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五章 ローレル迷宮編
雨語り
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翌日は生憎の雨だった。
今日という日がカンナオイの街にとって良き日にはならないだろうと簡単に想像できるだけに、せめて天気だけでも快晴であってほしい。
そんな僕の願いは、傘があっても外出を控えたくなる土砂降りの雨によって見事に打ち砕かれた。
「水の精霊のせめてもの嫌がらせか……それとも、これも遣らずの雨、なのかもな」
ただし想い人の帰りを引き留めるんじゃなく。
否応なく動き出してしまう未来を拒絶する。
進むことを拒むように降り続ける雨の中を、魔力体のおかげで濡れずに進みながら目的地に到着する。
考えてみると雨の中を進んだりするとくっきり形がわかるってのは改善すべき点の一つかも。
ま、そうはいってもだ。
早朝とはいえまだ外は雨雲の所為もあって暗いし、このローレルで更に立て続けに僕の命を狙う動きはまずないだろう。
雨に打たれ白く泡立つように形を浮き上がらせる魔力体に今更な苦笑を浮かべつつ僕は中に入る。
……うん、見張りは大勢いる。
当たり前だ。
ここは牢で、中にいるのは昨夜このカンナオイを襲撃した逆賊の頭目なんだから。
眠らずに頑張っている警備兵の皆さんには魔術で少しだけ眠ってもらってと。
僕は彼女、ハルカ=オサカベが収容されている場所に辿り着く。
ここまで通り一遍の隠密行動はしてきている。
四方を天井まで届く柵に覆われた畳が敷かれた部屋、いや牢。
はー……、使われてる座敷牢なんて初めて見た。
そこにハルカはいた。そして、正座のまま顔だけを上げて僕を見ていた。
警備の人達はともかく、この人には流石に気付かれてた模様。
「おはようございます」
「何故……私を殺さなかったのですか?」
されど顔には出さず朝の挨拶をば。
返しはなし。
曇った、或いは濁った……そんな生気を失った瞳で僕を見つめた彼女は問いかけてきた。
額に魔力で生成した針を突き刺されたんだ、そりゃ本人だって死んだって思うよね。
実際いろはちゃんも最初勘違いしてた。
「貴女がいろはちゃんの母親だから。殺して蘇生させるより無力化した方が手間が少なかったから。あとは――」
「……」
「前に殺してしまって失敗したから。正直これが一番の理由です。ちなみに僕個人の意見としては今も貴女方を救う一番の手段は死なせてあげる事、ですけどね」
智樹の魅了は記憶を改竄するわけじゃない。
僕には他の何を犠牲にしても構わない程の異性への思慕や恋慕なんて、はっきり言って全く理解できない。
多くに優先すべき感情ではあれど、なりふり構わぬ至上の、とまでは……ね。
だが魅了された人々にとっては智樹に尽くす事が全てに優先する。
「あっちは失敗だったからこっちにしてみた、とでも言いたげですね」
「ええ、恥ずかしながらその通りで」
それまで生きた人生が色褪せ、智樹がそこに神の如く降臨するわけだ。
大切だった家族や友人、恋人が途端に色褪せて価値を失い、彼の為に行動する事で悦に浸る。
信頼を裏切って財産を奪って時には殺して。
嬉々として己から進んで。
正直。魅了を解いた所で、とっくに手遅れだと思う。
麻薬で全てを失って周りを巻き込んで破滅した人間が、ある時突然にその依存から解き放たれたとて、そこに一体どれ程の価値があるのか。
僕の想像でしかないけど、多くの人は現実を忘れる為に再び薬に手を出すか、或いは正気の内に自ら命を絶つのではないかと思う。
だから僕はあの三人を躊躇なく殺した。
彼女たちにとって終わりこそがせめてもの救い。
今でもあれが最上だったという僕個人としての考えは変わらない。
ただ……その殺すという選択が結果として僕らにとって非常にマイナスになったわけで。
戦わなくても良かった筈の強敵、始まりの冒険者を相手にする事になってしまった。
「……一応、礼は言っておきます」
僕の逡巡から何かを読み取ったのか、何となく嫌な間の後でハルカさんは頭を下げた。
正座からのそれは不思議と堂々とした雰囲気を発していた。
礼を言われる覚えなんてない僕は逆に委縮してしまう。
土下座されてる構図なんだけど、不思議と僕のが小さく感じる。
しばらくの時間をおいて頭を上げた彼女は表情に全ての憂いを湛えて僕をまっすぐ見据えた。
曇っていた瞳には静かな光が戻っている。
「礼、ですか。生きる事にまだ光を見出せると?」
昨夜仮死で無力化させた中で少なくとも彼女だけは、多分いろはちゃんが何を訴えようと死を選ぶと思っていた。
刃を交え戦って全力を受け止めたからこそ、そこには自信があったんだけど……。
礼を言うという事はハズレか。
ここからでも尚生きるという選択が出来るならそれは途轍もないメンタルの為せる偉業。
どんな希望を見ているのか、少し気になって聞いてみた。
「いいえ」
だがハルカさんは表情を変える事なく首を横に振った。
はて?
「?」
「貴方が私の自棄による自殺を止めてくれたおかげで、果たすべき役割の元、この命を使ってもらう事ができる。その御礼です」
……やっぱり生きるって選択肢は無かったか。
いろはちゃんには申し訳ないけど、これは仕方ないと思う。
立場がある女性でありながら、ハルカさんはあまりに派手に智樹の虜として動き過ぎた。
聞けば知る人ぞ知る女傑だった彼女だけれど、物静かな印象を伝え聞く割に今回の事件はあまりにもショッキングだ。
凶刃をもって殺めた人の数も、その策謀の危険性もカンナオイの事件史上類を見ない程。
口ぶりからして、法の裁きを受け刑部家のこれからの統治に残るだろう障害を少しでも減らそうという考えだろうか。
「逆賊として、法の裁きを受け罰としての死を受け入れると?」
「はい」
「……刑部家の為にですか」
「はい」
「……」
ハルカさんにさえその気があるなら、死を偽装して亜空を経由して荒野のベースのどこかにでも匿うなんて手もある。
そうすればいろはちゃんにもたまになら会わせてあげられる。
のだけど……彼女の表情がその可能性を真っ向から全否定する。
完全に死を受け入れて納得してしまっている。
匿ったところで、いずれふっと姿を消して二度と戻っては来ないだろう。
お裁きにどのくらい時間をかかるかはわからないけど、彼女の心変わりは……多分無い。
その死により意味を持たせられたって点では、僕があそこで殺さなかった価値はあった、のかなあ?
何か微妙にもやもやする。
「裁きは既に終わりました。明後日、私は処刑される運びです」
「!? 終わった? それは、随分と」
「昨夜は刑部家の主要人物も全員城に揃っておりましたし、裁き自体難しいものではありません。極刑は確実なのですから、あとは日取りを決めるのみ」
裁判はや!
時間がかかり過ぎるのもどうかと思うけど、事件の夜に裁きが終わるって物凄いな。
ハルカさん自体が既に全面的に罪を受け入れてるのも大きいのか。
彼女がやったのはクーデターそのもの。
やった事を考えればどれだけ情状酌量の余地があっても極刑は揺らがないのかもしれない。
日本でだと外患誘致罪みたいに法定刑が死刑しかないとか?
「明後日、今回のクーデターの首魁として民衆の前で、ですか」
「勿論。世を騒がせた大罪人、きっと私はローレルの歴史に残る最悪の大悪女」
最も効果的な処刑。
命の使い道、か。
となれば臥せってるらしい旦那さんが処刑を言い渡したりするのかも。
見せ物にして見せしめ、大国たるローレルの今後の治世にも関わる事だけに容赦なんて期待できない。
「……」
「しかし先ほどから、貴方はまるで昨夜とは別人」
「え?」
「人の心を、在り様を、儚い死への願いすら無遠慮かつ冷酷に袖にした苛烈な青年だったのに」
「う……」
艶やかな笑みを浮かべた遥歌さんが喉の奥で可笑しそうに笑いながら、僕を見つめる。
こういう死の覚悟を濃厚に漂わせる艶然さというのは苦手だ。
昨夜も何度も彼女はこんな顔をした。
袖にした、なんて物言いもやめて欲しい。
「今はまるで大人になったばかりの、慣れない社会に戸惑う坊やの様にも見えます」
「はは……」
「これ程までにがらりと。きっと死を扱う者の才能というものなんでしょうね。私にはそれがどうしてもなかった」
「どうでしょうか。僕が多少特殊なのは自覚もしているとこですけど。遥歌さんに欠けていたのは死と向き合う覚悟だけでは?」
「初陣に怯える新兵ではあるまいに」
「その怯えた新兵の心持ちのまま、多様かつ暴力的な戦の才能だけで戦場を蹂躙できてしまっただけ」
「……」
「昨夜ね、実は少し思ったんですよ僕」
「?」
「僕と貴女は少し似てると。貴女は怯えたまま、僕は理解できぬまま。けれど戦場での振る舞い方だけは迷いなくわかってしまうんだろうなって」
「っ、心外です。貴方などと同類だと冗談でも言われたくありません!」
「ですか。それは失礼しました」
「……ところで、御用件は? お帰りの挨拶にみえた訳でもありませんでしょうに」
おっと。
確かに、こんな雨にも降られた事だし逆に今日帰ってやろう、なんて思いはしたけど挨拶に来た訳じゃない。
正面から面会を望んでも叶いもするだろうけど、間違いなくカンナオイの人たちの心情を逆撫でする。
遥歌さんと少し話したいと思った僕に、周囲から聞こえた声はそんな類のもの。
ならこっそり早朝にでも、とこうしてまかりこした次第。
処刑云々は置いておいて魅了の事を少しね。
「魅了の事を少し聞いておきたいなと」
「どこまでも人の心を逆撫でる殿方ですね、貴方は」
「モノ自体についてはウチ、あ、そういえばちゃんと名乗ってはいませんでしたか。僕、何でも屋のクズノハ商会で代表をしていますライドウと申します。今回は彩律さんと娘さん、いろはちゃんとの縁でここまで関わる次第となりました」
「……こ、の! ……いいえ。刑部遥歌です。娘が世話になりましたね、ライドウ」
しまった。
ちょっと自己紹介のタイミング悪かった。
けど戦場で適当に名乗っただけというのも、何だか気持ちが悪かったんだよな。
「で、香水自体はこっちでも調べるんでいいんですけどね。ただ勇者の魅了を貴女は自力で破ったじゃないですか。どのあたりのタイミングで何を切っ掛けにしたのかと、個人的に気になりまして」
「帝国の策に落ちた経緯を根掘り葉掘り聞き出そうという訳ではないと」
「そっちはあまり興味がありません。今聞かずともどうせこの後お身内に詰め寄られて話すんでしょうし……十中八九ファンタジー版昼ドラ確定案件ですしおすし」
最後はボソリと本音を呟く。
思わず口を突いて出てしまった。
「は?」
「いえいえ。で、どうです? 僕と会った時には既にまともだった。おそらく娘さんと接敵した時にも。となると、宿に襲撃を掛けた辺り。うちの従業員ライムとレヴィが足止めをしてる間か、追撃の最中か」
じゃなきゃジン達が生き残れた訳がない。
「ああ、あの二人はやはり貴方の手の者でしたか。カンナオイの兵にしては強すぎましたものね。人ですらなかったとはいえ、殺めてしまった事、詫びておきます」
「戦場の常ですよ、お気になさらず」
「蘇生すら可能な商会だとしても、軽くはありませんか?」
「そもそも死んでませんから、二人とも。レヴィの方は色々抑えが利かなくなってて死にかねない勢いでしたけど、もう一人のライム、男の方はあれで結構冷静で」
「馬鹿な……」
「あれ、となると二人は見逃された訳じゃない? あの二人、もってるな」
「ですがあの戦闘で負った傷が、楔のように芯に残ってモヤを晴らしたのは確かです。いろはを追っている最中、どこかで大量の血を浴びた時に目が覚めたのを覚えています」
ライムとレヴィが彼女を正気に戻した、ってのは無しか。
でもその時の負傷が契機の一つだと。
単純に傷の程度なのか、何らかの属性が効果的だったのか……。
大量の血を浴びた時というのは、カンナオイの警備部隊の精鋭、ショウゲツって人たちを惨殺した時の事だろう。
巴が片足から蘇生させるとか影から蘇生させるとか血の海から蘇生させるとか、嫌がらせの様な面倒臭さだったとぼやいてた。
血の量は関係ないだろうな。
何百人か殺したら正気に返るとか魅了じゃなくて呪いだ。
女神の授けた力ならもっと性質が悪くて当然ってもんだ。
「ちなみにコウゲツって人と面識は?」
「カンナオイで古くから刑部家に仕える側近の一人です。当然私も世話になりました」
身近で親しい人物の殺害か。
それも切っ掛けに成り得そうではある。
ライムとレヴィの戦闘から仔細を調べてもらうとして、こちらも一応気にしておくか。
「ん、世話に。なるほど、ありがとうございました。ではもう、会う事も無いでしょうが」
期せずして処刑の事もわかったし、気になってた事も知れた。
十分だ。
「? 処刑には立ち会わず帰るのですか」
「事件に巻き込まれたのはあくまで偶然。僕らの用事はあらかた片付いてますので」
公開処刑なんて見て何が楽しいんだか。
生憎とそんな趣味はない。
だが続く言葉は僕からそのまま立ち去る気を奪い去るに十分な内容だった。
「見ていかれるべきだと思いますよ? いろはが私の首を刎ね、民の前で新たな為政者として高らかに名乗る瞬間なんですから」
「! いろはちゃんが、遥歌さんの首を? 何の冗談ですか?」
あんな幼い娘が母親を殺す?
いやいや、いくら何でも人選がおかしいだろ。
残酷が過ぎる。
「冗談でも何でもありません。刑部の現当主は、この事件で体どころか心を折られました。あの人はもうお仕舞でしょう。そして今回、事態を収束に導いた外部の協力者の多くを率いたのは我が娘いろは」
「……」
「歴史に名を遺す賢人が振るった名刀を携えこの地の為に戦場を駆けた幼い次期当主、婚約者にも支えられ国を裏切り羅刹と化した母を討ち果たす」
「何だそれ」
「悲劇の当主となるにはこれ以上ない物語でしょう? そして大きくは違っていない」
「馬鹿げてる。刑部家にだって処刑を担当する役職くらいあるでしょう?」
「ええ。いろはにその技量がなくば、彼らに「命じるだけでも恰好はついたでしょうが。幸いにも、あの娘はエインカリフという人の首程度容易く刎ねる刀を手に入れています」
あのクソ刀か。
エルダードワーフの主流とは大きく異なる作法で鍛えられた意志ある武器。
竜族と優れた武具を好んで食らう。
僕に言わせればあれは名刀どころか妖刀の類だよ。
目を離していた隙にいろはちゃんの守り刀を食って、勝手にいろはちゃんを主と定めてた。
……。
ああ、そういう事か。
つまり。
「改めて、感謝しますライドウ。貴方がたのおかげで私の命を最高の形で終わらせる事ができます」
「……」
病気に臥せって心まで折れたとかいうヘタレ当主も頭にくるけど。
それでも本来いろはちゃんは遥歌さんの処刑を口頭で命じるだけで済んだ。
けれど、この事件に僕らが干渉して解決した事で大きく流れが変わる。
いやクーデターがそのまま成功していたら、ローレルを真っ二つに割りかねない最悪の事態だから。
凄く嫌な感じは残るけど現状はベストではなくともベターではあると思う。
結果的にいろはちゃんが当主という名の神輿として、最高の環境を得てしまっているのだとしても。
「親馬鹿ではありますが、あの娘には当主としてそこそこの才気を感じるのです。些か厳しい教えになりますが、これで最後、母の命をもっての事。いろはも受け入れてくれました」
何が受け入れてくれました、なんだ。
何から何まで大人の都合ばかりじゃないか。
ショウゲツやら側近どもは何をしてるんだ一体。
いろはちゃんが年の割にませているのは事実だろうし彼女が当主に向いてないとは僕も思ってない。
でもそれとこれとは話が別だと思う。
「イズモ君も貴方という講師が存分に鍛えてくれました。これも嬉しい誤算です。許嫁として申し分ない、いろはも彼を慕っている様子。あれなら悲しみも乗り越えられましょう」
お家の為に。
遥歌さんやここの人達の価値観は要するにそういうものなんだろう。
まるで江戸時代。
時代劇は好きだけど、こうして目の当たりにすると少し、辛い。
いくら何でも子に親を殺させる、なんてのはダークな時代劇でもそうそうあるもんじゃない。
何より。
今僕にこうやって話す遥歌さんは多少の当てつけのつもりもあるだろうけど、あくまでも副産物に過ぎない。
家の為にとしながらも、残されるいろはちゃんに出来る限りの何かを残そうとする母親としての本気の想いが根底にある。
それがやりきれない。
「ますます、見る気が無くなりましたよ。それじゃあ、警備の方が目を覚ます前にお暇します」
帰る前にいろはちゃんにツィーゲに来るか聞いてみても良い。
……いや、答えは正直わかってる。
でも一応ね、僕自身が納得したいってのもある。
「……さようならライドウ」
「……」
死に逝く人の澄んだ言葉。
背に浴びる言葉に何かを返す気はもうなかった。
「これで安心して……」
きっと少しでも僕にいろはという娘の事を印象付けて、何かにつけ気にかけさせる為に色々と挑発的な事も言ったんだろう。
安心して、の後に続く言葉は僕には拾う事も容易かったけど、敢えて聞かず。
もう二度と会う事はない女性がいる座敷牢を、振り返る事なく後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「生憎の雨だねライドウさん。実は雨男?」
「ヴィヴィさん。どうして外で話なんて。用事があればこちらから行きますよ?」
「派兵が決まったとなれば話は迅速に進めるのは我々のモットーでね。今日の夕方にはツィーゲに向けて発つ予定だよ」
「はっや! いくら何でも早過ぎませんかそれ!?」
ヤソカツイの迷宮のすぐそば。
迷宮の門前町みたく色々と店が集まった場所で。
僕はお目当てだった傭兵団のトップと待ち合わせていた。
巴と澪はもう少し買い物が残っている様で、ホクトやシイ、ベレンも忙しく動き回っていた。
故に僕は一人でこちらの打ち合わせを引き受けたのだ。
既にややこしい所は全部片付いた交渉だから一人でも全く問題無い。
「何しろ力で私たちをねじ伏せた依頼主からの、すっごく金払いも良さそうな依頼だもの。完全に一軍揃えて気合充分、この際攻めでも守りでも何でもやらせてもらう予定だよん」
「何か、すみません……」
特にアズノワールさんとの一戦を思い出してしまう。
後、やり過ぎてしまったピオーネさんも。
ドスドスと容赦なく突き刺される言葉のエストックが痛い。
「あ、嫌味とかじゃないよ。流石に今回の派兵にはピオーネは連れて行かないけど。純粋に荒野で鍛錬するのも良い時期かもしれないと思ったのが大きいんだ。君らの力を目の当たりにしてね」
「鍛錬」
「仕事の合間とか、契約終わりからでもね。さっすが現役の賢人率いるパーティとはいえさ、あそこまで有利な条件でフルボッコだもん、皆凹んでねー」
「う……」
「最後には心底崇める師匠たちまで負けちゃったでしょ? で! こりゃ今を生きる人として狭い世界でカビてる場合じゃないって、士気が上がりまくって皆奮起してるとこなのよ」
そういってヴィヴィさんはにっこりと笑う。
ピオーネの深い憎しみを知った後だけに、笑顔の真意を知っておきたい。
でも、すべて本心の様に聞こえてくる楽し気な言葉の数々に僕は半ば諦めた。
異常に切替が早い女性なのだとしても、分厚い仮面をかぶっているだけの芝居だとしても。
あれだけの傭兵団をまとめる人なのだ。
僕などには見抜けないのが道理か。
「幸いビア、ギネビアさんが送ってくれるっていうから明日の夜か明後日の朝にはツィーゲに到着できるかな。出迎えに関してはクズノハ商会から連絡をお願い出来る?」
「ちょ、超特急ですね。そうですか、ギネビアさん。彼女は転移みたいなスキルを持ってるんでしたっけ」
何とか回廊、って教えてもらった気がする。
「まともに行くより格段に楽なんだよね。気が変わらない内に急げや急げってのもあるよ」
「あははは、わかりました。あちらでの出迎えについては我々かレンブラント商会で用意させて頂きます」
「ありがとうございまーすっと。ようやく笑ったね。なんとも硬い表情してるんだから。何となく想像はつくけど刑部の家の事で何か聞いたんでしょう?」
「普段迷宮の底にいる割には情報が早いんですね、流石は傭兵団」
「まぁね。その件ならなるようにしかならない事だから下手に首を突っ込むべきではないよライドウさん。貴方には貴方のやるべき事が他にあるでしょ?」
「ツィーゲ、ですか」
「……そそ。とりま今日はピクニックローズガーデンとツィーゲが建設的な関係を築く記念日になるんだから。世の中プラスに考えていかなきゃ潰れちゃう、ってね」
だけじゃなく色々と、か。
はぁ。
ヴィヴィさんに思いっきり気を遣われている。
情けない。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「なんのなんの。この国は他よりも男の権利が強いけれど、恐いのは女の方だからね。遥歌といい彩律といい、ついでに私といい。まともに相手してると憑かれるぞライドウさん」
ふざけてるようで、心配してくれているようで。
個性的な人が多そうな傭兵団をまとめるだけあってヴィヴィさんも相当底知れない。
ああ、朝から抱えてた重苦しい気持ちが何となく軽くなったのを感じる。
「気を付けますよ、憑かれちゃかなわないんで」
「うんうん。巴さんと澪さんがいるもんな、君には!」
「……六夜さんから何か吹き込まれてます?」
まったくあの人も人の事を草食系だの奥手だのと。
わかってますよ、その所為で澪には随分きつい思いをさせたし。
「……君らの場合は吹き込まれるも何も。まあ、という事だからさ! これからよろしくクズノハ商会! こっちに残した面々には刑部いろはちゃんにしばらく付けとくから安心して」
「ヴィヴィさん……こちらこそ、よろしくお願いします」
「ノマとかヤマトとか、他にもヤバげなのは大概ツィーゲ組にいるから面倒も起きないからね、安心してね!」
「……ん?」
変わらぬ笑顔のまま手を振って迷宮に戻っていくヴィヴィさん。
頭を下げて見送ったまでは良かったけど、最後の、ん?
つまりツィーゲではそれなりに面倒を起こしそうな面子を連れていくって事?
……。
まあ、そこはいいか。
ツィーゲはお上品で静かな街ならともかく、良くも悪くも荒れ狂った嵐みたいなとこだもんな。
更に戦時下でもある。
さて、帰り支度も済んだ頃だろう。
宿に戻ろ。
今日という日がカンナオイの街にとって良き日にはならないだろうと簡単に想像できるだけに、せめて天気だけでも快晴であってほしい。
そんな僕の願いは、傘があっても外出を控えたくなる土砂降りの雨によって見事に打ち砕かれた。
「水の精霊のせめてもの嫌がらせか……それとも、これも遣らずの雨、なのかもな」
ただし想い人の帰りを引き留めるんじゃなく。
否応なく動き出してしまう未来を拒絶する。
進むことを拒むように降り続ける雨の中を、魔力体のおかげで濡れずに進みながら目的地に到着する。
考えてみると雨の中を進んだりするとくっきり形がわかるってのは改善すべき点の一つかも。
ま、そうはいってもだ。
早朝とはいえまだ外は雨雲の所為もあって暗いし、このローレルで更に立て続けに僕の命を狙う動きはまずないだろう。
雨に打たれ白く泡立つように形を浮き上がらせる魔力体に今更な苦笑を浮かべつつ僕は中に入る。
……うん、見張りは大勢いる。
当たり前だ。
ここは牢で、中にいるのは昨夜このカンナオイを襲撃した逆賊の頭目なんだから。
眠らずに頑張っている警備兵の皆さんには魔術で少しだけ眠ってもらってと。
僕は彼女、ハルカ=オサカベが収容されている場所に辿り着く。
ここまで通り一遍の隠密行動はしてきている。
四方を天井まで届く柵に覆われた畳が敷かれた部屋、いや牢。
はー……、使われてる座敷牢なんて初めて見た。
そこにハルカはいた。そして、正座のまま顔だけを上げて僕を見ていた。
警備の人達はともかく、この人には流石に気付かれてた模様。
「おはようございます」
「何故……私を殺さなかったのですか?」
されど顔には出さず朝の挨拶をば。
返しはなし。
曇った、或いは濁った……そんな生気を失った瞳で僕を見つめた彼女は問いかけてきた。
額に魔力で生成した針を突き刺されたんだ、そりゃ本人だって死んだって思うよね。
実際いろはちゃんも最初勘違いしてた。
「貴女がいろはちゃんの母親だから。殺して蘇生させるより無力化した方が手間が少なかったから。あとは――」
「……」
「前に殺してしまって失敗したから。正直これが一番の理由です。ちなみに僕個人の意見としては今も貴女方を救う一番の手段は死なせてあげる事、ですけどね」
智樹の魅了は記憶を改竄するわけじゃない。
僕には他の何を犠牲にしても構わない程の異性への思慕や恋慕なんて、はっきり言って全く理解できない。
多くに優先すべき感情ではあれど、なりふり構わぬ至上の、とまでは……ね。
だが魅了された人々にとっては智樹に尽くす事が全てに優先する。
「あっちは失敗だったからこっちにしてみた、とでも言いたげですね」
「ええ、恥ずかしながらその通りで」
それまで生きた人生が色褪せ、智樹がそこに神の如く降臨するわけだ。
大切だった家族や友人、恋人が途端に色褪せて価値を失い、彼の為に行動する事で悦に浸る。
信頼を裏切って財産を奪って時には殺して。
嬉々として己から進んで。
正直。魅了を解いた所で、とっくに手遅れだと思う。
麻薬で全てを失って周りを巻き込んで破滅した人間が、ある時突然にその依存から解き放たれたとて、そこに一体どれ程の価値があるのか。
僕の想像でしかないけど、多くの人は現実を忘れる為に再び薬に手を出すか、或いは正気の内に自ら命を絶つのではないかと思う。
だから僕はあの三人を躊躇なく殺した。
彼女たちにとって終わりこそがせめてもの救い。
今でもあれが最上だったという僕個人としての考えは変わらない。
ただ……その殺すという選択が結果として僕らにとって非常にマイナスになったわけで。
戦わなくても良かった筈の強敵、始まりの冒険者を相手にする事になってしまった。
「……一応、礼は言っておきます」
僕の逡巡から何かを読み取ったのか、何となく嫌な間の後でハルカさんは頭を下げた。
正座からのそれは不思議と堂々とした雰囲気を発していた。
礼を言われる覚えなんてない僕は逆に委縮してしまう。
土下座されてる構図なんだけど、不思議と僕のが小さく感じる。
しばらくの時間をおいて頭を上げた彼女は表情に全ての憂いを湛えて僕をまっすぐ見据えた。
曇っていた瞳には静かな光が戻っている。
「礼、ですか。生きる事にまだ光を見出せると?」
昨夜仮死で無力化させた中で少なくとも彼女だけは、多分いろはちゃんが何を訴えようと死を選ぶと思っていた。
刃を交え戦って全力を受け止めたからこそ、そこには自信があったんだけど……。
礼を言うという事はハズレか。
ここからでも尚生きるという選択が出来るならそれは途轍もないメンタルの為せる偉業。
どんな希望を見ているのか、少し気になって聞いてみた。
「いいえ」
だがハルカさんは表情を変える事なく首を横に振った。
はて?
「?」
「貴方が私の自棄による自殺を止めてくれたおかげで、果たすべき役割の元、この命を使ってもらう事ができる。その御礼です」
……やっぱり生きるって選択肢は無かったか。
いろはちゃんには申し訳ないけど、これは仕方ないと思う。
立場がある女性でありながら、ハルカさんはあまりに派手に智樹の虜として動き過ぎた。
聞けば知る人ぞ知る女傑だった彼女だけれど、物静かな印象を伝え聞く割に今回の事件はあまりにもショッキングだ。
凶刃をもって殺めた人の数も、その策謀の危険性もカンナオイの事件史上類を見ない程。
口ぶりからして、法の裁きを受け刑部家のこれからの統治に残るだろう障害を少しでも減らそうという考えだろうか。
「逆賊として、法の裁きを受け罰としての死を受け入れると?」
「はい」
「……刑部家の為にですか」
「はい」
「……」
ハルカさんにさえその気があるなら、死を偽装して亜空を経由して荒野のベースのどこかにでも匿うなんて手もある。
そうすればいろはちゃんにもたまになら会わせてあげられる。
のだけど……彼女の表情がその可能性を真っ向から全否定する。
完全に死を受け入れて納得してしまっている。
匿ったところで、いずれふっと姿を消して二度と戻っては来ないだろう。
お裁きにどのくらい時間をかかるかはわからないけど、彼女の心変わりは……多分無い。
その死により意味を持たせられたって点では、僕があそこで殺さなかった価値はあった、のかなあ?
何か微妙にもやもやする。
「裁きは既に終わりました。明後日、私は処刑される運びです」
「!? 終わった? それは、随分と」
「昨夜は刑部家の主要人物も全員城に揃っておりましたし、裁き自体難しいものではありません。極刑は確実なのですから、あとは日取りを決めるのみ」
裁判はや!
時間がかかり過ぎるのもどうかと思うけど、事件の夜に裁きが終わるって物凄いな。
ハルカさん自体が既に全面的に罪を受け入れてるのも大きいのか。
彼女がやったのはクーデターそのもの。
やった事を考えればどれだけ情状酌量の余地があっても極刑は揺らがないのかもしれない。
日本でだと外患誘致罪みたいに法定刑が死刑しかないとか?
「明後日、今回のクーデターの首魁として民衆の前で、ですか」
「勿論。世を騒がせた大罪人、きっと私はローレルの歴史に残る最悪の大悪女」
最も効果的な処刑。
命の使い道、か。
となれば臥せってるらしい旦那さんが処刑を言い渡したりするのかも。
見せ物にして見せしめ、大国たるローレルの今後の治世にも関わる事だけに容赦なんて期待できない。
「……」
「しかし先ほどから、貴方はまるで昨夜とは別人」
「え?」
「人の心を、在り様を、儚い死への願いすら無遠慮かつ冷酷に袖にした苛烈な青年だったのに」
「う……」
艶やかな笑みを浮かべた遥歌さんが喉の奥で可笑しそうに笑いながら、僕を見つめる。
こういう死の覚悟を濃厚に漂わせる艶然さというのは苦手だ。
昨夜も何度も彼女はこんな顔をした。
袖にした、なんて物言いもやめて欲しい。
「今はまるで大人になったばかりの、慣れない社会に戸惑う坊やの様にも見えます」
「はは……」
「これ程までにがらりと。きっと死を扱う者の才能というものなんでしょうね。私にはそれがどうしてもなかった」
「どうでしょうか。僕が多少特殊なのは自覚もしているとこですけど。遥歌さんに欠けていたのは死と向き合う覚悟だけでは?」
「初陣に怯える新兵ではあるまいに」
「その怯えた新兵の心持ちのまま、多様かつ暴力的な戦の才能だけで戦場を蹂躙できてしまっただけ」
「……」
「昨夜ね、実は少し思ったんですよ僕」
「?」
「僕と貴女は少し似てると。貴女は怯えたまま、僕は理解できぬまま。けれど戦場での振る舞い方だけは迷いなくわかってしまうんだろうなって」
「っ、心外です。貴方などと同類だと冗談でも言われたくありません!」
「ですか。それは失礼しました」
「……ところで、御用件は? お帰りの挨拶にみえた訳でもありませんでしょうに」
おっと。
確かに、こんな雨にも降られた事だし逆に今日帰ってやろう、なんて思いはしたけど挨拶に来た訳じゃない。
正面から面会を望んでも叶いもするだろうけど、間違いなくカンナオイの人たちの心情を逆撫でする。
遥歌さんと少し話したいと思った僕に、周囲から聞こえた声はそんな類のもの。
ならこっそり早朝にでも、とこうしてまかりこした次第。
処刑云々は置いておいて魅了の事を少しね。
「魅了の事を少し聞いておきたいなと」
「どこまでも人の心を逆撫でる殿方ですね、貴方は」
「モノ自体についてはウチ、あ、そういえばちゃんと名乗ってはいませんでしたか。僕、何でも屋のクズノハ商会で代表をしていますライドウと申します。今回は彩律さんと娘さん、いろはちゃんとの縁でここまで関わる次第となりました」
「……こ、の! ……いいえ。刑部遥歌です。娘が世話になりましたね、ライドウ」
しまった。
ちょっと自己紹介のタイミング悪かった。
けど戦場で適当に名乗っただけというのも、何だか気持ちが悪かったんだよな。
「で、香水自体はこっちでも調べるんでいいんですけどね。ただ勇者の魅了を貴女は自力で破ったじゃないですか。どのあたりのタイミングで何を切っ掛けにしたのかと、個人的に気になりまして」
「帝国の策に落ちた経緯を根掘り葉掘り聞き出そうという訳ではないと」
「そっちはあまり興味がありません。今聞かずともどうせこの後お身内に詰め寄られて話すんでしょうし……十中八九ファンタジー版昼ドラ確定案件ですしおすし」
最後はボソリと本音を呟く。
思わず口を突いて出てしまった。
「は?」
「いえいえ。で、どうです? 僕と会った時には既にまともだった。おそらく娘さんと接敵した時にも。となると、宿に襲撃を掛けた辺り。うちの従業員ライムとレヴィが足止めをしてる間か、追撃の最中か」
じゃなきゃジン達が生き残れた訳がない。
「ああ、あの二人はやはり貴方の手の者でしたか。カンナオイの兵にしては強すぎましたものね。人ですらなかったとはいえ、殺めてしまった事、詫びておきます」
「戦場の常ですよ、お気になさらず」
「蘇生すら可能な商会だとしても、軽くはありませんか?」
「そもそも死んでませんから、二人とも。レヴィの方は色々抑えが利かなくなってて死にかねない勢いでしたけど、もう一人のライム、男の方はあれで結構冷静で」
「馬鹿な……」
「あれ、となると二人は見逃された訳じゃない? あの二人、もってるな」
「ですがあの戦闘で負った傷が、楔のように芯に残ってモヤを晴らしたのは確かです。いろはを追っている最中、どこかで大量の血を浴びた時に目が覚めたのを覚えています」
ライムとレヴィが彼女を正気に戻した、ってのは無しか。
でもその時の負傷が契機の一つだと。
単純に傷の程度なのか、何らかの属性が効果的だったのか……。
大量の血を浴びた時というのは、カンナオイの警備部隊の精鋭、ショウゲツって人たちを惨殺した時の事だろう。
巴が片足から蘇生させるとか影から蘇生させるとか血の海から蘇生させるとか、嫌がらせの様な面倒臭さだったとぼやいてた。
血の量は関係ないだろうな。
何百人か殺したら正気に返るとか魅了じゃなくて呪いだ。
女神の授けた力ならもっと性質が悪くて当然ってもんだ。
「ちなみにコウゲツって人と面識は?」
「カンナオイで古くから刑部家に仕える側近の一人です。当然私も世話になりました」
身近で親しい人物の殺害か。
それも切っ掛けに成り得そうではある。
ライムとレヴィの戦闘から仔細を調べてもらうとして、こちらも一応気にしておくか。
「ん、世話に。なるほど、ありがとうございました。ではもう、会う事も無いでしょうが」
期せずして処刑の事もわかったし、気になってた事も知れた。
十分だ。
「? 処刑には立ち会わず帰るのですか」
「事件に巻き込まれたのはあくまで偶然。僕らの用事はあらかた片付いてますので」
公開処刑なんて見て何が楽しいんだか。
生憎とそんな趣味はない。
だが続く言葉は僕からそのまま立ち去る気を奪い去るに十分な内容だった。
「見ていかれるべきだと思いますよ? いろはが私の首を刎ね、民の前で新たな為政者として高らかに名乗る瞬間なんですから」
「! いろはちゃんが、遥歌さんの首を? 何の冗談ですか?」
あんな幼い娘が母親を殺す?
いやいや、いくら何でも人選がおかしいだろ。
残酷が過ぎる。
「冗談でも何でもありません。刑部の現当主は、この事件で体どころか心を折られました。あの人はもうお仕舞でしょう。そして今回、事態を収束に導いた外部の協力者の多くを率いたのは我が娘いろは」
「……」
「歴史に名を遺す賢人が振るった名刀を携えこの地の為に戦場を駆けた幼い次期当主、婚約者にも支えられ国を裏切り羅刹と化した母を討ち果たす」
「何だそれ」
「悲劇の当主となるにはこれ以上ない物語でしょう? そして大きくは違っていない」
「馬鹿げてる。刑部家にだって処刑を担当する役職くらいあるでしょう?」
「ええ。いろはにその技量がなくば、彼らに「命じるだけでも恰好はついたでしょうが。幸いにも、あの娘はエインカリフという人の首程度容易く刎ねる刀を手に入れています」
あのクソ刀か。
エルダードワーフの主流とは大きく異なる作法で鍛えられた意志ある武器。
竜族と優れた武具を好んで食らう。
僕に言わせればあれは名刀どころか妖刀の類だよ。
目を離していた隙にいろはちゃんの守り刀を食って、勝手にいろはちゃんを主と定めてた。
……。
ああ、そういう事か。
つまり。
「改めて、感謝しますライドウ。貴方がたのおかげで私の命を最高の形で終わらせる事ができます」
「……」
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「親馬鹿ではありますが、あの娘には当主としてそこそこの才気を感じるのです。些か厳しい教えになりますが、これで最後、母の命をもっての事。いろはも受け入れてくれました」
何が受け入れてくれました、なんだ。
何から何まで大人の都合ばかりじゃないか。
ショウゲツやら側近どもは何をしてるんだ一体。
いろはちゃんが年の割にませているのは事実だろうし彼女が当主に向いてないとは僕も思ってない。
でもそれとこれとは話が別だと思う。
「イズモ君も貴方という講師が存分に鍛えてくれました。これも嬉しい誤算です。許嫁として申し分ない、いろはも彼を慕っている様子。あれなら悲しみも乗り越えられましょう」
お家の為に。
遥歌さんやここの人達の価値観は要するにそういうものなんだろう。
まるで江戸時代。
時代劇は好きだけど、こうして目の当たりにすると少し、辛い。
いくら何でも子に親を殺させる、なんてのはダークな時代劇でもそうそうあるもんじゃない。
何より。
今僕にこうやって話す遥歌さんは多少の当てつけのつもりもあるだろうけど、あくまでも副産物に過ぎない。
家の為にとしながらも、残されるいろはちゃんに出来る限りの何かを残そうとする母親としての本気の想いが根底にある。
それがやりきれない。
「ますます、見る気が無くなりましたよ。それじゃあ、警備の方が目を覚ます前にお暇します」
帰る前にいろはちゃんにツィーゲに来るか聞いてみても良い。
……いや、答えは正直わかってる。
でも一応ね、僕自身が納得したいってのもある。
「……さようならライドウ」
「……」
死に逝く人の澄んだ言葉。
背に浴びる言葉に何かを返す気はもうなかった。
「これで安心して……」
きっと少しでも僕にいろはという娘の事を印象付けて、何かにつけ気にかけさせる為に色々と挑発的な事も言ったんだろう。
安心して、の後に続く言葉は僕には拾う事も容易かったけど、敢えて聞かず。
もう二度と会う事はない女性がいる座敷牢を、振り返る事なく後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「生憎の雨だねライドウさん。実は雨男?」
「ヴィヴィさん。どうして外で話なんて。用事があればこちらから行きますよ?」
「派兵が決まったとなれば話は迅速に進めるのは我々のモットーでね。今日の夕方にはツィーゲに向けて発つ予定だよ」
「はっや! いくら何でも早過ぎませんかそれ!?」
ヤソカツイの迷宮のすぐそば。
迷宮の門前町みたく色々と店が集まった場所で。
僕はお目当てだった傭兵団のトップと待ち合わせていた。
巴と澪はもう少し買い物が残っている様で、ホクトやシイ、ベレンも忙しく動き回っていた。
故に僕は一人でこちらの打ち合わせを引き受けたのだ。
既にややこしい所は全部片付いた交渉だから一人でも全く問題無い。
「何しろ力で私たちをねじ伏せた依頼主からの、すっごく金払いも良さそうな依頼だもの。完全に一軍揃えて気合充分、この際攻めでも守りでも何でもやらせてもらう予定だよん」
「何か、すみません……」
特にアズノワールさんとの一戦を思い出してしまう。
後、やり過ぎてしまったピオーネさんも。
ドスドスと容赦なく突き刺される言葉のエストックが痛い。
「あ、嫌味とかじゃないよ。流石に今回の派兵にはピオーネは連れて行かないけど。純粋に荒野で鍛錬するのも良い時期かもしれないと思ったのが大きいんだ。君らの力を目の当たりにしてね」
「鍛錬」
「仕事の合間とか、契約終わりからでもね。さっすが現役の賢人率いるパーティとはいえさ、あそこまで有利な条件でフルボッコだもん、皆凹んでねー」
「う……」
「最後には心底崇める師匠たちまで負けちゃったでしょ? で! こりゃ今を生きる人として狭い世界でカビてる場合じゃないって、士気が上がりまくって皆奮起してるとこなのよ」
そういってヴィヴィさんはにっこりと笑う。
ピオーネの深い憎しみを知った後だけに、笑顔の真意を知っておきたい。
でも、すべて本心の様に聞こえてくる楽し気な言葉の数々に僕は半ば諦めた。
異常に切替が早い女性なのだとしても、分厚い仮面をかぶっているだけの芝居だとしても。
あれだけの傭兵団をまとめる人なのだ。
僕などには見抜けないのが道理か。
「幸いビア、ギネビアさんが送ってくれるっていうから明日の夜か明後日の朝にはツィーゲに到着できるかな。出迎えに関してはクズノハ商会から連絡をお願い出来る?」
「ちょ、超特急ですね。そうですか、ギネビアさん。彼女は転移みたいなスキルを持ってるんでしたっけ」
何とか回廊、って教えてもらった気がする。
「まともに行くより格段に楽なんだよね。気が変わらない内に急げや急げってのもあるよ」
「あははは、わかりました。あちらでの出迎えについては我々かレンブラント商会で用意させて頂きます」
「ありがとうございまーすっと。ようやく笑ったね。なんとも硬い表情してるんだから。何となく想像はつくけど刑部の家の事で何か聞いたんでしょう?」
「普段迷宮の底にいる割には情報が早いんですね、流石は傭兵団」
「まぁね。その件ならなるようにしかならない事だから下手に首を突っ込むべきではないよライドウさん。貴方には貴方のやるべき事が他にあるでしょ?」
「ツィーゲ、ですか」
「……そそ。とりま今日はピクニックローズガーデンとツィーゲが建設的な関係を築く記念日になるんだから。世の中プラスに考えていかなきゃ潰れちゃう、ってね」
だけじゃなく色々と、か。
はぁ。
ヴィヴィさんに思いっきり気を遣われている。
情けない。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「なんのなんの。この国は他よりも男の権利が強いけれど、恐いのは女の方だからね。遥歌といい彩律といい、ついでに私といい。まともに相手してると憑かれるぞライドウさん」
ふざけてるようで、心配してくれているようで。
個性的な人が多そうな傭兵団をまとめるだけあってヴィヴィさんも相当底知れない。
ああ、朝から抱えてた重苦しい気持ちが何となく軽くなったのを感じる。
「気を付けますよ、憑かれちゃかなわないんで」
「うんうん。巴さんと澪さんがいるもんな、君には!」
「……六夜さんから何か吹き込まれてます?」
まったくあの人も人の事を草食系だの奥手だのと。
わかってますよ、その所為で澪には随分きつい思いをさせたし。
「……君らの場合は吹き込まれるも何も。まあ、という事だからさ! これからよろしくクズノハ商会! こっちに残した面々には刑部いろはちゃんにしばらく付けとくから安心して」
「ヴィヴィさん……こちらこそ、よろしくお願いします」
「ノマとかヤマトとか、他にもヤバげなのは大概ツィーゲ組にいるから面倒も起きないからね、安心してね!」
「……ん?」
変わらぬ笑顔のまま手を振って迷宮に戻っていくヴィヴィさん。
頭を下げて見送ったまでは良かったけど、最後の、ん?
つまりツィーゲではそれなりに面倒を起こしそうな面子を連れていくって事?
……。
まあ、そこはいいか。
ツィーゲはお上品で静かな街ならともかく、良くも悪くも荒れ狂った嵐みたいなとこだもんな。
更に戦時下でもある。
さて、帰り支度も済んだ頃だろう。
宿に戻ろ。
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