孤独な大賢

橘伊鞠(ろさ)

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────ああ。俺は絶対結婚なんかしないぞ。
項垂れながら、レオンは石畳に向かって誓った。




話は、少し遡る。
御前会議の直前、ユティリア王妃の言い出したことが、事の発端であった。

「ラオフェンの子達に、勉強を教えてみない?」

「無理です」

即答だった。あまりの早さに、ユティリアの中の時間が一瞬だけ凍りついた。
しかしレオンは怯まずに、その理由を最もらしく言い並べた。

「お言葉ですが殿下。俺は……僕は末席の軍師です。兄弟子たちが適任です。もっと言うなら、準級軍師一同、一級軍師と二級軍師。更に言うなら、副軍師様もいらっしゃいます。ディグの方々は王家の片翼であり、その後継者である方に僕のような未熟者が教えられることなど」

「じゃあミリア、早速ラオフェンに知らせて頂戴!」

「聞いてクダサイ王妃様」

折角へりくだって言ってみたのに、ユティリアはその一部分さえ聞かずにレオンから視線を外してしまった。わざと棒読みで敬語を使ってみたが、ユティリアは笑うだけで聞こうとはしない。

「時間は朝の御前会議が終わってからがいいわね。朝の方が勉学は捗ると聞くわ」

「いや、デスから」

さすがに王妃相手に怒るわけにはいかず、レオンは感情を抑えつつ喋る。
それを見たミリアが、やけに楽しそうに言った。

「殿下の御意向に不服があるならば、手順を踏まえて上奏を」

物騒な言い方をするものだと、レオンはミリアを睨んだ。上奏など、するわけがない。
だが、それに近い方法で勅命を回避してやろう。今だけ返事をしておけば、あとで何とでも言い逃れはできる。いや、してやる。そのつもり、だったのだが。

「私、義妹の屋敷にはよく行くの。家庭教師のついでに、私ともお話できるでしょう」

そうやって、ユティリアが嬉しそうな顔で言うものだから。レオンは、言いかけた言葉を宙で泳がせてしまった。

王弟、ラオフェン・ディグ・ヴァイスという人物を、レオンはよく知っていた。
軍部魔導兵団を率いる、魔導大隊長。そして、ヴァイスの南西領地を統治し、光蘭珠の精製を指導する知勇に長けた指導者だ。
また、彼が統治する土地の日暮れの美しさと、その見事な光蘭珠の群生から、アーベントロート(夕焼けの騎士)の称号を持つ。
そんな優美な称号とは別に、鬼の顔を持つ指揮官でもある。
少し暗めの金の髪。それと同じ色の眉毛の下にある目は、やや薄い色の翡翠。声は野太く、高圧的であった。
彼に会うことを、レオンは躊躇っていた。軍義で初めて会った時、「子供の盤上遊戯ではないのだぞ」と頭から言われたことを、今でも執念深く覚えている。
ユティリア王妃からの勅命でなければ、わざわざ仕事以外で会ったりはしたくないのだ。

「ラオフェンの子供の世話なんて。殿下は一体何を考えているのか」

「世話ではありませんよ。家庭教師」

広がる平原を、一頭の黒馬が走る。
馬車を引く馬の手綱を握るのは、気高き百合の紋章を肩に掲げるミリアだ。その横には、不服そうな顔でいるレオン。鼻を鳴らし、文句を返した。

「これって左遷かな」

「王妃殿下からの直のお言葉での左遷ですか? とても贅沢」

馬が向かう先は、ラオフェン・ディグ・ヴァイスが治める南西の領地。
広大な大地の中、雰囲気が変化したのがレオンには分かった。薔薇の香りが、風に乗ってレオンを迎え入れる。
遠くの空の下、薔薇の海に囲まれた、巨大な屋敷があった。
むせかえるような薔薇の匂いに、レオンは咳をした。

「みりあー!」

ラオフェンの屋敷に入るなり、レオンたちを迎えたのは、土の付いたエプロンを身に付けた、金の髪が愛らしい女の子だった。手には、摘んだばかりであろう薔薇の花。髪にも、花びらがひとひらと、葉っぱが少々。
子供は薔薇を無造作に階段に置くと、ミリアに駆け寄り、抱擁を交わした。背は、彼女の腰あたりまでしかない。
年の頃は、人間で言う五歳くらいだろうか。

「大きくなられましたねマイア様」

「薔薇を摘んでいたのよ。お母様が寂しくないように」

マイアという少女は、薔薇を器用に紙でくるみ、ミリアに差し出す。

「まあ。棘が刺さりませんでしたか?」

「ミリア、私はそんなドジはしないわよ。みなさい、手袋というものがあるのよ」

まるで世紀の大発見のように、マイアは手袋を見せびらかした。
おしゃまに言うマイアに、ミリアが優しく頷いてやった。
ふと、マイアはレオンに気づき、目を丸くし。そしてミリアに薔薇を預けると、レオンをじっと見つめながら、物珍しそうに近寄っていった。

「だあれ? あたらしいじじょですか?」

「ははは……」

あどけない笑顔で言われ、レオンは口の端をひきつらせた。

「違いますよマイア様。彼はあなたの先生」

「せんせいなの?」

「はい。ブラックロウザ軍師、挨拶を」

期待の眼差しで、マイアがレオンを見つめる。レオンはしぶしぶながら、マイアにお辞儀をした。

「レオン・ブラックロウザ準三級軍師で……」

「ヒルさんじゃないんだあ~残念だわ……。でもよろしくね」

挨拶もそこそこに、マイアはレオンに背を向けてしまった。
ミリアが、肩を震わせながらマイアをたしなめる。しかし、追い討ちをかけるようにマイアが「ヒル様だってお父様は言っていたのに」などど小声で言うので、レオンの機嫌は悪くなる一方だった。

「しっつれいなガキですねえ……」

マイアを連れに来た侍女に案内された二人は、別室で腰を落ち着かせていた。
澄ました顔で紅茶を味わうミリアに、レオンは苛々を募らせていた。

「帰りたいんですけど」

「マイア様は一度ヒルシュフェルト様と会っていますからね。彼は見た目がああですし、憧れるのも無理ないですよ」

「それって、俺が見た目はまずいっていう意味ですか?」

「あら軍師、そこまで言ってませんよ。びっくりしました」

「俺がびっくりですよ」

「心配なさらなくても、貴方が主体で見るのは男の子の方ですから、見た目は関係ありません」

「見た目見た目煩いデス」

まだ湯気の昇る紅茶を見つめ、レオンは頭を抱えた。
子供なんて好きじゃない。というか、関わったことがない。加えて、淑女教育を受けている筈の少女まで、あの無礼さだ。
もうこれは、体の良い左遷でしかないだろう。
レオンは、紅茶をわざと一気に飲み干してみた。苦さが胸の下を通り、腹で唸った。

「失礼します。ライザー様をお連れしました」

扉の向こうから、侍女が伺いを立てる。
ミリアはレオンにハンカチを差し出し、少し強めに言った。

「ライザー様は、いずれディグの名を継ぎ、王家の柱の一つとなられる方です。いいですか、優しく接してくださいね」

ミリアからハンカチを受け取り、レオンは無言で頷く。ハンカチは何の意味かと聞こうとすると、ミリアは口許を指差した。
レオンは紅茶の雫を拭き取りつつ、現れるであろう子供はどれだけ無礼なのだろうと想像していた。

「どうぞ」

ミリアが、返事をする。
すると、扉の向こうから、まず品の良さげな侍女が現れた。そして、その侍女の広がったスカートの影に隠れつつ、小さな少年が入ってきた。
困り顔の侍女が、少年に振り返り何やら囁く。少年は首を振って拒否したが、その内に少しだけ顔を見せた。
少年の瞳は、硝子に薄墨を落としたような銀だった。髪は金色で、上品に耳下で切り揃えられている。

「ライザー様」

ミリアが歩みより、ライザーを抱き上げる。すぐにその顔をミリアの方に埋めたライザーは、レオンを盗み見て頬を赤くした。
予想していたものとは大分違うその態度に、レオンは少し安心した。単に恥ずかしがっているだけなら、扱いやすい。先程の無礼な淑女よりは言うことを聞きそうだし、まだ可愛いげがある。

「えー……と、ライザー様?」

呼ぶと、ライザーは顔を上げた。レオンの瞳の色を見て、少し驚いているようだった。
自分の目を指差しつつ、何か言いたげにミリアを見る。ミリアが頷くと、ライザーの顔が綻んだ。
レオンは、そこで初めて子供に対して「愛らしい」という感情を抱いた。
抱いた、のだが。

「変な目の色」

ライザーの放った言葉は、その感情を一蹴した。
レオンの中で、怒りやら欺瞞やら、とにかく多くの説明のつかない感情が渦巻いた。

「このクソガキ……」

「レオン軍師」

ミリアが、きっと睨んでくる。

「優しくと言ったでしょう」

理不尽だろうと思いつつも、レオンはミリアに逆らえない。
しかし、この子供に対しての怒りが収まらない。優しくって、なんなんだ。
悩んだあげく、レオンがとった行動は、ミリアをも驚かせるものだった。

「……ハーイ、ライザー君。変な色ってなんデスかあ?」

「っ!」

「駄目デスよ~そんな言い方しちゃ~。同じ色じゃないデスか」

自分でも聞いたことがないような明るい声で、レオンは言う。
敬語混じりの、嘘臭いしゃべり方。語尾にアクセントを付けるその言い方は、まるでピエロだ。
これが、彼なりに考えた「子供への接し方」の結論だった。


────ああ。俺は絶対結婚なんかしないぞ。
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