月が導く異世界道中

あずみ 圭

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五章 ローレル迷宮編

予習でした

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「もう空が白んでる。はぁ、こりゃ徹夜だ」

 大迷宮の入り口から少し外れた場所。
 到達した階層と行き来するのに使うポータルがある場所に戻ると、遠くの空がかすかに色づき始めていた。
 白む、というには少し早いかもしれない。
 その後にこぼれた徹夜って言葉の方がメインだったからあまり気にせず言ってしまった。
 これから宿に戻って現時点での考えをまとめて、それから気晴らしに弓を引いて……。
 うん、間違いなく朝になる。
 何日か寝なくてもどうとでもなるのもまた確か。
 若さってやつのおかげだろう。
 こういう時ばかりは若くて良かったと素直に思える。
 普段は経験不足や能力不足を感じる事が多いから若さを喜ぶ場面はそれほどないんだよな、僕って。

「じゃ、千尋に戻りましょっか」

 一緒にポータルを使ったアカシさん、ユヅキさんの両名に声を掛ける。
 アカシさんはさっきまでは土気色した駄目な顔色をして壁に手をついては顔を下に向けて上下させている有様だった。
 では今はどうか。
 真っ青な顔をしてユヅキさんに肩を借りている。
 無理もない。
 あれから徐々に記憶の混濁が治っていって、自分が誰の為に何をしていたのか、それを思い出したんだから。
 まだ見ぬご主人様の為に、アカシさんは仲間を増やそうとした。
 ユヅキさんや、いろはちゃんやショウゲツさん達を。
 しかも追い討ちをかけるように、それを命じたのは今回の騒動で心強い味方になってくれそうだったいろはちゃんのお母さんのハルカさん。
 色々たまったもんじゃないよな。
 力になってもらおうと探していたのに、誘い込まれた挙句に無理矢理寝返らされた訳だから。

「オレ、なんて事を……」

「アカシ、今は戻って休む事だけ考えてなさい」

 でもアカシさんはまだいい。
 記憶を振り返ってみても、魅了されてからまだ大して時間経過がない。
 智樹の為にと誰かを積極的に傷つけたり、殺めたりはしていない。
 だから……多分まだ戻れる。
 大丈夫だと思う。
 僕が殺した三人は、とっくにあいつの為に人を殺してた。
 三人が三人ともそれを元々何とも思わないクズならそれでも……まだ戻れると僕も思っただろう。
 けれど彼女達は違った。
 皆、強い信念と理想を持った女性ひと達だった。
 だからこそ『手遅れ』だったんだ。
 魅了を解く意味がそもそもない。
 解除したところで、奇跡でも起きなければ結局……。
 ……。
 あれ?
 なんで僕はそれをあの一瞬の攻防で……?
 うーん、また巴の力が流れ込んだのか?
 ちょくちょくあるんだよな。
 意図的に、コントロールして使えればかなり役に立つのに、それは未だに出来ない。
 うん、わかる。
 改めて思い出してみると、記憶というか知識というか、僕には三人の大雑把な生い立ちが把握できていた。
 いうなれば自分の部屋に知らない引き出しがこっそり増えていたような、奇妙な感覚だった。
 あの三人組、元々は帝国貴族のご令嬢。
 帝国の現状、特に周辺国との関係について深い懸念を持っていて、至極真っ当な方法で正々堂々と中央への意見を通そうと努力していた。
 ただ帝国に智樹がいたってのが彼女達の不幸か。 
 あ、これがピオーネって人か。
 確かにこりゃ恨まれるわ。
 親友を僕が殺しちゃったんだもんな。
 というか、こんな方法でピオーネって女性の顔を見る事になるとは。
 実際会った事もないのに、僕の頭の中には彼女の姿が既にあって笑ったり泣いたり怒ったりしてる。
 実に不思議な。

「化け物か。確かに、どんどん人間離れしてくのは自分でも実感するな……」

「え?」

「何でもありません。行きま……ん?」

 ふと、自分に向けられる視線が語る単語について呟きが漏れた。
 ユヅキさんが目聡く反応したものの、流す。
 別に他人に聞いてもらう話でもないから。
 今度こそ宿に戻ろうと二人を促した時、知った気配がポータルに生まれた。
 お、一石二鳥的なやつ。

「ほれ、戻るぞ。暗いうちに寝床に戻っておかんといらぬご心配をかける」

「何とか間に合ったな」

「しくしくしく。こんなのブラックですよ。ブラックホールですよ、底無しなんですよぉ」

 何やらお急ぎの三人組。
 うち一名は非常に不本意なご様子。

「ベレン、ホクト、シイ。こんな時間に何をしてるんだ」

『げえっ、若様!!』

 ……。
 何故かどこぞの天才軍師とか美しいひげの武将を思い出す反応だな。
 げえって。
 
「まさか、迷宮で特訓とは言わないよね?」

「あー、いえ。そのですな」

 不明瞭なベレン。

「どうご説明すれば良いか」

 同上のホクト。

「私に関しては拉致と言わざるを得ない」

 明瞭だけど、多分正解じゃないシイ。

「ベレン?」

 再度聞く。
 別に怒ってはいないし、純粋に何をしていたか聞きたいだけだ。
 口調も最初から特にきつくしてない。

「敢えて言いますと、恥ずかしながら予習、と申しましょうか」

 予習?
 ホクトもベレンのその言葉に頷いている。
 シイは憮然としてため息をついていた。
 続きは彼女に聞いてみるか。

「シイ、何をしてた?」

「よくぞ聞いてくれました、若様! 酷いんですよ、この二人。嫌がる私を亀甲的に縛り上げて迷宮に拉致したんです」

『っ!?』

「ほうほう、それで?」

 亀甲云々とか拉致とかはとりあえず置いておいて話させてみる。
 ベレンとホクトがシイに注ぐ視線を見るに、何か事情があるんだろうし。

「実の所、私達、今日の最後の方は結構きつかったんです。主に私とベレン殿が。でも明日から、ってもう今日よ、スイミンジカンガー!」

「続き」

「かといってベレン殿の傑作シリーズとか持ち込むと迷宮を傷つけかねないし、単独行動はこれからもマストになるしって事で」

「うんうん」

「若様達にご一緒させてもらう前に事前に予習しておこうってベレン殿が言い出したんです。それで夜抜け出す事に」

 なるほど。
 じゃ一応、亀甲とか拉致についても聞いとくか。

「なるほど、よくわかった。で、拉致とかってのは……」

「私はまだ本気出してないから大丈夫だって事にして寝ようとしたんです! 多分明日位はまだギリで何とかなりそうだったし。なのにホクトっちが何とか流縛術とかってので私を一瞬でえびぞりに縛り上げて迷宮に連行したんですお!」

 ですおってお前。
 
「シイ、大丈夫だ。気にしていたようだが、お前はまだ十分スリムで軽かったぞ。筋肉に不安を抱く事もない。魅力的だとも」

「うるさい! 誰の入れ知恵か知らないけど、同じ事を何度も繰り返したって駄目なんだからね!?」

 ……ホクトが担いだと。
 で、軽かったとシイをフォローしたのか。
 同じセリフで何度か、しかもシイとしては拉致を怒ってるだろうに。
 ずれてるな。
 ま、この辺りは僕も人の事は言えない。

「若様! 勝手な真似をして申し訳ありませんでした! ですが、どうか迷宮には我々をお連れ下さい。必ず――」

「もちろん、そのつもりだよベレン。何も気持ちは変わってない」

『!』

「予習の成果も期待させてもらうよ。ただし! 体調に影響が出る程の無茶は許さない。わかったね」

 しかしまあ。
 楽勝でついてきてると思ったのは、僕の勘違いか。
 ベレンとシイは実は結構きつく感じ始めてたと。
 シイの言葉を信じるなら彼女は次の探索位までなら特に事前の準備もなく挑めそうだったみたいだけど。
 ベレンも秘蔵の武具を遠慮なく持ち込みまくれば、まだまだ余裕だろう。
 かなりとんでもな武具もあるからそれは僕にもわかる。
 ただ今回持ち込んだ範囲の武器を使っての戦いだとこの辺りがきついのか。
 迷宮を労わる必要とベレンを労わる必要なら天秤にかけるまでもない。
 彼については持ち込む武具の選別をやり直してもらってベレンver.1.1で活躍してもらうのもいいな。
 あまり無理な予習で負傷したりして欲しくない。
 皆で歩きながら千尋万来飯店に戻る途中で聞いてみたところ、ホクトは戦闘は特に問題ないものの、ハイペースでの探索とマッピングの両立が難しくなってきていたとの事だった。
 シイも、明日からなら予習が必要かもしれないと思っていた模様。
 三人とも、何かしら感じるところがあったみたいだ。
 こういうのは、僕が気付いてフォローすべきところだったかもしれない。
 マッピングは澪に手伝ってもらってもいいし、武器については迷宮に最適化したものを再選定すればいい。
 シイについても森鬼のアクエリアスコンビから何かアドバイスさせてみてもよかった。
 亜空と、それを利用した手厚いバックアップは僕らの大きな力の一つ。
 迷宮の中だと一部制限もされてしまうけど、ずっと中にいる訳じゃない。
 しっかり活用していかないとな。

『ありがとうございます!!』

「こっちこそ、頑張ってくれて助かってる。ありがと」

 商会の従業員としても働いてくれている皆への配慮が足りてなかった事を実感しつつ。
 僕らは宿に戻った。
 こんな時間なのに入った途端結構な人数の人におかえりなさいませとか言われて衝撃を受けた。
 凄いな千尋万来飯店。
 二十四時間全力稼働か。





◇◆◇◆◇◆◇◆





 警固けごのおやしろ通り。
 奥へ進むとローレルではかなりの数存在している精霊信仰の寺院、キシモ寺院の一つがある。
 通常のキシモ寺院には存在しない地下エリアを有するここは、今は信仰以外の用途に使われていた。
 ここを根城とする者達に限れば信仰以外、ではなく新たな信仰の場と呼ぶのかもしれない。
 愛し、崇拝すべき新たな存在。
 帝国の勇者である岩橋智樹の存在と力を教え広める拠点なのだから。

「アカシが失敗したようです。仔細はまだわかりませんが、マンジュからの連絡が途絶えました」

 紫煙くゆる地下の広間で事の報告がなされていた。
 マンジュとは先ほど真が踏み込んだ怪しげな酒場の名だ。
 報告を聞いていた女は、悲しそうに首を横に振った。

「ようやくいろはにもあの方を教えてあげられると思っていましたのに。やはり日の浅いアカシにだけ任せるのではありませんでしたか」

「ハルカ様……」

「出来るだけ穏便に、機会を探しなさい。急ぐ必要はないわ。これまでまつりごとの場に出てこなかった、右も左もわからないあのに何が出来るものでもありません。それからアカシも死んでなければ回収しておきなさい。まだ使えるでしょうから」

「はっ」

「本当にもう。民も政も、智樹様に差し上げお任せすれば誰もがこんなにも幸せに過ごせるというのに。我が娘ながら困った娘。ねえ、知らぬというのは本当に哀れ。貴女もそう思うでしょう?」

「はい。智樹様を知らぬまま過ごす命など、無価値です」

 陶然とした様子でハルカの言葉に答える報告者。
 目に一切の迷いはなく、言葉に疑いもない。
 心底からの発言。
 問いかけたハルカも同感だと言わんばかりに微笑んだ。

「隷属の快感、というやつかね。ハルカ」

「……無粋ですねえ、コウゲツ様は」

「今割り込んでおかんと、また下らん乱痴気騒ぎになろうが」

「智樹様への愛慕の情を、否定なさるのかしら?」

 これまでのどこかとろんとしたハルカの瞳に、鋭い敵意と殺気が生まれる兆しが含まれた。
 この場を訪れたばかりの男、コウゲツは肩をすくめて首を横に振る。

「まさか。聞いているだろう。私はその智樹様の協力者、だ。つまり君らの味方だな。私が言いたかったのは、すべき事をしてから存分に彼への愛に溺れてくれというだけの事だよ」

「すべき事ですか。この街も、周辺の都市も。刑部家の実権も。既にほぼ貴方の掌中でしょう? 私も、智樹様への愛を示す為コウゲツ様への協力は惜しんでおりませんが」

「そこだよ、ハルカ。ほぼ、という所が問題だ。まだ完全ではない」

「殿方はそうやって何事もお急ぎになる。これ以上はいろはの父親が亡くならない限り進めるべきではありません。彩律にも疑われぬ様にあくまでも自然に見える死に方をしてもらわないと後が面倒になりますから」

「……いろはの父親、か」

 コウゲツがハルカの言い様に僅かに目を伏せる。
 彼女の言葉、夫と呼ばなかった事に二つの意図を感じたからだ。
 一つはいろはの「本当の父親」が誰かという意図。
 もう一つは、確かに愛した男の一人だったというのに自分との関係を遠く表現するような言い回しをした事。

(当時、二人の悲恋は刑部の重鎮の間では誰もが知るものだったのだが……勇者の魅了とは恐ろしいものだ。一度落とされてしまえば、いろはの父が現当主である事の暴露も、彼に確実で露見もしない毒を継続的に投与し死に至らしめる事も、喜んでやってのけるのだから)

 コウゲツは帝国との協力関係を、本心から望んではいない。
 彼自身は勇者の魅了に今のところ抵抗しており、帝国を利用するだけ利用して刑部家の実権を握ってからはハルカをはじめ全員を排除するつもりでいる。
 魅了という力のもたらす影響に、コウゲツはしっかりと脅威を感じていた。

「ええ、父親。たかだかもう数か月、お待ち下さいな。それから貴方の息がかかった子を当主にするなり、ここにいる姫の誰かを新しい当主に嫁がせるなりして操ればいい。面倒なのはもう始末するか智樹様の愛を教えてあるのだから何の心配もありません」

「クズノハ商会というイレギュラーはハルカも知っているだろう。彩律との関係を考えても刑部に何らかの意図は持っているに違いない」

「それが急ぐ理由ですか? 放っておけばいいのですよ、あのような連中。いろはの知る事情など知れています。従ってあれに協力するクズノハ商会に出来る事も知れています」

「では刑部本家の血筋で魅了も始末も出来ていない唯一の娘に、彩律の息がかかった外国の商会が接触したのは、全くの偶然だから気にするなと?」

「はい。状況はもう随分前に詰んでいます。私達はもう勝っているのですから。ほら、この間の無影の娘達みたいに無理に関わらせて無駄に死なせる事はありません」

「……そうか」

 無影クラスの駒を使っての暗殺失敗。
 しかもいろはを狩るどころか何故か商会の代表、ライドウに向かっていって返り討ちだ。
 正確には彼女達の暴走であって、コウゲツのヘマではないとも言えるが失敗は失敗。
 貴重な駒を無駄に失ったのもまた事実。
 ハルカが言葉に忍ばせた棘はコウゲツの追及を中断させるだけの効果を発揮した。
 苦々しい表情を浮かべたコウゲツは短く相槌だけで応じると踵を返した。

「お帰りですか?」

「ああ。また来る」

「程々になさって下さいね。私は一応、行方不明の身なのですから」

 にっこりと笑うハルカ。
 コウゲツはそれに応じる事なく、足音だけを響かせてその場を後にした。

(あの女傑をよくもああまで壊せたものだ。人をこうも狂わせる力を躊躇いもなく使う勇者か。利用だけとて、してよかったものか……。いや、迷うな。全て刑部家の為、私自身の正義の為。どのみちもう、戻れるものでもない……)

 智樹の力で変質したハルカの、昔よく知る彼女本来の姿を思い出してコウゲツはその信念が揺らぎかけるのを感じた。
 だが即座に生まれた迷いと揺らぎを切り捨てる。
 クズノハ商会への次の手を考えながら。
 彼もまた暗い朝の帰路についた。



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次回更新は7/31を予定しています。
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