された数枚のカード。杏、葵、そして香山涼子の三人へと手渡した。

杏は、「えっ……これ、あの有名なガラですか?」と興奮気味にはしゃぐように言った。

「私たちまで……?」と、普段の葵らしく冷静であった。

「奈月さんが一人寂しくないように、私から特別に招待させていただいたの」

志保は慈しむような笑みを私に向けた。

ショッピングモールでの志保の話し方やしぐさから、最後通告なのだと思った。

私と親友を、この舞台で競わせるつもりなのかもしれない。

葵たちが招待状を握りしめ、高揚した目で私を見つめる。

「……黒瀬部長と同じ部署で本当によかったです」

杏と香山涼子は、「お心遣い、ありがとうございます」と何度も頭を下げていた。

「さあ、午後のお仕事もありますから、戻りましょうか」と志保が、流れるような動作で席を立つ。

その後をぞろぞろとついて行く。

その時。

歩調を緩めた杏が、私の耳元で囁いた。

「……ねえ奈月。勘違いしないでね」
「杏、それどういう意味?」

私が問い返すと、杏は私の横顔を眺めながら、笑みを浮かべた。

「私が、恋愛やファッション情報に詳しいこと知っているよね?」
「うん」
「なぜか、考えたことある?」

杏は、私たちの中では一番世渡り上手な方だ。だけど、今の杏の目は違う。細めた目、口元は、怒りを抑えているように食いしばっていた。

「まさか、瑛斗さんのこと……?」

私の言葉に、杏は声を立てずに笑った。

「そう。今、言われて気づいたんだね。ガラの日、楽しみにしていて」

杏はそれだけ言い残すと、軽やかな足取りで志保の後を追っていった。

(……ああ、そうか)

遠ざかる彼女たちの背中を見つめながら、私は立ち尽くしていた。

ずっと、仲良しのままでいられると思っていた。でも、それは私が彼女たちと同じ持たざる者だったから成立していた幻想だったのかもしれない。

対等な友人でいるためには、私は彼女たちを見下すほどの令嬢でいなければならなかったのか。あるいは、徹底的に無能なフリをして、彼女たちの優越感を満足させ続けなければならなかったのか。

(友人を失いたくない……。でも)

今のままの私でいれば、彼女たちに踏みにじられ、瑛斗の隣から引きずり下ろされる。

(……ごめんね、みんな)

胸の奥で、優しくておどおどしていた「水野奈月」は、今、このホテルの廊下に置いていく。

私は一度だけ強く目を閉じ、次に開けた時、そこにはもう迷いはなかった。
廊下の壁に飾られているデッサンに薄らと映る自分の顔。
自分でも驚くほど冷ややかで、どこか志保に似た強い女の顔をしていた。

これからの私は、神谷奈月として、欲しいものは手段を選ばず守り抜く。

たとえ、それが悪女と呼ばれる生き方だとしても。

私は、ヒールの音を響かせながら、歩幅を大きくし歩き出す。

地獄のようなガラの幕開けまで、あと数日。
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