月が導く異世界道中

あずみ 圭

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五章 ローレル迷宮編

はうまっち駄剣

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 決意は微塵も揺らがなかった。
 僕は翌日の朝ご飯、巴が狂喜していた白飯、味噌汁、焼き魚に漬物という和食を皆と平らげた後にいろはちゃんと二人向かい合った。
 ……大分澪に粘られたけど、何とか二人になれたんだ。
 ここのとこ料理もさせてあげられてないし、どこかで澪の気晴らしも考えないとなぁ。
 ともあれ、いろはちゃんに僕の、クズノハ商会として彼女にしてあげられる事を告げた。
 格好良い事を言っているようで、前提として中宮の彩律さんに了解を取って、内容としてはツィーゲに匿って家に縛られない生き方をする選択を用意できるという様なものだ。
 このままだと彼女、いろはちゃんは間違いなく刑部の家に良い様に使われる事になるだろうから。
 当主としてなのか、ローレルの政争の一手としてなのか、それはわからないけれど。
 小学校も出ていないような少女の人生が、その手で母親を殺す事を強要された上で大人の都合で弄ばれる。
 何とも、理不尽だと思った。
 それさえ、あの座敷牢での遥歌さんとの会話で植え付けられた同情、かもしれない。
 ブレブレだ。
 まあ、多少色々とモノを考えるようになったところで僕は僕ってことだね。
 ヴィヴィさんにも巴たちにもかなり気を遣わせたようだし?
 ただ。
 いろはちゃんは僕の提案を心からの微笑みで一蹴した。

「いいえ、ライドウ殿。貴方に会って、救われて、共に過ごして。私は改めてこの身命の意味を知りました。確かに押し付けでは潰れましょう、重き宿業でしょう。でも私は自分でこの未来を、この身を捧ぐ場所を選び定めました。なればこれは業などではなく、我が望む未来。……此度は真にお世話になりました。このご恩、いろはは決して忘れませぬ」

 三指を突き、深く頭を下げる幼い少女。
 いや。
 この娘は、僕と同じ、それ以上に大人だ。
 違うな、大人になった、のか。
 初めて会った頃から見て、ああ……危うさが幾らか抜けたような。
 そんな気がする。
 
「そう」

「はい」

 自分が楽になりたいだけの、愚かな提案をしてしまった。
 ほんの少しだけ、情けなさを胸中に抱えつつ短く彼女の言葉に頷く。
 そして返ってくる、打てば響く良い返事。
 参った。

「いろはちゃんにはイズモも付いてるし、頑張れるってことか!」

 恋する乙女は強い。
 よく聞く言葉を事実として再確認した気分だ。
 間違いなく一因だし。

「ふぇ!? えの……は、はい、です」

 えの、ってなんだ。
 ふと僕が良く知るいろはちゃんに戻った。
 
「エインカリフも譲るしかなくなっちゃったもんね。強引なとこもご当主様向きかもしれないね、ふふふ」

 あの夜のどさまぎでエインカリフは一か八かの大博打でクズノハ商会じゃなくていろはちゃんに付いた。
 彼女の守り刀だった蛍丸を食って、契約を交わした。
 僕に持っていかれた所で適当な倉庫に放り込まれて、また日の目を見られないのだと思ったかららしい。
 でも折角ドワーフの里から出られたのに、なんて言われてもねえ。
 僕の手元にあっても、多分にあいつの予想通りの結末になっていただろうと思うだけに苦笑して聞くしかなかったな、あれは。
 蛍丸か。
 刀身の傷を蛍光で徐々に癒すとか……違うよね、本物じゃないよね。
 しかも、もう食べちゃって無いとか。
 考えると胃が痛い話題だよ、これ。

「ご、ごめんなさいです。あの時は全部夢中で、必死で」

「だろうね。別に責めてはいないよ。生き残っていてくれた。それが一番だからね」

「はい……」

 生き残って。
 その言葉はいろはちゃんに複雑な感情を呼び起こしたようだ。
 何故かまだ僕らの宿にいるいろはちゃんだけど、今は家中が大騒ぎしている時。
 しかも母親は死刑が決まっている上、手を下すのは自分だ。
 けれどさっきの言葉を聞いた以上、いろはちゃんがここにいるのは逃避じゃなくて何らかの判断の結果なんだろう。
 なら僕が口を挟むべきでもない。

「ああ、そうだ。カンナオイに着いてからも結局ドタバタしたままだったけど、僕が前渡した資料は読んでみた?」 

「! はい。カンナオイまでの道すがら立ち寄ってもらった村々。私が見聞きして確かめた事と、ライドウ様たちが確かめた実情の差。……勉強になりました」

 話題が変わるのはいろはちゃんにも有難い事だったのか、少しだけ彼女は身を前のめりにした。

「僕が渡した物が真実、とは限らないよ」

「え」

「なんてね。今回はそんな意地悪はしてないよ」

「……」

「でもね。時には自分が見聞きした事すら嘘なんて事もある。だから信用できる人物を見抜く、頼る事が出来る、或いはそんな人たちを育てられるというのは本当に大事な事なんだよ。これからのいろはちゃんにとってもね」

 ヒューマンの、いや、人の作る社会はどれだけ建前が綺麗でもその通りとは限らない。
 どうしたって制度の裏をつく、つこうとする人物は出てくるし堂々とアウトローを行く輩も必ずいる。
 街や国を成す程の群れになれば、必ず。

「……肝に銘じます」

「村人も、村長も好き好んで嘘を吐いた訳じゃない。彼らは彼らなりに、多めに税を徴収されても来年を迎えられるように保険をかけておきたいだけだろうからね」

「領主は、刑部家は信用されていないという事です?」

「少し違う。もちろん名君だと周知され、その通りの政が敷かれていればもっと正直に語ってはくれただろう。でも、それでも彼らは村の正確な数字は明かさないと思うよ」

「どうして、なのです?」

「彼らには彼らのルールがあるからね。暮らし、と言い換えても良い。十の収穫があったとしても、代官や役人には八と告げるのは、彼らなりの生存戦略の一つじゃないかな」

 実際、村の猜疑は結構強かった。
 いろはちゃんの聞き取りと実際の収穫や備蓄はかなり違った。実際には六くらいしか報告していなかったから。
 それは……これまでのカンナオイと村の関係によるものが大きい。
 刑部家そのものは嫌われているという程じゃなかったけど、末端の役人についてはあまり心証がよろしくない。
 それなりの賄賂も横行していた。
 余程の改革が為されなければ、十と報告が上がる日など来ないだろう。
 八なら良い方じゃないだろうか、とさえ僕は思う。

「生存戦略、ですか」

「いかなお殿様でも、村を丸裸にするまで厳しく調べて回るんじゃやり過ぎかもって事。治める側として人の数くらいは把握できるようにしておけば色々とやり様はあると思うな」

 情と法というのは匙加減が難しい。
 正解や最適解を求めようとする事こそが大事。
 なんてのは逃げになりそうな言葉か。

「今回の事でカンナオイはしばらく忙しくなってしまうのです。それでも近隣の村との保護と連携はこれからの街に絶対必要だと私は思うのです」

「うん」

 本当にしっかりした子だよ。

「けれど、村にはそれぞれ違う問題を抱えていたし性格も都との付き合い方も違いました。そして私は、決して選ばれた天才ではないのです。きっと全てに正しく答える事はできないのです」

「……」

 いろはちゃんと遥歌さんはそもそも適性そのものが違うんじゃないかな。
 卑下するような事はない。
 十分、ちゃんと自分で考えているんだから。

「お母様のような強さやカリスマは私にはありません。だから、ゆっくりいきます」

 もう一度、母と自分を重ねていろはちゃんは強く言葉を発した。

「うん」

「ゆっくり。私が朽ち果てる頃には、村と都で人が気軽に行き来して、収穫の八割を申告してもらえるように」

「そうだね、立派な目標だ」

「ライドウ様」

 ここ最近レンブラントさんが時折見せるような遠くを見つめる瞳で、いろはちゃんは僕を見据えた。

「なに?」

「私は、この身をカンナオイの都とローレルに捧げます……イズモ様と共に」

「うん、さっき君の決意は聞いた」

 少女のソレとは思えない程のものを。

「実は、私あの夜、刑部の家で宣言をしてきました。お家の決断の全てを受け入れますと」

 ……。

「イズモ様との結婚は多分確定だろうから、なんて打算も実は少しだけありました。でも言ってきました。どんな沙汰であれ全てを、と」

 重いなあ、重い。
 遥歌さんと会った時の胸と喉につかえるような、嫌な重いものが生まれる。

「……はぁぇ!?」

「へ?」

「すみません! そんなに辛そうなお顔をさせるつもりは無かったのです! ただ今後の事は決まった通り全力でやるから、決まるまで自由にしろ、と我が儘を吐いて全部をぶん投げてきたという笑い話だったのです、けど」

 いろはちゃんが僕の表情が少し曇ったのを見て慌てた様に訂正する。
 だが、その通りの意味合いだったとしても……彼女の言葉は笑い話には到底、ならない。

「……いやいや、笑い話なら昨夜の、着ぐるみバニーいろはちゃん、の方が破壊力満点だったよ」

 巴の一声でこの子結構無茶するんだよなあ。

「ふぅおっ! あ、あれは雰囲気に、濁流に呑まれて……」

 お酒は一滴も飲ませてないからね。

「しかししかし」

「?」

「こんな状況なのに私如き一介の商人の心情まで気配りをなさるとは流石は刑部家の姫君であらせられる!」

「ライドウ様?」

「いろは姫」

「は、はい」

「貴女の余暇に私めが出来る事は何かありますか?」

 休みだから、自由だから。
 だからここに来る。
 そんな訳がない。
 それだけで、彼女が、あれだけの覚悟をした姫が昨夜のバカ騒ぎを含めて僕らと共に過ごす訳がない。
 僕なんかが彼女にしてやれる事はさほど多くはない。
 けれど出来るだけの事を。
 ここにいる間に、出来るだけの事を。
 こんな小さな身体で僕を圧すほどの覚悟を示した彼女に。

「……お見通し、なのです。ライドウ様は凄いです」

 全く、全然。
 君ほどに凄くはない。
 ツィーゲで一生懸命生きているリノンといい。
 この世界の子供たちは早熟で強い。
 皆がそう在る訳ではないけれど、感動する。

「一つは何となくわかるな。当てようか?」

「いいえ! では、参ります」

「応、こられよ」

 芝居がかった口調に戻して。
 まあ一個はあれだろ、イズモだろ、どうせ。
 あの幸せ者め。
 いろはちゃんに相応しいレベルに鍛え上げてくれる。

「えっとですね、何故か私を助けに来てくれたロッツガルド学園の学生様方、ライドウ様の生徒様なんですが」

「ふむふむ」

「イズモ様を数日で良いのでここに残してくださいませ!」

「ですよねーウケタマワリー」

「え、へへへへ」

 もう真っ赤ですよ。
 ええもう爆発寸前ですよ。
 お幸せに! ですよ。
 万が一もあるし、彩律さんにも一応この二人くっついていいんですよね、って確認しとこ。
 
「あいつらが泊ってるのも実はここですし、話が終わったらどうぞお二人でごゆっくり」

 いちお、誰ぞつけておくかね。
 ここからの悲劇とか、ムカつくものがあるからね。
 うん、僕だって彼女にはここからでも幸せになってもらいたいと思う程度の情はありますとも。

「それと」

 ?
 はて、後は予想つかんな。
 迷宮関連かな?
 傭兵団引っ張り出しちゃったもんね。

「先ほどお話に出たエインカリフなのですが!」

 ……。
 ああ。
 あったな、エインカリフ。
 超忘れてた。
 ?
 いや待て。
 あの駄剣の事で一体何の話があると?

「はあ」

 色々考えながら実に間の抜けた相槌が出てしまった。

「賢人にして剣豪イオリの失われた愛剣ですが、何故か、何故だか私が今持っています」

「ですね」

 今思い返しても八割は駄剣に責任がある。
 考えてみると、一応は、歴史的な剣豪の所有していた剣で、しかもその人は賢人で、いろはちゃん的には大ファンなのか。
 あれか。
 刀剣女子が正宗とか村正とか兼定とか孫六とか。
 その辺りの有名な一振りを手に入れちゃったんですけど!?
 状態な訳か。
 僕としては蛍丸かもしれない蛍丸を食ってんじゃねーよ駄剣、って感じでしかなかったな。
 別に擬人化する訳でもなし。
 ……しないよね?
 姫を密かに守る刀剣が変じた隠密剣士とか。
 やばいな、巴が超好きそうなシチュエーションだ。
 エインカリフ風情は駄剣だけに駄犬辺りで十分だ。

「しかもライドウ様には無断で契約を交わしてしまいました!」

 うん、それも主に駄剣がね。
 そうか、わんこという事になってもそれはそれで良いな。
 良い立ち位置にいるなーあいつ。

「お、お、おおおおおおお」

 年齢相応の少女が目に大粒の涙を溜めて奇声をあげている。
 そういう性癖の人がいたら垂涎の光景かもしれない。

「……」

「おおおおおおお、お幾らになりますでしょうか!」

 ……おう。
 そうだ、僕商人だよ。
 すっかりあげた気でいた。
 ベレン経由でドワーフから献上されたものとはいえ、これはちょっとうっかりだ。
 躾のなってないダメなわんこですけど、根気よく飼ってやってくださいね。
 とか思ってたわ。

「エインカリフの、値段ですか」

「おそらくはローレルでも三本の指に入る名刀! ですがこうなってはお返しする訳にもいかず! しかもお相手は大恩あるライドウ様! 如何なる場合でも言い値で受けます所存なのです!」

 刀の相場はわからないけど、ツィーゲでの優秀な武器の価値で判断すればそこそこに高いだろうな。
 でも、うーん。
 お!

「いっそ、イズモとの結婚祝いで差し上げても……」

「あの、婚礼の祝いの品で武具を渡すのはローレルでは少しまずい事が……しかもエインカリフ級となりますともうそれはまずい事に」

 お国ルールか。
 珍しく中々良い考えだと思ったのですが撃沈。

「となりますと」

「値段などつけられないものである事は百も承知でご無理をお願いしますのです」

 本当に、面倒でしかない。
 エインカリフ、今の今まで一言も発さず会話に入ってこない辺りも含めて本当に面倒なヤツ。

「……じゃあ、カンナオイの」

「はい」

「賢人文化由来の物について、クズノハ商会に融通を利かせてくれますかね」

「?」

「酒だとか調味料だとか、料理や服飾、金属加工、まあ賢人の影響って結構この街もありますよね」

「ええ」

「そうした物の商取引と、後、製法その他含めて僕らに垂れ流して下さい。もちろんローレルではその知識、産物で商売はしないので」

 結構大きく要求してしまった。
 巴も澪もこの街にある物なら興味を引く物が多いだろうし、気になったら友好的に作り方を教えてもらえた方が有難いからね。
 
「それは、あの……今後もカンナオイと関係を持ち続ける事を前提に、なのです?」

「ええ、もちろん。必要な物があれば呼んでもらえれば担当の御用聞きが伺いますけど」

 いろはちゃんが大分目を点にしている。
 流石に街の名産品を製法ごと伝授して、なおかつ領主である刑部家の御用商人ってのはあくど過ぎだろうか。
 しかし具体的な金額をつけにくいし、カンナオイで欲しい物は多いけどそれが一点もの、というでもない。
 どちらかというと日用品中心にいろいろ欲しい。
 でもそれ全部目録にしたら……面倒くさ過ぎてクラクラする上に大した値段にもならない。
 多分ツィーゲで一点もののレア武器が出たらオークションで一瞬で抜かれていきそうな金額にしかならない。
 駄菓子屋さんでうん万円使いきれ、って状態である。
 想像しただけで大変である。
 まあ、呑んでもらうしかあるまい。
 元の技術があるなら、後はこれまでの亜空での研究含めてまずい部分をローカライズするだけで良いのだから皆にも楽をしてもらえる。

「ライドウ様」

「なんでしょう」

 商談に入るとやはり丁寧になってしまうのは、僕もやはり商人としても成長しつつあるという事だろう。
 癖、ってやつですね。
 レンブラントさんに結構鍛えてもらったもんな。
 物だけが製品じゃない、今回の要求もあの人から概念から大分教わった部分だ。

「失礼ですけど、算術、ご存知です?」

「ん?」

 何やら少し哀れな生き物を見る目で僕は見られたのですが。
 うっかりと駄剣からも同じような妙な感情を寄せられたのですが。
 ……何故だ!!
 ちなみに巴と澪は後日届いた刑部家の紋が入った新しい手形をひゃっほうと非常に喜んでくれました。
 だよね!?
 駄剣の始末料と考えれば凄い良い買い物したよね!?
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