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「どういう育てられ方をしたんだ……お前は」
そして、ヘリオスは自然と彼女の身体に手を伸ばしていた。
トエイは抵抗することもなく、自然にそのまま彼の方に引き寄せられる。細い身体は難なくヘリオスの腕の中に収まり、見上げれば彼の顔が間近に在った。
「ヘリオス」
トエイが小さく名を呼ぶと、ヘリオスはじっと視線を合わせてきた。
「構わないか?」
「何を?」
「口付けても」
「買ってもらった絵本で、見たことがある。王子様が眠っているお姫様に口付けると、お姫様が目を覚ますの」
「……逆だな」
「逆なの?」
「……お前が、俺の目を覚まさせてくれるかもしれない」
その言葉には、あらゆる意味が含まれていた。
だがヘリオスはそれ以上何も言わず、壊さぬように、そっとトエイに唇を重ねた。
触れた唇はまだ未発達で幼く、あまりに清らかすぎてヘリオスは目眩がした。
きゅ、と寄せてくる唇の仕草が余りに愛おしい。
一度でも深くそう思ってしまうと、後は堕ちていくだけで。
終幕に向けて起こりうる"それ"を予感することなど、ヘリオスには出来るわけがなかった。
ただ、トエイだけは、何もかも予知した上でそうしていた。
どうなるか、何が起こるか、全てを覚悟した上で。
* * *
「早くしろ!! まだ中に人がいるんだぞ!!」
「み……水はこれだけしか無いのか?!」
「なんでもいいから火を消してくれぇぇぇえ!!」
悲痛な叫び声を上げて、人々は空を仰いだ。明々と辺りを橙色に照らすのは、街の灯りなどではなく。燃え盛る炎の熱い躍動によるものだった。
炎は空高く燃え上がり、首都アグラの商店街の中でも一際大きな建物をその腹に包んでいた。しかも、ただの炎ではないのか、時折火玉を辺りに吐き出しながら燃え狂っている。
「わ……私の店が……」
頭から布を被った男が力なくその場に崩れ落ちた。ふくよかな体型は贅沢の証。青ざめた彼の顔を密かに笑うものは、少なくはなかった。
「反乱軍もついに本格的に動きだしたのか……」
誰かが言った。
「手口が荒くなってきたな。そのうち首謀者の顔が見れるかもしれないぞ」
大惨事を前にしても、彼らが語るのは第三者の立場から見た話題ばかり。火を消そうとしているのは、店の従業員や店主の家族だけ。野次馬達は、まるでお芝居か何かを見ているような目付きで、傍観するのみだった。
* * *
「…………あ」
湖のほとりで、ヘリオスの肩に身を寄せていたトエイだが、ふいに何かに呼ばれたように、その体を離し立ち上がった。
「離れるな」
ヘリオスは立ち上がったトエイのその手を掴み、自身の方に引き寄せる。そのまま彼の膝の上に座り込んでしまったトエイだが、どこか落ち着かない様子だった。
「……どうかしたのか?」
するとトエイは、ヘリオスに視線を合わせ落ち着いた声でこう言った。
「ヘリオス。何かが燃えてるよ」
「何?」
「熱い力……すごく強く、燃えてる。ほら」
そう呟きながらトエイは、ヘリオスの手に自分の手を重ね瞳を閉じた。すると、途端にヘリオスの頭の中に、恐ろしい光景が強制的に映し出された。
「これは……」
自身の城近くまで燃え盛る炎、火だるまになり狂う民。逃げまとう人々の中で、笑みを浮かべる人物。
「ついに市民に手を出したな……」
そのイメージが浮かんでいる最中、終始目をきつく歪ませ唇を噛んでいたヘリオスだったが、映像が切れると同時にすぐに立ち上がった。
「お前はここにいろ」
素早く支度を始めるヘリオスに、トエイは焦り駆け寄る。
「でも、でも、火を消さなきゃ」
「危険だ。絶対に来るな。あれはただの火ではない」
ヘリオスはトエイの意志をはねのける。だがそれでハイと返事をするトエイでは無かった。
「私も連れていって。お願い」
「危険だと言っただろう! あれはおそらく反乱軍の仕業だ」
「だって、あの炎。もし間違ってなかったら私にしか消せな…………」
そう言い掛けて、トエイは思わず口を塞いだ。しまった。そう後悔しながらそっとヘリオスの表情を伺うと、彼は僅かに眉を寄せ、トエイを見つめていた。
「トエイは魔導師なのか?」
「え……あ」
肯定するのが、無難な選択だった。トエイが小さく頷くと、ヘリオスは彼女の手を引き駆け出した。
「なら話は早い。水の魔導術は使えるか?」
「うん」
「どこまでの術を?」
「高位魔法は簡単」
ディアナドラゴンだから、魔法ではないけれど。とは、当然言うわけがない。
ヘリオスは少し安堵したのか、駆けながら小さく息を吐いた。
「……助かる。だが、俺から離れるなよ」
「分かった」
その返事を聞くと、ヘリオスは近くに縛っていた蹄の大きな砂漠用の馬の背にトエイを乗せた。そして素早く自分もまたがると、手綱を引き勢い良く馬を走らせた。
「……夜の空が赤い」
走りだした馬の背で、トエイは彼方に映る都を見つめそう言った。
「火が膨らんでいる……! 」
ヘリオスは馬の速度を更に上げた。馬は必死に砂を蹴り、疾風のように走りだした。
焦りを隠せないヘリオスとは反対に、トエイはやけに落ち着いていた。街に近づくにつれ、周りの気温が上昇しているのが分かる。ついには、火の粉が風に乗って流れてきた。
その赤い屑を横目に見ながら、トエイはある確心を持っていた。
間違いない。
熱く、狂い乱れる赤い光。
憎しみと怒りが混濁した深淵から立ち上る火炎柱。
これは"人"が出せるものなんかじゃない。
間違いなくこれは、
私と同じ、"竜"の仕業だ。
* * *
「いいから女と子供をさっさと逃がせってんだよ!!」
燃え盛る火が周りを包む中、アインは混乱する人々を必死に先導していた。パニック状態に陥った人々を動かすのは容易なことではない。ともすれば、あまりの恐怖に狂いだす者も出てくるからだ。
「聖騎士様、アイン様! 西の通りは完全に火の海です! ……うわっ!!」
どこからか現われた男がアインに用件を言い終わると同時に、彼らの右手の建物が火球を吹いた。
その衝撃で建物のガラスが砕け散り、逃げる人々に降り注いだ。これは助けようにも、距離が遠すぎる。
「あーッくそ! 出来るかわかんねえけど……」
すると、アインはそう叫びながら腰の片手剣を抜き、走りだした。そして勢いをつけながら、その刄を力の限り強く真横に振った。
「でやああああ!!」
すると、彼の振るった刄からは白い三日月状の剣圧が飛び出した。剣圧は落ちる硝子の破片を砕き、更に炎の中へと吹き飛ばした。
「……あ……、出来たし」
剣圧を飛ばすなどという芸当は初めてだったのか。アインは気の抜けたような表情でホッと胸を撫で下ろした。
「アストレイアさんの講義、一応受けといて良かったぜ」
「アインー!!」
すると、まだ火の手の回っていない通りの向こうから、息急きらせながらルピナスがこちらに走ってきた。その姿を見たアインは、目を丸くして驚嘆の声を上げる。
「バカ何やってんだよ! トエイ連れて逃げろっつっただろ!!」
とっくに逃げたものと思っていたルピナスは、煤だらけで髪を振り乱しながらこちらに駆け寄ってきた。彼女はアインの前で辛そうに呼吸をすると、泣きそうな顔で彼を見上げた。眼鏡は、片方のグラスにヒビが入っていた。
「おい、トエイは!?」
「……それが……いないの」
「……は?」
「いないのよどこにも! アンタが消火に飛び出した後部屋に行ったら、あの子いなかったの!」
「何だって!?」
アインの拳が震える。まさか、どこに行くと言うんだろうか。こんな火の中、ディアナドラゴンである彼女にとっては毒でしかない。
「街の中走り回ったけど……皆混乱しきっていて思うように探せないのよ……ッ」
下を向くルピナスの瞳に涙が滲む。彼女はそれを乱暴に拭うと、切羽詰まった表情でこう言った。
「アンタもトエイを探して! あたしは、もう一回街の中見るから!」
「分かった。けどお前も無茶すんな。この火、普通じゃねえ」
「ええ、分かってる」
ルピナスは力強く頷くと、慌ててきびすを返し、炎が逆巻く通りの中へと走り出した。
「…………嫌な予感は当たるもんだな」
アインは走りながら、悔しそうに呟いた。
そして、ヘリオスは自然と彼女の身体に手を伸ばしていた。
トエイは抵抗することもなく、自然にそのまま彼の方に引き寄せられる。細い身体は難なくヘリオスの腕の中に収まり、見上げれば彼の顔が間近に在った。
「ヘリオス」
トエイが小さく名を呼ぶと、ヘリオスはじっと視線を合わせてきた。
「構わないか?」
「何を?」
「口付けても」
「買ってもらった絵本で、見たことがある。王子様が眠っているお姫様に口付けると、お姫様が目を覚ますの」
「……逆だな」
「逆なの?」
「……お前が、俺の目を覚まさせてくれるかもしれない」
その言葉には、あらゆる意味が含まれていた。
だがヘリオスはそれ以上何も言わず、壊さぬように、そっとトエイに唇を重ねた。
触れた唇はまだ未発達で幼く、あまりに清らかすぎてヘリオスは目眩がした。
きゅ、と寄せてくる唇の仕草が余りに愛おしい。
一度でも深くそう思ってしまうと、後は堕ちていくだけで。
終幕に向けて起こりうる"それ"を予感することなど、ヘリオスには出来るわけがなかった。
ただ、トエイだけは、何もかも予知した上でそうしていた。
どうなるか、何が起こるか、全てを覚悟した上で。
* * *
「早くしろ!! まだ中に人がいるんだぞ!!」
「み……水はこれだけしか無いのか?!」
「なんでもいいから火を消してくれぇぇぇえ!!」
悲痛な叫び声を上げて、人々は空を仰いだ。明々と辺りを橙色に照らすのは、街の灯りなどではなく。燃え盛る炎の熱い躍動によるものだった。
炎は空高く燃え上がり、首都アグラの商店街の中でも一際大きな建物をその腹に包んでいた。しかも、ただの炎ではないのか、時折火玉を辺りに吐き出しながら燃え狂っている。
「わ……私の店が……」
頭から布を被った男が力なくその場に崩れ落ちた。ふくよかな体型は贅沢の証。青ざめた彼の顔を密かに笑うものは、少なくはなかった。
「反乱軍もついに本格的に動きだしたのか……」
誰かが言った。
「手口が荒くなってきたな。そのうち首謀者の顔が見れるかもしれないぞ」
大惨事を前にしても、彼らが語るのは第三者の立場から見た話題ばかり。火を消そうとしているのは、店の従業員や店主の家族だけ。野次馬達は、まるでお芝居か何かを見ているような目付きで、傍観するのみだった。
* * *
「…………あ」
湖のほとりで、ヘリオスの肩に身を寄せていたトエイだが、ふいに何かに呼ばれたように、その体を離し立ち上がった。
「離れるな」
ヘリオスは立ち上がったトエイのその手を掴み、自身の方に引き寄せる。そのまま彼の膝の上に座り込んでしまったトエイだが、どこか落ち着かない様子だった。
「……どうかしたのか?」
するとトエイは、ヘリオスに視線を合わせ落ち着いた声でこう言った。
「ヘリオス。何かが燃えてるよ」
「何?」
「熱い力……すごく強く、燃えてる。ほら」
そう呟きながらトエイは、ヘリオスの手に自分の手を重ね瞳を閉じた。すると、途端にヘリオスの頭の中に、恐ろしい光景が強制的に映し出された。
「これは……」
自身の城近くまで燃え盛る炎、火だるまになり狂う民。逃げまとう人々の中で、笑みを浮かべる人物。
「ついに市民に手を出したな……」
そのイメージが浮かんでいる最中、終始目をきつく歪ませ唇を噛んでいたヘリオスだったが、映像が切れると同時にすぐに立ち上がった。
「お前はここにいろ」
素早く支度を始めるヘリオスに、トエイは焦り駆け寄る。
「でも、でも、火を消さなきゃ」
「危険だ。絶対に来るな。あれはただの火ではない」
ヘリオスはトエイの意志をはねのける。だがそれでハイと返事をするトエイでは無かった。
「私も連れていって。お願い」
「危険だと言っただろう! あれはおそらく反乱軍の仕業だ」
「だって、あの炎。もし間違ってなかったら私にしか消せな…………」
そう言い掛けて、トエイは思わず口を塞いだ。しまった。そう後悔しながらそっとヘリオスの表情を伺うと、彼は僅かに眉を寄せ、トエイを見つめていた。
「トエイは魔導師なのか?」
「え……あ」
肯定するのが、無難な選択だった。トエイが小さく頷くと、ヘリオスは彼女の手を引き駆け出した。
「なら話は早い。水の魔導術は使えるか?」
「うん」
「どこまでの術を?」
「高位魔法は簡単」
ディアナドラゴンだから、魔法ではないけれど。とは、当然言うわけがない。
ヘリオスは少し安堵したのか、駆けながら小さく息を吐いた。
「……助かる。だが、俺から離れるなよ」
「分かった」
その返事を聞くと、ヘリオスは近くに縛っていた蹄の大きな砂漠用の馬の背にトエイを乗せた。そして素早く自分もまたがると、手綱を引き勢い良く馬を走らせた。
「……夜の空が赤い」
走りだした馬の背で、トエイは彼方に映る都を見つめそう言った。
「火が膨らんでいる……! 」
ヘリオスは馬の速度を更に上げた。馬は必死に砂を蹴り、疾風のように走りだした。
焦りを隠せないヘリオスとは反対に、トエイはやけに落ち着いていた。街に近づくにつれ、周りの気温が上昇しているのが分かる。ついには、火の粉が風に乗って流れてきた。
その赤い屑を横目に見ながら、トエイはある確心を持っていた。
間違いない。
熱く、狂い乱れる赤い光。
憎しみと怒りが混濁した深淵から立ち上る火炎柱。
これは"人"が出せるものなんかじゃない。
間違いなくこれは、
私と同じ、"竜"の仕業だ。
* * *
「いいから女と子供をさっさと逃がせってんだよ!!」
燃え盛る火が周りを包む中、アインは混乱する人々を必死に先導していた。パニック状態に陥った人々を動かすのは容易なことではない。ともすれば、あまりの恐怖に狂いだす者も出てくるからだ。
「聖騎士様、アイン様! 西の通りは完全に火の海です! ……うわっ!!」
どこからか現われた男がアインに用件を言い終わると同時に、彼らの右手の建物が火球を吹いた。
その衝撃で建物のガラスが砕け散り、逃げる人々に降り注いだ。これは助けようにも、距離が遠すぎる。
「あーッくそ! 出来るかわかんねえけど……」
すると、アインはそう叫びながら腰の片手剣を抜き、走りだした。そして勢いをつけながら、その刄を力の限り強く真横に振った。
「でやああああ!!」
すると、彼の振るった刄からは白い三日月状の剣圧が飛び出した。剣圧は落ちる硝子の破片を砕き、更に炎の中へと吹き飛ばした。
「……あ……、出来たし」
剣圧を飛ばすなどという芸当は初めてだったのか。アインは気の抜けたような表情でホッと胸を撫で下ろした。
「アストレイアさんの講義、一応受けといて良かったぜ」
「アインー!!」
すると、まだ火の手の回っていない通りの向こうから、息急きらせながらルピナスがこちらに走ってきた。その姿を見たアインは、目を丸くして驚嘆の声を上げる。
「バカ何やってんだよ! トエイ連れて逃げろっつっただろ!!」
とっくに逃げたものと思っていたルピナスは、煤だらけで髪を振り乱しながらこちらに駆け寄ってきた。彼女はアインの前で辛そうに呼吸をすると、泣きそうな顔で彼を見上げた。眼鏡は、片方のグラスにヒビが入っていた。
「おい、トエイは!?」
「……それが……いないの」
「……は?」
「いないのよどこにも! アンタが消火に飛び出した後部屋に行ったら、あの子いなかったの!」
「何だって!?」
アインの拳が震える。まさか、どこに行くと言うんだろうか。こんな火の中、ディアナドラゴンである彼女にとっては毒でしかない。
「街の中走り回ったけど……皆混乱しきっていて思うように探せないのよ……ッ」
下を向くルピナスの瞳に涙が滲む。彼女はそれを乱暴に拭うと、切羽詰まった表情でこう言った。
「アンタもトエイを探して! あたしは、もう一回街の中見るから!」
「分かった。けどお前も無茶すんな。この火、普通じゃねえ」
「ええ、分かってる」
ルピナスは力強く頷くと、慌ててきびすを返し、炎が逆巻く通りの中へと走り出した。
「…………嫌な予感は当たるもんだな」
アインは走りながら、悔しそうに呟いた。
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