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五章 ローレル迷宮編
伊達半纏と黒袴
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客人を迎え二人並んで正座するイズモといろは。
両名ともに黒一色の袴を身に纏い、特に背筋を伸ばす男の姿は普段の彼とはまるで様子が違う。
先日文字通りの死線を共に乗り越えた時とも異なるイズモに、呼ばれた仲間たち、ジンも戸惑っている。
「みんな、来てくれてありがとう」
「感謝するのです」
畳が敷かれた部屋で言われるままに、しかし床に直接座るという滅多にしない作法に落ち着かないジンと一同はイズモといろはから深々と頭を下げられた。
「……あー、そういうのはやめてくれって言っただろうに」
「まったくだ」
ジンとダエナが苦笑いを浮かべる。
ありがとう、の意味が今日ここに来た事だけに向けられていないのは、流石に皆に伝わっている。
時間だけで言えばさして付き合いは長くない。
だが濃さが違う。
若い彼らが学園でともに過ごした濃厚な時間と経験は、同じ師を持つ学生というだけではない「仲間」としての強固な絆を編み上げていた。
だから言葉にした二人以外も、態度で同じ返答を返す。
「ローレルに戻ってる所為か、どうにもケジメはきちんとつけておきたくてね。頭を下げて礼を言っておいてなんだけど、答えはわかってた」
イズモが学園にいる時のような柔らかな笑みを浮かべる。
「イズモ様!」
いろはは隣でその笑顔に見惚れて頬を染めつつ膨らませ、発言をたしなめる。
先ほどとは色合いの違う苦笑が向かいの面々に浮き上がった。
一人、アベリアはいろはを羨ましそうに眩しそうに見つめていたが誰に見られるでもなく。
「……で、用事はなに? そちらほどじゃないけど、こっちもバタバタしててさ」
「イズモ君はまだしばらくいるみたいだけど、私たちは今日識先生と一緒に学園に戻るから手短によろだよ!」
ミスラとユーノが妙に息が合った様子でイズモに先を促す。
明るい口調だが、イズモの雰囲気から色々と嬉しくない提案をされるのではと勘ぐってもいた。
予感するのは別れ。
イズモは今学園都市で一緒に頑張っている皆の隣にはいない。
彼は今いろは姫の横にいる。
このカンナオイと周囲一帯を治める、オサカベ家の姫。
そしてイズモの許嫁である彼女の横にだ。
「大丈夫だよ、僕は学園に帰る」
『!』
それはジン達全員が望んでいたイズモの答え。
「……今は、ね」
『……』
だが、それだけで答えは終わりではなかったようだ。
イズモは仲間たちの目を真っすぐに見て、迷いなく決意を口にしていく。
彼らの目に浮かぶ様々な感情に応えるように。
「この数日で、僕は自分の居場所がどこなのか、はっきりとわかった。それはローレル連邦であり、いろはの隣だ」
『……』
「どう生きたいのか、何がしたいのか、俺にとって……イズモ=イクサベという一人の人にとってソレは常に胸中に渦巻く悩みだった。生きながらにして誰かの思惑を感じない時などありはしなかったから。正直全部をここで告白するのはあまりにも恥ずかしくて耐えられそうにないから端折るけど」
「端折るんですか、そこを」
シフの静かな突っ込みを、ニヤリと笑って流すイズモ。
「最高の仲間と最愛の人の前だからね。俺の中で起きた革命を全部口にするなんてとてもとても。ただ、俺は答えを見つけたんだ。自分の生き方を決められた。見つからなかった俺自身のやりたい事も一気に沢山出来た」
「自分の事を俺っていうのも?」
アベリアの指摘に頷く。あの夜が明けて、イズモは僕、とは言わなくなった。
「それも一つだね。それからオサカベ家に婿入りしてイクサベをぶっ潰そうかな、とかカンナオイとロッツガルドの建築を学びたい、とか」
「さらっとおっかない事言ってんな、おい」
「先生に比べたらこんなの甘い甘い。そして何より」
ジンが家を潰す発言をきちんと拾い上げて確認すると、イズモは否定するどころか大した事じゃないかのように応じた。
誤魔化すでもなく自身の言葉を明らかな肯定の意思で再度明らかにして。
「向後、俺は、皆が必要とする助力を絶対に惜しまないと、決めたよ。ローレルに広く知られている古臭い考えに、初めて心から納得できた」
「……ローレルには、男は己の為でなく他者の為に力と命を尽くしてこそ生きる意味がある、という考え方があるのです」
イズモは言い終わると畳に拳をついて再び頭を下げる。
いろはが言葉が足りていないイズモの代わりにローレルの古臭い考えについてジンらに説明した。
しかし、重い。
大真面目に話しているのは十分にわかるが、これまた一つの当然として皆が一様に若干引いた。
「まあ全部」
顔だけを上げてジンらににっこりと笑顔を向けるイズモ。
「いろはの次に、だけどね」
『……』
なんとも言えない空気が両者の間に流れる。
「じゃあまた学園で。……いろは」
イズモが立ち上がる。
「あ、はい。皆様、此度の事イズモ様同様私も――」
「姫、そういうのもう大丈夫ですから」
「お前が言うかねイズモ」
ジンは呆れていた。しかし同時に満面の笑みを浮かべていた。
「そうですよ、イズモ様! 大丈夫とかじゃないのです!」
「じゃあジン、みんな。気を付けて帰る様に」
「識さんと一緒に転移するんだから気をつけるも何もないが」
「そうだった」
「……早めに帰って来いよ」
「わかってるって」
女中がジンらに帰りの案内をすべく入室するのを見て、イズモは最後の軽口を叩いて彼らを置いていろはと一緒に退室した。
板張りの廊下を足袋で歩く久々の感触はイズモにとって懐かしくもあり、そして気を引き締めさせるものでもあり。
もっとも気を引き締めさせているのはそれだけが理由でもなく、先ほどまでの年相応の表情とは打って変わったいろはの様子もそれを示唆していた。
「姫、申し訳ありません。このような事にお付き合い頂いて。どうしても今この時に、貴女に彼らと、彼らといる時の私を見ておいて欲しかった」
「イズモ様の最高の仲間であれば、私にとっても最高の仲間なのです。友人なのです。凄く、楽しかったのです。ありがとうございますイズモ様」
「……では行きましょうか」
「はい、一緒に」
「ええ、もちろん」
二人の進む先には白装束に身を包んだ遥歌が待っている。
清められたエインカリフが待っている。
断罪を望む民衆が待っている。
それでも。
並ぶ二人は臆さない。
確かな足並みで。
イズモといろはは立つべき場所へ歩を進めていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
大歓声がここまで伝わってくる。
一人の女性の首が落ちた。
大勢が見守る中での公開処刑だ。
処刑と歓声の二つが僕の中で一組のものとして上手く馴染まない。
かつて公開処刑が民衆の娯楽だった、そんな言葉をどこかで聞いた覚えがあるけど、実際に目にすると違和感が大きい。
死はただの終わりだ。
あそこに集まった人たちは死に一体何の楽しみを見出してるんだろうな。
僕は処刑の場からかなり離れた場所から見下ろす形で様子を見ていた。
巴と一緒に。
「ふむ、イズモ、でしたな。あの小僧、中々小癪な事を」
巴はニヤニヤしながら1キロほど離れた場所で行われた斬首の瞬間を思い返しているようだ。
確かに、数日前のイズモには技術的にも判断基準的にも到底やれそうにない事をした。
巴が名前を覚えても不思議じゃない、それだけの技を見せた。
……識が言葉少なに言ってきた生徒たちの成長、というのに説得力を与えているようにも思える。
それだけで今回の乱入劇に納得する気はないから識とも講師業の事とか話をしないとなあ……。
「小癪と書いて粋と読む。ってところか? その口ぶりだと」
「まあ、そのようなところです。儂は好きなヤツですな」
エインカリフを振り下ろすいろはちゃんの刃を包む様に。
薄く、だけど恐ろしく鋭い風が一秒と少し位の間生まれた。
いろはちゃんと同じく黒い袴に身を包んだイズモの魔術だ。
あそこで見ていた全員、遥歌さんの首はいろはちゃんに刎ねられたと信じているに違いない。
当事者のイズモといろはちゃん、それにエインカリフ以外は。
こういっちゃなんだけど、イズモにはまだ出来ない領域の芸当だった。
つまり、いろはちゃんの母殺しを止めた。
ただ……あれは。
もしかしたらいろはちゃんには「自分も同じ罪を背負いたいから魔術を付与させて欲しい」みたいに言いくるめたか?
あの子が自分の代わりにイズモにだけやらせるのも違和感がある。
ともかく、あんな役者じみた真似。
本当に、変わった。
ひょっとしたら遥歌さんだけは気付いたかもしれないが……最後の瞬間、あの穏やかな表情の意味は、考えても仕方ないか。
しかしあのイズモが許嫁の為とはいえ自発的に、自分には何の得にもならないリスクしかない行為をねえ。三日どころかほんの一晩でよく化けてみせたもんだ。
「そっか、あんまり構いすぎるなよ。ところで、遥歌さんの身体から出てきたモノ、見えた?」
「……若も見えておりましたか。常世とやらに行った代償ですかなぁ、おそらくは魂の一部ではないかと」
「だよな。正確にはあの人の魂と融合してた賢人の能力、ってヤツかね」
それぞれに色づいてキラキラしたものが、しばらく遥歌さんの遺体の周りを漂い、それから地面に沈んでいった。
「儂も同感です。地に溶け、沈み、フツのおる場所にまで辿り着き。いずれまた輪廻の中で誰ぞ相性の良い者が生まれ持って出てくるのでしょう」
「とうとうあの世にまで行っちゃったもんな。どうせなら日本に行きたかったよ、僕は」
死後の世界よりレアか、日本。
ああ、現代日本が果てしなく遠い。
ここローレルが微妙に和を感じさせるだけに若干いつもより強く、懐かしさを感じる。
「……」
「巴?」
「あ、いや。儂もいつかは江戸に行きたいと思いまして」
「……日本な。現代な」
こいつ、日光か太秦に連れて行ったら狂喜乱舞するんじゃなかろうか。
僕も好きな方だけど、正直一日はもたないと思う。
せっかくそっちに行くなら他にも見て回りたい所はたくさんある。
……そうだな、いつか。
巴を連れて行ってやりたいな。
「おお! そういえば、識は先ほど生徒たちを連れて一足先にロッツガルドに戻ったようで! いよいよこの国ともお別れの時が近づいてますなー! いやー、惜しい!」
イズモが処刑の執行人を務めるその姿を、ジン達は見ていない。
識もだけど、イズモがそれを望んだらしい。
……正直、その辺りの機微はよくわからない。
あいつのした覚悟や決意というのは、一体どんなものなのか。
僕はそれを知るべき立場にはないけれど、少し気になった。
だが今はそれよりも。
いい加減突っ込んでおくべき事がある。
「なあ巴」
「流石にちょっと苦しかったですかな」
「いやまず第一にお前のその格好はなに? いつになったら言い出すのかと待ってはいたんだけど我慢できなくなった」
いつも通りのラフな和装、の上に如何にも目を引く一枚を巴は羽織っていた。
いや似合うよ?
怖いくらい様になってますけどね?
絹地の光沢に豪奢な刺繍。
しかも裏地にまでびっしりと。
まあ、格好といえばイズモといろはちゃんが来てた黒一色の袴もどうかと思うけど。
特に紋が入っている訳でもなかったし、あれが処刑執行人の正装なんだろうか。
「ローレルで見つけて一目惚れしたものは幾つかありますが、これはその最たるものですな! とりあえず白黒赤青と買いましたが、これは亜空でエルドワとゴルゴンに……ぐふ」
「……何というか、お前の隠れた嗜好を見つけたというか」
ぐふって。
「何故か呆れておられるようですが、若用にも気合を入れて作らせますぞ? それに未知のものではないでしょう、既に若は存在は知っておられたようですが?」
存在と名前だけはね。
スカジャンのご先祖みたいな。
実物を見た事は一度もなかったけど、正直コレがそのものだとしても僕は欲しくないな。
巴が今着て、いや羽織っているのは黒がベースで金糸や銀糸がふんだんに使われた意匠が。
「せめて冬用に一つ、極限まで大人しくしたのでよろしく……」
抗えそうにない時の空気、ってのが最近わかってきた。
これがそうだ。
最悪泣き落としをしてでも巴は僕にこれを着せるだろう。
なら出来る事は最早被害を最小に抑えるのみ。
「ただの防寒具にここまでこだわり抜き、金をかけ、粋を見せるとは。紛う事なき天才の発想」
肩口辺りを撫でて本気で感動している巴。
ええ、もうおわかりですね。
伊達半纏です。
それもかなり際どい。
昇竜、雲、何かの葉っぱ、武具、魔術のエフェクト、それに鬼か魔物?
ともかくカオスだ。
蛇な竜が凛々しく刺繍されていたのが最初のお気に入りポイントだったらしいけどさ。
昭和の不良でも着るのを躊躇いそうな珍デザインだというのに嬉しそうにまあ。
下手に指摘すると少し前に味わった終わりなき熱弁がリピートされるので辛うじて自重する。
ちょっと用意があるから合流場所で落ち合いましょう、なんてさ。
普通に頷くじゃん?
まさか伊達半纏を外にまで着てくるとは夢にも思わないじゃん?
時々、巴のセンスがわからなくなるよ。
ああ、頼むから亜空で流行らないでくれよ。
どの種族の心にも刺さりませんように。
帰路につく僕は割と真剣にそんな事を考えていた。
両名ともに黒一色の袴を身に纏い、特に背筋を伸ばす男の姿は普段の彼とはまるで様子が違う。
先日文字通りの死線を共に乗り越えた時とも異なるイズモに、呼ばれた仲間たち、ジンも戸惑っている。
「みんな、来てくれてありがとう」
「感謝するのです」
畳が敷かれた部屋で言われるままに、しかし床に直接座るという滅多にしない作法に落ち着かないジンと一同はイズモといろはから深々と頭を下げられた。
「……あー、そういうのはやめてくれって言っただろうに」
「まったくだ」
ジンとダエナが苦笑いを浮かべる。
ありがとう、の意味が今日ここに来た事だけに向けられていないのは、流石に皆に伝わっている。
時間だけで言えばさして付き合いは長くない。
だが濃さが違う。
若い彼らが学園でともに過ごした濃厚な時間と経験は、同じ師を持つ学生というだけではない「仲間」としての強固な絆を編み上げていた。
だから言葉にした二人以外も、態度で同じ返答を返す。
「ローレルに戻ってる所為か、どうにもケジメはきちんとつけておきたくてね。頭を下げて礼を言っておいてなんだけど、答えはわかってた」
イズモが学園にいる時のような柔らかな笑みを浮かべる。
「イズモ様!」
いろはは隣でその笑顔に見惚れて頬を染めつつ膨らませ、発言をたしなめる。
先ほどとは色合いの違う苦笑が向かいの面々に浮き上がった。
一人、アベリアはいろはを羨ましそうに眩しそうに見つめていたが誰に見られるでもなく。
「……で、用事はなに? そちらほどじゃないけど、こっちもバタバタしててさ」
「イズモ君はまだしばらくいるみたいだけど、私たちは今日識先生と一緒に学園に戻るから手短によろだよ!」
ミスラとユーノが妙に息が合った様子でイズモに先を促す。
明るい口調だが、イズモの雰囲気から色々と嬉しくない提案をされるのではと勘ぐってもいた。
予感するのは別れ。
イズモは今学園都市で一緒に頑張っている皆の隣にはいない。
彼は今いろは姫の横にいる。
このカンナオイと周囲一帯を治める、オサカベ家の姫。
そしてイズモの許嫁である彼女の横にだ。
「大丈夫だよ、僕は学園に帰る」
『!』
それはジン達全員が望んでいたイズモの答え。
「……今は、ね」
『……』
だが、それだけで答えは終わりではなかったようだ。
イズモは仲間たちの目を真っすぐに見て、迷いなく決意を口にしていく。
彼らの目に浮かぶ様々な感情に応えるように。
「この数日で、僕は自分の居場所がどこなのか、はっきりとわかった。それはローレル連邦であり、いろはの隣だ」
『……』
「どう生きたいのか、何がしたいのか、俺にとって……イズモ=イクサベという一人の人にとってソレは常に胸中に渦巻く悩みだった。生きながらにして誰かの思惑を感じない時などありはしなかったから。正直全部をここで告白するのはあまりにも恥ずかしくて耐えられそうにないから端折るけど」
「端折るんですか、そこを」
シフの静かな突っ込みを、ニヤリと笑って流すイズモ。
「最高の仲間と最愛の人の前だからね。俺の中で起きた革命を全部口にするなんてとてもとても。ただ、俺は答えを見つけたんだ。自分の生き方を決められた。見つからなかった俺自身のやりたい事も一気に沢山出来た」
「自分の事を俺っていうのも?」
アベリアの指摘に頷く。あの夜が明けて、イズモは僕、とは言わなくなった。
「それも一つだね。それからオサカベ家に婿入りしてイクサベをぶっ潰そうかな、とかカンナオイとロッツガルドの建築を学びたい、とか」
「さらっとおっかない事言ってんな、おい」
「先生に比べたらこんなの甘い甘い。そして何より」
ジンが家を潰す発言をきちんと拾い上げて確認すると、イズモは否定するどころか大した事じゃないかのように応じた。
誤魔化すでもなく自身の言葉を明らかな肯定の意思で再度明らかにして。
「向後、俺は、皆が必要とする助力を絶対に惜しまないと、決めたよ。ローレルに広く知られている古臭い考えに、初めて心から納得できた」
「……ローレルには、男は己の為でなく他者の為に力と命を尽くしてこそ生きる意味がある、という考え方があるのです」
イズモは言い終わると畳に拳をついて再び頭を下げる。
いろはが言葉が足りていないイズモの代わりにローレルの古臭い考えについてジンらに説明した。
しかし、重い。
大真面目に話しているのは十分にわかるが、これまた一つの当然として皆が一様に若干引いた。
「まあ全部」
顔だけを上げてジンらににっこりと笑顔を向けるイズモ。
「いろはの次に、だけどね」
『……』
なんとも言えない空気が両者の間に流れる。
「じゃあまた学園で。……いろは」
イズモが立ち上がる。
「あ、はい。皆様、此度の事イズモ様同様私も――」
「姫、そういうのもう大丈夫ですから」
「お前が言うかねイズモ」
ジンは呆れていた。しかし同時に満面の笑みを浮かべていた。
「そうですよ、イズモ様! 大丈夫とかじゃないのです!」
「じゃあジン、みんな。気を付けて帰る様に」
「識さんと一緒に転移するんだから気をつけるも何もないが」
「そうだった」
「……早めに帰って来いよ」
「わかってるって」
女中がジンらに帰りの案内をすべく入室するのを見て、イズモは最後の軽口を叩いて彼らを置いていろはと一緒に退室した。
板張りの廊下を足袋で歩く久々の感触はイズモにとって懐かしくもあり、そして気を引き締めさせるものでもあり。
もっとも気を引き締めさせているのはそれだけが理由でもなく、先ほどまでの年相応の表情とは打って変わったいろはの様子もそれを示唆していた。
「姫、申し訳ありません。このような事にお付き合い頂いて。どうしても今この時に、貴女に彼らと、彼らといる時の私を見ておいて欲しかった」
「イズモ様の最高の仲間であれば、私にとっても最高の仲間なのです。友人なのです。凄く、楽しかったのです。ありがとうございますイズモ様」
「……では行きましょうか」
「はい、一緒に」
「ええ、もちろん」
二人の進む先には白装束に身を包んだ遥歌が待っている。
清められたエインカリフが待っている。
断罪を望む民衆が待っている。
それでも。
並ぶ二人は臆さない。
確かな足並みで。
イズモといろはは立つべき場所へ歩を進めていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
大歓声がここまで伝わってくる。
一人の女性の首が落ちた。
大勢が見守る中での公開処刑だ。
処刑と歓声の二つが僕の中で一組のものとして上手く馴染まない。
かつて公開処刑が民衆の娯楽だった、そんな言葉をどこかで聞いた覚えがあるけど、実際に目にすると違和感が大きい。
死はただの終わりだ。
あそこに集まった人たちは死に一体何の楽しみを見出してるんだろうな。
僕は処刑の場からかなり離れた場所から見下ろす形で様子を見ていた。
巴と一緒に。
「ふむ、イズモ、でしたな。あの小僧、中々小癪な事を」
巴はニヤニヤしながら1キロほど離れた場所で行われた斬首の瞬間を思い返しているようだ。
確かに、数日前のイズモには技術的にも判断基準的にも到底やれそうにない事をした。
巴が名前を覚えても不思議じゃない、それだけの技を見せた。
……識が言葉少なに言ってきた生徒たちの成長、というのに説得力を与えているようにも思える。
それだけで今回の乱入劇に納得する気はないから識とも講師業の事とか話をしないとなあ……。
「小癪と書いて粋と読む。ってところか? その口ぶりだと」
「まあ、そのようなところです。儂は好きなヤツですな」
エインカリフを振り下ろすいろはちゃんの刃を包む様に。
薄く、だけど恐ろしく鋭い風が一秒と少し位の間生まれた。
いろはちゃんと同じく黒い袴に身を包んだイズモの魔術だ。
あそこで見ていた全員、遥歌さんの首はいろはちゃんに刎ねられたと信じているに違いない。
当事者のイズモといろはちゃん、それにエインカリフ以外は。
こういっちゃなんだけど、イズモにはまだ出来ない領域の芸当だった。
つまり、いろはちゃんの母殺しを止めた。
ただ……あれは。
もしかしたらいろはちゃんには「自分も同じ罪を背負いたいから魔術を付与させて欲しい」みたいに言いくるめたか?
あの子が自分の代わりにイズモにだけやらせるのも違和感がある。
ともかく、あんな役者じみた真似。
本当に、変わった。
ひょっとしたら遥歌さんだけは気付いたかもしれないが……最後の瞬間、あの穏やかな表情の意味は、考えても仕方ないか。
しかしあのイズモが許嫁の為とはいえ自発的に、自分には何の得にもならないリスクしかない行為をねえ。三日どころかほんの一晩でよく化けてみせたもんだ。
「そっか、あんまり構いすぎるなよ。ところで、遥歌さんの身体から出てきたモノ、見えた?」
「……若も見えておりましたか。常世とやらに行った代償ですかなぁ、おそらくは魂の一部ではないかと」
「だよな。正確にはあの人の魂と融合してた賢人の能力、ってヤツかね」
それぞれに色づいてキラキラしたものが、しばらく遥歌さんの遺体の周りを漂い、それから地面に沈んでいった。
「儂も同感です。地に溶け、沈み、フツのおる場所にまで辿り着き。いずれまた輪廻の中で誰ぞ相性の良い者が生まれ持って出てくるのでしょう」
「とうとうあの世にまで行っちゃったもんな。どうせなら日本に行きたかったよ、僕は」
死後の世界よりレアか、日本。
ああ、現代日本が果てしなく遠い。
ここローレルが微妙に和を感じさせるだけに若干いつもより強く、懐かしさを感じる。
「……」
「巴?」
「あ、いや。儂もいつかは江戸に行きたいと思いまして」
「……日本な。現代な」
こいつ、日光か太秦に連れて行ったら狂喜乱舞するんじゃなかろうか。
僕も好きな方だけど、正直一日はもたないと思う。
せっかくそっちに行くなら他にも見て回りたい所はたくさんある。
……そうだな、いつか。
巴を連れて行ってやりたいな。
「おお! そういえば、識は先ほど生徒たちを連れて一足先にロッツガルドに戻ったようで! いよいよこの国ともお別れの時が近づいてますなー! いやー、惜しい!」
イズモが処刑の執行人を務めるその姿を、ジン達は見ていない。
識もだけど、イズモがそれを望んだらしい。
……正直、その辺りの機微はよくわからない。
あいつのした覚悟や決意というのは、一体どんなものなのか。
僕はそれを知るべき立場にはないけれど、少し気になった。
だが今はそれよりも。
いい加減突っ込んでおくべき事がある。
「なあ巴」
「流石にちょっと苦しかったですかな」
「いやまず第一にお前のその格好はなに? いつになったら言い出すのかと待ってはいたんだけど我慢できなくなった」
いつも通りのラフな和装、の上に如何にも目を引く一枚を巴は羽織っていた。
いや似合うよ?
怖いくらい様になってますけどね?
絹地の光沢に豪奢な刺繍。
しかも裏地にまでびっしりと。
まあ、格好といえばイズモといろはちゃんが来てた黒一色の袴もどうかと思うけど。
特に紋が入っている訳でもなかったし、あれが処刑執行人の正装なんだろうか。
「ローレルで見つけて一目惚れしたものは幾つかありますが、これはその最たるものですな! とりあえず白黒赤青と買いましたが、これは亜空でエルドワとゴルゴンに……ぐふ」
「……何というか、お前の隠れた嗜好を見つけたというか」
ぐふって。
「何故か呆れておられるようですが、若用にも気合を入れて作らせますぞ? それに未知のものではないでしょう、既に若は存在は知っておられたようですが?」
存在と名前だけはね。
スカジャンのご先祖みたいな。
実物を見た事は一度もなかったけど、正直コレがそのものだとしても僕は欲しくないな。
巴が今着て、いや羽織っているのは黒がベースで金糸や銀糸がふんだんに使われた意匠が。
「せめて冬用に一つ、極限まで大人しくしたのでよろしく……」
抗えそうにない時の空気、ってのが最近わかってきた。
これがそうだ。
最悪泣き落としをしてでも巴は僕にこれを着せるだろう。
なら出来る事は最早被害を最小に抑えるのみ。
「ただの防寒具にここまでこだわり抜き、金をかけ、粋を見せるとは。紛う事なき天才の発想」
肩口辺りを撫でて本気で感動している巴。
ええ、もうおわかりですね。
伊達半纏です。
それもかなり際どい。
昇竜、雲、何かの葉っぱ、武具、魔術のエフェクト、それに鬼か魔物?
ともかくカオスだ。
蛇な竜が凛々しく刺繍されていたのが最初のお気に入りポイントだったらしいけどさ。
昭和の不良でも着るのを躊躇いそうな珍デザインだというのに嬉しそうにまあ。
下手に指摘すると少し前に味わった終わりなき熱弁がリピートされるので辛うじて自重する。
ちょっと用意があるから合流場所で落ち合いましょう、なんてさ。
普通に頷くじゃん?
まさか伊達半纏を外にまで着てくるとは夢にも思わないじゃん?
時々、巴のセンスがわからなくなるよ。
ああ、頼むから亜空で流行らないでくれよ。
どの種族の心にも刺さりませんように。
帰路につく僕は割と真剣にそんな事を考えていた。
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【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
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“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
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