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トエイは自分が竜である自覚はきっちりと芽生えていた。そして、竜である事を他に知られてはならないことも既に理解していた。ここに来て三日目の夜に、アインの口から聞かされたのだ。
「見つかったら拘束かあ。痛いよねきっと」
ごろん、とソファに寝転がる。二人の留守中は雑貨屋の店番を任されている筈なのだが。
「天気いいなあ」
トエイは浅はかではない。だがこの日の天気の良さときたら、彼女でなくとも外に飛び出したくなるほど。渇いた砂の大地、しかし彼女には以前から一心不乱に思い続けていたある"場所"があった。
「秘密の…………湖」
そこはきっと、緑と碧い水が織り成す美しい空間なのだろう。様々な想像を馳せながら、トエイは「よし」と起き上がった。
「外見だけなら絶対バレない。いいよね、たまには」
自分にそう言い聞かせると、トエイは日除けのローブを纏い、外に出た。
トエイの頭の中に、あの日の記憶は鮮明に残っていた。
ここへ来たその日、アインと買い物をした帰り道に会ったあの人物の事。そして彼が教えてくれた"秘密の湖"の話。
“俺も、湖は好きだ”
そう言った、彼が忘れられない。
トエイは喉の渇きを我慢しながら、町の南に向かって歩いた。緊張で心臓が早鐘を打っているのが分かる。
それもその筈、街の外はおろか、外出を一人でするのは初めてなのだ。いつも、アインかルピナスが一緒だった。
「あたし、変じゃないよね」
心配しなくとも、ダイアンサスの人々は他人の事など気にはしない。皆顔を隠しローブを纏っている。
そしてついに、トエイは南門をその足で出た。そこには、見渡すかぎりの渇いた大地と突き出た岩。申し訳程度に、他の街へと続く街道がある。
記憶の糸を手繰り、彼の言葉を思い出す。トエイは意気揚揚と、道なき道を歩きだした。
しかし、歩けば歩くほど不安が襲いくる。何かの動物の骨や、真っ黒な鳥達を見ると、自分は地獄に向かって歩いているんじゃないかと思うほど。砂に、岩に、枯れた木々。ディアナドラゴンであるトエイにはかなりのストレスだった。
もしやあれは幼子をからかう為の嘘だったのだろうかと思い始めた頃、トエイはどこからか薫る"水"の匂いに目を輝かせた。
「近い!」
必死にその薫りを手繰る。すると、それは連なった小さな岩山の向こうから薫りくることに気付いた。トエイは走った。本能なのか、走らずにはいられなかった。
岩山を登り、トエイがそこに見たものは、誰もが夢見る、楽園だった。
それは、まさか、と我が目を疑いたくなるような光景。
碧く、深い湖。大きさは無くとも、それはあの絵画で見た湖と同じ色だった。清らかなそれは、懇々と水中の地面湧き出ている。
ほとりには白い小さな花が額のように咲き誇り、その花弁を水面に落としている。
ちょうど良い木陰を作っているのは、この国には珍しい白樹という木だ。岩山はまるで、それらを守る防御壁のよう。
「なんて綺麗」
トエイはたまらずその湖のほとりに足を進め、その水を掬った。
冷たくて、流れ落ちるそれはなんと懐かしい。
トエイは思わず服のまま湖の中に前向きに飛び込んだ。中は、外から見るよりも更に美しい。彼女をディアナドラゴンと知ってか、水中の魚達が一気に周りに集まり始めた。
トエイは短くも美しい白銀の髪を煌めかせながら、ふわふわと碧い世界を漂っている。息をしなくとも平気なのだろう、浮上して息継ぎをする気配はない。あまりの心地よさに、トエイは瞳を閉じそのまま水底に落ち着いてしまった。
気持ち良いなあ。
そう思いながら、そろそろ浮上しようかと考えていた瞬間だった。
トエイは自分の意志とは無関係に身体が浮上していることに気が付いた。気付けば、何者かの手が自身の背中や膝の裏を掴んでいる。しまった、とトエイが覚醒した時には、もう水面が目の前にあった。
そして、眩しい太陽とともに、こちらに視線を向けている人物に気が付くと、トエイは運命を信じずにはいられなかった。
トエイは、この瞳を知っている。刺すような、切れ長の瞳を。あの時はその瞳を見るだけで精一杯だったが、今なら全体を見る余裕はある。
自分と同じ白銀の、流れるような長い髪。水滴が宝石に見える。
ところどころ留め具で纏めてはいるが、その鍛えられた身体は間違いなく男性だ。彼は上半身に衣服を纏っていないのだから、よく見なくても分かる。
半分水に浸かっているのだが、トエイの顔は自然に熱くなった。自分は今、その男性にお姫様のように抱き抱えられているのだから。
「馬鹿な真似はやめるんだ!」
「え?」
男性の強い言葉に、トエイは首を傾げた。
「まだこの国は終わってはいない!」
「え、え?」
トエイはますます首を傾げる。
すると男性は、何か思案した後訝しげに尋ねてきた。
「…………自殺しようとしたのだろう?」
「違う」
トエイが即答すると、男性の顔は一気に赤くなった。焼けたその肌でさえ、色の変化が分かるくらいに。
しかし、それはトエイにも言えることで。
白い肌は桃色に染まり、目は泳いでいた。
「なら何故水底にいたんだ?」
男が尋ねると、トエイは無邪気な顔で答えた。
「だって、気持ち良さそうだったから」
「湖がか?」
「うん、碧くて深くて。包まれたかった」
素直にそう言うトエイは、小さな子供のようで。男性は記憶の彼方にある何かが頭にフラッシュバックした。彼にとっては、それは朧げな記憶でしかなかったが、トエイにとっては鮮明な思い出。
二人はしばし沈黙を保ち、互いの顔を見つめ合っていたが、ついに男性の方から口を開いた。
「…………お前の、名前は?」
トエイは、めいっぱいの笑顔で答えた。
「トエイだよ」
「…………前に、会ったことが?」
「秘密」
「なんだそれ。俺の名前は…………」
「知ってるよ」
ヘリオスだよね?と、トエイは目を細めて笑った。
――知っているよ、貴方の名前くらい。
貴方が、何者かも。
帝王、ヘリオス。
この国に住むものなら、知らぬ者はいない。
ヘリオスは、あのヘリオスでは無いかのような微笑みを浮かべていたのだが、それを聞いて突然無口になった。
トエイを水から上げ、岸に腰掛けさせると、その顔を見上げた。
「…………俺が誰だか、知っているんだな?」
「うん」
トエイは、素直に頷いた。
ヘリオスは視線を逸らし複雑そうに顔を歪める。
「参ったな」
そう呟くと、再びトエイに瞳を向け、彼女の両手を掴んだ。
「え…………」
そしてそのまま勢い良くトエイの身体を後ろに倒し、その上に覆いかぶさった。
トエイの顔に、水滴がぽたぽたと落ち、彼の長く濡れた髪が手に絡まる。
女ならば本能的に危機を感じてしまうような体勢だが、トエイは真顔だった。
「ヘリオス?」
「いいか、…………此処で会った事は秘密にしろ」
声が、低い。これは帝王としての声だ。
だが、声はそうでも、あの時と似たような台詞を言うヘリオスに、トエイは思わず吹き出してしまった。
彼にとっては自身の立場の為、半ば脅迫めいた台詞だったのだが、トエイには笑いの種でしかなかった。
トエイはめいっぱい笑っあと、こう言った。
「また秘密。そんなこと言わなくても、あたしは貴方を嫌ってはいないから平気だよ」
まるで怯えた様子も無く、それどころか慈しむような表情を見せるトエイに、ヘリオスは戸惑う。
「もう一度聞くが…………俺が何者か分かっているのか?」
「"嫌われ者の帝王"ヘリオス。みんなが言ってた」
「…………そのあだ名は知っている」
するとヘリオスはトエイから身を離し、水の滴る髪を邪魔そうにしながら岩壁の方に向かった。
トエイは身体ごと彼を追い、その行動を観察する。
彼の歩いていった先には丁度物を置くには便利が良さそうな岩。そこには荷物袋、そして屈強で重厚な鎧と長剣が置いてあった。
ヘリオスはその中から布を取出し、身体や髪を拭きながら、背中で喋り始めた。
「――"狂った馬鹿王"、"浅はかな若憎"。他にはあるか?」
「…………"殺戮者"」
トエイはその場で正座し、伏せ目がちに答える。非公式の新聞に、確かそんなことが書いてあった。
ヘリオスは振り向くと、上の衣服を着ながら冷たい目を向けてきた。
「そこまで知っていながら、お前は俺が怖くないのか?」
「怖いとかは、よく分からない。ヘリオスみたいな人を"怖い"と言うの?」
「見つかったら拘束かあ。痛いよねきっと」
ごろん、とソファに寝転がる。二人の留守中は雑貨屋の店番を任されている筈なのだが。
「天気いいなあ」
トエイは浅はかではない。だがこの日の天気の良さときたら、彼女でなくとも外に飛び出したくなるほど。渇いた砂の大地、しかし彼女には以前から一心不乱に思い続けていたある"場所"があった。
「秘密の…………湖」
そこはきっと、緑と碧い水が織り成す美しい空間なのだろう。様々な想像を馳せながら、トエイは「よし」と起き上がった。
「外見だけなら絶対バレない。いいよね、たまには」
自分にそう言い聞かせると、トエイは日除けのローブを纏い、外に出た。
トエイの頭の中に、あの日の記憶は鮮明に残っていた。
ここへ来たその日、アインと買い物をした帰り道に会ったあの人物の事。そして彼が教えてくれた"秘密の湖"の話。
“俺も、湖は好きだ”
そう言った、彼が忘れられない。
トエイは喉の渇きを我慢しながら、町の南に向かって歩いた。緊張で心臓が早鐘を打っているのが分かる。
それもその筈、街の外はおろか、外出を一人でするのは初めてなのだ。いつも、アインかルピナスが一緒だった。
「あたし、変じゃないよね」
心配しなくとも、ダイアンサスの人々は他人の事など気にはしない。皆顔を隠しローブを纏っている。
そしてついに、トエイは南門をその足で出た。そこには、見渡すかぎりの渇いた大地と突き出た岩。申し訳程度に、他の街へと続く街道がある。
記憶の糸を手繰り、彼の言葉を思い出す。トエイは意気揚揚と、道なき道を歩きだした。
しかし、歩けば歩くほど不安が襲いくる。何かの動物の骨や、真っ黒な鳥達を見ると、自分は地獄に向かって歩いているんじゃないかと思うほど。砂に、岩に、枯れた木々。ディアナドラゴンであるトエイにはかなりのストレスだった。
もしやあれは幼子をからかう為の嘘だったのだろうかと思い始めた頃、トエイはどこからか薫る"水"の匂いに目を輝かせた。
「近い!」
必死にその薫りを手繰る。すると、それは連なった小さな岩山の向こうから薫りくることに気付いた。トエイは走った。本能なのか、走らずにはいられなかった。
岩山を登り、トエイがそこに見たものは、誰もが夢見る、楽園だった。
それは、まさか、と我が目を疑いたくなるような光景。
碧く、深い湖。大きさは無くとも、それはあの絵画で見た湖と同じ色だった。清らかなそれは、懇々と水中の地面湧き出ている。
ほとりには白い小さな花が額のように咲き誇り、その花弁を水面に落としている。
ちょうど良い木陰を作っているのは、この国には珍しい白樹という木だ。岩山はまるで、それらを守る防御壁のよう。
「なんて綺麗」
トエイはたまらずその湖のほとりに足を進め、その水を掬った。
冷たくて、流れ落ちるそれはなんと懐かしい。
トエイは思わず服のまま湖の中に前向きに飛び込んだ。中は、外から見るよりも更に美しい。彼女をディアナドラゴンと知ってか、水中の魚達が一気に周りに集まり始めた。
トエイは短くも美しい白銀の髪を煌めかせながら、ふわふわと碧い世界を漂っている。息をしなくとも平気なのだろう、浮上して息継ぎをする気配はない。あまりの心地よさに、トエイは瞳を閉じそのまま水底に落ち着いてしまった。
気持ち良いなあ。
そう思いながら、そろそろ浮上しようかと考えていた瞬間だった。
トエイは自分の意志とは無関係に身体が浮上していることに気が付いた。気付けば、何者かの手が自身の背中や膝の裏を掴んでいる。しまった、とトエイが覚醒した時には、もう水面が目の前にあった。
そして、眩しい太陽とともに、こちらに視線を向けている人物に気が付くと、トエイは運命を信じずにはいられなかった。
トエイは、この瞳を知っている。刺すような、切れ長の瞳を。あの時はその瞳を見るだけで精一杯だったが、今なら全体を見る余裕はある。
自分と同じ白銀の、流れるような長い髪。水滴が宝石に見える。
ところどころ留め具で纏めてはいるが、その鍛えられた身体は間違いなく男性だ。彼は上半身に衣服を纏っていないのだから、よく見なくても分かる。
半分水に浸かっているのだが、トエイの顔は自然に熱くなった。自分は今、その男性にお姫様のように抱き抱えられているのだから。
「馬鹿な真似はやめるんだ!」
「え?」
男性の強い言葉に、トエイは首を傾げた。
「まだこの国は終わってはいない!」
「え、え?」
トエイはますます首を傾げる。
すると男性は、何か思案した後訝しげに尋ねてきた。
「…………自殺しようとしたのだろう?」
「違う」
トエイが即答すると、男性の顔は一気に赤くなった。焼けたその肌でさえ、色の変化が分かるくらいに。
しかし、それはトエイにも言えることで。
白い肌は桃色に染まり、目は泳いでいた。
「なら何故水底にいたんだ?」
男が尋ねると、トエイは無邪気な顔で答えた。
「だって、気持ち良さそうだったから」
「湖がか?」
「うん、碧くて深くて。包まれたかった」
素直にそう言うトエイは、小さな子供のようで。男性は記憶の彼方にある何かが頭にフラッシュバックした。彼にとっては、それは朧げな記憶でしかなかったが、トエイにとっては鮮明な思い出。
二人はしばし沈黙を保ち、互いの顔を見つめ合っていたが、ついに男性の方から口を開いた。
「…………お前の、名前は?」
トエイは、めいっぱいの笑顔で答えた。
「トエイだよ」
「…………前に、会ったことが?」
「秘密」
「なんだそれ。俺の名前は…………」
「知ってるよ」
ヘリオスだよね?と、トエイは目を細めて笑った。
――知っているよ、貴方の名前くらい。
貴方が、何者かも。
帝王、ヘリオス。
この国に住むものなら、知らぬ者はいない。
ヘリオスは、あのヘリオスでは無いかのような微笑みを浮かべていたのだが、それを聞いて突然無口になった。
トエイを水から上げ、岸に腰掛けさせると、その顔を見上げた。
「…………俺が誰だか、知っているんだな?」
「うん」
トエイは、素直に頷いた。
ヘリオスは視線を逸らし複雑そうに顔を歪める。
「参ったな」
そう呟くと、再びトエイに瞳を向け、彼女の両手を掴んだ。
「え…………」
そしてそのまま勢い良くトエイの身体を後ろに倒し、その上に覆いかぶさった。
トエイの顔に、水滴がぽたぽたと落ち、彼の長く濡れた髪が手に絡まる。
女ならば本能的に危機を感じてしまうような体勢だが、トエイは真顔だった。
「ヘリオス?」
「いいか、…………此処で会った事は秘密にしろ」
声が、低い。これは帝王としての声だ。
だが、声はそうでも、あの時と似たような台詞を言うヘリオスに、トエイは思わず吹き出してしまった。
彼にとっては自身の立場の為、半ば脅迫めいた台詞だったのだが、トエイには笑いの種でしかなかった。
トエイはめいっぱい笑っあと、こう言った。
「また秘密。そんなこと言わなくても、あたしは貴方を嫌ってはいないから平気だよ」
まるで怯えた様子も無く、それどころか慈しむような表情を見せるトエイに、ヘリオスは戸惑う。
「もう一度聞くが…………俺が何者か分かっているのか?」
「"嫌われ者の帝王"ヘリオス。みんなが言ってた」
「…………そのあだ名は知っている」
するとヘリオスはトエイから身を離し、水の滴る髪を邪魔そうにしながら岩壁の方に向かった。
トエイは身体ごと彼を追い、その行動を観察する。
彼の歩いていった先には丁度物を置くには便利が良さそうな岩。そこには荷物袋、そして屈強で重厚な鎧と長剣が置いてあった。
ヘリオスはその中から布を取出し、身体や髪を拭きながら、背中で喋り始めた。
「――"狂った馬鹿王"、"浅はかな若憎"。他にはあるか?」
「…………"殺戮者"」
トエイはその場で正座し、伏せ目がちに答える。非公式の新聞に、確かそんなことが書いてあった。
ヘリオスは振り向くと、上の衣服を着ながら冷たい目を向けてきた。
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