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メナスは言い知れぬやるせなさに、ただただ唇を噛み締めるしか出来ない。声をかけようとも、目の前の今にも消え入りそうな小さな背中に対し、何を言えばいいのか皆目見当がつかない。ただ、押し黙るしかない。
「……ディアナよ……妙な考えはするな。今、人を呼んできてやるから暫し待て」
彼はやっとそれだけ声をかけると、その場で竜に変化し、勢い良く飛び立った。
トエイは頭の隅の方で返事をし、虚ろな瞳で、ヘリオスを見つめていた。
風に揺れた髪が唇に張りつこうとも、ただヘリオスを見つめていた。
「ヘリオス……」
やがて、トエイはヘリオスの背中に自身を横たわらせ、頬をすり寄せた。
もう、二度と動くことのない、救うことも出来ない彼の背中に顔を埋め、彼女は何を思っただろうか。
指に光る指輪の温もりだけを感じながら、彼女は静かに瞳を閉じた。
「一緒に、水に還ろう。ヘリオス」
メナスが人を連れて戻った時、そこには赤い波紋が広がるばかりだった。
二人の姿は、どこにも無かった。
* * *
こんなことになるなら、早くあいつをユリオプスに連れていきゃ良かった。
こんなとこになるなら、あいつと同じ立場で国を支えてやりゃ良かった。
――こんなことに、なるなら。
天覧試合、五人抜き。
その名誉とともに凱旋したアインが目にしたのは、変わり果てた母国の姿だった。
城から眺める光景も、その中にいる人々も。
砂漠だった場所には薄い水のヴェールが敷かれ、歩くと靴に水が染みる。
無造作に転がっていた岩山にはいつしか緑が芽生えている。透明な羽を持った小さな虫がいるかと思いきや、それは水の中に飛び込んで魚になった。
あの豪華な宮殿はいつも以上に物々しく、更に、警備兵の顔触れも以前とは違う。
それが何故か、と推察する間も無く、彼を待ちわびていたかのように市民が彼を迎え入れ、その理由を教えてくれた。
まだ、聞いてもいないのに。事細かに、詳しく、残酷に。
「涼しいな……」
主の居ないその城の一室で、アインは通り抜ける風に身を晒していた。以前は生暖かかったその風が、今はひんやりと冷気を帯びている。
「アイン様……よろしいでしょうか」
窓の外を見つめたまま動かない彼の様子を伺いながら、侍従らしき女性がこうべを垂れる。
「あ、ああ悪ィ、通してくれ」
アインがそう言うと、女性は二歩下がり部屋の入り口の扉を開けた。
ギィ、と扉が開かれると、そこにはあの男が不服そうな面持ちで立っていた。アインは一瞬、びくりと肩を震わせたが、すぐに不器用な笑顔を浮かべた。
「……えと、メナスだよな」
「ドラゴンハンターの女はどうした」
「来てねえよ。あっちの国境で色々あってな、まだ来れない」
「そうか」
メナスが部屋に入ると、侍女はすぐにそこから足を引き部屋から出ていった。それを確認すると、メナスはアインに歩み寄りその顔をじっと睨み付け、こう言った。
「あの少女はな……」
「聞いたよ。消えたんだろ?」
言い終わる前に、アインが言葉を被せてきたので、メナスはまた不機嫌になった。
「アグラに来てからさんっざん聞いたさ。ヘリオスもトエイもいなくなったって」
「その通りだ」
「んで、城に来てみりゃ今度は副官ロウハとその一族の反乱が起きたって……」
そうして視線を落とすアインに、メナスは無感情に言い放つ。
「嘆くは愚かよ。小僧は自らの業に報いたのだ」
そんな言葉にも、アインは怒ることはなかった。それどころか、少し泣きそうな笑顔を浮かべてメナスを見上げた。
「んで、その反乱やらなんやらの鎮圧をしたのが、あんただろ。聞いたぜ」
するとメナスの眉が僅かに動いたので、アインはそれに気を良くして口端を吊り上げた。
「ありがとう」
「我はディアナの娘の決意に敬意を表したまでだ」
「素直じゃねえなあ」
メナスはやはり不機嫌そうな顔でいたが、纏う空気は若干和らいだように見えた。
「……でさ、聞きたいんだけど」
「もう十分聞いたのであろう?」
「いやいや、風に聞いた噂話とかじゃなくてさ」
「……娘と、あの小僧のことか」
「…………ああ」
ヘリオスとトエイが消えた。
民も、城の兵も、そうとしか聞いていなかった。
それというのも、この近寄りがたい竜が、ただ一言「消えた」とだけしか、皆に告げていないからなのだ。
噂は噂を呼び、「王はディアナと百年の眠りについた」「ディアナは新たな仲間を求め旅立った」などと半ば空想めいた話ばかりが国に広まっている。
真実を知るのは、メナスのみ。
アインは藍色の視線をじっと彼に定めた。
「恐らく小僧は死んだ。そして娘とともに消えた。それが全てだ」
「それじゃ分かんねえよ……」
「我にこれ以上何を言えというのだ」
「詳しくっつうか……なんでトエイは消えたとか……なんかあんだろ……!?」
アインは行き場の無い手で髪をくしゃりと掴み、目を泳がせながら苛立ったように天井を仰いだ。
消えた。死んだ。
受け入れたくない結果ばかりがただひたすらに突き付けられる。
それから逃げたいばかりに、アインはメナスに問い掛けているのだ。
「消えるってなんだよ……ヘリオスもトエイもいないって、訳わかんねえよ……」
残っているのは、広大な土地に広がる水の絨毯。
そのじたばたと足掻く様子をただ見つめながらも、メナスには彼の意が汲み取れなかった。
「娘は消えた。小僧は死んだ。……それだけなのだ」
勘弁してくれ、とメナスは息を吐く。
ふと、アインは足掻くのをやめ、目を覚ましたかのようなはっきりとした視線をメナスに遣った。
「消えた?」
「消えたと言ってもだな」
「トエイは生きてるんだな!?」
アインは揺らすように強く、メナスの両肩を掴んだ。
そこでようやく彼の意図することに気付いたメナスは、様々な思考を巡らせ、その中で、自分にとって最も適切な答えを出した。
「ディアナの娘を追い掛ける気ならばやめておくことだ」
「……なんでだ?」
図星を突かれたアインは、両肩に置いていた手をだらりと下に降ろし、唸るように問い掛ける。
「あの娘は元々水に還る気でいたのだ。己が命を代償に、この国を救う為にな」
「……薄々、分かってたよそれは。でもヘリオスがいるなら、そうはならないと」
「確かに、小僧は娘を助けた。だが、物語はそこでは終わらなかった。小僧は己の所業の報いを受け、倒れた。それもまた、貴様らの行いが生んだ結末だ」
メナスはまるで、一枚隔てた壁の向こうで話すかのように他人めいている。微塵も気遣いを見せないメナスに、アインは思わず拳を振り上げそうになったが、彼はそこまで幼くはなかった。
もう、物語は終わってしまったのだ。
蘇り豊かになった国土には優しい風が吹き、何ひとつどうにも出来なかった自分の無力な体を、やけに優しく擦り抜けていく。
情けない。情けなさすぎる。
守れた筈なのに、守れなかった。
「……俺は………………どうすれば……」
アインがそう呟いた瞬間、今まで一歩離れた見解を示していたメナスが、初めて輝きを持った瞳を彼に向けた。
「名は、アインと言ったな」
「な、なんだよ」
メナスはアインよりも背が少しだけ高い。気の済むまでじろじろと見た後、メナスはアインの胸元に手を遣った。
瞬間、アインの心臓あたりが何かに鷲掴みにされたような強烈な痛みと、燃えるような熱を帯びた。
「っあああ!?」
苦しむアインを冷徹に見つめながら、メナスはそこにある物の存在を確かめるように、指を動かしている。
「……やはりな、双子で炎と水を分けていたか」
「ッ……! ……な、なんだよ!?」
訳の分からないアインは、すぐにメナスの手を振り払い距離を取った。
「お前は我らマグナの血を色濃く引いている。真、遺憾だがな」
「……だからなんだ? やっぱ俺を殺すのか?」
するとメナスは、その返答に対し侮蔑にも似た笑みを見せた。
「ディアナの娘の意を無下にはせんと言った筈だ」
「じゃ、なんだよ」
「お前を守護してやろう」
予想だにしていなかった言葉に、アインは馬鹿のように目を見開き、あんぐりと口を開けた。
しばらく思考が停止してしまったが、彼の放った言葉の重要性を改めて認識し、伺うようにメナスを見上げた。
「な、何言ってんだお前?」
「……ディアナよ……妙な考えはするな。今、人を呼んできてやるから暫し待て」
彼はやっとそれだけ声をかけると、その場で竜に変化し、勢い良く飛び立った。
トエイは頭の隅の方で返事をし、虚ろな瞳で、ヘリオスを見つめていた。
風に揺れた髪が唇に張りつこうとも、ただヘリオスを見つめていた。
「ヘリオス……」
やがて、トエイはヘリオスの背中に自身を横たわらせ、頬をすり寄せた。
もう、二度と動くことのない、救うことも出来ない彼の背中に顔を埋め、彼女は何を思っただろうか。
指に光る指輪の温もりだけを感じながら、彼女は静かに瞳を閉じた。
「一緒に、水に還ろう。ヘリオス」
メナスが人を連れて戻った時、そこには赤い波紋が広がるばかりだった。
二人の姿は、どこにも無かった。
* * *
こんなことになるなら、早くあいつをユリオプスに連れていきゃ良かった。
こんなとこになるなら、あいつと同じ立場で国を支えてやりゃ良かった。
――こんなことに、なるなら。
天覧試合、五人抜き。
その名誉とともに凱旋したアインが目にしたのは、変わり果てた母国の姿だった。
城から眺める光景も、その中にいる人々も。
砂漠だった場所には薄い水のヴェールが敷かれ、歩くと靴に水が染みる。
無造作に転がっていた岩山にはいつしか緑が芽生えている。透明な羽を持った小さな虫がいるかと思いきや、それは水の中に飛び込んで魚になった。
あの豪華な宮殿はいつも以上に物々しく、更に、警備兵の顔触れも以前とは違う。
それが何故か、と推察する間も無く、彼を待ちわびていたかのように市民が彼を迎え入れ、その理由を教えてくれた。
まだ、聞いてもいないのに。事細かに、詳しく、残酷に。
「涼しいな……」
主の居ないその城の一室で、アインは通り抜ける風に身を晒していた。以前は生暖かかったその風が、今はひんやりと冷気を帯びている。
「アイン様……よろしいでしょうか」
窓の外を見つめたまま動かない彼の様子を伺いながら、侍従らしき女性がこうべを垂れる。
「あ、ああ悪ィ、通してくれ」
アインがそう言うと、女性は二歩下がり部屋の入り口の扉を開けた。
ギィ、と扉が開かれると、そこにはあの男が不服そうな面持ちで立っていた。アインは一瞬、びくりと肩を震わせたが、すぐに不器用な笑顔を浮かべた。
「……えと、メナスだよな」
「ドラゴンハンターの女はどうした」
「来てねえよ。あっちの国境で色々あってな、まだ来れない」
「そうか」
メナスが部屋に入ると、侍女はすぐにそこから足を引き部屋から出ていった。それを確認すると、メナスはアインに歩み寄りその顔をじっと睨み付け、こう言った。
「あの少女はな……」
「聞いたよ。消えたんだろ?」
言い終わる前に、アインが言葉を被せてきたので、メナスはまた不機嫌になった。
「アグラに来てからさんっざん聞いたさ。ヘリオスもトエイもいなくなったって」
「その通りだ」
「んで、城に来てみりゃ今度は副官ロウハとその一族の反乱が起きたって……」
そうして視線を落とすアインに、メナスは無感情に言い放つ。
「嘆くは愚かよ。小僧は自らの業に報いたのだ」
そんな言葉にも、アインは怒ることはなかった。それどころか、少し泣きそうな笑顔を浮かべてメナスを見上げた。
「んで、その反乱やらなんやらの鎮圧をしたのが、あんただろ。聞いたぜ」
するとメナスの眉が僅かに動いたので、アインはそれに気を良くして口端を吊り上げた。
「ありがとう」
「我はディアナの娘の決意に敬意を表したまでだ」
「素直じゃねえなあ」
メナスはやはり不機嫌そうな顔でいたが、纏う空気は若干和らいだように見えた。
「……でさ、聞きたいんだけど」
「もう十分聞いたのであろう?」
「いやいや、風に聞いた噂話とかじゃなくてさ」
「……娘と、あの小僧のことか」
「…………ああ」
ヘリオスとトエイが消えた。
民も、城の兵も、そうとしか聞いていなかった。
それというのも、この近寄りがたい竜が、ただ一言「消えた」とだけしか、皆に告げていないからなのだ。
噂は噂を呼び、「王はディアナと百年の眠りについた」「ディアナは新たな仲間を求め旅立った」などと半ば空想めいた話ばかりが国に広まっている。
真実を知るのは、メナスのみ。
アインは藍色の視線をじっと彼に定めた。
「恐らく小僧は死んだ。そして娘とともに消えた。それが全てだ」
「それじゃ分かんねえよ……」
「我にこれ以上何を言えというのだ」
「詳しくっつうか……なんでトエイは消えたとか……なんかあんだろ……!?」
アインは行き場の無い手で髪をくしゃりと掴み、目を泳がせながら苛立ったように天井を仰いだ。
消えた。死んだ。
受け入れたくない結果ばかりがただひたすらに突き付けられる。
それから逃げたいばかりに、アインはメナスに問い掛けているのだ。
「消えるってなんだよ……ヘリオスもトエイもいないって、訳わかんねえよ……」
残っているのは、広大な土地に広がる水の絨毯。
そのじたばたと足掻く様子をただ見つめながらも、メナスには彼の意が汲み取れなかった。
「娘は消えた。小僧は死んだ。……それだけなのだ」
勘弁してくれ、とメナスは息を吐く。
ふと、アインは足掻くのをやめ、目を覚ましたかのようなはっきりとした視線をメナスに遣った。
「消えた?」
「消えたと言ってもだな」
「トエイは生きてるんだな!?」
アインは揺らすように強く、メナスの両肩を掴んだ。
そこでようやく彼の意図することに気付いたメナスは、様々な思考を巡らせ、その中で、自分にとって最も適切な答えを出した。
「ディアナの娘を追い掛ける気ならばやめておくことだ」
「……なんでだ?」
図星を突かれたアインは、両肩に置いていた手をだらりと下に降ろし、唸るように問い掛ける。
「あの娘は元々水に還る気でいたのだ。己が命を代償に、この国を救う為にな」
「……薄々、分かってたよそれは。でもヘリオスがいるなら、そうはならないと」
「確かに、小僧は娘を助けた。だが、物語はそこでは終わらなかった。小僧は己の所業の報いを受け、倒れた。それもまた、貴様らの行いが生んだ結末だ」
メナスはまるで、一枚隔てた壁の向こうで話すかのように他人めいている。微塵も気遣いを見せないメナスに、アインは思わず拳を振り上げそうになったが、彼はそこまで幼くはなかった。
もう、物語は終わってしまったのだ。
蘇り豊かになった国土には優しい風が吹き、何ひとつどうにも出来なかった自分の無力な体を、やけに優しく擦り抜けていく。
情けない。情けなさすぎる。
守れた筈なのに、守れなかった。
「……俺は………………どうすれば……」
アインがそう呟いた瞬間、今まで一歩離れた見解を示していたメナスが、初めて輝きを持った瞳を彼に向けた。
「名は、アインと言ったな」
「な、なんだよ」
メナスはアインよりも背が少しだけ高い。気の済むまでじろじろと見た後、メナスはアインの胸元に手を遣った。
瞬間、アインの心臓あたりが何かに鷲掴みにされたような強烈な痛みと、燃えるような熱を帯びた。
「っあああ!?」
苦しむアインを冷徹に見つめながら、メナスはそこにある物の存在を確かめるように、指を動かしている。
「……やはりな、双子で炎と水を分けていたか」
「ッ……! ……な、なんだよ!?」
訳の分からないアインは、すぐにメナスの手を振り払い距離を取った。
「お前は我らマグナの血を色濃く引いている。真、遺憾だがな」
「……だからなんだ? やっぱ俺を殺すのか?」
するとメナスは、その返答に対し侮蔑にも似た笑みを見せた。
「ディアナの娘の意を無下にはせんと言った筈だ」
「じゃ、なんだよ」
「お前を守護してやろう」
予想だにしていなかった言葉に、アインは馬鹿のように目を見開き、あんぐりと口を開けた。
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