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五章 ローレル迷宮編
幕間 夜の狭間で
カンナオイを長きに渡って統治してきた刑部家には幾つか、その期間と同じ程抱え続けた悩み事がある。
例えばヤソカツイの大迷宮。
刑部家が名を上げるずっと前から存在し、カンナオイの街よりも更に古い未踏破の迷宮である。
上位竜が住まう場所とも語られ、時に馬鹿げた数の魔物を吐き出して街に甚大な被害を出す。
されど平時においては迷宮に惹きつけられる冒険者らによって大きな恵みをもたらしてきた。
まるで氾濫も珍しくないが豊かな大河だ。
危険はあっても傍に人は集まり街が出来るのだから。
いかにこれと上手く付き合っていくのか。カンナオイの統治者がおそらくは永劫取り組む課題なのだろう。
例えば戦部家。
かつては一つだったが、いつしか本家を争い、競い、今では憎み合うという言葉さえ温く思える程の確執を醸す相手。
名は変わり、統治する地も別れ、仕える主も変わった。
現在においては領地の格こそ刑部家が上だが、仕えている主と待遇は戦部家が上。
総じては戦部家の方が力を持っている。
当然刑部家からすれば気に入らない状況だった。
例えば……本家の血筋。
カンナオイの本流は常人に比べても体が弱い者が多かった。
大事に育てられても長生きする当主は稀であり、一時は敵対勢力による呪いなど策謀を疑う声も絶えなかった程だ。
この答えは未だ得られていない。
ともあれ血を一定以上の濃さに保とうとすればそれだけ体の弱い者も生まれやすくなる。
刑部家の抱える最大のジレンマだった。
だがどういう訳か血の濃い者の中からは優秀な人物も多く輩出され、主君を慕う家臣も多い。
故に魔術や薬、様々な試みによる体質の改善は刑部家と彼らに仕える人々にとって目を背ける事の出来ない深刻な課題となっている。
皮肉な事に今日、ローレル連邦で最も治癒属性に明るいのは刑部家。
自分を救えない癖に他人から救いを乞われる、見様によっては喜劇である。
そんな、歴史なりに複雑な事情を抱える刑部家に代々仕えてきた家臣たち。
コウゲツとショウゲツの兄弟もまた武門の重臣として主君に忠義を尽くしてきた。
兄であるコウゲツは戦士として軍師として国元で英才教育を受け正面からお家を守り。
弟のショウゲツは冒険者を経て世界を見聞した後、忍びの者として縁の下からお家を支えた。
後にとあるお家騒動の悲しい事情を全て知るに至り、弟は中枢から遠く離れた一人の姫の守り役に隠居。
一方兄は中枢に残ったまま……改革を心に決めた。
いや、彼の心にあるそれは改革なんて穏やかな言葉ではとても足りない。
革命か、或いは謀反という表現こそ正しいかもしれない。
「これで、動きも早まるはず。彩律が寄越したクズノハ商会が俺の予想を遥かに超える戦力であった以上、あの女狐がどこまで状況を把握しているかも怪しくなった。ハルカの建てた計画では速度が足りん」
コウゲツの自室。
ロクな睡眠もとらず遠謀に邁進する彼が方針の修正の為に打った一手の効果を測っていた。
彼の脳裏に置かれた盤面では対面にローレルの実質最高権力者といっても過言ではない彩律がいる。
中宮として相応しい能力を持つ老獪な政界の住人。
まだ婚姻というカードも残した彼女はローレル連邦の首都たるナオイから内政と外交の全てに睨みを聞かせている。
その彼女が盤上に差した手がクズノハ商会。
対するコウゲツの手は帝国の勇者智樹と刑部の女傑ハルカだった。
しかしこの手が上手く、彼の望む様に機能してくれない。
正常に働いたとして適当な対策であったかは別にして、これがコウゲツに焦りを生んだ。
更にクズノハ商会の迷宮での活躍、刑部いろはとの接触。
カンナオイと刑部家を改革する為の初手。
その詰めがどうにも上手く決まってくれない。
あと少しだというのに。
この為に長い雌伏の時を耐え忍んだというのに。
ハルカの下に集まる戦力の肥大、手札に加わった帝国の勇者が持つ強大な魅了の力、そして彩律とクズノハ商会の存在。
これまで慎重に冷静に、決して急がずに。
着々と自らの計画を進めてきたコウゲツが、急遽一つの策を仕掛けた。
いろはの母であるハルカ達をもう少し積極的に動かすための、あくまでも全体の動きを早める為の策だった。
これが……間違いだった。
致命的な過ち。
コウゲツは大迷宮の謎のエリア、オルタナティブフロアを解明し尚も破竹の勢いで探索を続けるクズノハ商会と、その後ろに覗く彩律の影に勝手に怯えてほんの少し、急いでしまった。
熱心な信徒でもないのに通い慣れたキシモ寺院、その地下で彼はハルカと彼女の側近数人に呟いた。
「クズノハ商会、特にその代表ライドウは……帝国の勇者岩橋智樹と不倶戴天の敵同士らしい」
と。
コウゲツの誤算はただ一つ。
この言葉の威力を完全に見誤っていた事に尽きる。
彼の見立てでは、この言葉を切っ掛けになるはずだった。
導火線を短くする作用を期待していた訳だ。
火種に風を送った気でいた。
しかし実際は大きく違う。
この言葉は爆薬そのもの。
導火線など必要としない、それそのものが大爆発を引き起こす文字通りの爆弾発言。
効果が動きになって現れるまで数日。
その見立てだけは合っていた。
ただライドウが智樹の敵だと知っていただけの無影たちですら、ライドウを発見したその場で殺そうとしたのだ。
同様に魅了に侵された者の行動は、コウゲツの想像を容易く上回った。
しかしここで更に不幸な偶然が一つ。
ハルカという女性は刑部家の歴史を振り返っても男女合わせてトップクラスの武者であり、その意思の力もまた英雄の領域にあった。
だから彼女は未だ智樹の単なる傀儡になり果てる事なく、指揮官として振る舞う事ができていた。
狂気の愛と強靭な意思が最悪な融合を果たしていた。
かつて愛した男も自らの娘もまるで顧みない反面で、智樹の為に行動したいという欲求に忠実。
倫理も常識も知っているが価値を感じない、全ての判断基準の頂点に会った事もない男への愛情がある。
彼の為ならば、この世にやってはいけない事など何もない。
それが今のハルカだ。
彼は魅了の力を評価する一方でハルカという女性の事もまだ評価していた。
小さな不運の積み重ね、不幸な偶然の結果。
コウゲツは、かつて自分が理想とした英雄であり女性であるハルカがもうどこにも存在などしないのだという事実を最悪の形で思い知る事になった。
「コウゲツ様!!」
「なんだ、騒々しいぞ!」
「ご無礼、しかし緊急でございます!! 只今警らの者から報告あり!! 謎の軍勢が千尋万来飯店に夜襲を仕掛けております!!」
「……なに? 今、なんと?」
「千尋万来飯店に夜襲でございます!! 至急鎮圧の為の部隊を編成、順次投入しておりますが敵は強大!! しかも、まだしかと確認が取れた情報ではございませんが軍勢の中に行方知れずになっていたハルカ様のお姿を見たという者がおります!!」
「……馬鹿な」
コウゲツが思わず一歩後ずさる。
報告に来た男はそれがハルカの存在についての驚き、千尋万来飯店への襲撃という街の中央部分までの侵攻を許した事実への怒りからの当然の反応と判断したが実際は違う。
彼は即座に、そしてようやく。
自らの誤算を悟った。
智樹の魅了に憑りつかれた者に、不倶戴天の敵などと囁く事がどんな意味を持つのかを。
そしてその対象が十分な戦力を持っていた場合、どう対処するのかを。
ただの戦闘人形ではなく自ら調査し危険度をある意味柔軟に判断できるハルカは、実際のライドウと智樹の情報を収集した後、般若の形相で準備を始めた。
確かに千尋万来飯店は警備も防衛能力も高い施設だが、その準備の程度は度を越していた。
襲撃ではない。
まるで戦争である。
熟練の冒険者と武士と忍びで部隊を編成し、更にハルカ自らが指揮を執る。
「現在最優先で確認を行っております!! また宿泊客については宿の者が既に避難誘導を開始しており、防衛部隊も出動済みです! 我らと挟撃の形で鎮圧を進めるべく……」
早過ぎた。
こんな筈ではなかった。
情報の隠蔽など全く出来ていない。
これではカンナオイで大規模な戦闘が起きたという情報は瞬く間に広がってしまう。
今更止められようもない。
そうなっては彩律が戦闘を内乱、政情不安などという言葉に置き換えて正規軍や戦部家を投入する口実を与えてしまう事になる。
最悪を考えればその混乱の中で刑部家からカンナオイを取り上げて戦部家にくれてやるという未来すらあり得る。
本来隙など微塵も見せたくない相手に、がら空きの急所を露出させてしまったのと同義の致命的な失敗といえた。
刑部家の没落、取り潰し。
どちらもコウゲツが望む事ではない。
彼は、強く優れた刑部家を望んでいるのだから。
刑部家が治めるカンナオイをローレルで一番豊かな街にしたい。
体の憂いを無くした名君の家系に子々孫々まで仕えたいのだ。
「ハルカ……貴様、ふざけるなよ。お前は他国の勇者の敵を討つ為に、生まれ育ったこの街とお家の全てがどうなっても構わないとでもいうのか?」
「コウゲツ、様?」
「……俺も出る。千尋万来飯店周辺の避難状況はどうなっている!? 伝令を!! 住民への被害は極力出すな、あの宿に常駐する部隊なら奴らだけでもそれなりに戦う。我らはまず民を守る事を優先させよ!!」
「はっ!!」
「やらせん。絶対にこんな結末は認めんぞ! ハルカよ、貴様が彩律に利してどうする!」
報告者が下がった後、慌ただしく準備を進めながらコウゲツが怒鳴る。
あべこべだ。
まるで自分の駒がくるりと向きを変えたかの様に、相手を強力に助ける作用を生んでいる。
対する策はまだ浮かばない。
だが放置は絶対に出来ない。
隠していた切り札が露出し、恐らくは魅了の力についても露見する。
それでも諦める事など絶対に出来ない。
強い刑部を作る為に生きてきたのだから。
カンナオイの民が、カンナオイの武人たちの手で殺される。
それこそ絶対に許せる事ではない。
武人とは民を守るべき存在なのだから。
長く陰謀に身を浸し、戦いの場に出る事も実戦で剣を振るう事からも遠ざかってきたコウゲツ。
そんな彼が久しく武装し剣を取る。
皮肉にも……己の打った策の結果からカンナオイの民を守る為に。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「カンナオイで戦闘ですって?」
ナオイで報告を聞いていた彩律が書類を読み進めるのを中断して顔を上げた。
「は。現在千尋万来飯店が夜襲を仕掛けられている模様。刑部家の軍が出動し宿の防衛部隊と協力して賊に対処しているようです」
報告者はわかりやすい忍び装束に身を包んだ中年の男性だ。
驚くべき事にほぼリアルタイムで遠く離れた都市の情報を把握していた。
余程の備えをもって都市を監視していたか、超絶の諜報技術によるものか。
今回は前者であった。
ローレルの諜報能力は年々成長してはいるものの、近隣の都市ならまだしも距離が開けばそれだけ情報の精度と速度が落ちる。
ではどうして備えをしていたのか。
カンナオイに不穏な気配を感じていたからでも、刑部家が妙な動きを見せているからでも、帝国の干渉が疑わしいからでもない。
そこに彩律が直々に招いた国賓待遇の客人が滞在しているからだ。
「そう。どう転んでも既に我々には有益極まりない状況ね」
普段であれば降って湧いたあまりの幸運に満面の笑みを浮かべていただろう彩律は、しかし冷静な表情を崩さないままだ。
「は」
「で、彼らは?」
「数名が朝から迷宮に、従業員が何名か宿に待機していた様子。内部の情報はまだ掴めておりませんが宿の者によって非難を済ませているかと存じます」
「マリト、最優先で彼らについての情報を集めなさい。それと現場に連絡、彼らを全力で支援なさい。何かを求められたら何であれ断らぬ事。私が何とかしますから引き受けなさい。良いですね?」
「すぐ伝えます。後は、どう動きましょう」
「……何も」
「は?」
「何もしない。我々はクズノハ商会から助けを求められた場合のみ、その遂行に全力を尽くします。そうね……もし手が空くのであれば住民の避難や救助に参加なさい」
「……あの、差し出がましい事かと存じますが。カンナオイ、刑部への対処を伺っております」
目の前にとんでもない好機が転がっているのだ。
何もしない、などという選択肢は絶対にあり得ないはず。
そう考えたマリトは多少の私情を交えて主の答えを促す。
やり様によっては遂に戦部家と刑部家の長い因縁に決着がつくかもしれないのだから、彼が冷静さを多少欠いたとて無理もない事だった。
「何もしない、と言ったでしょう。マリト、貴方たち戦部家と彼らの確執を知らない訳ではないけれど……抑えなさい。今のあの街は至る所に虎と竜の尾が横たわった状態。良い? 私情のまま下手にこの一件に踏み込めば……反対に戦部家が消し飛ぶわよ」
「ご、ご冗談を」
「私は至って本気です。刑部いろはとクズノハ商会の接触でこの件は非常にデリケートで危険な案件に変わったの。あそこの代表ライドウ様はロッツガルドでお前の息子イズモの講師も務めている方」
「……」
「きっと次に会う時はお前よりもあの子の方が強くなっている。片手間の講師ですらそれだけの実績を持つのがライドウという男。だから今回は私情を挟まず見守っていなさい。大事なテストケースですから」
「イズモの才は認めております。あれは私よりも数段上。されどまだ五年十年は抜かせるつもりもありませぬが……承知致しました。よろしければテストケースという言葉の意図をお聞きしても?」
「果たして彼らは直接狙われるという事態にどのような反応をするか。ライドウ様が身内に迫る危機をどう捉え、動くのか。ロッツガルドではあれだけの事件だったのにどこか他人事のようにも見えましたからね。そういう事です」
「ありがとうございます。それでは目としての働きに徹し、余力をもって人命救助と支援、クズノハ商会より助力を乞われた場合は全力でこれに当たります」
「では下がりなさい。それとこの件に関しては遠慮はいりません。いつでも報告にきなさい」
「御意。失礼致します」
マリトの姿が掻き消える。
部屋に残るのは難しい顔をしたままの彩律。
彼らを国に招き入れてからの数々の変化に処理が追い付かないのが表情の理由だ。
「魅了の力を秘めた香水に、刑部家の内輪揉め。始まりの冒険者アズノワール、六夜、ギネビア、ハク=モクレンに関する複数の目撃証言。クズノハ商会代表兼ロッツガルド学園臨時講師ライドウ、か。まさかこれほどの劇薬とは」
深い穴ぐらで権力など気にせず気ままに傭兵稼業に勤しむローレルの問題児を何とかしてくれるだけで良かった。
ピクニックローズガーデンの存在は国内では人気でも、外交面で少々扱いにくい側面もある。
彩律からすれば国の制御下に入るか、いなくなって欲しい存在の一つであった。
アイオンとツィーゲの戦争に駆り出されれば、しばらくは彼らの名を悪い意味で他国の王族や貴族、商人どもから聞かされずに済む。
もちろんツィーゲで十分活躍するだけの実力はある事を前提にしてレンブラント商会に提案したが、残念にして当然な事に純粋な好意からだけではない。
しかしそんな彩律の思惑をクズノハ商会は軽々と超えて、彼らはさして意図した訳でもない多大な成果を出していった。
結局、当初進める予定でいた外交交渉と内政面での工作は殆どがストップしたままだ。
もしこれがナオイの街で、当事者が自分や巫女であったならと思うと彩律の心に若干カンナオイと刑部家への同情が生まれた。
ただし今回山の様に生まれ出た新たな仕事によって、数分ともたずに霧散してしまったが。
「さて。どんな結末が出来上がるのか。帝国の汚い策も、カンナオイの闇も、ローレルの伝説も見事に掘り起こして。本当に、出来る事ならただの観客としてこのお話を楽しみたかったものですね……」
期待半分恐怖半分。
ローレル連邦の中宮は疲れた顔を隠さず、残りの書類に手を伸ばすのだった。
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