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五章 ローレル迷宮編
フツの望み
ではこちらへどうぞ。
彼にとってはいつもの言葉が頭に響いた途端に、周囲の景色が一変した。
淡く赤い世界は消え去り、自然溢れる森が姿を見せた。
そこかしこに動物の影が見て取れる。
一際太い木漏れ陽が差し込む地点に切り株を見つけたアズノワールは即座に行動する。
即ち、歩き、腰かけた。
初めてではない、慣れた動きだった。
そして彼は右を見る。
するとそれが合図になったように、樹木の一つから青白いふんわりとした女性の輪郭を持つ存在が染み出てきた。
その姿は特定の誰かではなく、成人女性の形を模しただけだ。
手にはマグカップが二つ。
他には誰もいない。
真も、巴もだ。
「随分と手酷くやられたようね、アズ」
「フツ……久しぶりだというのに何でそんな手抜きの姿をするかな」
「今更貴方たちに気取った姿を見せてもね。サプライズもやり尽くしました」
「残念だな……本当に残念だ」
「大事な事でも却下。で? 答えてくれる? その肩、いよいよ気でも触れた?」
彼女がマグの一つをアズに手渡し、次いでアズノワールの肩を指で指し示す。
「これは不幸な遭遇の結果だよ。誤解は解けた」
「誤解は解けた? 久しぶりに聞いたね、その決まり文句。筋肉でまかり通ったって訳せばいいのよね? 何がどうして女神の使徒と揉める事になるんだか」
「……弟の血筋を守る為だ。ま、数少ない縁。大事にせんといかん」
「そう。ごめんなさい」
「なに、俺の好物を覚えていてくれる数少ない友に謝られる事じゃない」
マグカップの中身は真っ白な液体。
暖かな湯気がくゆっている。
ホットミルクである。
「……たかがミルクでしょう。もっとも、ここで生きている人がまともに飲み食いできる物を饗するのは中々骨が折れるのも事実だけど」
「俺の分はここのでも良かったのに。どうせ、同じだ」
「待ち望んだ客人をお連れ下さった方には最大限の歓待をいたしませんとね。……肩についてはもう良いです、他の負傷は……彼、ですか?」
「……ああ」
「ふぅ。覚悟はしていましたが、まったく、恐るべき稀人のようで」
フツのマグには黒褐色のドロドロとした液体が注がれていた。
躊躇なく口をつけると暗鬱たる吐息を一つ。
「完全に同意するよ。まったく恐ろしい。あそこで投降していなければ俺は今ここにはいられなかっただろう」
「姫の名に至った君でも?」
「……やっぱり知っていたか。いや! 姫の名をか俺が名を知った事かは聞かないぞ! 聞いてやるものか!」
過去の何かを思い出したのかアズノワールが発作的に叫んだ。
「はいはい、余計な事を言いました。続けて、君が辿ったかもしれない未来を」
「まず真君は俺の放った居合の剣を避けるのを途中で止めた。初めて放った瀬織津姫の名で発動した技だ」
アズノワールが戦いを思い出す。
ついさっきまでやっていた、直前の戦いだ。
彼の記憶も鮮明に残っている。
「回避可能な攻撃をわざと受けた? アズ自身でさえ初見の技を? 勘違いじゃない?」
「俺の目にはそう見えた」
「目的は?」
「俺を仕留める為」
「……不死だって知っていた筈ね?」
「だが負傷はする。深い傷を負えば回復期間が必要になる。深ければ深いだけ行動できなくなる時間も長くなる」
「……」
「彼は回避を途中で止めて、俺の剣を頭で受けた。額の肉を斬らせ刃を頭蓋骨に滑らせた。もっとも、どこまで計算なのかまったく計算なんてしていないのかはわからん。が、彼にとってはそこが攻撃に転ずるべき好機だったんだろう」
「っ」
「そして俺が刀を振りぬいて返しの刃で決着をつけようとする前に、真君は指輪らしきものを幾つか含ませたこれまでとは桁違いに強力な一矢を俺の胸に放ち距離をつくる」
「……彼の切り札ですか」
「次に六夜を行動不能にした二股の光矢を鎧の隙間に四連射、数秒程の拘束時間が生じ、その間に俺の両側にはあの銀の腕」
「銀の腕? なんですか、それは」
「さっぱりわからん。見た事も聞いた事もない。エルダードワーフを従えているようだから彼らの秘蔵の品か、それとも彼が造らせたものか」
「巨人用の装備を魔力で操作しているという事ですか?」
「……かもしれんが、俺の勘では違う。あれは巨人の装備というよりも……ロボットの腕に見えた」
「ロボット。ああ、ゴーレムの進化型でしたか。日本人たちはロボットだとかロボと呼んでいました」
「う、む。しかしその割には魔力をもの凄く消費する仕様にも感じた。ロボットを求めるタイプにも見えないし、巨人の装備の流用にも見えん。確かな事は恐ろしく凶悪な性能をしているという一点のみだな」
「貴方を長い間行動不能にするほど?」
「……間違いなくな。そして俺はあの腕による結界か何かに捕らわれ、徐々に全身を万力のような力でねじ切られていき、果てには瀬織津姫、剣ごとまとめて――絞られた肉雑巾に変えられていた」
「……う、それはまた」
「もちろん、その間僅かな抵抗さえ見逃さず一切の妨害も許さないと言わんばかりの彼が弓を構えたまま警戒以外の感情を窺わせない目でずっと俺を見つめている、という中々に猟奇的な結末だ。とりあえずそこまでの先を見て、俺は投降を決めた。そこまでやらせてしまっては後に待っているのは全員が損をする最悪の最後だからな。元も子もない」
「英断……かしら」
素直な賞賛か、それとも皮肉か。
フツが苦々しい、複雑な顔でアズノワールを見つめる。
「半世紀は身動きできなくなるところだった」
「こっちに来てまだ十年も経っていない若者相手に?」
「……そこが一番恐ろしい。今回の三人は勇者を含め規格外揃いだよ。だが中でも彼は特別製だ。心から、恐ろしい人物だ」
「特別製というのは賛成。ああ、私から見てもそこは疑いようがない。全身取り扱い注意の札で貼りつくしても足りない位の、ね」
「ま、だから“ついでに”連れてきた。何かしら、彼がここで経験を得てくれる事を願ってる」
「うん、本当にありがとう。ついにシンを私の所に連れて来てくれた。依頼は文句なく達成だ」
「凄腕の冒険者だから、と言いたいとこだが今回は完全に棚ぼただ。あと依頼じゃない。俺は友人の頼みを聞いただけなんだからな。あ、ミルクおかわりな」
暖かな日差しを感じながらアズノワールはリラックスした時間を過ごす。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ではこちらへどうぞ。
招待の言葉で一瞬にして景色が変わった。
淡く赤い世界が消え去り、現れたのは庵。
彼女は縁側に座り、そして小川と林を見つめている。
他には誰もいない。
「これはこれは。我が家に戻ったかと思ったが、違うな。ここでは目に見えるモノ、触れるモノ、全てはそちらの思うがままという事か」
特に動くでもなく巴は良く通る声を放った。
「どちらかといえば貴女の望む姿、憧憬、精神の投影など……が絡むのだけど。ローレル、ではないわね。もしかして日本かしら?」
「そして橋から客人が来たる。くくく、うむ、儂の居たかった場所には違いない。隠居所を思わせる庵は実際向こうにも造っとるしの」
この場は巴が亜空が造った庵に似ていた。
そしてその庵は、巴の大好物である時代劇の中でとある主人公が隠居して住んでいる隠宅を大いに参考にしている。
唯一明らかに異なるのは、縁側から臨む小川の先に広がっているのが見た事のない針葉樹である事くらいだ。
「で、娘よ。儂に何用じゃ?」
巴は客人の体で近づいてきた江戸の町娘の姿をした女性に話しかける。
用件を尋ねられた町娘は一瞬歩を止めるものの、構わず沈黙を貫き巴の隣に座る。
縁側に座っていた巴は立ち上がる。
刀には手を掛けていない。
背後にある囲炉裏に座り直しただけ。
町娘も一度頷いて巴の対面に腰かけた。
「はじめまして、ね。私はフツ。ルトとドマ以外の上位竜がその名さえ知らない旧い存在」
「上位竜なんじゃろ? 大昔、ルトとお前だけがそう称される存在だった時代があったと……最近聞いた」
「大体合ってる。彼女、今は彼か。まあどちらでもいいわね。旧き時代、あれが天と調和を、私が地と魂を司っていたの」
「じゃがお前はルトの怒りを買い、結果殺されたか幽閉されたかでここにおる、か。男の取り合いかの? いずれにせよ負け犬じゃな」
巴の口調は静かだった。
されどそこには不快と敵意が多分に込められている。
彼女にとって、そして彼女の主にとってフツが十中八九有害な存在になると推測していた為だ。
何故なら紆余曲折、依然油断できない経緯こそあれ、真とルトはひとまず協力関係にあるから。
明らかにルトに対して敵対するであろうフツとの関係は出来る限り浅く留める方が良い。
「ええ図星です。男の取り合いが最大の原因。それで今や知る人も少ないあの世の管理人という訳」
「しかも後数百年もすればこのローレルでさえフツとドマの名は混同され、実在するドマに融合されていくじゃろうな」
「ルトの執拗さには本当に参るわね。ただこの際そこはどうでもいい」
「どうでもいい、じゃと?」
「そう。シンには……いえ巴には既に私の存在についてはある程度納得してもらえているようだから、次に重要な事は私への敵意と警戒を無くす事」
「お友達になりたい、とでも?」
「……私はルトに恨みはない。関係の破綻も私が原因なのだしね。彼と敵対関係は無いし巴の主人を私たちの因縁の一切に巻き込むつもりももちろん、誓ってありません」
「……」
「むしろ今回のご招待の主賓は貴女」
「……なん、じゃと?」
「この死者の国、魂たちの管理人という立場に私は不満もありませんが――一つだけ心残りがあります」
「死者の管理人の心残り。ぞっとせんな」
死者の遺恨。
そういったモノを連想して巴は顔を顰める。
「ふふふ、確かにね。そう言葉にすると私でもロクな事じゃなかろうと思うわ」
「ならば……うむ。フツよ、貴様とルトの男の奪い合い、お前が何をして破綻し負けたのか。そこを教えてくれれば続きを聞いてもよいぞ」
何を思ったのか、ルトとフツの関係に興味を示した巴が悪い笑みを浮かべる。
「あらそんな事。簡単よ。私は二番目の妻ですら我慢できなかった。一番が良かったの。そして他の女もいて欲しくなかった」
「……ルトの旦那だった男は盛大な後宮を作ってそこに篭ったような好色男だったと聞くが」
「だからあの人の子を産んでくれるなら他の女が何人いても構わないって言い切ったルトに負けた」
「馬鹿と阿呆がいるところに普通のが混ざると普通が弾き出される、か。貴様の願いは至極普通で慎ましいものであったろうに」
明らかな呆れを巴の表情が物語っている。
「どうかしら。英雄に寄り添うのは普通の女では難しいものよ。実際ルトと結婚した彼は幸せに生きて、死んだ。愛した人が俗な心残り数個だけを残して愛に包まれて大往生した。ルトへの醜い想いも全部溶けて消えるほど……本当に良い顔をしてたわ」
「……ここで、会ったか」
ずっと真っすぐ巴に向けていた視線を初めて逸らし、庭を眺めたフツが沈黙で答える。
対して巴は違う意味で言葉に詰まる。
それは、フツのその経験は巴が真と出会ってからずっと恐れ続けているもの。
「……あら、取引の材料を一つ見つけたかも。けれど必要ないかも……うーん。ひとまずは置いておきましょう! ではいよいよ私の心残りについてお話ししても?」
重苦しい空気を吹き飛ばす目的だったのか、フツが極めて明るい口調で話を続ける。
「うむ。聞こう」
「私が司るものを継承して欲しいの。ここの管理人をするのに必要ない、長らく――本当に長らく――宝の持ち腐れになっている能力を幾つかね。勿体ないでしょう?」
「無茶苦茶を言い出しおる。上位竜が司る力を移譲など出来る訳なかろう」
「出来るわ。貴女、アズマ、ドマ、リュカ、グロント、ランサーが証拠。ルトと私には、出来るの」
「つまり何か? ……儂らの力はルトから譲られたものだと? 元々は奴の力の一部?」
巴が心底嫌そうな顔を浮かべる。
隠す素振りすら見せない。
「そう嫌がらないで。今はもうルトに干渉される事もない貴女自身の力なんだから。それに」
「これ以上なんじゃ?」
「貴女の主はいずれ遠くない未来、この異世界を訪れた賢人たちの中で最も危険な領域に突入する」
「……女神か」
「言うまでもなくね。その時、力は幾らあっても困らないでしょう?」
沈黙の帳が下りる。
フツは巴の答えを待つ。
既に語る事は語ったと言わんばかりの余裕ある沈黙で。
巴は考える。
フツの意図、望み、魂胆の全てを。
沈黙は、長く続いた。
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