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「…………確かに、怖いなら俺を呼び捨てになんかしないな」
ヘリオスはそう言うと、鎧に手をかけた。
それを見たトエイは、何故か慌てて彼に掛け寄り、懇願するような瞳で問い掛けた。
「行くの?」
「もう此処に用は無い。黙っていると約束出来るなら、見逃してやる。…………まあ、俺が人助けをしたなんて言っても誰も信じないだろうがな」
「何故信じないの?」
妙なことを聞き返す少女だと思いながらも、ヘリオスは何故かそれに応じてしまう。
別の誰かがそんな質問を彼にしたらならば、ただでは済まないだろうに。
「俺は"嫌われ帝王"なんだろう? 戦ばかりする、殺戮者ではないのか?」
「ヘリオスは、戦争が楽しいの?」
その汚れの無い翡翠の瞳にまっすぐに見つめられ、ヘリオスは不覚にも気圧されてしまった。
だがそれを悟られるわけにもいかず、彼は威厳を以て答える。
「そう見えるから、人は俺を帝王と呼ぶんだ」
「帝王って呼ばれたいの?」
「からかうな」
そう言ってヘリオスはトエイに背を向け、鎧を装着し腰のベルトに剣を差した。
丈の長い剣だが、彼の身体が大きい為不便はない。
用意が出来ると、ヘリオスはさっさとそこから歩き始めた。
しかし、何故か彼女が気になってしまい、ためらいながらもそうっと後ろを振り返った。
「逃げたか」
トエイの姿は既にそこには無く、湖の水面にはゆらゆらと波が立っていた。彼はひとつ息を吐くと、そこから離れた。
心に、少しの空虚を感じながら。
「……何故だ」
ヘリオスが、渇いた大地を歩きながら呟く。
「なんでだろう」
トエイが、湖に包まれながら呟く。
「…………あの少女に」
「彼に」
「魅かれてしまった」
別の場所にいながら、二人は祈るようにそう言った。そしてその瞳に映る景色に、芽生えた想いを馳せていた。
* * *
トエイが家に帰ると、青くなったルピナスとアインのおもしろい姿を見ることが出来た。
慌てふためく二人になかなか声がかけられなかったトエイだが、おそるおそる「ただいま」と小さく言葉を発した。
「トエイーッ!」
ルピナスが涙目でトエイを抱き締める。
身長差は縮まったとはいえ、やはり彼女の胸は息苦しい。
「どこ行ってたんだよ! 心配したぞ」
アインが安堵した表情でそう言うと、トエイは笑顔で答えた。
「ちょっと冒険したかったの、ごめんなさい」
「そっか、そうよね。たまには一人で遊んだりしたいわよね」
ルピナスが優しく彼女の頭を撫でる。
「たまたま俺もルピナスも早く帰れたことだし、三人でどっか行くか?」
アインの提案にトエイもルピナスも手を打って喜んだ。
「賛成っ!!」
「よっしゃ!」
三人は手を繋ぐと、身仕度もそこそこに家から出た。
二人に左右から微笑みを貰い、トエイはこれ以上ないと笑った。
* * *
「ヘリオス陛下! 」
「どうした」
「反乱軍です。西の採掘現場がやられました。生存者は…………」
「分かった」
首都アグラの城に戻ったヘリオスは、また帝王としての彼に戻っていた。
頭の中に、やけにあの少女の顔がちらつくが、彼はまた戦場へと赴いた。
「帝王…………か……」
* * *
――トエイがアグラに来てから、数か月が経とうしていた。
彼女がディアナドラゴンだということは、まだ知られていない。
ルピナスと、アイン以外には。
ここの所アグラでは、反乱軍によるテロ行為が激化していた。
彼らは市街地には決して手を出さなかった筈なのに、最近はヘリオスの居城近くにまでその標的を定めてきたのだ。
当然、民に犠牲が出る。
ようやく一人で街中を自由に歩き回れるようになったトエイは、崩壊した建物の前に並ぶ喪服姿の人々の中を、耳を抑えながら歩いていた。
だが、耳を抑えようとも、彼らの泣き叫ぶ声は聞こえてくる。大地が枯れようとも、その涙が枯れることはないのだ。
「トーエイ」
ふと、背後から声をかけられる。トエイが振り向くと、そこにはアインがいた。
「なんだ、アインか。びっくりした」
「誰だと思ったんだよ。買い物済んだか?」
「うん。もう帰るよ」
「そっか。危ないから俺も一緒に帰るよ」
トエイとアインが並ぶと、もうあの頃のように人買いとその商品のようには見えなかった。
アインの肩あたりまで背が伸びたトエイは、咲き始めた花のように美しくなっていた。
しかし、髪は耳下までで切り揃えている。その髪型が気に入っているのだろう。
ちら、とアインがトエイに視線を遣る。あの日拾ってきた竜の少女は、今や美しい女性として成長し自身の傍らにいる。
本能的に、その柔らかそうな唇や白い首筋に目線をずらしてしまう自分を恥じて、アインは二度三度頭を左右に振った。
「ねえアイン」
「っ、な、なんだ?」
咄嗟に上ずった声を出すアインを気にもせず、トエイは真剣な眼差しを彼に向けた。
「私がこの国に水を提供したら、反乱軍も…………帝王も、戦いをやめるんじゃないかな」
「バカなこと言うなよ。この国全体を潤そうなんてしたら、どうなるかわかるだろ?」
「うん。でも」
「お前が気に病むことじゃない。やっちゃいけないんだ、それは。週末には、水の豊かなユリオプス共和国に連れてってやるから。あそこなら、ディアナって言えば大歓迎間違いなしだぜ!」
「ん…………」
アインはそう言って笑った。だが、トエイは何とも腑に落ちない顔を見せる。
ユリオプスに連れて行くということは、つい先日ルピナスが切り出した話だ。ユリオプスなら水資源も豊富で、難民を手厚く受け入れている。
もしかしたらそこに他の水竜もいるかもしれないということで、トエイを一番に心配しているルピナスは嬉々として提案したのだ。
嬉しい反面、淋しく感じるのは当然だが、トエイはそれを快諾した。
「あの人にも会えなくなるのかな」
自分の意志とは無関係に出た言葉に、トエイは顔を赤らめた。
「え?」
「あ、な、なんでもない…………」
幸いなことに、雑踏の賑やかさのおかげでその台詞はアインには聞こえていなかった。
――あれから、トエイはヘリオスに会ってはいない。
昼間何度かあの湖に行ってはみたが、彼に会えた試しはなかった。帝王たる彼は戦に忙しいらしく、首都にさえあまり帰っていないのか、町中で見かけることもない。
心に吹く冷たい風。締め付けられるような胸の痛み。何故か浮かぶ、彼の、優しくて鋭いあの瞳。
その意味は、何なのか……。
トエイはユリオプスに旅立つ前に、どうしても彼に会いたかった。
「トエイ?」
声をかけてもうわの空な彼女の横顔を見て、アインは妙な胸騒ぎがしていた。
このまま無事彼女をユリオプスに連れていければ、あの時彼女を助けた行為はやっと意味を成す。
淋しいのはもちろんだが、竜である彼女を守るにはそれが一番なのだ。
だが、やはり不安が押し寄せてくる。
早く週末になればいいのにと、アインは空を仰いだ。
* * *
そして、週末。
明日はいよいよユリオプスに出発だという日。
だが、月が空に出ると同時に、トエイは家を抜け出した。
予感がしたのだ。藍色の夜空に浮かぶあの白い月を見ていると、ある予感が。
彼に会えるかもしれないという、予感が。
夜の湖は静かだった。
昼間とはまるで違うその光景。恐怖さえ感じるほど深い青の世界は、トエイを待っていたかのように柔らかな風を送った。
さわめき立つ白い花々は、月光を浴びてさらに美しく儚い。
トエイは息を整えながら、その湖のほとりに腰をかけた。
「いるわけ…………ないよね」
だが、もしかしたら来るかもしれないという、淡い期待を持ってしまう。
トエイは水面に手を滑らせ、その滴を弄んだ。
「きれい」
滴は透き通りながら手を伝い、流れる。トエイはその滴が零れ落ちないように、水竜の能力を行使した。
滴が、空中にふわりと浮かんだ。
彼女の周りを水泡が踊る。トエイは更に水泡を増やすと、それらを周りの花々に降らせた。花弁はきらきらと飾り立てられ、喜びの表情を見せた。
だが、トエイは油断していた。
背後で、彼女を射ぬくように見つめる何者かに全く気付かないでいた。
自身に向かって容赦なく放たれているその視線に気付くと、トエイは遊ばせていた水滴を空中に霧散させた。
ヘリオスはそう言うと、鎧に手をかけた。
それを見たトエイは、何故か慌てて彼に掛け寄り、懇願するような瞳で問い掛けた。
「行くの?」
「もう此処に用は無い。黙っていると約束出来るなら、見逃してやる。…………まあ、俺が人助けをしたなんて言っても誰も信じないだろうがな」
「何故信じないの?」
妙なことを聞き返す少女だと思いながらも、ヘリオスは何故かそれに応じてしまう。
別の誰かがそんな質問を彼にしたらならば、ただでは済まないだろうに。
「俺は"嫌われ帝王"なんだろう? 戦ばかりする、殺戮者ではないのか?」
「ヘリオスは、戦争が楽しいの?」
その汚れの無い翡翠の瞳にまっすぐに見つめられ、ヘリオスは不覚にも気圧されてしまった。
だがそれを悟られるわけにもいかず、彼は威厳を以て答える。
「そう見えるから、人は俺を帝王と呼ぶんだ」
「帝王って呼ばれたいの?」
「からかうな」
そう言ってヘリオスはトエイに背を向け、鎧を装着し腰のベルトに剣を差した。
丈の長い剣だが、彼の身体が大きい為不便はない。
用意が出来ると、ヘリオスはさっさとそこから歩き始めた。
しかし、何故か彼女が気になってしまい、ためらいながらもそうっと後ろを振り返った。
「逃げたか」
トエイの姿は既にそこには無く、湖の水面にはゆらゆらと波が立っていた。彼はひとつ息を吐くと、そこから離れた。
心に、少しの空虚を感じながら。
「……何故だ」
ヘリオスが、渇いた大地を歩きながら呟く。
「なんでだろう」
トエイが、湖に包まれながら呟く。
「…………あの少女に」
「彼に」
「魅かれてしまった」
別の場所にいながら、二人は祈るようにそう言った。そしてその瞳に映る景色に、芽生えた想いを馳せていた。
* * *
トエイが家に帰ると、青くなったルピナスとアインのおもしろい姿を見ることが出来た。
慌てふためく二人になかなか声がかけられなかったトエイだが、おそるおそる「ただいま」と小さく言葉を発した。
「トエイーッ!」
ルピナスが涙目でトエイを抱き締める。
身長差は縮まったとはいえ、やはり彼女の胸は息苦しい。
「どこ行ってたんだよ! 心配したぞ」
アインが安堵した表情でそう言うと、トエイは笑顔で答えた。
「ちょっと冒険したかったの、ごめんなさい」
「そっか、そうよね。たまには一人で遊んだりしたいわよね」
ルピナスが優しく彼女の頭を撫でる。
「たまたま俺もルピナスも早く帰れたことだし、三人でどっか行くか?」
アインの提案にトエイもルピナスも手を打って喜んだ。
「賛成っ!!」
「よっしゃ!」
三人は手を繋ぐと、身仕度もそこそこに家から出た。
二人に左右から微笑みを貰い、トエイはこれ以上ないと笑った。
* * *
「ヘリオス陛下! 」
「どうした」
「反乱軍です。西の採掘現場がやられました。生存者は…………」
「分かった」
首都アグラの城に戻ったヘリオスは、また帝王としての彼に戻っていた。
頭の中に、やけにあの少女の顔がちらつくが、彼はまた戦場へと赴いた。
「帝王…………か……」
* * *
――トエイがアグラに来てから、数か月が経とうしていた。
彼女がディアナドラゴンだということは、まだ知られていない。
ルピナスと、アイン以外には。
ここの所アグラでは、反乱軍によるテロ行為が激化していた。
彼らは市街地には決して手を出さなかった筈なのに、最近はヘリオスの居城近くにまでその標的を定めてきたのだ。
当然、民に犠牲が出る。
ようやく一人で街中を自由に歩き回れるようになったトエイは、崩壊した建物の前に並ぶ喪服姿の人々の中を、耳を抑えながら歩いていた。
だが、耳を抑えようとも、彼らの泣き叫ぶ声は聞こえてくる。大地が枯れようとも、その涙が枯れることはないのだ。
「トーエイ」
ふと、背後から声をかけられる。トエイが振り向くと、そこにはアインがいた。
「なんだ、アインか。びっくりした」
「誰だと思ったんだよ。買い物済んだか?」
「うん。もう帰るよ」
「そっか。危ないから俺も一緒に帰るよ」
トエイとアインが並ぶと、もうあの頃のように人買いとその商品のようには見えなかった。
アインの肩あたりまで背が伸びたトエイは、咲き始めた花のように美しくなっていた。
しかし、髪は耳下までで切り揃えている。その髪型が気に入っているのだろう。
ちら、とアインがトエイに視線を遣る。あの日拾ってきた竜の少女は、今や美しい女性として成長し自身の傍らにいる。
本能的に、その柔らかそうな唇や白い首筋に目線をずらしてしまう自分を恥じて、アインは二度三度頭を左右に振った。
「ねえアイン」
「っ、な、なんだ?」
咄嗟に上ずった声を出すアインを気にもせず、トエイは真剣な眼差しを彼に向けた。
「私がこの国に水を提供したら、反乱軍も…………帝王も、戦いをやめるんじゃないかな」
「バカなこと言うなよ。この国全体を潤そうなんてしたら、どうなるかわかるだろ?」
「うん。でも」
「お前が気に病むことじゃない。やっちゃいけないんだ、それは。週末には、水の豊かなユリオプス共和国に連れてってやるから。あそこなら、ディアナって言えば大歓迎間違いなしだぜ!」
「ん…………」
アインはそう言って笑った。だが、トエイは何とも腑に落ちない顔を見せる。
ユリオプスに連れて行くということは、つい先日ルピナスが切り出した話だ。ユリオプスなら水資源も豊富で、難民を手厚く受け入れている。
もしかしたらそこに他の水竜もいるかもしれないということで、トエイを一番に心配しているルピナスは嬉々として提案したのだ。
嬉しい反面、淋しく感じるのは当然だが、トエイはそれを快諾した。
「あの人にも会えなくなるのかな」
自分の意志とは無関係に出た言葉に、トエイは顔を赤らめた。
「え?」
「あ、な、なんでもない…………」
幸いなことに、雑踏の賑やかさのおかげでその台詞はアインには聞こえていなかった。
――あれから、トエイはヘリオスに会ってはいない。
昼間何度かあの湖に行ってはみたが、彼に会えた試しはなかった。帝王たる彼は戦に忙しいらしく、首都にさえあまり帰っていないのか、町中で見かけることもない。
心に吹く冷たい風。締め付けられるような胸の痛み。何故か浮かぶ、彼の、優しくて鋭いあの瞳。
その意味は、何なのか……。
トエイはユリオプスに旅立つ前に、どうしても彼に会いたかった。
「トエイ?」
声をかけてもうわの空な彼女の横顔を見て、アインは妙な胸騒ぎがしていた。
このまま無事彼女をユリオプスに連れていければ、あの時彼女を助けた行為はやっと意味を成す。
淋しいのはもちろんだが、竜である彼女を守るにはそれが一番なのだ。
だが、やはり不安が押し寄せてくる。
早く週末になればいいのにと、アインは空を仰いだ。
* * *
そして、週末。
明日はいよいよユリオプスに出発だという日。
だが、月が空に出ると同時に、トエイは家を抜け出した。
予感がしたのだ。藍色の夜空に浮かぶあの白い月を見ていると、ある予感が。
彼に会えるかもしれないという、予感が。
夜の湖は静かだった。
昼間とはまるで違うその光景。恐怖さえ感じるほど深い青の世界は、トエイを待っていたかのように柔らかな風を送った。
さわめき立つ白い花々は、月光を浴びてさらに美しく儚い。
トエイは息を整えながら、その湖のほとりに腰をかけた。
「いるわけ…………ないよね」
だが、もしかしたら来るかもしれないという、淡い期待を持ってしまう。
トエイは水面に手を滑らせ、その滴を弄んだ。
「きれい」
滴は透き通りながら手を伝い、流れる。トエイはその滴が零れ落ちないように、水竜の能力を行使した。
滴が、空中にふわりと浮かんだ。
彼女の周りを水泡が踊る。トエイは更に水泡を増やすと、それらを周りの花々に降らせた。花弁はきらきらと飾り立てられ、喜びの表情を見せた。
だが、トエイは油断していた。
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